プロのインディーズ・アーティストをサポート | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   確実に読んでくれている方がいるようなので、後半の一部、再編集しました。
   
   
      副題 今頃になってLIVE レポート。(その2
   
       http://scrapbook.ameba.jp/pinkcadillac003_book/entry-10010973129.html   (その一) は こっち。
       ※ 上のページは画面背景が白地なため、誠にお手数ではございますが、
         マウス右クリックで「すべて選択(A)」を操作し、反転してお読みください。

   
   
   
   海外のトラフィック・エクスチェンジ で色々と閲覧中に、
   
      http://www.igotnoticed.com/index.html

   
   こんなのがあった。 
   どこの国を本拠地とするウェブサイトなのかは調べてないけど、(ヨーロッパか?)
   どうやら、あまりメジャーではないアーティストを支援、サポートする海外サイトらしい。
   新人ミュージシャンや個性豊かな画家やフォトグラファーを紹介してる。
   巷のトラフィック・エクスチェンジに回してるくらいなので、
   このサイトの運営元も それほど規模が大きいとは思えないけど
   妙に出来がいい。 ナイスだ。
   そこに紹介されているアーティストが何者なのかを丁寧かつ簡素に判りやすくしている。
   左側の選択項目から、各アーティストの案内に切り替え、
   たとえば、音楽アーティストの場合、そこに並んでいる曲目をクリックすると、
   自分のパソコンに取り込んだ音声データをスムーズに、
   自分が使っている音楽プレーヤーで再生できる。
   これが今の時代、一見あたりまえのようで、
   ウェブサイトを管理する向こう側としては、
   それそうとうな技術知識がないと、以外と調整が難しいのではないかと思う。
   んまぁ、他力本願な閲覧者はそんなことは気にも留めないかも知れないけど、
   このサイトの出来栄えは
   俺の場合は winanp を使ってるわけだが、
   ほかのプレーヤーでもスグに対応できるようになってると思う。
   (但し、自分のパソコンにダウンローダーが優先的に作動する設定をしているような人は、
   一旦、取り込んだフォルダのデータを読み出す必要がある)
   
   んで、ここに紹介したサイトには、何人かの女性のアーティストがいるけど、
   俺が気に入ったのは、Kat Parsons というお姉ちゃん。
   10曲目の、ジャズのスタンダード、“ Someone to Watch Over Me
   は、しびれる。 (たしか、チェット・ベイカーも演ってた
   
   1999年の4月20日に、WaterDog というレーベルから
   『Framing Caroline 』というアルバムを発売したらしいけど、
   
http://musicstore.real.com/music_store/album?albumid=559019&artistid=80017
   ほとんど売れず仕舞いで、それでも歌が大好きな、ど根性なのか、
   昨年(2005年)の2月13日に、Cleopatra というレーベルから、
   『No Will Power 』というCDをリリースしていて、
   一応、メジャー・デヴューを果たし、アメリカでのツアーもやったらしい。
   でも俺は知らない。 (P・バラカン氏 なら知ってるのか?)
   んまぁ、大物ロック・ミュージシャンのコンサートで、
   前座を勤めるなどしないと、世界の音楽業界はビクともしない…
   といったところかも知れないけど、
   別に俺は、彼女(Kat Parsons )を紹介するために、
   今これを書いているわけではない。 (ごめんなさい)
   誰が考えて作ったのか、このサイトには、
   かつて、日本の音楽雑誌やラジオ番組にもあったはずの、
   夢と希望に満ち溢れた人々の情熱を配信してる。
   「音楽の世界のアンダーグラウンド・シーンほど ピュアなモノはないかも知れない」
   と思えるほど、「いいものはみんなに伝えよう!」とする精神が漲っている。
   しかも、センスよく、今風に構成されながらも、
   そこに免責事項の詳細を欠かさずなどして、
   自分達が薦めるモノに責任と誇りを持った配慮も成されている。
   
