ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


Quartet Plus」は弦楽四重奏に留まらない室内楽の新しい魅力を伝えてくれるシリーズ。今回は、結成25周年と節目の年を迎えたクァルテット・エクセルシオが、オーボエ吉井瑞穂、ハープ景山梨乃と共演。

「オーボエ、ハープと弦楽四重奏のための六重奏曲(フルビーン変奏曲)」は、チェコの作曲家
クヴィエシュが
1999年に書いた作品。
今回が日本初演。
現代音楽だが、ロマンティックで4部からなる力作。

 

全員の集中力のある演奏が素晴らしかった。
詳しくは「音楽の友」2月号のコンサート・レヴューに書きます。


 

1210日、東京オペラシティコンサートホール)
 「100年に一人のテノール」といわれるファン・ディエゴ・フローレス。ステージに登場したとたんに、スターの持つオーラが輝く。
最初のベッリーニの2曲は、ウォーミングアップ風に軽く歌う。しかし、ピアノが1曲演奏した後の、ドニゼッティ:オペラ《愛の妙薬》より「人知れぬ涙」は凄かった。ホールがビリビリ震えるように張りのある声。

続く《ランメルモールのルチア》より「わが祖先の墓よ……やがてこの世に別れを告げよう」の最後も、聴くものの脳天を突き抜けるが如く、ここぞとはかりに、力を込めて歌われた。

ヴェルディ:オペラ《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》より「あの人から遠く離れて…燃える心を…おお、なんたる恥辱」の後半、「おお、なんたる恥辱」も威容があった。

 

 休憩後のレハールのオペレッタからの3曲は、各曲のヤマだけは強く歌うが、軽く流している印象。

 

 この夜一番良いと思ったのは、マスネ:オペラ《ウェルテル》より「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」。絶唱されることが多いようだが、フローレスはもっと繊細に、細やかな表情をつけて歌った。フローレスのナイーブな佇まいと曲が合っていると思った。

 

ビゼー:オペラ《カルメン》より「お前の投げたこの花を」(花の歌)も、男の弱さが素直に出ていたのではないだろうか。

 

 プログラム最後のプッチーニ:オペラ《ラ・ボエーム》より「冷たい手を」では、「なぜって、あなたが持ち込んでくれたのだから、希望を!」のla spranza!に背筋がゾクゾクした。

 

 アンコールはなんと7曲!フローレスはギターを持って登場。CDもあるラテンのレパートリーからまず4曲。ペルー生まれのフローレスの父はラテン音楽の歌手であり、本人も若いころはラテン音楽に夢中。作曲もしただけあって、堂に入ったもの。ギターはまずまずの腕前か。

リラックスしたい、とばかりに、タキシードのボウタイを外すと、後ろに放り投げた。ピアノを飛び越して見事に着地。

「ベサメ・ムーチョ」は甘く、少しくずして歌う。タンゴの巨匠カルロス・ガルデル作曲の「想いの届く日」は、タンゴというよりも甘いバラード。ククルクク・パロマでは、ステージの前後左右を見ながらパローーーーマと息の続く限り歌って笑いを誘う。

 

 聴衆は熱狂。これでおしまいかなと思っていると、今度はピアノ伴奏を担当していた、ヴィンチェンツオ・スカレーラを伴って登場。「グラナダ」を朗々と歌う。アンコールはさらに続き、極めつけ「誰も寝てはならぬ」の最高音を決めると、聴衆はたまらず、スタンディング・オベーション。最後にとどめの「女心の歌」で終了。照明が明るくなっても拍手はなかなか止まず、もう一回フローレスが登場。長いコンサートが終わった。

 

 フローレスは初めて聴いたため、全盛期といわれる20年前、10年前の凄さはわからないが、今回は、声の迫力だけではなく、細やかな表現力という、彼の特長は充分感じられた。

