官兵衛らが長浜城に滞在した翌朝、秀吉の姿は既になく、早朝に岐阜に向けて出立したとの事。
石田三成(田中圭)は、殿は一時もじっとしておられず常にコマネズミのように御働きですと言う。
「上様(信長)はいつも、家中の者がすべて忙しく働く事をお望みゆえ、怠け者は追い出されるか、首をはねられます。
あなた様もご承知おき下さい。織田方につくと言う事はそういう事なのです」
生意気な若造だ…そう思い官兵衛は「ふん」と鼻で笑い、庭へ降りると、三成の顔を真正面から見据え睨んで言った。
「怠けるなと」
「はい。出過ぎた事を申しました。こちらです」
三成に案内された先には竹中半兵衛(谷原章介)が、ひょうたんを収穫していた。
一礼をし、
初対面となる半兵衛に「お初にお目にかかります。黒田官兵衛と申します。竹中様のご高名はかねがね承っております…」と、
官兵衛が聞き及んでいた半兵衛の活躍を述べると、
「くだらぬ!さような話、噂にすぎませぬ。真偽のほどが定かでないものをむやみに信じるのは如何なものですかな?
秀吉様はお手前を切れ者と仰せでござったが…」そこでニヤリとして首を振る半兵衛。
会えるのを楽しみにしていた官兵衛は、人を食ったような半兵衛の態度に不快を覚えた。
「秀吉様は一度会っただけの者をすぐ信用するが、それがしはさにあらず、おてまえに伺いたい。
小競り合いを繰り返す播磨の地侍たちを、官兵衛殿は、どうまとめるつもりか?」と尋ねられ、官兵衛は答えた。
「武力を持って平定するには何年も掛かる上に多くの兵を失う事になります。
さすれば、あたう限り戦は避け、それがしが播磨のおもだった者たちを説き伏せまする」
「つまらぬ!それくらい誰でも思いつく。
それがしが聞きたいのは、ほとんどが毛利になびいておる播磨の形勢をいっぺんに変える手だてでござる。
我らには悠長に構えている暇はない。やはり、秀吉様の買いかぶりであったか…」と半兵衛が、
駕籠に収穫したひょうたんを持ち立ち去ろうとした時、
「策はあります!」と叫び呼び止めた。
「今、播磨において大をなすのは、御着の小寺、三木の別所、龍野の赤松。この三家の当主をそろって信長様に拝謁させまする」
そうすれば、ほかはこぞって織田になびくはずだ。
「さようなことができますかな?」
別所は家中でもめており、赤松は小寺にとって長年の宿敵だ。
「必ずや説き伏せてご覧に入れまする」
「されば、お手並み拝見いたそう」
希代の軍師は、官兵衛を試すつもりなのだ。
「なめられたものじゃ。わしにも意地がある!」
官兵衛は、おね(黒木瞳)への挨拶もそこそこに、鼻息荒く、慌ただしく播磨へ帰って行った。
岐阜城では、秀吉が信長に
「越前の一向一揆は長島の一揆に比べると、まとまりがございません。
それゆえ謀(はかりごと)によって仲間割れするように仕向けるのが得策。無駄に戦をせずとも、たやすく収まると思われます」
と進言した。
すると、柴田勝家(近藤芳正)が「おぬし戦が恐ろしいのか!臆病者め!一向一揆などは、ひとおもいに踏み潰せばいいのだ!」とチャチャを入れて来た。
「もう良い!この信長に刃向う者は神であろうが仏であろうが容赦はせぬ。一向一揆ごときに手間取っていては天下が逃げてゆくぞ。前に進むのじゃ!」
信長は越前よりも播磨へ兵を出して欲しい秀吉の気持ちを見抜いていた。
ところが信長は「播磨にはすぐに兵は出さぬ。暫くはあの官兵衛にやらせておけ。もし、しくじるような事があれば、それまでの男と言う事よ」と
ドライに言い切った。
越前
(現在の石川県と、福井県の北部、敦賀郡、丹生郡、足羽郡、大野郡、坂井郡、江沼郡、加賀郡、羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡の十一郡で構成された)で起こった。
①越前国で発生した富田長繁(朝倉氏の家臣)VS石山本願寺(摂津/現在の大阪府大阪市中央区大阪城・馬場町・法円坂付近)
②織田信長対一向一揆。
長島一向一揆(ながしまいっこういっき)は、
1570年ごろから1574年にかけての石山合戦に伴い、伊勢長島(現在の三重県桑名市、伊勢国と尾張国の境界付近)を中心とした地域で
本願寺門徒らが蜂起した一向一揆。
織田信長との間で大きく分けて三度に渡る激しい合戦が起こった。