   このページのタイトルに掲げた「インディーズ」という言葉が、
   決してそこに、すべて当てはまるわけではないけど、
   俺は、“インディーズ”という言葉の響きに、
   「ゼロ」からではなく、「マイナスからスタートする」という、
   人間の底力を示す意味が込められているような気がするので、
   あえてその言葉を使っている。
   だから、「コイツはちがうぞ」というアーティストを地道に紹介し、
   いつかどこかで花開く芽を信じている人の姿勢には、常に敏感な俺だ。
   
   そこにはかつての、インディペンデント・レーベルの創設者、
   リチャード・ブランソン氏が、
   通販レコードの小さな会社を起こしてから、
   今や航空機会社も運営するほどになった、 
http://www.virgingalactic.com/jp/default.asp
   “あの可能性”をも感じさせる(…ような気がする) 
   んまぁ、俺は、宇宙旅行の企画には ちょっとした疑問もある ので、
   「気球に乗って地球を一周!」を目論む、命知らずのチャレンジャーに
   どこまでも付き合える人は宇宙の果てまでも着いて行けばいい。
   …行って、無重力空間を体験するまではいいが、
    (身長が10センチくらい伸びるらしい。
    背が高くなって“モテる男”になれる可能性もある。その時だけはな。

   無事に宇宙空間から帰って来て、そのあとが・・・・色々と問題があることは、
   まだあまり知られてはいないけど、…んまぁ、そのうち世間が騒ぎ出すと思う。
   蛇足はさておき、
   
      日本には、こんなサイトはない。
   
   俺の知る限りではな。
   個人が、自分のつくった楽曲やCDを紹介してるページは様々にあっても、
   才能溢れる人たちの可能性を このように引き伸ばそうという取り組みは、
   巷のカラオケボックスと 着メロと テレビドラマのためだけにあるような
   今の日本の音楽産業界全般(日本のミュージックシーンの実態)では、
   このように、“ライヴ・ハウスをサイト化する”()ような試みさえ、
   できはしない。
   まったくもってして、自由があるようでない世の中…。
   
   全国のストリート・ミュージシャンのみなさん。
   あなた方を待ってるのは、紅白歌合戦ではない。
   また、グラミー賞のノミネートでもない。
   
   “音楽”ってのは、人種、思想、国境に関係なく 、 

   世界に向けて即、発信される 、人と人との魂の交流させる芸術だ。 
   「喰ってくためにテキトーにやってりゃぁいい」というものではない。
   とくに、ロックンロールはな 。 

   
   
   またこれも余談になるけど、
   やっぱり佐渡にも、ちゃんとしたライヴ・ハウスがあった方がいい。
   問題は、カネとコネだ。 http://ameblo.jp/badlife/entry-10009166094.html
   信頼の上に成り立つ財産は、おそらく、今の日本の ナントカ・ヒルズにはない。
   泡銭【アワガネ】では本当の自由は買えない。
   
   よし、俺も、こういうサイトが存在してくれていたことを励みにして、
   目指し、決断し、実行する。 いつの日か必ずな。 (…期日を設定する度胸はねぇのか
   
   
   
   んで、
   音楽好きな俺としては、普段、
   「自分の周りの人が、どんな音楽を聴いているのか?」が、
   なぜか非常に気になってしまう。
   それでも、その人たちに向かって、
   「なんだそんなもん!」とは云わないよ。
   どんなアーティストの演奏であろうと、
   その人が聴きたくて聴いている自由には とやかく云わないし、云えない。
   ただ今まで、いろんな人との付き合いがあった中で、
   あるいは、
   様々なアーティストの舞台裏で、ステージの基礎、骨組みを
   組んではバラシ 組んではバラシする仕事現場を通じて、  
   聴く方にも演奏する側にも、その間でチケットやCDを売り捌く業者にも、
   色々に疑問に思うことはあった。 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10010973225.html
   そういう意味で、このことは以前に ほかのページでも書いたけど、
      
