ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(8月11日・ミューザ川崎シンフォニーホール)

フェスタ サマーミューザもついに千秋楽。「一人ほぼ日刊サマーミューザ」も第10回で最終回となった。

フェスタを締めくくるのはフィナーレでおなじみの原田慶太楼。プレトークでは、プログラム後半最初の《UTAGE~宴~》を作曲した山本菜摘と登場した。山本は、東京交響楽団とサントリーホールによる「新曲チャレンジ・プロジェクト♪2023」で作品が採用され、原田指揮・東響によって《トレイン大集合!》が世界初演された。このプロジェクトをきっかけに、その後さまざまな作曲や編曲の仕事につながったという。

 

《UTAGE~宴~》は群馬交響楽団の委嘱作品。群馬にちなんだ作品という依頼を受け、原田は外山雄三《管弦楽のためのラプソディ》のような作品を、とリクエストしたという。山本は群馬ゆかりの「草津節」や「八木節」を採り入れ、富岡製糸場を見学した印象や、群馬の山々が重なり合う風景などを音楽に織り込んだ。2024年5月、原田慶太楼指揮・群馬交響楽団によって初演された。演奏については後半で触れたい。

 

作曲家の記念年を大切にする原田は、今年生誕150年、没後80年を迎えるファリャ(1876~1946)の歌劇《はかなき人生》から〈スペイン舞曲第1番〉でスタートした。途中、フラメンコの色彩が濃くなる場面では、原田がダンサーやギタリストを鼓舞するかのように両手を打ち鳴らしながら指揮した。原田らしい躍動感に満ち、鮮やかな色彩を放つが、原色を濃厚に塗り重ねるというより、すっきりとした色合いであった。

 

プロコフィエフ《ピアノ協奏曲第3番》では、2025年エリザベート王妃国際音楽コンクールで日本人歴代最高位となる第2位に入賞した久末航が登場した。

久末の長所は、音を力で押し出すより、タッチを細やかにコントロールし、多彩な音色を引き出すところにある。最近の名古屋でのリサイタルも、ラヴェル、デュサパン、フランク、バルトーク、ベートーヴェンという、音色と構築の双方を要求するプログラムであった。

 

しかし、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番では、それとは異なる資質も要求される。鍵盤を打楽器のように鳴らす硬質なアタック、音の芯を失わず高速で押し切る推進力、オーケストラの厚い響きを突き抜ける強靱な響き、さらにはグロテスクさ、皮肉、野性味を恐れない表現である。

久末は、そうした要素をむき出しにする方向には進まなかった。むしろ、自らの持ち味を生かしながらプロコフィエフに向き合う姿勢が感じられた。

 

第1楽章で久末の美質がよく表れたのは、中間部で冒頭の抒情的な主題が回帰し、ピアノがドルチェで繊細に展開していく場面であった。ここでの音色の多彩さには、フランス音楽を得意とする久末の持ち味がよく出ていた。一方、アレグロに入ってからの強いアクセントや、フォルティシモで激しく和音を打ち込む箇所では、もう一段の迫力が欲しい。

再現部から終結へ向かうにつれて力感と躍動性を増し、演奏全体の設計がきちんと構想されていることが伝わってくる。急速に駆け抜けるコーダは原田/東響と一体となり、鋭い切れ味で締めくくったが、音そのものの強靱さという点ではやや物足りなさが残った。

 

久末の強みが最も発揮されたのは、第2楽章アンダンティーノ、主題と5つの変奏であった。

主題提示では、クラリネット(吉野亜希菜)とフルート(竹山愛)の美しい音色とニュアンスが素晴らしい。
第1変奏では、トリルから上行するグリッサンド風のパッセージ、主題を彩る光の移ろい、細かな音型の精緻な処理に久末の美質が存分に生かされた。


アレグロの第2変奏では、ローリー・ディランの輝かしいトランペットなどとともに勢いよく進む。ここではピアノにも十分な推進力があり、力不足を感じさせない。

 

アレグロ・モデラートの第3変奏も、シンコペーションを強調したリズムに乗って、久末は活気に満ちた演奏を展開する。力むことなく、バランスのとれた表現であった。

 

第4変奏アンダンテ・メディタティーヴォは、久末のピアニズムに最も適した部分として期待した。確かに響きは繊細で、きらめきもあるのだが、もうひとつ音楽の奥深くまで入り込めない。これは久末の問題というより、プロコフィエフの筆致そのものによるのかもしれない。抒情的ではあっても、感情に深く没入するというより、どこか醒めた眼差しを失わない音楽なのである。

 

第5変奏ではピアノとオーケストラが激しく絡み合う。強いアクセントを刻みながらオーケストラと競い合う部分では、久末の響きが厚い管弦楽の中に埋もれがちになる。一方、主題が戻り、ピアノが細やかな装飾を加える箇所では、久末ならではの精緻なニュアンスが生きた。

 

第3楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは、ピッツィカートの弦とファゴットが奏するどこか日本的にも聞こえる主題に対し、ピアノが対立するように割って入る。プロコフィエフ自身がこの楽章をピアノとオーケストラの「論争」と捉えたように、やがてテンポを上げながら両者が激しく競い合っていく。アンサンブルはよく噛み合っているが、久末の打鍵にはもう一段の強靱さが欲しく、厚い管弦楽に埋もれる場面もあった。