 テレビ録画が入っていたが、主催のBSフジか、あるいはNHKかどうかは、わからない。

このあと、14日(土)19時から、サントリーホールで、オーケストラとのコンサートが予定されている。


(プログラム)
ベッリーニ:「お行き、幸せなバラよ」

ベッリーニ:「喜ばせてあげて」

ベッリーニ:ラルゴと主題 ヘ短調(ピアノ・ソロ)

ドニゼッティ:オペラ《愛の妙薬》より「人知れぬ涙」

ドニゼッティ:オペラ《ランメルモールのルチア》より

「わが祖先の墓よ……やがてこの世に別れを告げよう」

ヴェルディ:歌のないロマンツァ ヘ長調(ピアノ・ソロ)

ヴェルディ:オペラ《アッティラ》より「おお、悲しいことよ!でも私は生きていた」

ヴェルディ:オペラ《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》より

「あの人から遠く離れて…燃える心を…おお、なんたる恥辱」
(休憩)

レハール:オペレッタ《微笑みの国》より「君はわが心のすべて」

レハール:オペレッタ《ジュディッタ》より「友よ、人生は生きる価値がある」

レハール:オペレッタ《パガニーニ》より「女性へのキスは喜んで」

ドニゼッティ:ワルツ ハ長調(ピアノ・ソロ)

マスネ:オペラ《ウェルテル》より「春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか」

ビゼー:オペラ《カルメン》より「お前の投げたこの花を」(花の歌)

マスネ:オペラ《タイース》から 瞑想曲(ピアノ・ソロ)

プッチーニ:オペラ《ラ・ボエーム》より「冷たい手を」

 

アンコール:

バラスケス:ベサメ・ムーチョ

ガルデル:想いの届く日

コルテス:シェリト・リンド
メンデス:ククルクク・パロマ

ララ:グラナダ

プッチーニ:誰も寝てはならぬ

ヴェルディ:女心の歌
 


129日、東京文化会館大ホール)
 相思相愛のギルバートと都響、今日も好調。プログラムはとても凝っていて、現代音楽の作曲家が、バロック音楽やロマン派の作曲家作品を編曲、あるいは改作した曲に、バルトークとハイドンを組み合わせたもの。

リスト(アダムズ編曲):悲しみのゴンドラ

バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1 Sz.36

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アデス:クープランからの3つの習作(2006)(日本初演)

ハイドン:交響曲第90番 ハ長調 Hob.I:90

 

前半は旋律の美しいロマンティックな曲、後半はユーモアを感じさせる曲にまとめられていた。

 

1曲目はジョン・アダムズが晩年のリストの作品「悲しみのゴンドラ」を編曲したもの。

波の上を漂うような、ゆったりとしたリズムの上で、静かな旋律が流れて行き、やがて消えていく。ギルバートが指揮する都響の音は、温かみがある。

 

矢部達哉をソリストとしたバルトーク「ヴァイオリン協奏曲第1番」は、26歳のバルトークが、若手女性ヴァイオリニスト、シュテファイ・ゲイエルに恋して、彼女のために作曲、献呈した。結果的に、バルトークはゲイエルとの恋愛は成就せず、作品も演奏されることなく、ゲイエルの死んだ1956年まで発見されなかった。


 2楽章から成り、第1楽章は甘くロマンティックな主題から始まる。以降連綿と甘い旋律が続く。バルトークとは思えない、とろけるような音楽だ。第2楽章は技巧的で、バルトークがゲイエルのテクニックを披露させるために書いたもの。

 矢部達哉の演奏は、艶やかな音と正確なテクニック、端正な表現で格調高い。もう少し前に出て目立ってもいいのではと感じた。

 

 アデス「クープランからの3つの習作」は、ブリテンの再来といわれるアデス(1971-)の天才的なひらめきを感じさせる作品。ただ楽しく美しいだけではなく、聴いているとリズムの変化や音色に細かな細工が施されていることがわかってくる。

