高IQ者認定支援機構なる組織が2019年に結成され、その機構は高域知能検査「CAMS」を実施しているそうだ。お正月に暇な時間にネットサーフィンで偶然発見したのだが、どうやらハイレンジIQテストの一種のようだ。ハイレンジIQテストというのは、一般的なIQテストと異なり、より高域のIQを測定できるとされているものである。ただそれらは標準化などはされているか不明で私は受けたことはない。
そもそも高IQ者認定支援機構なる組織であるが、次の事業を掲げている(以下、青字箇所は引用部部分)。
- 高域IQ検査の研究開発および実施
- 高IQ者の認定および支援
- 高IQ者の育成ならびに活用環境の整備
「当機構は人材の発掘にとどまらず、社会で活躍できるまでの一連の環境づくりに取り組みます。「発掘」と「活用」の両方が、わが国の成長のために、また、国際社会での競争激化への対応のために、必要だと考えています。」と公式HPに記載されており、大変意欲的で結構なことである。
設立の趣旨を読むと、AIなどの分野で日本は後れを取っているが、こうした状況を打破するには、特異な頭脳をもった一個人の飛躍した発想が重要だそうで、「特異な頭脳」とは、要言すれば、無秩序に集積された情報の中から「一定の隠された法則性」を見つけ出す「推論能力」であり、また、一見無関係にみえる事象群の中から「問題の解決に繋がる組合せ」を見つけ出す「閃きの能力」である、とのこと。高IQの人にはそのような能力が備わっている可能性が高いので、当財団を設立し、科学的な手法で頭の良い人を探してデータベース化して、最終的には頭の良い人を適材適所に紹介するという工程まで描きたいとのことである。そのために高域知能検査「CAMS」を実施しているようである。
正直、高知能を持つ人を適材適所に割り当てて、才能をいかんなく発揮して活躍して、日本に貢献してもらえるのであれば、それは大変に結構なことであり、ぜひ応援したい。一方で、黎明期であって手探り状態であるというのは理解するものの、高域知能検査「CAMS」なる試験で、そうした人材を発掘できるのかはいまのところ謎と言わざるをえないのが正直なところである(もちろん、だからこそやってみなければ分からないし、取り組んでいるのであろうが)。
そもそも論なのだが、”特異な頭脳”として、高度な推論能力だったり閃きの能力を挙げているが、これらが学術や経済にインパクトを与えるほどの高度な発明・発見・アイディアや事業の創出を行えるというエビデンスはない。米国でもかつて天才児ブームがあったが、特に目立った業績は聞かない。早熟さと革新的だったり、卓越した実績を生み出せるのかは別問題と想像される。日本でも、日本初の千葉大に飛び級入学の佐藤さんはバスの運転手である。
仮に特異な頭脳を持つ人材はそうした高度な発明・発見・アイディアや事業の創出を行える確率が高いとして、彼らを高域知能検査「CAMS」で識別できるエビデンスは存在しない;高域知能検査「CAMS」の統計学的な不十分さについては後述。同機構の設立の趣旨には、多くの天才型の人材を「ホワイトハッカー」として育成することなどAIやIT人材として特異な頭脳を持つ人を活かそうと考えているようであるが、高度な推論能力だったり閃きの能力が、AIやらIT人材として適するのかのエビデンスも存在しない(だったらIQを絡めずに、最初からAIやITのプログラミングにかかる適性検査でも開発すればいいと思うのだが。。)加えて、高IQ者認定支援機構は、高域知能テスト「CAMS」においてIQ146.4 sd15以上であれば入会可能(LINK)なようであるが、そのスコアで切るのかの合理性がよく分からない。なお、繰り返しになるが、同機構が試行錯誤中と思われるので、あくまで現時点での取り組みとしてみた場合である。
さて、高域知能検査「CAMS」であるが、「CAMS の尺度構成について」という題で東工大名誉教授の前川氏が検証している。ただ読んだところ、結局のところ、高域知能検査「CAMS」は標準化された偏差IQではなく、また、Cattell-CFIT Scale3との相関係数は0.45程度で中程度の相関しか示していないようだ。前川氏は、「Cattell-CFIT Scale3の得点分布は頭打ちとなっており、高得点者の被検者のCattell-CFIT Scale3の情報があれば、より相関係数は高まるものと予想される。」と書いているが、それはあくまで希望的観測であって、現時点では相関性は中程度でしかないというのが結論で、サンプルを増やしたら逆に相関性が下がりましたという可能性は排除できない。加えて、「Cattell-CFIT Scale3の成績を持つ 63 名分のデータを用い、算出されたθを CFIT の 尺度へ線形等化法を用いて変換した。」とあるのだが、これは得点の分布形状が同一という前提等がないと成立しないが、果たしてその前提を満たすのか、前川氏の論稿ではその言及が明確になくよく分からなかった。ゆえに、「CAMS」のスコアをIQ相当といえるかは微妙だと思われる。例えば、英語のTOEIC 500ならIQ 100ということは計算上は可能だが、TOEICのスコアとIQは測定している能力が異なるのでこの等化は意味ないものである。WAISなどは、因子分析の結果、特定されたそれぞれの知能因子から全検査IQを測定するが、知能因子を測定しているわけではないテストのスコアとIQを等化してもそれは意味のないものとなる。