「なめられたものじゃ。わしにも意地がある!」
官兵衛はおね(黒木瞳)への挨拶もそこそこに、鼻息も荒く、慌ただしく播磨へと戻ると言う。
ずいぶんな急きように「如何なされました?」と家臣らが問うと
「竹中半兵衛、似ても焼いても食えぬ男だ。試すつもりであろう。あのしたり顔が気に入らぬ!」
「そんなカッカなさいますのはいつもの殿らしくありませんぬ」と善助(濱田岳)がなだめるも官兵衛の怒りは収まらない。
官兵衛は播磨へ戻ると、早速御着城に参じた。
「そうか、うまくいったか。大義であった」と政職(片岡鶴太郎)
「ありがたき幸せ。殿、つきましてはお願いの儀がございます。織田信長様に会うていただきとう存じまする」
そう官兵衛が願い出ると「わしが?おことがおうて来たばかりではないか!」と、播磨を出たことがない政職は顔色を変えた。
他の家臣は「織田方に何か言われたのか?」と勘ぐる。
「さようではございません。小寺家が織田方にお味方すると証を立てるには欠かせぬ礼儀だと申しておるのです」
と主張する官兵衛の言葉を
「たわけた事を言うな!」と政職は一蹴した。
敵の領地を通るのが怖いのだ。
「殿おひとりではございません」
播磨の三家がそろっていくのだと説明しても、政職は無理に決まっていると言う。
他の家臣らもヤンヤヤンヤと反発し、
どうせ無理と見越した左京進が、「ここは官兵衛の言う通り赤松、別所がそろうのなら殿も行かれるというのでは如何でしょうか?」
と皮肉まじりに提案し、それならばと、政職も了解した。
「さすれば、必ずや別所、赤松を説き伏せてまいりますゆえ、そのときはご決断を」
官兵衛は、まず三木城を訪ね、城主、別所長治と面会した。
別所安治から家督を継いだ当主、長治はまだ18歳。
ふたりの叔父の賀相と重棟が後見役として万事を仕切っており、長治は二人の叔父の操り人形に過ぎぬと思われたが…。
「当家は、毛利に味方する事となった。今更、話す事などない」と、
長治を毛利へつくように促した叔父、別所賀相(ベンガル)がいきなりの断りを口にしたが、
もう一人の叔父、別所重棟(佐戸井けん太)が「まだ決まったわけではない」と、それを制した。
「ご当主・長治様のご存念をおうかがいしたい」
口出ししてくる叔父たちにかまわず官兵衛がずばり切り込むと、長治は意を決したように言った。
「織田様にお会いしましょう!」
「何を申す!おぬしは控えておれ!」との賀相の言いように、長治はきっぱりと言う。
「当主は、この長治でございます。それがしは織田につくのが最善の道と心得ます」
「『人に国柄を貸すなかれ』。『六韜』という兵法書の言葉でございます。君主は臣下に統治の力を貸してはならぬ。官兵衛様に教わりました」
長治が学問に秀で、政を叔父に任せて書物ばかり読んでいると御師、伊吹文四郎(遠藤要)から聞き、
官兵衛はあらかじめ書状を出して道理を説いておいたのであった。
「おかげで目が覚めました。今までは叔父上の顔を潰さぬように遠慮してまいりましたが、それでは当主は務まりませぬ。それがしも18.もはや子供ではございません」
操り人形だった甥の成長ぶりに、重棟は頬を緩め、賀相は黙った。
一方、幾度となく戦にまみえた赤松は、小寺への恨みが強く、話を聞いてもらうのは至難の業と思われた。
善助、母里太兵衛(速水もこみち)、井上九郎右衛門(高橋一生)の3人は心配してついて来たが、
官兵衛は龍野城到着前に「おまえ達はここで帰れ」と言う。
それでも忠義な3人は「死ぬ時は殿のお傍で」と、帰ろうとはしない。
官兵衛も苦笑いすると彼らがついて来る事を了承した。
龍野城に着くと見張りのものが矢倉の上で官兵衛らに矢を向ける。
「御着城主、小寺政職の名代として参上つかまつった。ご城主、赤松広秀様にお目通り願いたい!」
官兵衛は争うつもりがないという意思表示のため丸腰になり、大きな声で呼びかける。
扉は開かれたが出てきた家臣は「官兵衛か?何しにまいった?」と警戒して問いただす。
「戦をしに来たのではない。広秀様にお会いしたい」
当主・広秀の父親は、小寺と戦を繰り返してきたあの政秀だ。
「播磨の行く末について話しがしたい。同じ播磨の武士として我らが共に生き残る道を話し合いたい」