オーケストラの配置は、弦楽器が左右対照になるように分かれる。楽器も巨大なバス・マリンバや、バス・フルートなど、ふだん聴く機会の少ない楽器も使われる。

ユーモアも感じさせる作品で、聴くほうももちろん、演奏するほうも楽しいと思うが、都響の楽員は、真面目なのか、表情が硬い。もっと楽しそうに演奏してもいいのでは。

 

最後は、ハイドンの「交響曲第90番 ハ長調」。ピリオド奏法ではなく、適度にヴィブラートを使った聴きやすい演奏。颯爽として活気のある演奏。第1楽章など、ベートーヴェンの第4番を思わせる生き生きとした表情がある。

悪戯が大好きなハイドンのユーモアに輪をかけて、ギルバートがお茶目ぶりを発揮した第4楽章が楽しかった。

弾けるような勢いのある第4楽章の終結部がきっぱりと終ると、拍手がパラパラと起こった。ギルバートが客席を向いて、「もう1回」と指で示してから、4小節の長い休止を置いて、本当の終結部がまた始まった。

 

びしっと2回目が終わり、今度こそ終わりと、ギルバートが楽員を立たせようとすると、コンサートマスターの四方恭子が「ちょっと待ってください。再現部からの繰り返しの指示を忘れています。」と、パート譜をギルバートに見せる。客席から笑いが起こる。ギルバートは「ゴメンナサイ」と客席を見て謝ってから演奏を始めた。しかし、これはギルバートと都響の考えた演出に違いない。

 

今度こそきっちりと終ると、盛大な拍手が起きた。ギルバートは、カーテンコールに戻るとき、もう一度繰り返しをしようと指揮台に向かっていき、さらに笑いをとっていた。

都響のfacebookにそのときの映像が上がっていますが、音声が入ってないのがなぜかわかりません???。

https://www.facebook.com/watch/?v=441932249805209&external_log_id=b7e31d971030b51f8ee650c81b82638a&q=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD%E5%9B%A3

 ギルバートと都響のように、再現部の繰り返しをしたのがサイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団のライヴCD。最初の休止で客席から盛大な拍手が起きる。二度目の休止でも、またもや盛大な拍手。ラトルが何か言ったのか、笑い声も起きた後、三回目が始まり、今度こそ終わると最後は大喝采。これも楽しいです。

今日、東京文化会館で聴いた、アラン・ギルバート指揮、東京都交響楽団、矢部達哉のヴァイオリンによるバルトーク「ヴァイオリン協奏曲第1番」。冒頭のロマンティックな主題が、あるスタンダード・ジャズか、ポピュラー曲にそっくりだけれど、曲名が思い出せない。喉まで出かかっているけど、出てこないので、ずっとヤキモキしていました。

ちなみにこの映像の、ヴァイオリンのソロ、最初の4つの音「ニー嬰ヘーイー嬰ハ」です。バルトークが恋したヴァイオリニスト、シュテファイ・ゲイエルに捧げた曲で、彼女を表す指導動機として何度も出てきます。

https://www.youtube.com/watch?v=CLDn-F2Q4Gs
 

 

帰ってから思い出しました。ビル・エヴァンス・トリオのアルバム「モントゥルー・ジャズ・フェスティバルのビル・エヴァンス」で聴き込んだ「アイ・ラヴス・ユー・ポーギー」(ジョージ・ガーシュウィン作曲、オペラ「ポーギーとベス」より)です。大好きな曲。
https://www.youtube.com/watch?v=HdzflG9HgWM


バルトークの作品は、1907年から1908年に作曲されましたが、公開の初演はなく、シュテファイ・ゲイエルの死後、1956年頃に彼女の遺品から発見されたので、ガーシュウィンは、この曲を聴いていないと思います。偶然だとしたら、なんとロマンティックなことでしょう!