木管が抒情的な副主題を奏でると、久末がリリカルな音色で応える。続いて弱音器を付けた弦とピアノが静かに交わす場面では、久末の響きは清冽で、素早い連符やトリルもこの上なく美しい。

やがて冒頭主題が回帰し、ピアノとオーケストラは再び対立を深めながら高揚していく。久末の高音域は輝かしく美しい。しかし、打鍵の厚みや音の芯をことさらに前面へ押し出さないため、オーケストラの大音響に真っ向から対抗する圧力や、プロコフィエフ特有の荒々しい野性味までは生まれにくい。

原田/東響との呼吸はよく合っており、コーダは鮮やかに決まった。盛大な拍手が起きた。

 

アンコールは、リスト《巡礼の年》第1年「スイス」から第9曲〈ジュネーヴの鐘〉

若きリストがマリー・ダグー伯爵夫人とスイスに滞在した時期の体験を背景に持ち、初期稿は1835年にジュネーヴで生まれた二人の娘ブランディーヌに捧げられた。遠くから聞こえる鐘を思わせる柔らかな音型に始まり、穏やかで歌謡的な旋律が浮かび上がる、詩的で内省的な作品である。
久末の右手の高音域は抒情的で美しい。フォルティシモに至っても繊細さを失わず、響きを詩的に広げていく。プロコフィエフでも一貫して感じられた久末のリリシズムが、ここでは十全に発揮された。

 

後半1曲目は山本菜摘《UTAGE~宴~》。原田慶太楼のエネルギッシュな指揮のもと、金管が晴れやかに鳴り響く。「草津節」「八木節」の旋律も姿を現すが、外山雄三《管弦楽のためのラプソディ》の野性的な熱気とは異なり、どこか柔らかな表情を備えているところに作曲家の個性が感じられた。

チェロが奏でる旋律も印象に残った。富岡製糸場の「機織り」や群馬の山々の風景などが作品に織り込まれているというが、この旋律もそうしたイメージにつながるものなのだろうか。

金管や打楽器の活躍も目覚ましい。なお、この作品には作曲者自身による吹奏楽版があり、2024年8月に原田慶太楼指揮で初演されている。

 

フィナーレのトリを飾るのは、チャイコフスキー《交響曲第5番》

全楽章を、ほとんど間を置かずにつなげて演奏した。原田慶太楼らしい覇気に満ちた、爽快なチャイコフスキーである。東響の集中力も高く、各首席奏者のソロも一部の疵を除けばほぼ完璧。ホルンとトランペットにはそれぞれアシスタント奏者も加わった。

 

第1楽章、クラリネットが奏でる序奏の「運命の主題」は、それほど暗く沈み込まない。主部に入っても過度に悲劇性を強調せず、第2主題も冒頭は感情を抑え気味に進めるが、後半ではテンポを落とし、じっくりと情熱を込めて歌わせた。

展開部は引き締まったテンポで進み、再現部はファゴットからゆったりと始まる。推移部の旋律はたっぷりと歌わせ、第2主題では弱音の繊細さを際立たせた。

 

第2楽章では、冒頭の弦が濃い陰影をつくる。主題を奏するホルン(上間善之)のソロは、朗々と吹き鳴らすのではなく、ほのかな甘さを含み、ロシア的な深みを感じさせた。クラリネットのオブリガートも美しい。オーボエ(荒木良太)の端正なソロも素晴らしかった。チェロにはもう少し表情の変化があってもよかったかもしれない。一方、コントラバスは厚みのある響きで全体を支えた。

音楽が高揚したのち、中間部で聴かせるクラリネット(吉野亜希菜)とファゴット(福士マリ子)の陰影に富んだソロにも味わいがある。さらに大きく力を蓄えた頂点で回帰する「運命の主題」は、トランペットの鋭い響きによって強烈な印象を残した。

コーダでも「運命の主題」が激しく姿を現すが、やがて中間部の旋律によって穏やかさを取り戻し、最後はクラリネットのソロが余韻を残して静かに閉じた。
 

ほとんど間を置かず第3楽章のワルツへ。ここでは肩の力が抜け、淡々とした自然体の運びとなる。ファゴットの表情も豊かだ。テンポの速い中間部も軽やかで爽やか。ワルツが回帰したのち、最後は緊張を高めて締めくくり、その勢いのまま第4楽章へ入った。

ホ長調に転じた弦の「運命の主題」に始まる序奏は、たっぷりとした広がりを持つ。やがて金管が加わって荘厳な頂点を築き、主部の強烈な第1主題へ。しかし響きは決して重くならない。オーボエなどが担う推移部も軽快に進み、木管による第2主題にも流動感がある。
 

金管による「運命の主題」も長調で輝かしく響き、その明るさを保ったまま展開部へ。激しく展開してもアンサンブルは引き締まり、停滞することなく前へ進んでいく。

さらに速度を上げて高揚し、ティンパニの連打とともに壮大な頂点を形成する。フェルマータを伴う全休止も長く引き延ばさず、すぐに先へ進んだ。
 

弦が堂々と「運命の主題」を奏で、トランペット、ティンパニが加わると、壮大な凱歌が繰り広げられる。原田はここで指揮の動きを止め、高揚する音楽をオーケストラに委ねた。それでもアンサンブルの緊張感は少しも失われない。
 

結尾のプレスト直前から原田が再び東響を強く導く。最後はローリー・ディラン率いるトランペットの突き抜けるような強靱な吹奏と全合奏の推進力によって、輝かしいクライマックスを形成。「運命の主題」を決然と打ち出して全曲を閉じた。