との官兵衛の申し出にも「話し合いなど無用じゃ!」と、尚弓を向ける赤松の家臣に、
官兵衛は尚も「どうしても、それがしを殺したいのであれば話を聞いた後にすれば良い。されど話を聞かずに殺せば、赤松家に先はない!」
と食い下がった。
「すでに三木の別所は我らと同心した。」と伝えると、家臣の顔色が変わり、ついに官兵衛は、
広秀との面会を取り付けた。
赤松の兵たちが、武器を携えたものものしい雰囲気の中で丸腰のままで官兵衛が待っているところへ、
広秀が入って来た。
広秀は、官兵衛の前に立つと、鬼の形相で顔を睨みつけ「姫路の官兵衛。何しに参った!」と、恨みのこもった声で叫んだ。
怒りに震える広秀を、官兵衛は播磨の形勢を述べて見事、説き伏せた。
今、赤松は備前の宇喜多に攻められている。
小寺、別所、赤松3家と織田が手を結べば、赤松は安泰である上に宇喜多領も手に入れる事が出来ると説いたのである。
「殿、お約束どおり、信長様に会うていただきます」
「うん、うん、うん…わかったあ」
播磨3家をまとめたという官兵衛の知らせを受けて秀吉は喜んだ。
「別所と赤松を説き伏せましたか!」と半兵衛も驚く。
「どうじゃ!黒田官兵衛、このわしが見込んだ通り、なかなかやるであろう!」と自慢気な秀吉に、
半兵衛も笑顔で頷く。
秀吉は信長の都合を伺い手筈を整えるべく岐阜へ向かった。
官兵衛は拝謁の日取りを調節すべく再び御着城に参じたが、政職は斎と遊びながら
「やっぱり、やめた。わしは行かぬ。おことが代わりに赤松と別所を連れて行ってまいれ」と言い出す。
官兵衛は慌てて説得するものの
「嫌じゃ!お紺が泣いて止めるのじゃ!わしに何かあったらこの斎はどうなると泣いて止めるのじゃよ!」と嘘を言い、
駄々っ子のように拒むのだ。
職隆も、碁を打ちながら説得を試みるが、政職は頑として聞く耳を持たない。
そうこうするうち、信長が上洛する10月に合わせて京にのぼるようにと、秀吉からの文が届いた。
再び官兵衛と職隆は説得のために御着を訪れ「織田の顔に泥を塗っては、ただでは済みません」と説いても、
「主人を脅す気か!何様のつもりじゃ!」と逆切れする始末である。
だが職隆は、その時の政職の様子から、どうやら信長と秀吉に焼きもちをやいているのではないかと気づいた。
「悋気じゃ」おまえが小寺家より織田家の方を大事にしているように見えたのであろう。
官兵衛を織田家にとられてしまうと感じたらしいのだ。
「父上、どうすれば」と困惑する官兵衛に
「難しいのう。悋気のことなど、兵法書にはないからのう」と職隆も腕組みをする。
しかし、そこへ思いがけない助っ人が現れた。
大軍を引き連れた荒木村重(田中哲司)である。
事情を知らない御着城では慌ただしく戦の準備が進められたが、荒木村重が御着へ上り、
兵を引き連れたままで政職へ面会し「この度は織田にお味方されると聞き及びご挨拶にまいりました」
と威厳を持って言った。
ビビりながら「あ、挨拶?あの手勢は?」と尋ねる政職に
「これから戦でござる。上様の命を受け敵を滅ぼし…」と述べるや「ほ、滅ぼす?!」と不安を浮かべる政職に
「ご案じめさるな。戦場はずっーと遠い地でござる。されど、もしこの御着に織田の敵あらば我軍勢、いつでも舞い戻り
跡形もなく蹴散らしてしんぜよう」とガッツリと脅しにかかる。
政職が縮み上がったところで
「して、小寺殿はいつ信長様にお会いなさる?」と村重は尋ねた。
政職は答えに窮し職隆の顔を見た。
「如何なされました?よもや、このごに及んで上様に会いたくないなどと…」と言いかけると、
政職は慌ててプルプルと首を横に振り「そのような事は断じてない!のう官兵衛」と官兵衛に相槌を求めた。
官兵衛は村重の方に向き直り「はっ!秀吉様のご書状通り10月には京に上りまする」と述べた。
「それは上々!早速にお伝え致そう」
こうして官兵衛は村重の助け舟により、難儀な局面を脱する事が出来た。
村重は信長の命で、官兵衛の加勢に来たという。
官兵衛は、半兵衛の知恵で政職の心変わりがわかったと聞き、
更には半兵衛が信長に「姫路の官兵衛殿を助けて頂きとうございます」とお願いしたと聞き、
心から喜ぶ気にはなれなかった。
軍師官兵衛 あらすじネタバレ 第9話「官兵衛 試される」②へ続く。