京都市交響楽団創立70周年、サントリーホール開館40周年を祝う公演について、「毎日クラシックナビ」速リポを執筆しました。
沖澤のどか指揮によるR.シュトラウス《ドン・ファン》、そして堤剛との共演による矢代秋雄《チェロ協奏曲》。さらに《家庭交響曲》では、オーケストラが一体となった精緻な響きの中で、作品の魅力が細部まで丁寧に描き出されていました。
ぜひご一読いただけましたら幸いです。
京都市交響楽団創立70周年、サントリーホール開館40周年を祝う公演について、「毎日クラシックナビ」速リポを執筆しました。
沖澤のどか指揮によるR.シュトラウス《ドン・ファン》、そして堤剛との共演による矢代秋雄《チェロ協奏曲》。さらに《家庭交響曲》では、オーケストラが一体となった精緻な響きの中で、作品の魅力が細部まで丁寧に描き出されていました。
ぜひご一読いただけましたら幸いです。
(4月12日・東京文化会館大ホール)
心温まるハイドン《四季》。生演奏は2回目。2019年ソフィ・イェアンニン指揮新日本フィルで聴いて以来。
今日は、ソリストが素晴らしく、ハンネ役(ソプラノ)のクリスティーナ・ランツハーマーが透明感のある清らかな歌唱で魅了した。
ルーカス役(テノール)のマウロ・ペーターも期待通りの伸びやかな、温かな声で、表情豊かに歌った。
シモン役(バス)のタレク・ナズミも格調があり、堂々としていた。最後は、少し疲れがあったかもしれないが、終始存在感があった。
第3部《秋》のルーカスとハンネがお互いに思い合う二重唱 Nr.13b「Ihr Schönen aus der Stadt(町から来た美しい人たちよ)は、マウロ・ペーターとクリスティーナ・ランツハーマーの歌心に満ちた美しい歌唱はまるでオペラのよう。
指揮は、アイヴァー・ボルトンからイアン・ペイジに代わった。誠実な指揮で、堅実に代役を務めた。欲を言えば、もう少しメリハリや、演出的な聞かせ方もあってもいいのではと思った。
例えば、《秋》の狩りのホルンを立奏させるとか、動物たちの鳴き声をもっとそれらしく聞かせるとか。夏の嵐もいまひとつ激しさを加えてもいいのでは、とも感じた。
都響のオーボエは、ゲストの山田涼子。昨年第94回日本音楽コンクール第1位となり、現在は藝大フィルハーモニア管弦楽団に在籍している。
第1部《春》のハンネのアリア“Welche Labung für die Sinne” 「なんて心地よいことだろう」でのアリアに寄り添うソロの素晴らしさに酔った。フレージングの滑らかさと温かく心に響く深みのある音色。ペイジは前半が終わった際に山田を讃えて立たせていた。
トランペットには東響のローリー・ディランがやはりゲストで参加、鋭いソロを聴かせた。
ホルンの西條貴人、フルートの松木さや、ファゴットの長哲也など都響の首席陣も充実した演奏を展開した。
コンサートマスターは水谷晃。
合唱が主役のこのシリーズ、東京オペラシンガーズは、《秋》の農民と狩人たちの合唱や、ワインを讃えての陽気な合唱、コーダの「栄光に輝く御国におもむかん、アーメン」まで、作品に合わせた温かみのある合唱を聞かせた。
東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.14
ハイドン:オラトリオ《四季》Hob.XXI:3
日時・会場
2026年4月12日 [日] 14:00開演(13:00開場)
東京文化会館 大ホール
指揮:イアン・ペイジ
シモン(バス):タレク・ナズミ
ハンネ(ソプラノ):クリスティーナ・ランツハーマー
ルーカス(テノール):マウロ・ペーター
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:水谷晃
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:西口彰浩
前半は、史上最年少でドレスデン国立歌劇場管弦楽団の首席チェロ奏者となり、現在はソリスト、ドレスデン音楽祭の監督、室内楽の音楽祭の監督として活躍するヤン・フォーグラーが、
ハイドン「チェロ協奏曲 第1番」を演奏した。
木の香りがするような、響きの良い音で軽快に弾いていく。温かく上品な表情もあり、ドレスデン国立歌劇場管の響きを思わせる。
ルイージN響も絹の感触がある弦を中心に、フォーグラーを支えた。
アンコールは、バッハ「無伴奏チェロ組曲」第3番からサラバンド。広いNHKホールに響き渡るような豊かな音で披露した。
ルイージN響のブルックナーは、昨年9月に交響曲第8番の初稿版を聴いた。その時は艶のある色彩感のある響きが印象的であった。
今日の交響曲第9番(ノヴァーク版)も、磨き抜かれた響きで演奏された。健康的で明るい音は、ルイージがイタリア人であるためだろうか。ブルックナーの厳格で堅固なイメージとは少し異なる。第1楽章の第3主題はカンタービレで旋律を歌わせるようであった。
展開部(練習番号N)のクライマックスは、みっしりとした響きをつくりだした。
第2楽章スケルツォは、力強く輝かしい金管を中心とした切れのある音で進めた。
第3楽章アダージョは、緊張感のある跳躍する音型と上行するドレスデンアーメンで構成される第1主題で、たちまち心をわしづかみにされることが多いが、ルイージN響の演奏は、そうした深い宗教性は少ないように感じられた。
