仮題 : 革命の 9.11 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

     work sub title : 『大自然の気による政治革命』 によせて・・・ 前半の続き

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地球、大自然の歴史から見れば、
その一瞬に過ぎない針の先のような人類の歴史、時間の経過の中で、
人間は、どこまで何を征服できたというのか。
考古学者も、天文学者も、生態物理学者も、
自分達で勝手に決めた進化論の礎に、次々にこぞって 

”嘘”というセメントを塗り固め、
その中途半端な左官屋仕事をいつまで続けるつもりなのか?
自分の人生のオサライの中にさえ、

宇宙の歴史、地球の歴史の真実はない。
世の中には、それに気づいている学者もいるが、
年老いた者の記録、旧くなって使えなくなったモノは必ず捨てられる。
これも自然界の道理だ(と俺は思う)。だから、時代は回らない。・・・ディランの歌は聞こえない。

日々、刻々と変わっている時代の中で、
常に変化している時代の中で、

その物事の道理にあるはずのことを道理から外してしまうお年寄の方々。
学者の学識、教育の歪み、崩壊してもまだあると思っている思想。
それらは、いつまでも下駄箱に納めらているカビ臭い靴のようなものである。
「せっかく、ここまでやったのに…」

「やっとここまで築き上げたのに…」などと、
履けなくなった汚い靴はもう誰も必要としない時代。
明治・大正・昭和の常識、20世紀の道徳や倫理を利用して生きる時代は、
もう既に終ってしまっている。

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つい最近までは、
例えば、米国議会図書館の二千万冊以上ある蔵書、本の内容も、
人間が人間としてこの地上に生きるためには

何かしら参考になったかも知れない。
しかし、宗教も科学も「目に見える世界」と「目に見えない世界」の関係を
自分だけの学習範囲でしか捉えられず、

たとえ否定・肯定の論議がどうあろうとも
どちらも統計と比較による推測で、事実を曲解してきたことの方が多い。
それは、
「とても疑問に思う」ではなく、

学識者達が勝手に断言してしまったことが
いま尚、様々な教育の中で、

人々の頭を、自由を、もがき苦しむ生活を混乱させている。
またその事実を認めようとしないのも学識者の何者でもない。
それは調度、もう使い道のない縺れた糸を捨てず、いつまでもほぐしているような
そんな姿である。
この自然界の中では、自分達が、まだまだ解らないことが多いにも拘らず、
解ったフリ、できるフリをして、させてきた人類…。
高々、二千年程度の期間に累積された浅はかな知識、

教育の枠組にある雑多な虚構。
そこから涌き出た社会常識という物差しで、すべての物事を判断できるものなら、
その、えて素晴らしい努力の賜物によって、
世界人類すべての者が幸福でいられたというのか。
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本来、神に似せて創られているとされる人間 は、
人間が神ほどではなくとも、
”神の遣い”として存在しているような格好で、
嘘を嘘とせず、真実を真実として受け入れず、勝手気まま極まりなく、
この地球上を無謀な使い方をして、そこに住み飼いしてきた。
今後、その科学や宗教の誤りを捨てて、
新たな時代の幕明け に繰り広げられる過酷な事実を受け入れ、
これまでの常識に縛られていた場所から自由に逸脱できる能力、
その柔軟性を一人一人が見出せることができるなら、
これまでのような経済恐慌もありえないし、
絶え間ない争いの末、住みずらい場所を造ることもないかも知れない。
そのためには、
この場所を、この地球上を、我々人類に対して、
誰が使う許可を与えたのか。
誰が破壊することを許したのか。
それを理解するための
”自然界に生かされている道理”を素直に受け入れる必要がある。
「借りて使ってもいい」という許可は与えられたかも知れないが、
「破壊して住みずらくしても構わない」とはされていないはずである。
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人間の造った学問の知識、学識、教育、宗教が、それほど素晴らしいものなら、
どうして、教育の中で教育によって悩んでいる人がいるのか。
どうして、宗教の中で宗教によって苦しんでいる者がいるのか。
どうして、医学の中で医療によって、死んでも浮かばれないような思いをしている方々がいるのか…。
やはり、我々の社会生活に多大な影響を与えてきたという、
かつての聖人君子や、偉大な人とされている学者達が、
人間が生きるために整然とした”正しい知識”を残せなかったためだと思う・俺も。
最初から在ったものが、