フェスタ サマーミューザの最後を飾るにふさわしい、祝祭感に満ちた演奏であった。

 

アンコールは例年通り、山本直純《好きです かわさき 愛の街》。聴衆の手拍子も加わり、会場全体が一体となって楽しく演奏され、18日間にわたるフェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2026は幕を閉じた。

 

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2026
東京交響楽団 フィナーレコンサート
「祝祭の響き、熱狂から歓喜へ!」

8月11日(火・祝)15:00開演
ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:原田慶太楼
ピアノ:久末 航

ファリャ:歌劇《はかなき人生》から〈スペイン舞曲第1番〉
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26
山本菜摘:UTAGE~宴~
チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 op.64


[アンコール]

ソリスト・アンコール
リスト:《巡礼の年》第1年「スイス」から第9曲〈ジュネーヴの鐘〉

オーケストラ・アンコール
山本直純:好きです かわさき 愛の街

毎日クラシックナビ「速リポ」に掲載されました。
 

フェスタサマーミューザKAWASAKI 2026、日本フィル公演。
ウィーン・フィルの第2ヴァイオリン首席を長く務めたクリストフ・コンツが、指揮者として日本フィル・デビューを飾った。

 

ヨハン・シュトラウス2世《こうもり》序曲で感じたウィーンの薫り。そしてブラームス《交響曲第1番》では、豊かな内声、流麗な響き、逞しい推進力に圧倒された。とりわけ最後に響き渡る5つのハ長調の和音。その一つひとつに、ハ短調の重々しさから解き放たれるような幸福感があった。

コンツの非凡な才能を印象づける、鮮烈な日本フィル・デビューであった。

周防亮介によるブラームス《ヴァイオリン協奏曲》についても、感じたことを率直に記した。
 

「毎日クラシックナビ・速リポ」をぜひお読みください。
https://classicnavi.jp/newsflash/post-44135/

尾高忠明 都響 北村朋幹(ピアノ)
(8月8日・東京芸術劇場)

初演指揮者ならではの、手の内に入った緻密な演奏。

三善晃も松村禎三も、作品がまさに今生まれたばかりのような輝きを持って再現された。
 

三善晃《オーケストラのための〈ノエシス〉》は、わずか8分ほどの作品だが、静謐から激しい爆発へと振幅しながら、多彩な楽器の音色や響きを精緻に重ね合わせていく作品である。冒頭のチェロの弱音にハープやヴィブラフォンが重なり、やがて打楽器を交えた激しい動きへ。再び静けさに戻っていくまで、凝縮された時間の中で音響がめまぐるしく変化する。
 

一方、松村禎三《ピアノ協奏曲第2番》は約34分、2楽章からなる大作。松村の特徴である同型反復(オスティナート)や持続音(ドローン)を基礎に、生命力に満ちた激しい運動と、静謐で瞑想的な世界が大きな振幅をもって交錯する。第2楽章には能《景清》からの影響もあるという。
 

どちらの作品も静と動の振り幅の大きさは共通しているが、三善晃のヒリヒリとするような鋭い感覚と沸点に達したような爆発に対して、松村には自然の脅威を思わせるスケールの大きさがある。
 

三善晃で印象的なのは、ヴィブラフォンやマリンバなどが生み出す幻想的な音色。

松村作品では、何と言っても北村朋幹のピアノが素晴らしかった。同じような動機をミニマル・ミュージックのように延々と繰り返しつつ、音色や強弱の変化や変奏を加えながら、オーケストラと対話し、時には激しく対決する。ピアノの存在が常に作品の中心にあった。
 

そしてエルガー《エニグマ変奏曲》。尾高の18番であり、最近も読響で聴いた。基本的な解釈は同じだが、オーケストラが変わることで音楽の表情も大きく変わるのが興味深い。
 

第1変奏の力強さ、第2変奏のシリアスな表情、ダイナミックな第4変奏の勢い、第7変奏の流麗さなど、それぞれの変奏に都響の個性が浮き出る。読響の明るさに対して都響は陰影が濃い。パワフルな点は共通するが、開放的な読響に対して、都響はより引き締まった響きと感じた。
 

尾高忠明にとっては知り尽くした作品であり、指揮には迷いがない。音楽は淀みなく進み、各変奏の性格も鮮やかに描き分けられた。一方で、勢いが勝ったためか、ところどころにやや粗さも感じた。
 

三善《ノエシス》は尾高忠明に献呈され、1978年5月10日に尾高指揮東京フィルによって初演された。そして、そのわずか3日後の5月13日には、松村《ピアノ協奏曲第2番》も尾高指揮東京フィル、野島稔の独奏で初演されている。


 

2026年8月8日(土)14:00開演
第1049回定期演奏会Aシリーズ
東京芸術劇場コンサートホール

指揮/尾高忠明
ピアノ/北村朋幹

三善 晃:オーケストラのための《ノエシス》(1978)
松村禎三:ピアノ協奏曲第2番(1978)
エルガー:エニグマ変奏曲 op.36

写真:都響のSNSより転用

「ほぼ日刊サマーミューザ」昭和音楽大学が公開されました。
スクリーンショットでは文字が読みにくいため、原稿を下記にコピーします。
私が付けた見出しは「魂が宿るベートーヴェン 全声部が明瞭な《春の祭典》」でしたが、
紙面では文字数の関係から「作品と真摯に向き合い 圧巻の演奏」となりました。