友人から、ラフマニノフ「交響曲第2番」第3楽章の有名な主題がさらに似ていると教えてくれました。移調すると6音目まで同じとのこと。
https://www.youtube.com/watch?v=QNRxHyZDU-Q&fbclid=IwAR2u7F_yuz_qIaGRSMKga8nJsi3DAMXi1F4T7FbLuF8qt7ekZp5YJDyQKCo

 

ラフマニノフの交響曲第2番の作曲は、バルトークより1年早い1906年から始められ1907年に完成。1908年初演。なんとほぼ同じような時期に作曲されています。バルトークがラフマニノフの初演を聴いたのか、あるいは楽譜を見たのか。これも偶然なのでしょうか?なんとも不思議です。
 

1918年にラフマニノフはアメリカにわたり以後ロシアに帰ることはありませんでした。アメリカではコンサートピアニストとして活躍しました。
ガーシュウィンのオペラ「ポーギーとベス」の完成は1935年。
https://youtu.be/FwkMGZZ02H8?t=166



 

ここに至って以下の推測ができます。

   ラフマニノフをバルトークとガーシュインが聴いた可能性。

   ラフマニノフをガーシュインが聴いた可能性。

   三者の旋律が似たのは全くの偶然。

 

実際はどうなんでしょう?

(12月7日、ミューザ川崎シンフォニーホール)
 バートレットの弾くモーツァルト「ピアノ協奏曲第24番」は、清潔で品の良い演奏。第3楽章はもう少しパトスがあってもいいのではないかと思う。第2楽章のピアノと木管との対話は、天国的だった。東響の木管は、オーボエの荒絵里子を初め皆うまい。ファゴットとオーボエ、フルート、クラリネットのアンサンブルのハーモニーが心地よい。
 
 ウィグルスワースは、弦から艶のある音を引き出し、ハーモニーも綾なすように美しい。その指揮は、終始ピアノとの一体感があり、充実のモーツァルトだった。
バートレットのアンコールは、J.S.バッハ「パルティータ第2番より第6曲カプリッチョ」。鍵盤の上を左右に駆け抜けていく軽やかなタッチ。
 
 マーラー「交響曲第1番《巨人》」は、思い入れたっぷりとした粘っこい演奏ではなく、端正であっさりとしている。しかし、各楽章のクライマックスは、熱量が充分あり、第4楽章最後は、生演奏でしか起き得ない、突き抜けるような、この日最大の頂点に達した。
 
 第1楽章は、最初もやもやとして、方向が見えなかったが、展開部のクライマックスから一気に勢いを増し、最後は強烈に締めた。
 その勢いは、続く第2楽章にも受け継がれ、付点音符のついた低弦のエネルギュッシュな演奏は切れがあった。トリオのワルツ風主題は、荒絵里子のオーボエが滑らかに歌った。
 
 第3楽章のコントラバスの主題は、ソロではなく、8台の合奏。中間部の「さすらう若人の歌」第4部の旋律は、余りにもはかなく繊細。旋律が聞こえてこない。少しやり過ぎではなかったか。
 
 第4楽章は、速めのテンポで切れ味良く進む。オーケストラに無理をさせないので、最強音でもバランスが崩れない。
練習番号16からの第2主題は、あっさりとしていた。ここは、以前ダニエル・ハーディングが新日本フィルとのリハーサルで「スロー・ダンスを踊るように」と指示したロマンティックな旋律が美しいところ。もっと、たっぷり歌ってほしい。中間部のクライマックスは、再び盛り上がっていき、第3部は、最初に書いたように電流が背中に走るような盛り上がりとなった。金管の立奏は、ホルンのみだった。
 
 ウィグルスワースの指揮は、誇張やハッタリがなく、面白味は欠けるが、職人的な指揮者のように、作品のツボをはずすことはない。彼の指揮は二度目。昨年4月、同じく東京交響楽団を指揮したブルックナー「交響曲第4番《ロマンティック》」(コーストヴェット第3稿)を聴いた。56分の快速演奏だった。モーツァルトは素晴らしいので、いつか彼の指揮で交響曲をまとめて聴きたいものだ。ただ、同じような表情が続くような気もするので、1曲に絞ったほうがいいかもしれない。
 