今の人類が持つ”必要以上の教育”の中にはない。
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http://ameblo.jp/badlife/entry-10003045591.html  より。

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 例えば、「人間の精神に潜在する祖先の経験した名残」

という概念を“集合無意識”と称したカール・ユングの一説。

そこに、「遺伝的に…」という意味合いを絡ませて、
「人間には遺伝子レベルで細胞内に受け継がれた過去の情報が在る」

とメンデリズムを継承した言葉を並べてみても、

そこまでの仮説を導き出した分析結果は全て、
部分的、対処的、統計的判断を
学者達に都合よく総括した推測に他ならない。
 ありとあらゆる学問が枝別れした今日、

無知蒙昧な学識に基づいて考察された研究の断片。
そこには、人間が生きるために必要以上のものが多過ぎる。
 そのため、これまで、我々が信じてきた科学、考古学も解剖学も、

果ては如何なる宗教宗派であっても、

”人間の創られ方”そのものを無視した解釈で

人類の神秘を暴こうと必死になり、闇雲にそれを追究することが、

我々を生かしている自然界を破壊する事に拍車を掛けて来たに過ぎない。

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 確かに、近代科学技術の進歩に伴ってか、
バイオロジーに察られる遺伝学の中では、
「産みの親に似た形であっても個々のDNAは一つしかない」とされ、

それは例えば、各国の警察。その治安捜査の上でも役に立ち、立証されている。
 しかしなぜ、一人の人間に一つしかないのか? 
 その理由について確信を持って述べられる生物学者も検視官もいない。
 要するに、人間の創られ方そのもの、
人間の肉体と心の関係が明確にされていない。
 人間の精神、心、魂、幽体、亡魂という目に見えないものの存在についても、

この何百年かの間、
我々の教育や宗教は、自分達の目で現実に見えるものと見えないもの、
特に、肉体と心を常に掛け離して考え、

自分達の生きる世界を、統計学と夾雑な推測の中へ押し込めようとして来た。

精神分析、心理学等はその代表的な愚学の内にあり、
部分的な結果だけを集めるだけで 

“人の心”が解らない学問の象徴である。
 すべてが自然の産物であり、

その中で最初から、心によって動く肉体を持つ我々人間。
その自分自身が自由にはならず、

目に見えない何かに束縛されて生きている・という、
その否定できない事実に気づけないし、

そのために瑤悩している今日の人類が在る。
 それは、何のために肉体を持ってこの世に産まれたのか。

この自然界、地球上に何故、人間が創られたのか。

この事を未もって、誰も説き明かせなかったからである。
 人間の造ったあらゆる学問があり、教育があり、

それを育ませた人の一生より長い歴史があり、

その中で遠廻りに累積された知識、統計学こそが事実と推測を混ぜ返し、
今日、多くの人々を複雑に混乱、腐心させて来た。

そして現在、この玉石混淆とした人類の窮迫に気づいている人々は、

日本よりも欧米諸国に多い。
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 地球の誕生や人類の起源、その進化論についても、

無から有になった後、結果だけについては衆知に騙られては来たものの、

形になる前の事実については誰もが頷ける様に説いた者はいない。
 現在、様々に枝別れしてしまった宗教の教え、哲学の思粟に限らず、

科学という狭い分野にも、それらを良識としてきた世界の教育には、

“0”からの出発点がない。
 反復するが、人間として形になった後から考える自由を暴走させ、

好き勝手な事を騙る前に、唯一つ、初めから全てに於いて創られ方が違う。

この事実に気づけないがために、
自然の法則から外れた者の殲滅が増大されつつも、

地球の浄化作用、学者達の言葉で言う所の”自然淘汰”を長引かせている。

……我々人類は今、ゆっくりとした崩壊の中にいるということになる。

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 例えば、我々人間は、自分達の過去を顧みて、

自然保護、環境保全と唱えながらも、一方では
複製植物を量産、牛や羊、鼠や猿のクローンを模作し、

複製人間、クローン臓器までも売買しようとしている。
 だがそれは決して

「神の領域に触れた」という大それた事ではない。
 現代の人間は、神の領域に触れるほど優秀ではないようである。
 では、自然界に生きる人間の肉体と心は、

どのような過程を経て今生に存在するのか? 
 誰が何の目的で人間を創ったのか? 