「ほぼ日刊サマーミューザ」(8月7日)
昭和音楽大学

魂が宿るベートーヴェン 全声部が明瞭な《春の祭典》

ベートーヴェン「序曲『レオノーレ』第3番」。序奏冒頭の和音は重く、木管と弦が奏でる一つひとつのフレーズが語りかけてくる。ベートーヴェンの魂が宿るようだ。フルートの澄んだ音、舞台裏からのトランペットまで音楽が生きていた。終結部では梅田に一層の気迫がみなぎり、怒涛の流れを生み、決然とした和音で結んだ。

続く交響曲第4番も見事。木管、金管、弦の各セクションが徹底的に練り上げられ、重厚で芯のある音をつくる。総奏のフォルティシモは大地を揺るがすような力強さ。これぞベートーヴェンである。一方、冒頭のピッツィカートをはじめ弱音は実に繊細。木管のソロも充実し、清らかなヴァイオリン、厚みのある低弦とともに、すべてのパートが一体となった演奏に深い感銘を受けた。

後半の《春の祭典》は圧巻。大音響の中でも各パートが鮮明に聴こえる。管弦打楽器は隅々まで磨き上げられ、変拍子が続く難所でもアンサンブルは強固である。序奏の高潔なファゴット、〈大地の踊り〉のトランペットの高速タンギング、〈乙女の神秘的な輪〉を締める2台のティンパニによる11回の強打、〈祖先の儀式〉のアルトフルートも印象的だ。全員参加の〈生贄の踊り〉には、梅田とオーケストラが積み上げてきた成果のすべてが結実し、最後まで緊張感が持続した。

激しい不協和音と複雑なリズムが渦巻く作品なのに、古典的な均斉さえ感じられる。それは梅田の指導のもと、一人ひとりが技巧を誇るのではなく、作品そのものに真摯に向き合ったからこそ生まれた響きだろう。生贄の乙女が神にささげられる瞬間を刻む、凄みのある一撃で全曲を閉じた。(音楽評論家 長谷川京介)



昭和音楽大学の演奏は今年のフェスタサマーミューザの中でも屈指の名演だったと思う。
それは2年前のブルックナー「交響曲第7番」でも感じたことだった。
今は過去の「ほぼ日刊サマーミューザ」が見られないようなので、その時のレヴューをここに再掲載します。

 

「ほぼ日刊サマーミューザ」(2024年8月6日)
昭和音楽大学  

大いなる感動 神聖な高みのブルックナー

朝比奈隆、飯守泰次郎の後を継ぐ日本のブルックナー指揮者は梅田俊明ではないか。昭和音楽大学とテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラによる合同オーケストラのブルックナー「交響曲第7番」は、そう思わせる力を持つ感動的な演奏だった。

何が感動をもたらしたのか。第1に梅田の厳格で深く、温かく慰めに満ちたブルックナー解釈。第2に梅田の指揮を咀嚼(そしゃく)し、コーチの先生方のサポートも受け練習を重ねた合同オーケストラの気迫のこもった演奏。弦、木管、金管、打楽器に至るまですべてが充実していた。第3に梅田とオーケストラの一途な思いが演奏にのりうつり、純粋で清らかな響きとなって神聖な高みが生まれたこと。

批評としては不適切な表現だが、頭のふたつの楽章の心打つ演奏に、こみ上げる涙を禁じ得なかった。

第1楽章の天国への階段を登っていくような第1主題、祈りを込めた第2主題が心に響く。力強い金管と動きのある弦の第3主題が緊張を緩める。ティンパニのトレモロに始まるコーダは荘重で厳しい。

第2楽章アダージョのワーグナーテューバが完璧。主要主題は深く重い。第2主題は清らか。頂点に向かって上り詰め、シンバルとトライアングルが鳴らされるクライマックスは大きなカタルシスをもたらした。第3楽章スケルツォの輝かしい金管が素晴らしい。トリオの優しさはまさに癒し。第4楽章コーダは全ての困難を乗り越えた後の喜びが爆発するようだった。

前半のモーツァルト「交響曲第35番《ハフナー》」は一点一画もおろそかしない梅田の指揮が冴えた。第4楽章の躍動感がブラヴォを呼んだ。(音楽評論家・長谷川京介)

 

そして今回の「ほぼ日刊サマーミューザ」も紙面には字数の制約があるので、ここからは書き切れなかったことを少し。

序曲《レオノーレ》第3番は、2年前と同じく序奏を聴いているうちに目頭が熱くなった。まだ曲が始まって間もない。それなのに、冒頭の強い和音、そこから弦と木管が紡いでいく一つひとつのフレーズに、ただ音符を正確に演奏しているのとは違う何かを感じた。この作品でこうした感情が起こったのは今回が初めてだった。
音に魂がこもっている、ベートーヴェンの本質をつかんだ演奏だ、とその時思った。


交響曲第4番についても、紙面には書き切れなかった印象的な瞬間がいくつもあった。

第2楽章ではクラリネットのソロがとりわけ心に残った。同じ旋律が再び現れたとき、最初よりも柔らかく、表情も豊かになっていた。その微妙な変化が美しい。

第3楽章のスケルツォには、一本筋が通ったような強靱さがあった。ここではアンサンブルの磨き上げが一段と緻密になり、それと対照的に、トリオで聞かせるオーボエとファゴットのハーモニーは柔らかく、味わい深い。

そして第4楽章では、動きの速いファゴットのソロが実に見事だった。

 