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003894276.html
   俺がまだ今の奥さん(ストーンズや哲也さんのLIVE体験者)と知り合う以前に、
   …んまぁ、こんな俺にも惚れた腫れたの人並みの付き合いってのもあって(7~8人)、
   以前、毎月、月末になると、
   テレビドラマの主題歌とかCMで流されてるような、
   いわゆる流行りのCDシングルだけを何枚もレンタル屋から借りて来ては
   カセット・テープに録音して、カーステレオで聴く。という、
   まぁ今風の若い女の子がいた。
   俺のように偏った(?)、これといった“好み”は、別にない。
   要は、流行ってりゃぁ何でもいい。「それが安心」てやつだ。
   そういうのばっかり、繰り返し繰り返し、車の中で流してる。
   但し、2,3ヶ月だけな。
   半年もしないうち、そのカセットはゴミ箱へ捨てちまう。
   でもってまた、レンタルCD屋から新しいヤツを何枚も借りてくる。
   CDのアルバムなんて、めったに買わない。
   買っても何回か聴いて厭きれば、ドレッサーの上とかで
   化粧品の下敷きになって誇り塗れになっちまってる。
   年末に部屋を掃除する際には燃えないゴミでマトメテ捨てる始末だ、
   とにかく、自分が聴きたくて折角、録音したカセットも捨てちまう。
   バンバン捨てる。 そういう女の子がいた。
   んで、それを見た俺は訊いてみた。
   「なんで、そんなことすんだよ?」
   応えはこうだ。
   
   「嫌なことがあっても、それが気晴らしになるから聞いてるの。
   あとで前のモノを聴くと、その時を想い出すから聞きたくないの。
   だからいつもいつも新しいモノだけ聞いてるの。
   捨てたっていいじゃない、そんなの・・・」
   
   ということで、本人は、そういう自由(?)を満たすために、
   テレビや雑誌から得た情報を頼りに、
   「たかが音楽」の世界を買い漁っては捨てる。
   その繰り返しだ。
   
   少なからず、演奏する側は、真心を込めて歌い、楽器を奏で、
   そこに伝えるべき想いの一つ一つを
   その素晴らしい才能から編み出されたリズムやメロディに乗せて、
   聴く人の心をキャッチすべく…やっている…はず・と思う。
   だから世の中、人それぞれ、そこに、
   どんな聴き方や差別、不条理があろうとも、
   “音楽を演奏する”気持ちに嘘はない…と思う。
   どんなミュージシャンであろうとも。
   
   それこそ、かつて全国津々浦々をドサ周りしていた演歌歌手の人も、
   聴く人の心に何かを響かせて、一生懸命に、
   田舎のスナックや、村や町内会のイベントに、
   ほとんどノーギャラで歩き回ってた人もいる。
   そしてそういう並々ならぬ努力の中に、自分自身でも、
   「この歌だけは違うんだ」
   そういう思い、願いを込めて、
   ある日、その歌を自分の心で聴いた人の何人かが、
   それを素晴らしいと感動、感激して応援をする。
   後援会も親衛隊も、ファンも“追っかけ”も、
   必ず、その人たちの中には、
   「この人の歌う歌に救われたよ」
   「顔はよくないけど、あの歌だけはちがうね」
   「どんなに辛いことがあっても、この曲に励まされたよ」
   というものがあった(と思う)。
   それらの言葉の意味は、今でも、日曜のお昼に、
   『全国のど自慢うた合戦』の中にも、わずかに垣間見れる。 (最近は観てないけど
   特別賞を貰えた、おばあちゃんが云ってる。
   「今日まで生きててよかった」と。
   
   その、今日、今、この瞬間に自分が生きている実感を確認できる証として、
   世の中に、“音楽”ってモノが存在する。
   歌う迄は、演奏されるまでは、それを実際に自分の耳で聴くまでは、
   音楽というモノは目には見えない。
   だからそれは、「実際に目には見えない魂」の交流だ。
   そういうことは、決して、歌い手ばかりでなく、
   明日のメシの種になる“CDレコード”の売り上げを気にする作詞作曲家も、
   俺なんかよりずっと、よくご存知のことと思う。
   
