皆さま、おばんです!
昨年の大晦日のことですが、青春18きっぷを利用して
常磐線・亘理(わたり)駅に行ってきました。
実は自分、仙台に40年近くも住んでいながら
亘理駅に電車で行くのは今回が初めてでしたの。
今まで亘理駅に行かなかった理由は2つありまして、
一つ目は駅がある位置。
自分が住む宮城野区から亘理町までは、道路はほぼ直線で、
車に乗れば30分ほどで着いちゃうので
今まで亘理駅に電車で行くという発想が無かったのですよ。
そして二つ目ですが、駅舎が新しい駅だと思っていたからなのです。
実は自分、とんでもない勘違いをしていたようで、
駅の東側にお城の様な建物があるのですが、
これが亘理駅の駅舎だと、ず~っと思っていました。
ところが現地に着いてみてビックリ!
駅舎じゃなく、資料館(悠里館)じゃないのよ!
亘理駅の駅舎は別にありました。
しかも古めかしい木造駅舎。
今までここをスルーしていたなんで、自分のおたんこなす~!
しかもこの駅舎、亘理駅が開業した明治30年から使われているモノらしい。
建物財産標はなく、本当に明治時代の建物かはわかりませんでしたが、
もしそうだとしたら、宮城県内で最古の駅舎ってことじゃないでしょうかね?
悠里館とはこちらの自由通路で結ばれております。
通路内も郷土品の展示が多数あり。悠里館、結構お金がかかってますね。
この日は休館日、さすがに大晦日は閉まってましたわ。
デカい、とにかくデカい悠里館。
悠里館の中に入れなかったのは残念でしたが、
自由通路からはこんな景色も楽しめましたのでプラマイゼロ。
いや、むしろプラスだったかも。
それにしても、亘理駅を検索すると
「お城の駅」って言葉がいっぱい出てくるんですが…
自分との同じような勘違いをしている人、案外少なくないのでは?
ちなみに悠里館がお城の形をしている理由ですけど
ここでは縄文時代から続く亘理の歴史の資料ほかに、
かつて亘理城(明治3年に廃城)の城主だった
伊達成実にまつわる品々も展示されてるそうですよ。
そんな亘理城の様子が知りたくて画像検索したのですが…
悠里館しか出てこんわ!
悠里館を離れてお次は駅舎へ。
亘理駅は業務委託駅で駅舎内にはキオスクもあります。
キオスクって、駅舎の角にちょこっとあるイメージですけど、
亘理駅のキオスクはデカかったな。
三角屋根は亘理城を模したもの?まさかね?
亘理駅は中線を備えた相対式ホーム2面2線構造でした。
浜吉田駅-相馬駅間が復旧される以前は仮設ホームが架けられ、
中線に列車が発着していたみたいですね。
跨線橋の銘鈑を見ると「水戸鉄道管理局」の文字が。
昭和63年までは、現在の仙台支社ではなくて
水戸鉄道管理局~水戸支社が管轄する駅でした。
そういえば、国鉄時代は
常磐線を往来する電車は水カツの451・453系電車だったり、
ED75は内郷機関区配置車だったりと、
東北本線・仙台駅以北で見られる車両とは、いろいろと違ってましたっけ。
国鉄時代を懐かしみながら、
昭和50年に撮影された航空写真を見てたのですが…
なんじゃこりゃ~!!!
亘理駅の構内中、貨車がびっちり並んでる!
おまけに貨物ホームまであるじゃないのよ!
昔はこんな光景が当たり前だったのですよね。
当たり前すぎて、当時はカメラのフィルムが勿体なくて、
加持列車を撮影しなかった自分を呪いたい気分です。
ドラえも~ん 朝比奈さ~ん ドク博士~ 助けて~!!!
455系電車が現役だった頃は9両編成、
客車列車が現役だった頃は最長15両編成の列車も発着していた亘理駅。
そんな亘理駅を2両編成の701系電車が過ぎ去っていいきました。
いつまでも、過去を振り返っていても仕方がないので、
まずは、この駅舎が本当に明治30年に造られたモノなのか、
じっくり調べてみたいと思います。
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