写真:マーク・ウィグルスワース©Ben Ealovega


 オール・ショパンプログラム。バルダのプロフィールは、マネジメントのホームページをお読みください。

http://www.concert.co.jp/artist/henri_barda/

 

バルダを聴くのは、初めて。印象を一言で言えば、現代のピアニストとは全く違い、即興的と思えるほど、テンポやアーティキュレーションを自由に動かすピアニスト。
 全体的にはテンポが速く、一気呵成に最初から最後まで行ってしまう。バラードの第1番の第2主題はもう少し歌ってほしいと思うけれど、さっさと終わってしまう。

 

せっかちなまでのピアノだが、ピアノ・ソナタ第2番《葬送》の第4楽章プレストは、その切迫したピアノが効果的で、一陣の風が、さっと通りすぎるような鮮やかさが圧巻だった。

 

マズルカは、バルダにとても合っている。自由なアゴーギクがポーランドの民族舞踊オベレクやクアヴィアクの拍子の揺れ動くリズムと相性が良い。

 

最後のピアノ・ソナタ第3番の第4楽章の激情も重苦しくはなく、爽快なまでに、駆け抜けて行った。

 

バルダは、往年の巨匠ピアニストのように、自分のスタイルを持っていると思う。
貴族的でもあり、洗練されているとも言える。ショパンなら、ワルツがきっと素晴らしいのではないか、と思っていたら、嬉しいことにアンコールで第8番と第5番を続けて弾いてくれた。物凄く早いテンポだが、とてもお洒落。

 

会場には、バルダについての本「神秘のピアニスト アンリ・バルダ」も執筆された青柳いづみこさんもいらしていて、盛んに拍手されていた。
 

プログラム:
4つの即興曲

1番 変イ長調Op.29、第2番 嬰ヘ長調Op.36

第3番変ト長調 Op.51、第4番 嬰ハ短調Op.66(幻想即興曲)
舟歌  嬰ヘ長調 Op.60

ソナタ第2番  変ロ短調 op.35 「葬送」

バラード第1番 ト短調Op.23

バラード第4番  へ短調Op.52
4つのマズルカ

38番 嬰へ短調Op.59-3、第40番 へ短調Op.63-2、第41番嬰ハ短調Op.63-3、第35番 ハ短調Op.56-3

ソナタ第3番 ロ短調Op.58


 

 


 

今年24歳のエマニュエル・チェクナヴォリアンは、アルメニアの指揮者ロリス・チェクナヴォリアンの息子としてウィーンに生まれ、ウィーン国立音楽大学に通い、アルバン・ベルク弦楽四重奏団のゲルハルト・シュルツに学んだ。2015年シベリウス国際ヴァイオリン・コンクール第2位、ベスト・シベリウス演奏賞も受賞、注目を浴びた。
 

 チェクナヴォリアンは、若々しく力強いヴァイオリンを弾く。ベアーズ国際ヴァイオリン協会から貸与された1698年製ストラディヴァリウスの艶やかな美音も駆使する。ただ表現力はそれほど深くない。

 

 バッハのヴァイオリン・ソナタ第3番は、様式感はあるものの、音楽が流れていくだけで、弾むような躍動感や格調の高さがあまり感じられない。ピアノのマリオ・ヘリングも滑らかに弾いていくが、二人はもう少し緊密にやりとりして欲しい。

 

 ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番《春》」も、同じようにさらさらと流れていく。第3、第4楽章の激しい部分でのチェクナヴォリアンは、技術的には安定しているが、言いたいことが余り伝わってこない。勢いはあるが、作品の内面にもっと踏み込んでもいいのでは、と少しじれったい。

 

 後半のブラームス「ヴァイオリン・ソナタ第3番」が、この日一番良かった。ブラームスの渋さが良く出ていた。第2楽章アダージョでは情感があり、激しく情熱的な第4楽章も、チェクナヴォリアンの少し粗削りなヴァイオリンによく合っていた。