   絶対に揺るぎのない、人間が生きてゆくために用意された、
   生きる手段の一つとして、音楽という芸術が、
   世界中の人々の生活の中に在る。
   文学や絵画という芸術は、目に見える形として残って存在しても、
   多くの人々の心に衝撃をもたらす“音楽”のように、
   世に歌い継がれるスピードや即効性は、遥かにそれを上回る。
   
   以前(80年代に)、立花ハジメという音楽家の人が、
   あるラジオ番組(小林克也さんの『SoundHotLine24』だったか)の深夜放送で、
   「今後、ミュージシャンとして日本一になることが、
   世界一になるんじゃないか…」
   という、自分自身に対する課題を語っていたことがある。
   その後、月日は流れ、ただアメリカの音楽シーンを真似たような、 
   ミニチュア版としてのメジャー路線。 
   そこへ大勢の若者が自分の夢と可能性を胸に
   ヒットチャートを駆け上りは消え、駆け登りは消え、また駆けのぼることを夢見る。
   その日本の音楽業界、“メジャー・あーちすと売り込み戦略”が繰り広げられる世の中で、
   SASやムロコのてっちゃんをはじめ、
   「これで最後だ。これが売れなかったら、もうやめよう」というところから
   這い上がったシャラン・キューの“あの人”も、
   日本の歌謡界を代表する、トップ・アーティスト、
                   トップ・名プロデューサーになった。
   
   それでも、湘南の海岸沿いに「サザン通り」をつくった桑田さんが、
   エリック・クラプトンと共演はしてない
。  
   かつて、イカリヤ長介率いるドリフターズは、The Beatles の前座を務めたが、
   ローリング・ストーンズの来日の舞台で、 
   そのオープニング・アクトに任命された日本のミュージシャンはいない。 (5~6回も来日してるのに)
   また、今いる日本のどんなに優れたプロデューサーも、
   スティーヴ・リリーホワイト を越えられはしない。
   なぜなら、その人たちの真心を受け止めるはずの “聴く人”が、
   単に経済戦略に乗っけられただけの中で聞き流してしまうから…。
   
   そんな中で、立花ハジメさんの友達の坂本龍一教授 だけは、
   ニューヨークにグランド・ゼロができる前 に、 
   あの惨状惨劇を、一人、自分の部屋の窓から見てしまった。 
   (自分の才能で築きあげた富と名声によって手に入れた部屋の窓から…
   そしてまた、そんな中で、矢沢永吉さんだけは、今も くじけず、
   アメリカン・ポピュラーシーンおける、“日本初の男”として、
   そこへ喰らいついてゆこうと歌いつづけている。
   決して妥協はない。
   もうそこには、生きることの追究しかない。
   
   なんのためのキャロルだったのか?
   なんのためのYMOだったのか? 
   きっとご本人達は、最初のスタートから変わってない(と思う)。
   そんな人たちがつくる歌の入ったCDやレコードを
   俺は中古量販店に売り払ったりはできないし、
   捨てる人がいるなら拾う。
   そして聴いてみる。 
   聞き流しはしない。
   今の自分にとって、どの曲が何の励みになるのか。
   
   
   そういう意味で、俺は先日、4月2日に、
   しっかりと確認できたことがある。
   
   
     ticet2006spring   
   
   
   このたった2枚のチケットを買って観た、真実の2時間。
   そこには、ストーンズの5度目の来日の最終日の公演と同じ時間に、
   “自分の歌”を歌う男の姿があった。
   こんな時代でも、まだちゃんと歌える一人の男の生き様があった。
   
   以前の俺はもう、二度と逢えないと思っていた。
   で、ひと昔まえ、
   とあるCDレンタルショップの片隅の、
   ダンボール箱の中で、この一枚のCDを手にいれた。
   
   
     handindiamond34  
   
   
   レンタルで使い古され、お払い箱にされたほかのCDに埋もれ、
   勝手に、500円の値が付けられていた。
   もう何十回も聴いた。
   ケースも割れていたので、新しい物へ入れ替えた。
   