本当の進化論とは? 
まず、そこが全く明確でなかったために、

宗教や科学、天文学や神霊における知識、学説、論説も、
未だどこにも到達していなかった。

その厳然とした事実は、『人間の設計図 』にある。

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http://ameblo.jp/badlife/entry-10003068983.html  より。
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例えば”人間の設計図”というキーワードを入力してネット全般で検索をかけると
ヒトゲノムがどうとか、DNAがああだのこうだの、クローン技術がああしたこうした・・・と、
そういった遺伝子関連の問題、組み換え技術、バイオテクノロジーの内容ばかりで、
もしも生前の『(自然と)人間の設計図』の著者がそれを見たなら、
「なんだそれ、嘘ばっかりじゃない」と、ちょっとだけ激憤して、
「実に浅はかな愚かなる人間共よ・・・」と、
医者も学者も”人間の創られ方”をまったく解っていない事実について、
”創った側”として改めて正しく言及する・・・されると思う。

######## 中略 ########
それほど今、世の中は、『人間の設計図』にある真実の言葉を必要としている・と思うよ、俺はな。
だってそうだろ、ヒトゲノムだのミトコンドリアだの、

そんな中途半端な話が誰の魂に響いてる?
すくなくとも俺にはビビッとこないぜ。

わりぃけど、世の中の御エライ学者さんの御伽噺は・・・。
『脳内ブースカ・レヴォリューション』(?)だってそうだぜ、

あんなもの読んで、誰がそれまでより健康になって、
その何十万部も売れたはずの暁に、

世の中のどこかどう明るく健全になったのか?
経済も、社会も、教育現場も、ドメスティック・ヴァイオレンスも、

何か変わったか? 
あの、企業買い込みランキング・ベスト2(ベストワンじゃない)の本によって、

脳内モルヒネ爆裂させて・・・。
むしろ悪くなってねぇか?
人が人じゃないような殺人があちこちで起きてみたり、
賄賂、贈賄、詐欺、横領、隠蔽・・・

そういう言葉がいつになったら止むんだよ、オッさん達の悪行の。
そいつらみんな、『脱楽園』とか『脳内ブースカ』読んだ人達じゃねぇの?
五木さんの大河の一滴 。あれは・・・(おっとアブねぇ・・・)
あれは、・・・いいと思うよ。
俺は読書、キライだからマトモには読んでないけど。
(今まで最後までちゃんと読んだ本はフランツ・カフカの『変身だけ・・・薄いしな)
大河の一滴 は早くから持ち運びやすく文庫になってたけど、
五木さんの素直な、あの庶民への呼びかけは、
本屋で立読みしてた俺にもビビッと響くモンがあった。
現代のプロのアーティスト、

その芸術家全般に想像力のクオリティが貧しくなっている時代を悲しみ、
「今はプロにモノを造る勢いがないんです」

などと涙ながらに訴えるどこかの漫画家、あの、”アニメのトップああちすと”みてぇに、
孤独なまま突っ張ってるようなゴタクは一切なく、
本当に素直な気持ちで、作家としてではなく、一人の人間として、我々に呼びかけている。
そして神様に訴えてるよ、

「もうやめてください、これ以上、人間を苦しめないでください」って。

あんな正直な、真面目な、恐ろしいほど、

”人間として生かして欲しい”という叫びは聞いたことがない。
だから俺は『
BAD LIFE 』を書いた。

この世に『人間の設計図』を紹介するための第一手段として。
で、その本を何件かの書店が何週間か棚に並べてくれた・・・くださったけど、
無論、 大河の一滴の横には置かれなかったし、また、そんな扱いを受けるほど立派ではない。
むしろ、ここでこうして、密かにネット上で、

続き(?)を書いているのが関の山で・・・・。
で、なんだっけ? あ、そうだ『脳内薄命』の説明ね。

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http://ameblo.jp/badlife/entry-10002690324.html  より。

http://ameblo.jp/badlife/entry-10002901984.html  (ループ)