《春の祭典》は第1部では序奏はファゴット以外にもE♭クラリネットがうまく、トランペットも存在感があった。

〈春の兆し〉では変拍子を刻む低弦がたくましい。ホルンも良かった。〈誘拐の儀式〉ではティンパニが鋭く、金管の速いパッセージも決まる。
〈春のロンド〉の頂点の金管と打楽器の凄まじさ。ただ強大な音響というだけではなく、音の目が詰まっていて、強固な点が素晴らしかった。昭和音楽大学の金管のうまさは定評があるが、その実力を知ることになった。
〈長老の行進〉ではテューバとワーグナー・テューバが見事。
〈大地の踊り〉はパーフェクトと言っていい出来栄えだった。音楽が突然断ち切られる休止のピタリと合うタイミングの見事さにも驚いた。


第2部の序奏は弱音の精度が素晴らしい。弦、ミュート付きトランペット、ホルンの弱奏は繊細を極め、〈乙女の神秘的な輪〉ではヴィオラの六重奏もなかなか良かった。

2台のティンパニの11発の強打に続く、〈選ばれし生贄への賛美〉の変拍子の正確さにも瞠目した。
〈祖先の儀式〉ではコーラングレとバス・トランペットのソロも見事。特にコーラングレのソロは本文に入れてあげたかった。

そして最後の〈生贄の踊り〉は忘れがたい。本文に書けなかったが、トロンボーンも強力であった。
生贄の乙女が神にささげられる瞬間を切り取るような最後の一撃。あの一撃は何だったのだろう。単に全員のタイミングが合った、という音ではなかった。
梅田俊明およびオーケストラ全員の魂を込めた音と言ってもいいのではないか。

 

演奏が終わると、コンサートミストレスの大田春菜が感極まって涙を流していた。その姿が、この日の演奏がどのようなものだったかを物語っているようにも思えた。

(8月6日・ミューザ川崎シンフォニーホール)

前半は以下の5曲。*印の曲は野々村彩乃が歌った。

 

ビゼー:歌劇『カルメン』から 第1幕への前奏曲 ― ハバネラ*
シャブリエ:狂詩曲「スペイン」
ドリーブ:カディスの娘たち*
ファリャ:バレエ音楽『恋は魔術師』から「火祭りの踊り」
チャピ:サルスエラ『セベデオの娘たち』から「囚われ人の歌」*

 

野々村は各作品の雰囲気をよくつかみ、とりわけドリーブ《カディスの娘たち》とチャピ《セベデオの娘たち》の〈囚われ人の歌〉では、伸びやかな高音を聴かせた。もう少し身体全体から声が出れば、さらに迫力が増すのではないだろうか。発音には日本語的な響きが残り、やや平板に感じられた。

藤岡幸夫の指揮は、いつものように元気いっぱい。スペイン音楽の明るさと情熱をストレートに引き出す。もう一段、表情の硬軟や強弱の細やかな変化、あるいは響きの奥行きが加われば、とも感じた。

 

ファリャ:バレエ音楽『三角帽子』(全曲・解説付き)

この演奏こそ、本来の藤岡と東京シティ・フィルだった。前半に見られた粗さが影を潜め、アンサンブルの精度も密度も数段向上した。リハーサルも《三角帽子》に重点を置いたのかもしれない。

プログラムには「解説付き」とあったが、この企画は実に素晴らしい。藤岡が言うように、バレエなら音楽と踊りによって場面は理解しやすいが、演奏会形式では登場人物や物語の展開が見えにくい。そこで藤岡は、全曲を演奏する前に、作品に隠された動機や旋律を、実演を交えながらわかりやすく紹介した。

私にとっても新たな発見が多く、大変勉強になった。

 

代官(藤岡はわかりやすく「市長」と紹介)のテーマとなるファゴットの動機は作品中に何度も現れ、粉屋の女房への下心まで感じさせるユーモラスな音楽である。一方、粉屋が水くみに来た少女へ浮気心を抱く場面も、同じくファゴットで描かれていることを今回の解説で初めて知った。ファリャは粉屋も代官も似た者同士として描こうとしたのかもしれない。この動機は、この場面でしか現れない。

さらに、伊達男が粉屋の女房に近づき、拒まれて「チェッ」とつぶやくようなピッコロの一節も実に面白い。

最も聴衆の笑いを誘ったのは、代官の家来に捕らえられた粉屋が脱走して家へ戻り、代官の脱ぎ捨てた服を見つけて女房との浮気を疑い、復讐のため代官のもとへ向かう場面の音楽である。その愛らしい音楽は、アニメ映画を思わせる親しみやすさがあった。藤岡は『復讐に向かう音楽とは思えない。喜劇ならではであり、ファリャのユーモアでもある』と解説した。
 

そのほか、第1部「午後」の冒頭では、粉屋が鳥かごのツグミに「2時」を教えようとする場面も紹介された。トランペットが2度吹くと、ツグミを表すピッコロは3度鳴いてしまい、次は4度鳴いてしまう。見かねた女房(フルート)が教えると、ようやく2度鳴く。知っていた場面ではあったが、改めて解説付きで聴くと、その巧みさに改めて納得した。

第2部では、粉屋の「ファルーカ」が終わると、突然ノックの音が響き、代官の家来たちが現れる。その場面では、ベートーヴェン《交響曲第5番「運命」》の有名な動機が、ホルンのゲシュトップフト(閉塞音)によって引用されることでも知られている。演奏でもよく耳につく場面だが、意味を知らなければ聞き逃してしまうかもしれない。ホルンだけによる実演で紹介されたことで、その引用の面白さがいっそう明確になった。