 

 シューベルトの幻想曲は、溌剌として、チェクナヴォリアンと作品が良く調和していた。ピアノのマリオ・ヘリングも、良く弾きこまれたピアノで、チェクナヴォリアンとの一体感は充分。ヘリングは母が日本人、父はドイツ人。アンコールのクライスラー《愛の悲しみ》《愛の喜び》は、自然な日本語で紹介していた。

 

 NHKのテレビ収録が入っていたので、BSクラシック倶楽部で近く放送される予定。


1129日、サントリーホール)

 最初のモーツァルト「歌劇《皇帝ティートの慈悲》序曲」は、先日のドン・ジョヴァンニ序曲と同じく、力任せと言うと失礼だが、ついそう言いたくなるマッチョな演奏。劇的でパワフル。

 

ステージから、楽員が去り、チェロの演奏台が運ばれ、ケラス一人が登場。リゲティの「無伴奏チェロ・ソナタ」が始まる。ケラスの余裕のある完璧なテクニックと、滑らかな運弓に魅了される。ケラスの手にかかると、どんな難曲でも、楽しいエンタテインメント作品に変身してしまうのは、毎回驚かされる。

 

続いて、楽員が戻り、指揮のネトビルとともに現れたケラスはリゲティ「チェロ協奏曲」を弾き始めた。これも驚異的なケラスのテクニックに唖然となる。「無から現れるように」と楽譜に記された冒頭はpppppppp。pが8つ!何と読むのだろう。「ピアニッシシシシシシモ」だろうか。その超弱音の音の繊細なこと。駒に近い高音の音程を正確にとるだけでも大変なのに、その上信じられない滑らかな弓使いで、同じホ音を長く弾き続ける技術はケラスの独壇場。その音を引き継ぐ読響の楽員個々の腕前もたいしたものだ。


 第2楽章に休まず入る。管楽器、弦楽器の細かなトレモロ、微弱音の細かな音の絨毯の上でチェロが細かく刻んでいき、一体となって緊張感の極致が生まれる。やがて音は減衰、最後はチェロのカデンツァ。音を細かくスライドさせながら静寂のうちに終わった。息を呑む演奏とはこういうものかもしれない。

 

ネトピル読響の繊細で正確な弱音も素晴らしく、ケラスとネトピルは抱き合ってお互いを讃えていた。ネトピルもたくましいだけの指揮者ではない。ケラスは「アリガトゴザイマス。アンコールハバッハノクミキョクイチバンデス」といつものように達者な日本語で告げてから、風が舞うように無伴奏チェロ組曲第1番「サラバンド」を弾いた。

 

後半はヨゼフ・スーク(同名のヴァイオリニストの祖父)の「アスラエル交響曲」。尊敬するドヴォルザークに続き、ドヴォルザークの娘で、27歳の若き妻オティリエまで続いて亡くす、という悲劇的な状況の中で完成させた5楽章からなる力作で、演奏時間約1時間の大作。アスラエルは死をつかさどる天使の名前。前半の3楽章はドヴォルザークに、後半の2楽章は亡き妻に捧げられた。

ネトピルの指揮は力強い。コンクリートの塊がガンガンとこちらに向かって飛んでくるような強烈なパンチ力がある。しかし、第4楽章アダージョの繊細さは、ネトピルの奥深さを感じさせた。愛らしい妻を思い出すようなおだやかで美しい旋律が、次々に現れる。

第5楽章アダージョの冒頭、慟哭するティンパニの強打と、激しい死の動機は再びネトピルの強靭な指揮が炸裂する。激しい嵐が続くが、やがてハープのアルペッジョとともに、天国の世界を思わせる平穏な音楽が現れ、魂を浄化するように、曲は静かに閉じた。
 骨太な指揮のネトピル、また読響にきてほしい。

 


122日、サントリーホール)