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人間の脳内の情報データの公開・・・それが、
現在のようにアカラサマにされるようになるまでには、
つい最近の解剖学の研究が大きな役割を果たしている。
では一体、誰の脳ミソを切り開いて、
そこを除いてみて研究した結果なのか?
(・・・あの『ナントカ革命』の本の内容も含めてな)

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1980年代後半、人口の膨張に悩んでいたインドという国。
その都市部の裏路地で、
街に溢れる幼い子供の首を次々に撥ね、
その頭と首のない子供の胴体が
薄暗い道端にゴロゴロと転がっているという事実があった。
それは、活発に発達中の脳が、
人間の頭脳の解剖学の分野において非常に役立つ材料になるということで、
西ドイツを中心に、木箱に詰められて海外へ輸出されていた。
いわゆる”人体の闇商い”。
それは作り事ではなく、本当にあった事実だ。
当時、それを日本の医師団や学者連中が買占めていたかどうかは判らないが、
近年、子供の臓器が高く売れるということで、
東南アジアを中心とする臓器の闇市の存在も
決して、謎めいて終っているわけではない。
今まだ、誘拐されて行方不明になっている子供は世界中に大勢いる。
しかも、その行方知れず迷宮入りの子供達は後を絶たない。
これも事実だ。
要するに、医学という学問が、本来の”人間の創られ方”を解らなかったために、
人間を部品と部品の組み合わせのように考えたために、
そうした闇市や闇商人が存在してしまうアンダーグラウンド・シーン。
ところがぎっちょん(旧い)、現代の日本人のほとんどに
何の危機感もないようにさせている国の教育、社会常識・・・。
バラエティ番組やクイズ番組にご登場する八卦の占い先生が、
正月の録画VTRの中で、
「今年は人間が人間の尊厳を失うような、そんな年になります・・・」
などと云っても、世間の連中にとっては信憑性が薄い。
インド洋沖の、あれほどの災害の恐怖を目の当たりしても、まだ日本人は暢気だ。
「衆議院解散!」となる以前に、小泉さんが、
「俺は殺されてもいいくらい、それほどこの改革に賭けてる・・・」
というようなことを本人ではなく、森さんの口から聞いても、
マスコミも国民もまだ暢気だ。
前回、東ヨーロッパ諸国とかで使われた”劣化ウラン弾”。
名前はソフトな感じでも、
あれも歴とした”核兵器”だ。何十万発も使ったぞ。
もう既に、実際に核戦争の時代が到来してるじゃないか?
しかもそのあと、その土地で育つ作物や家畜の肉を
また食べたことで、それが問題にされるのはいつだ?
20年後か? 30年後か?
ヴェトナムでナパーム弾と一緒に大量に使われた枯葉剤も
問題になったのは随分あとだった。無論、広島・長崎もそうだった。
その上、そういう話が大好きでいながら、なぜか、なぜなのか、
なぜか日本の共産主義の人達が口にしない”チェルノブイリ原発の後遺症”。
そうした悲惨さがどうだとか、”北朝鮮のポテドン”がどうとか、
そういう問題を眺めているだけの日本人。
どこに、何の危機感があるのか?
せいぜい、自分の顔に”モノモライ ”という爆弾が出来てみて、
そん時になってはじめて、「どうしよう、どうしよう」とか無様に慌ててる。
別に慌てることはない、作ったのは自分なんだし、
日々の便秘や残尿感。これに問題があっただけだ。
要するに、喰って呑んでおきながら、

ちゃんと”出す物を出していない”という、
それまで(これからもか?)、自分自身の身体に対しての無責任だっただけだ。
こんな無責任な連中に、世界の問題を見ても聞いても、断片的に知らされてみても、
何の危機感もないのは当然といえば当然かも知れない・が、
とにかくテロは、アメリカやイギリス、イランやイラク、他国だけの問題ではない。
どんな人災も災害も、離婚や離別も、明日は自分の身にも起こるかも知れない。
そういう心構え、心の準備は、

今、誰にでも必要じゃないのか・と俺は思う。
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http://ameblo.jp/badlife/entry-10003460326.html  より。

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『人間の設計図』の著者は、よく
「世の中には使われる人がいて使う人がいる」 また、
「『俺は”火付け”をさせたら誰にもまけないよ』という人がいて、
 『俺に人殺しさせたら右に出る者はいないよ』という人がいて、
 『俺に泥棒をさせたら天下一品だよ』という人がいて、世の中には
 『私はこの人達を全部使えるよ』という人もいる」と、云っていた。
ところが人類は21世紀。