 

本番の演奏は熱気と一体感に満ちていた。序奏ではティンパニの連打に続き、トランペットのファンファーレで始まり、カスタネットや手拍子、さらに楽員による「オーレ!」の掛け声が加わって、一気にスペインの祝祭空間が広がった。

 

序奏で野々村彩乃が「若い嫁よ とびらにはかんぬきをおろしておきなさい」と歌う場面では、2階R1扉前から歌唱。また、第2部では3階3R-3扉前から「夜中にカッコウ鳥が鳴く」と歌った。どちらも上方から降り注ぐように響くためか、あるいはホールの豊かな残響によるものか、歌声はいっそう明晰に感じられた。

 

東京シティ・フィルは終始集中力の高い演奏を聴かせ、なかでも木管と金管の充実ぶりが印象に残った。第1部では、女房が踊る「ファンダンゴ」の情熱的な演奏が聴き応え十分。代官に言い寄られた女房が軽くあしらう場面では、ファゴットのまろやかな音色と弦の滑らかな響きが絶妙な味わいを醸し出した。第2部では、粉屋が踊る「ファルーカ」で終盤に向かって次第にテンポを速め、高揚感が一気に高まる。東京シティ・フィルの輝きと引き締まったサウンドも鮮やかだった。終幕の「ホタ」も躍動感あふれる熱演で締めくくられ、まさに東京シティ・フィルらしい快演であった。

ピエタリ・インキネンが紀尾井ホール室内管弦楽団(KCO)に初登場。コンサートマスターには、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務める青木尚佳が登場。ヴァイオリン・セクションから滑らかで艶のある響きを引き出した。

マーラーでの編成は、第1ヴァイオリン10、第2ヴァイオリン8、ヴィオラ6、チェロ5、コントラバス3、フルート4、オーボエ3(3番はイングリッシュ・ホルン持ち替え)、クラリネット3(2番は小クラリネット、3番はバス・クラリネット持ち替え)、ファゴット3(3番はコントラファゴット持ち替え)、ホルン4、トランペット3、ティンパニ1、パーカッション3、ハープ1というもので、これまでのKCOでも最大規模の一つかもしれない。

 

シベリウス《カレリア》序曲では、少し紗がかかったような上品な弦の音色が広がり、指揮ぶりも含めて、冒頭からすでに「インキネンの音」が立ち現れ、懐かしさを覚えた。中間部のワーグナーを思わせる響きも重厚で、コーダは豪壮に盛り上げた。KCOとの相性もすこぶる良さそうで、幸先の良い滑り出しとなった。KCOには、インキネンと旧知の日本フィル首席フルート奏者・難波薫のほか、ヴィオラのデイヴィッド・メイソン(現都響)、ホルンの日橋辰朗(現読響)も参加しており、初共演とはいえ、自然体で臨めたのではないだろうか。
 

シベリウス:交響曲第7番では、インキネンは厳しさや鋭さを前面に押し出すことなく、温かみのあるサウンドが印象に残った。トロンボーンの主題によって三度高揚するが、その三度目の頂点は前半の白眉。勇壮なティンパニ、張りのある弦をはじめ、オーケストラは重厚な響きで大きなクライマックスを築き、コーダも雄大に締めくくった。
 

マーラー:交響曲第4番は素晴らしい演奏であった。KCOには各オーケストラの首席級奏者が集い、それぞれの個性が鮮やかに立ち上がる。インキネンはその優れた奏者たちの個性を存分に生かしながら、音楽の流れを淀みなく導き、指揮者と団員が呼吸を一つにした充実した演奏を築き上げた。
 

第1楽章では、鈴の音とともに透明感あふれるヴァイオリンが第1主題を奏でる。展開部では管楽器も充実し、4本のフルートがまるで1本で吹いているように聞こえた。後年の《交響曲第5番》冒頭を思わせるトランペットの運命動機も輝かしい。

第2楽章では、全音高く調弦したヴァイオリンと通常のヴァイオリンを青木尚佳が巧みに使い分けた。第1トリオでのホルン、クラリネット、ヴァイオリン群の音色と表情が実に洗練されている。第2トリオでは、青木が弱音器を付けた通常のヴァイオリンで繊細に演奏し、天国的な雰囲気を醸し出した。
 

第2楽章が終わると、ソプラノのマンディ・フレードリヒが静かに舞台に姿を現した。第4楽章《天上の生活》を前にしたその登場は、第3楽章の静謐な世界を予感させるものでもあった。
 

第3楽章「安らぎに満ちて」(ポコ・アダージョ)は、文字通り天国的な世界であった。冒頭の主要主題では、分奏されたチェロが5人という編成ゆえに各声部がソロのような存在感を放ち、室内オーケストラならではの親密な響きを生み出していた。ヴィオラの柔らかな響きが重なり、第2ヴァイオリンが天上へと伸びていくような旋律を紡ぐ。オーボエの金子亜未の深みのある音色もその流れを受け継ぎ、ホルンとファゴットが柔らかな響きを重ねる。さらに第1ヴァイオリンの高い旋律が高みを目指し、コントラバスの規則正しいピッツィカートが全体を安定した歩みで支えた。
 