日本では、上演機会が少ないオペラのため、客席は少し空席があったが、終演後の歓声と拍手はとても熱く、オーケストラと合唱が舞台から去った後も歌手とゲルギエフへのスタンディングオベイションが長く続いていた。

 

あらすじは、ジャパンアーツのサイトにあるのでお読みください。

http://www.japanarts.co.jp/tf2019/opera/

 

歌手は、全員安定感があり、マリインスキー・オペラの層の厚さを実感した。

 

マゼッパ役のウラディスラフ・スリムスキーは、第1幕では、抑え気味だったが、第2幕第2場のマゼッパの独白から一気に全開した。

マリア役マリア・バヤンキナは、しっとりと潤いがある美声。マリアにふさわしい美貌。狂乱したマリアが死に行くアンドレイを赤ん坊と思い込み、子守唄を歌うラストの繊細な表現が素晴らしかった。ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団の繊細な演奏も見事。

 

マリアの父コチュベイ役スタニスラフ・トロフィモフがとても良かった。おおらかで温かみがある声。第2幕第1場、獄中での長いソロ(あの悪党の)( お前たちは間違っていない)の怒りからあきらめに至る心理を良く表現した。

 

マリアの幼なじみで、逃走中のマゼッパにいどみかかり返り討ちにあうアンドレイ役エフゲニー・アキーモフが最高の出来。

 

マゼッパの部下オルリク役ミハイル・コレリシヴィリが存在感を出す低音で好演。コチュベイの妻リュボフのアンナ・キクナーゼもアンナとの二重唱で迫力があってよかった。

 

60人ほどの合唱は少し粗いが、声量がすさまじいので、fffでの迫力たるや、会場を揺るがすようなすごさがあり、これぞロシアの合唱団と思わせた。

 

ゲルギエフの指揮も粗さと繊細さが両方あり、ややリハーサル不足の印象もあったが、マリア最後の繊細な歌唱ではオーケストラを細かくコントロールしていた。

 

バンダの金管、木管、打楽器はオルガン下手横に配置され、処刑の場面や第3幕間奏曲「ボルタワの戦い」では、強烈なマリインスキー歌劇場管弦楽団の強烈な演奏に、さらに力を加えていた。

 《エフゲーニ・オネーギン》のような心理描写の緻密さや、深みは少ないかもしれないが、プログラムに書かれているように、ウクナイナの土俗的な味わいがあり、荒々しい音楽はチャイコフスキーの別の面を見るような新鮮さがあった。

指揮:ワレリー・ゲルギエフ

原作:アレクサンドル・プーシキン

作曲:ピョートル・チャイコフスキー

管弦楽・合唱:マリインスキー歌劇場管弦楽団・合唱団

上演時間:3時間40分(休憩1回含む)

 

◆主なキャスト◆

マゼッパ (バリトン):ウラディスラフ・スリムスキー

コチュベイ (バス):スタニスラフ・トロフィモフ

リュボフ (メゾソプラノ):アンナ・キクナーゼ

マリア (ソプラノ):マリア・バヤンキナ

アンドレイ (テノール):エフゲニー・アキーモフ



 

マリス・ヤンソンス逝去の報。いつかはと覚悟していましたが、こんなに早いとは。
心からご冥福をお祈りいたします。

2012年と2016年の5回のコンサートは一生の思い出です。

当時のブログをここにまとめました。お読みいただけたら幸いです。

 

20121126 バイエルン放送響とのベートーヴェンツィクルス初日

https://ameblo.jp/baybay22/entry-11414037602.html

第2夜1127
https://ameblo.jp/baybay22/entry-11415028362.html

第3夜1130
https://ameblo.jp/baybay22/entry-11423787741.html

第4夜121
https://ameblo.jp/baybay22/entry-11432448598.html

 

20161127
バイエルン放送響とのマーラー「交響曲第9番」
 https://ameblo.jp/baybay22/entry-12223487576.html

写真©Peter Meisel (BR)