皆さま、おはようございます!
先の東日本大震災で
各地の鉄道線が甚大な被害を被ったことは、
皆さま周知の通りです。
中でも東京の日暮里駅から宮城県・岩沼駅を結ぶ常磐線は、
一部区間の津波の流失の他、
福島第一原発の事故による立ち入り規制もあって、
全線復旧の見通しは未だ立たずの状態なのでした。
現在のところ常磐線で復旧出来たのは、
フクイチの警戒地域から外れている広野駅以南と、
津波被害から免れた浜吉田駅以北の区間ですが、
もうひとつ、わずか3駅間ではありますが、
原ノ町駅~相馬駅間も
平成23年12月より区間運転が開始されたんです。
今回はその区間上にある、
魅力たっぷりの、こちらの駅のことを書きたいと思います。
常磐線・鹿島(かしま)駅です!
鹿島駅の何が魅力的かって、
木造駅舎ですよ、木造駅舎!
無人駅の駅舎の待合室化や、
有人駅の簡易駅舎化が進行するJR東日本の駅にあって、
今でも国鉄時代の駅舎が残る鹿島駅。
本当にステキすぎますぜ☆
ちなみに駅舎の形状ですが、
同じ常磐線の新地駅
に似たものでした。
新地駅の開業が明治30年、鹿島駅の開業が明治31年と、
開業年の近い2駅でしたけど、
果たして駅舎の建立年はいつ頃だったんでしょうかね?
駅舎内に踏み入ってみると、
ちなみに鹿島駅、自動券売機の設置は無く、
suica、もしくは駅員さんの発券よる手売り対応です。
上下線の内側に待避線の撤去跡が残っている以外、
国鉄時代から大きな変化は見られないようですね。
鹿島駅は相対式ホーム2面2線構造で、
駅舎の反対側にあるホームは、待合室の屋根形状からかつて、
島式ホームであった可能性が高そうです。
国鉄時代末期にはすでに相対式ホームになっていたようですが。
その待合室ですが、
煉瓦造りの屋根になっていたりと、
こんな時には、
建物に付いている財産標(資産標)が確認出来ればよいんですけど…
財産標は固定資産税等を割り出すのに必要な、
その建物の建立年や目的・材質等が記されているものなんですけど、
この待合室の財産標を見ると、
どうやら昭和29年に建てられたもののようです。
思ったよりも古いものではなかったみたい。
それにしても鹿島駅の、
この古めかしい空気は一体なんざんしょう?
こんな時には駅舎の財産標が残っていればよいのですが、
JR東日本の駅の場合、
これが取り除かれていることがホントに多いんです。
で、念のために探して見て回ってみたら…
明治30年!?
まさかとは思ったんですが、
この駅舎、明治30年の開業時から使用されているものだったんですね。
というか鹿島駅、開業は明治31年なんですけど、
これってどういうこと?
さりげなく明治時代の建物が現役でいるとか、
この発見こそが、駅の魅力の醍醐味だったりするんですよ。
かつての監視小屋も、
こんな魅力が詰まった鹿島駅ですが、
先に書いた通り、他の鉄道線と接続がされておらず、
いつの日か、この案内看板にあるように、
気軽に通える鹿島駅になる日が来ることを、
願ってやみません。
常磐線
↑(日暮里駅方面)
いわき駅
草野駅
四ツ倉駅
末続駅
広野駅
木戸駅
竜田駅
富岡駅
夜ノ森駅
大野駅
双葉駅
浪江駅
桃内駅
小高駅
原ノ町駅
鹿島駅(平成25年7月11日)
日立木駅(平成25年7月11日)
相馬駅
浜吉田駅
亘理駅
逢隈駅
↓(岩沼駅方面)