- (補足)さらにいうと、Cattell-CFIT Scale3についてもいつ標準化されたのかは不明ときている(標準化が不適切な場合、測定されるIQは信頼できないものとなる;参考 村上宣寛著「IQってホントは何なんだ?」)。「フリン効果」があるので、IQテストは定期的に標準化しなおす必要性がある。そもそもCattell-CFIT Scale3の結果すら正確性に欠ける可能性がある。実際、Cattell CFITはNNATに比べると、平均17.8も高くIQを算定してしまっているエビデンスが存在し(LINK)、レーヴン漸進的マトリックステストでの英国の児童の平均スコアは、1942年から2008年にかけて14ほど上昇しているエビデンスがある(LINK)。例えば、あるIQ団体が標準化しなおしていない50年前のIQテストを使いまわしている場合、それでIQ 130といわれても、実際にはIQ112-116程度にとどまる可能性があるということである。
- (補足)なお、「CAMS」について、同機構側も不備を一部認めているようである(LINK)。
そして、仮にCattell-CFIT Scale3と「CAMS」のスコアとの相関性が高くなった場合、だったら初めからCattell-CFIT Scale3のスコアを使えばよくて、わざわざ新しい標準化もされてないテストを実施しなくていいのではないかと思う。。一般的なIQテストは、高IQ認定のためのものではないといって「CAMS」の実施の理由を主張されているが、IQ146(sd15)は、医療機関でも採用されているWAIS Ⅳでも測定可能域であり、その点でもなぜ「CAMS」を実施するのかよく分からない。「CAMS」が高IQ域を測定できているというのであれば、WAIS Ⅳとの相関性を示せれば良いだろう(おそらく緩やかな相関はあるのではないかと想像する)。仮に「CAMS」が特異な頭脳を測定する数値だったとして、信頼性のあるWAIS Ⅳで測定している全検査IQとの相関性がない場合、もはや「CAMS」のスコアはIQでもなんでもなく、ただ「CAMS」なるテストが得意でしたという指標になってしまう可能性がある。
もちろん、「CAMS」のスコアが、例えば、AI・ITの開発力等の能力と相関している場合、「CAMS」はそのような能力を測定するのに有用なツールとなるわけですが、現在ではエビデンスが無さ過ぎて、何の能力を測定しているのかは不明と言わざるを得ないというのが、誠実なところだろう。すでに「CAMS」の信憑性についての指摘は私人のブログでも散見されます。まぁ、これまでの知能論を踏まえないテストなので、知能論などに見識がある人は、「ん・・・?」と思うのは自然だろう。
(参考)ギフテッドにすり寄るIQテストビジネスにご用心(1/3)
最近は、高IQの人に注目が集まっているのは大いに結構なのだが、メディアのIQについてのリテラシーが低過ぎて、IQが高いと何がメリットで何がデメリットなのか、適切に報道されていないように思う。そして、眉唾のIQ論が流布され過ぎである。IQは統計学的エビデンスに基づく数値であり、個人が勝手に問題をつくってこれがIQですといえるものではない。一方で、「CAMS」は現時点においてエビデンスがないだけで、何らかの特異な能力を示すのに適したテストであるという可能性も排除はできない点は付言する。
その点については「CAMS」でハイスコアだった人の追跡調査や様々なスコアとの相関性を測定することで明らかになるだろう。まだまだ黎明期なので、今後、どのような知見の蓄積が行われるのかは未知数である。ただアメリカの先行研究を踏まえると、高IQと実績に有益な相関が出るとはあまり期待できないと個人的には思うのだが・・・。
とはいえ、新しい取り組みを行う場合はやってみなければ分からないところもあるのも事実で、チャレンジ無くして発展はない。強固なエビデンスがなければ実施しないなんて言っていたら、iPhoneなんて存在し得なかった。それを成し得たのはジョブズの直観である。というわけで、「CAMS」がなんの能力を測定しているかはいまのところは不明であるが、ぜひ同機構にはどんどんと新しい取り組みを実施していってほしいものだ。それが呼び水となって次々と新しい活動が創出されれば、それは同機構にとっても本望だろうし、日本の経済社会にとっても有益であろう。