   いま現在、この貴重な一枚は、もう何処にも売ってない。
   中には、ちゃんと発売日に買って、
   今も大切に保管して、ほかのCDと一緒に
   時々は引っ張り出して聴いている人もいる…かも知れないけど、
   俺はその、たった1% にも及ばない。
   マイナスだ。
   なぜなら、ファンなのに、CDは、その一枚以外は持ってない。(500円で買ってるし
   あの日から変わらず、
   あの日以上に歌声と演奏に磨きをかけて生きていたことを
   それを買った当時の俺は知らなかった。
   そして今回、実物のその姿を、この目で見るまでは
   どこか信じられない部分も(少し)あった。
   
   でも、生きてたじゃないかよ、今この時代に。
   そして、俺がラジオで最初に聴いた時の、あの日以上に、
   今の俺の心に響き、
   「そっちは どうだい?」
   ニヤリと笑って、そう云わんばかりに、
   どこかへ逃げようとする今日の俺の胸に突き刺す…
   そういう歌を歌っていた、2006年、4月2日、日曜の晩。
   
   そんなわけで、3月22日に東京ドームで目撃したストーンズ も凄かったけど、
   同じくらいに、今の哲也さん のLiveには、
   凄まじい男の姿があった。
   
   
   世の中の名作が、かつてのレコード時代の名盤が、
   どんなに廃盤になっても、
   必ず、マスターテープとか、アセテート盤のマトリクス・レコードが存在する。
   それを再度、マスタリングし直して、音質を向上させ、
   今も様々なアーティストの録音記録が再発されてはいる。
   でも、それも、売れる見込みのないモノは、
   いつまでも店頭には並べられない。
   
   「今、テレビで話題の…」
   「今、人気絶頂の…」
   
   世の中、マイナーとメジャーの区別、境は、どこにあるのか?
   俺には疑問だ。
   非常に狭い範囲でモノが流行り、そこで売り買いされてる世界が、
   必ずしも、「すべて」ではない。と思う。
   
   
   さて、そんなことを書いている俺のウェブサイトも、
   全世界中のインターネットの中で、密かに、
   今はまだ、誰も見ないようなページとして、
   たくさんの情報の中に埋もれている。
   でも俺は、ホンモノを知っている。
   そして、俺の知っている友人、知人の誰よりも先に優先して、
   俺はホンモノの歌と演奏を聴くことができる。
   俺の云う「ホンモノ」とは、
   自分が今、この世界に生きていることを
   自分自身でしっかりと感じとれる音楽のことだ。
   
   読者のみなさんには、
   果たして今、
   自分自身の中で、
   「これがホンモノだ」
   と、正直に頷けるような、
   そういう人の音楽を聴いている時間と場所はあるのか…
   俺は興味津々だけど
   ・・・・余計なお世話だよな。
   
   
   次のLIVEは6月11日。
   
   そこで、いま自分が生きていることを必ず実感できる。
   こんな時代でもな。
   
   
                      カエル

       伊丹哲也 OFFICIAL WEB SITE
 
   

   

       http://home.p02.itscom.net/fighting/  

   

   

      
                                   
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   DATA
   
   伊丹哲也/手のひらのダイヤモンド
   
 ① 東京の初雪
 ② 70'Sオールドロックンロール
 ③ ロスト・マインド
 ④ リンボ・ダンス
 ⑤ アイム・ジャスト・ロンリー
 ⑥ モンキー
 ⑦ 手のひらのダイヤモンド
 ⑧ ハスキー・デヴィル
 ⑨ ドント・ウォーリー
 ⑩ クローズ・ユア・アイズ
   
合計 47'10"
   
発売年月日および初回プレス価格 92.11.3 \3,OOO NlPPAN●NCS-1OO1