第2主題では、オーボエの金子とフルートの相澤政宏が深い情感に満ちたソロを聴かせた。悲劇的な高揚へ向かう場面では、低弦が厚みのある響きで音楽を支えた。続く変奏では、分奏されたチェロが艶やかに歌い、弦や木管が加わると音楽は一転して明るい表情へと転じる。日橋辰朗のホルンによる対位旋律も見事で、その後は厚みのある弦とティンパニの激しいロールを伴って再び大きく高揚した。
「Allegretto subito」による鮮やかなテンポの転換も実に自然で、音楽は推進力を増していく。やがて再び静けさを取り戻し、冒頭を回想するような陶酔的な世界へと帰着する。終盤では壮大なクライマックスを築いたのち、神秘的な静けさの中へと溶け込むように楽章を閉じた。その静寂のまま、第4楽章《天上の生活》が始まる。


マンディ・フレードリヒは昨年3月14日、ピノック指揮KCOのモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》(演奏会形式)のフィオルディリージ役で聴いたが、第1幕の長大なアリア「岩のように私の心は動かない」は圧巻の歌唱であった。

この日は、《天上の生活》を歌うにふさわしい透明感と潤いのある声で魅了した。弱音器を付けたヴァイオリンに続いて始まる第3部では、「聖ウルスラ様も微笑んでいらっしゃる」と音程を素早く上下させながら歌う場面での声のコントロールが実に見事で、とりわけ印象に残った。ハープとコントラバスの弱奏で静かに閉じられた後も、その余韻を心ゆくまで味わうことができた。

(8月3日・ミューザ川崎シンフォニーホール)

私のフェスタサマーミューザ通いも半ばを過ぎた。この日は下野竜也指揮NHK交響楽団が、「狩りのホルン」をテーマにしたユニークなプログラムを披露した。

詳しい演奏内容については、『音楽の友』コンサート・レヴューに執筆する予定なので、ここではごく一部のみをご紹介したい。
 

冒頭はハイドン《交響曲第73番「狩り」》。終楽章では、コーダ直前に大きく盛り上がったあと、一度休止する。下野がタクトを止め、曲が終わったと思わせる趣向を披露すると、かなりの聴衆が拍手を送った。事前に予習までしていたにもかかわらず、私もまんまと騙されてしまい苦笑。続いて狩りのホルンがもう一度現れ、最後は狩りの一行が遠ざかっていくように静かに曲を閉じる。演奏後、下野が客席に向かって「終わりです」と告げると、会場は笑いに包まれた。
 

R.シュトラウス《ホルン協奏曲第2番》では、ベルリン・フィルの客演首席ホルン奏者を務め、チェチーリア音楽院管、ルツェルン祝祭管、ヨーロッパ室内管などの首席を務めるアレッシオ・アレグリーニが、ほのかな翳りを帯びた美しい音色と円熟した技巧を披露。終楽章のアンコールではN響ホルン奏者3人を加えた《狩りのファンファーレ》に続き、カザルス《鳥の歌》を静かに奏し、大きな拍手を浴びた。

後半のメンデルスゾーン《夏の夜の夢》では、《結婚行進曲》が圧巻。堂々たる響きと威厳に満ちた演奏で、プログラムを華やかに締めくくった。
さらにオーケストラ・アンコールではヨハン・シュトラウス2世のポルカ《狩り》も演奏。


終演後、撮影が許されているカーテンコールでは、スマートフォンを掲げる聴衆に向かって、下野がVサインを出してポーズを決める場面も見られた。しかも一方向だけでなく、あちこちのカメラに向き直って応えていた。そのおちゃめな姿は、フェスタサマーミューザならではの温かな雰囲気と、ステージと客席の距離の近さを感じさせる、何ともほほえましい光景だった。

『モーストリー・クラシック』『音楽の友』2026年8月号に執筆しました

発売中の『モーストリー・クラシック』2026年8月号と『音楽の友』2026年8月号に、私の執筆記事が掲載されました。

『モーストリー・クラシック』では、エベーヌ弦楽四重奏団によるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会のレポート「今聴いているのは音楽か、神の声か」(62〜63ページ)と、ペッカ・クーシスト指揮・東京都交響楽団公演のレヴュー「クーシスト 都響に新しい風」(68〜69ページ)の2本を担当しました。


『音楽の友』では、

  • 三輪郁ピアノ・リサイタル(コンサート・レヴュー7ページ)
  • 日本フィルハーモニー交響楽団 第780回東京定期演奏会(指揮:アレクサンダー・リープライヒ)(コンサート・レヴュー8ページ)

以上2公演のコンサート・レヴューを執筆しています。


ご覧いただけましたら幸いです

 

(7月31日・ミューザ川崎シンフォニーホール)

鈴木愛美を聴くのはリサイタルに続いて2回目。協奏曲ではベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を集中的に弾いている気がする。しかし、私が聴くのは今回が初めて。

読響は12型の編成。ヴァイグレは、拍節感のある骨格がしっかりとした音楽をつくる。コンサートマスターは、日下紗矢子。清らかなヴァイオリンをはじめ、弦は透明で品がある。

 

2つの主題が提示された後。オーケストラの音が途切れるかどうかというポイントで鈴木のピアノが第1主題を力強く弾いて入ってくる。雄渾な作品に合わせた力強いタッチだが、強奏で少し音が濁る。第2主題は切れ味がある。