「今まで通りの常識ではもう誰も生きてはいけない」

というほど世の中は変わってしまった。すると、
「使う人がいて使われる人もいるけど、俺はそのどちらでもない」
という人もいれば、
「机のボタンを押せば優秀な人材が出てくるようなリンカーンの時代はもう終ったよ。
現代はボタンで出てきた人達そのものが 自分がリンカーンだと思ってる」

というように、
人間ひとり一人の頭が、自分の容量をオーヴァーして必要以上の教育を詰め込んだため、
自分が生きる場所と自分自身を破壊している。
そんな世の中で『脳内モルヒネの何たら革命』シリーズ全巻を読んだという人ほど
会社のカネを横領してるとか税金で集めたカネを私的に流用してるとか
バック・グラウンドにイマーノさんの『失礼スルゼ!』 (アルバム”
FEEL SO BAD ”より)

が流れてくるかのように妬まれている人もいれば
それを見て見ぬフリをしてきた連中も大勢いる。

ではそれを、いつ、どこで、誰が、どんな手を使って元に戻す、

あるいは元に近い状態に戻すのか?
それはまず人間の力ではない。

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自然界が大きく動くことによる革命。
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http://ameblo.jp/badlife/entry-10002650602.html  より。

http://ameblo.jp/badlife/entry-10003056502.html  (ループ)
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一人の人間の一生なんて、

長い間生きてきた地球そのものの命からすればホントに短いもんだけど、
その一生の中でも限られている、自分ができること、

自分の役割を常に正常に認識するためにも、
頭の中(精神)と肉体のバランスを保つためのコントロールは、

他人がやってくれることじゃない。
自分がこの世に産み落とされる以前から、

精神と肉体は同時進行で動いているのに、
偏って、精神だけ鍛えるとか、向上して行こうとすることが、そもそもおかしいと思う。
それは何の宗教にしても、どこの立派な会社の特訓にしても

似たような理屈を並べるだけ並べて、
あとは、それを最後まで実行できなかった自分が、自分を責めて終ってる。
例えば世間にあるどんな自己啓発書の紐を解いてみたところで、
そこにどこまで今の自分の肉体が着いて行けるかってことも、
そういう本を読めば読むほど、俺は怪しく思うし、
紙に何か字が書いてあって”本”という物体として、
テーブルの上や本屋の本棚に存在しているという事実以外は
すべて嘘に思えてくる。
だから、本物か偽者かどうかを見極めるには、

まず、自分自身が今、本物かどうかだ。
それは他人には判らない。
へんな知識や思想でフィルターを被せられていない状態で
自分で自分を認められるかだ。
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http://ameblo.jp/badlife/entry-10003268798.html  より。
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俺は俺で、第二次大戦、大東亜戦争の清算をしなければならない。
そしてそれを、この、変貌した日本の高齢化社会の世の中で、
何人かの人に気づかせなければならないことがある。それは、
人類が人類ではなくなるほどにまで、バラバラにされた心と心の繋がり、
あるいは、これまで戦後教育による弊害が齎した社会の歪みを、

その修復はできなくとも、
せめて次の世代が、もっと生きやすい状態の世の中を築くためにも、
新しい時代への架け橋の一つを残しておかなければならない。
『mind resolve』の実行には、そうしたことの意味も含まれている。
その辺にある宗教の枠の中にあるような似非ら事でもなければ、
巷の本屋に無駄に山積みにされた精神世界シリーズの何巻目の本という、
そのうちの一つで終るようなものでもない。
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http://ameblo.jp/badlife/entry-10003291427.html  より。
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ということで、

俺は9月11日の投票日には絶対に行く。

・・・世の中の選挙の騒ぎは嫌いだけど。

                               南

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     【 追 記 】

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かつて、手塚治虫氏も劇画に描いたほどのフィクションの最高傑作、

人間の存在理由の追究をテーマに描いたフランツ・カフカの『変身』。

バイオリンを弾く主人公の妹の存在は、後のアメリカ文学界における

ビート・ジェネレーション を彷彿とさせる。

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フランツ・カフカ
変身