一つ気になったのは、鈴木とヴァイグレ読響の演奏が並行に進むように感じられたことである。鈴木は、我が道を行くとばかりに進むが、ヴァイグレ読響と積極的に対話しようとする意図はあまり感じられない。二人が視線を合わせるという光景は少なかったように思う。両者共に演奏自体は悪くないので、不思議な気持ちがした。
 

興味深い点は、展開部の入り方であった。ヴァイグレ読響がフォルテで演奏を終えると、鈴木が『私のこの音に注目してください!』と主張するような強烈な打鍵で主題を奏でた。ようやく対話が始まるのか、と期待したが、再び並行走行になっていく。カデンツァは迫力があった。
 

第2楽章は感動的であるはずだが、鈴木のピアノは、音は一つ一つ吟味されているが、その上に心が乗っていないように思えた。しかし、コーダのピアノは美しさがあった。
 

第3楽章は、読響が重厚な演奏を展開するが、ピアノはやはり我が道を行くようだ。打鍵は力強い。コーダでは、オーケストラとピアノが一体となり、力強く曲を閉じた。
アンコールは、シューベルト《楽興の時》第3番。淡々とした中に、歌心を感じさせた。

 

後半のワーグナー(デ・フリーヘル編):楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』~オーケストラル・トリビュート(日本初演)は、ヴァイグレと読響の最良の要素がすべて発揮された「これぞ本物のワーグナー!」と叫びたくなる名演であった。

 

プレトークで日下紗矢子が、ヴァイグレはホルン奏者だけあって管楽器への指示がとりわけ綿密です。それが全体の音にも反映されて、素晴らしい響きになります。と語っていたが、まさにその言葉通りであった。管楽器の動きがこれほど明快に聴き取れるマイスタージンガーは、聴いたことがない。しかも、弦と管のバランスが素晴らしい。対位法、対位旋律が明瞭に、最上のバランスで聴こえてくる。その上、管も弦もそれぞれの音のまろやかなこと。

プレトークで日下紗矢子と会話した読響のチーフプロデューサーの法木宏和さんは、ヴァイグレはバイロイト音楽祭で《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を2008年に指揮し、CDやDVDになっていると語ったが、完全に手の内に入った指揮ぶりで、やはり彼はオペラの指揮者であるという点を納得した。

 

印象に強く残った曲をいくつかあげたい。
第1曲「前奏曲」は上に述べた素晴らしかった点がすべて含まれていた。

 

第5曲「前奏曲III」の冒頭のザックスがエファへの恋をあきらめる「諦念の動機」のチェロの深み。
 

第6曲「洗礼の辞」でのヴァルターとエファ、ダーヴィッドとマグダレーネ、ザックスがそれぞれの思いを歌う清らかなメロディーでの弦の美しさ。

 

第10曲「ヴァルターの懸賞歌」でのクラリネットから弦に受け渡させる旋律もまた極上。日下紗矢子のリードも光る。弦と木管、ハープが美しく交わり、夢のようであった。


終曲第11曲「幕切れの歌」ではトランペットのファンファーレを一段と輝かしく吹奏させ、壮大な結末を築いた。

16型の読響の全セクションをのびのびと、しかも緻密に響かせる。まさに極上のワーグナーサウンドであった。

(7月30日・ミューザ川崎シンフォニーホール)
太田弦は、神奈川フィルハーモニー管弦楽団を指揮するのは久しぶりとのこと。初共演は2018年、24歳のときで、その後2019年にも登場している。

 

プレトークで太田は、アイヴズ(W.シューマン編)「アメリカ変奏曲」を取り上げた理由について、「次のグルダに負けない作品は何だろう」と考えた末の選曲だったと語った。「アメリカ変奏曲」にもジャズやロックのテイストが感じられるため、続くグルダへの橋渡しとして違和感がなく、このプログラミングは実に的確だった。
 

トークでは、グルダ「チェロと吹奏楽のための協奏曲」で共演する笹沼樹との対話も行われた。笹沼は太田と同じ1994年生まれ。同世代ということもあって、リハーサルから息が合い、気持ちよく演奏できたという。
 

そして本番は、まさにその言葉どおりの演奏だった。笹沼樹はグルダの協奏曲を全身で楽しむように弾き切り、太田もオーケストラを軽快にドライブする。二人ともクラシックだけでなく、ポップスやロックにも自然に親しんできたのではないか――そんなことを想像させるほど、リズム感に富み、躍動感あふれる演奏だった。神奈川フィルも、とりわけ金管・木管の若い奏者たちがこの作品を心から楽しんでいる様子で、その雰囲気が客席にも伝わってきた。
 

アンコールではサプライズが待っていた。グルダには出演しなかったコンサートマスター石田泰尚を呼び寄せ、笹沼とのデュオでハルヴォルセン「ヘンデルの主題によるパッサカリア」を披露。息の合った名演に会場は大いに沸いた。
 

オルガン奏者の澤菜摘もプレトークに登場。ミューザのオルガンは、スイスの名門オルガンビルダー、クーン社製で、パイプ総数は5,248本。4段鍵盤と足鍵盤を備え、ホールオルガニストとして、オルガンを使用する公演のたびに点検を兼ねて試奏しているという話も興味深かった。
 

なお、アイヴズ(W.シューマン編)「アメリカ変奏曲」、グルダ「チェロと吹奏楽のための協奏曲」、そしてサン=サーンス「交響曲第3番《オルガン付き》」についての演奏の詳細は、『音楽の友』のコンサート・レヴューに書く予定である。ぜひそちらもお読みいただければ幸いである。