全管弦楽が咆哮する最初の頂点は、強烈であった。ブルックナーが「生からの別れ」と言ったとされるホルンとワーグナーテューバの和音動機も、荘厳とまではいかない。しかし、ヴァイオリンによる第2主題は、磨き抜かれた響き以上の高貴で神聖な要素を含み、ここは心に響いた。
展開部の光り輝く宝石のような新たな旋律にも単なる美しさ以上のなにかが感じられた。
第1主題の再現とその転回で高揚していく部分も緊張感があり、ルイージとN響は集中度を高めていく。
ここに至って、ルイージとN響は、ブルックナーの神髄をつかんだかのように、音楽の歩みを速めていった。低弦とヴァイオリンがお互いに動機を交わしながら、緊張感を高めたあとに、一瞬後光が差すような神聖な旋律が弦によって奏でられるが、ここも非常に美しく、宗教的であった。
最後のクライマックスに向け、重い足取りで進み、ついに全管弦楽による爆発的な総奏の最高点に達し、急停止する。その断絶のあと、もう一度小さな盛り上がりがあるが、場を清めるようなフルートのソロのあと、最後はホルン、ワーグナーテューバ、トロンボーンによるホ長調の平和な響きの中に収れんしていった。
NHK交響楽団 第2060回 定期公演 Aプログラム
2026年4月11日 (土) 開演 6:00pm
NHKホール
曲目
ハイドン/チェロ協奏曲 第1番 ハ長調 Hob. VIIb–1
ブルックナー/交響曲 第9番 ニ短調
指揮 : ファビオ・ルイージ
チェロ : ヤン・フォーグラー
コンサートマスター:長原幸太
(4月10日・サントリーホール)
日本フィル創立70周年のシーズン開幕を記念して、マーラー修正版(今回使われた2020年の批判校訂版の表記「修正Retuschen」による)のベートーヴェン《第九》がカーチュン・ウォンの指揮により演奏された。世界的にもマーラー修正版による演奏機会は少なく、日本でも極めて珍しい。その華やかな演奏は、シーズン開幕にふさわしい。
木管は倍管で、金管はホルン8本、トランペット4本と倍になり、原譜にはないテューバも入る。トロンボーン2、バストロンボーン1は原譜通り。ティンパニは2台(登場は第1楽章)。
1824年5月7日のウィーン初演の際も管楽器は倍管で、合唱は少年合唱も含み、約100名、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは各12、ヴィオラ10、チェロとコントラバス12という、当時としては異例の大編成であり、ベートーヴェン自身が巨大編成を念頭に置いていた事は確かである。
カーチュン・ウォンは、この巨大な編成を完璧にコントロールした。テンポは遅めで、じっくりと進めていく。響きは大編成にもかかわらず、キレの良さと、明晰さが保たれる。混濁は最小限に抑えられ、透明感すら感じさせた。
日本フィルは16型だが、コントラバスは9台に増やされた。この大規模編成の効果は絶大で、第1楽章再現部の全管楽器に、2台のティンパニが入るクライマックスでの音圧はオリジナルでは聴けない凄まじさがあった。第2楽章スケルツォのホルン8本が揃って強奏する威力もまた比類がない。あたかも竜巻が吹きあがるようであった。
第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレは、マーラーはあまり手を加えていないようで、ほぼ原譜通りに聞こえた。カーチュン・ウォンのテンポは、ここでは遅く、透明な弦をゆったりと歌わせていた。
合唱(晋友会合唱団)も、男声61 女声71、計132名という大規模なもの。オーケストラの強奏をものともせず厚いハーモニーを形作る。「神の御前(vor Gott)」の合唱をカーチュン・ウォンは長く伸ばし、4本に増強されたトランペットが後押しをするように強烈に吹奏した。
「星空のかなたに、愛する父がおられるはず」の合唱は明晰なハーモニーが保たれ、二重フーガも混濁がなかった。合唱指揮は清水敬一。
ソリストのソプラノ:森谷真理、メゾソプラノ:林美智子、テノール:村上公太 バリトン:大西宇宙の歌唱も充実していた。コーダ前の四重唱ではカーチュン・ウォンが細やかに指示を送り、確かなハーモニーが維持された点も印象的だ。
コーダのマエストーソの壮大な大合唱とプレスティッシモの大管弦楽の爆発は盛大なブラヴォを巻き起こした。
ベートーヴェン(マーラー編曲):交響曲第9番《合唱》 ニ短調 op.125
指揮:カーチュン・ウォン[首席指揮者]
ソプラノ:森谷真理
メゾソプラノ:林美智子
テノール:村上公太
バリトン:大西宇宙
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:田野倉雅秋
合唱:晋友会合唱団
合唱指揮:清水敬一
マーラー修正版の概要
楽器編成の拡大・増強
・管楽器は、コントラファゴットとトロンボーンを除き、概ねベートーヴェンの指定の倍(フルート2→4、ホルン4→8など)に増強される。
・原曲にないテューバが加わる。
声部の変更・追加
・管楽器は多くの場合、いわゆる倍管として用いられ、ユニゾンで補強されるが、一部では原スコアにない声部や音が付加される。
・楽章によっては本来用いられない楽器が加わることがあり、たとえば第1楽章のクライマックスではトロンボーン(原曲では不使用)、テューバ、第2ティンパニが加わる。
・音域の変更(オクターヴ移動)や、一部音型の省略が行われる場合もある。
強弱法および表情指示の詳細化
・強弱や表情の指示が細分化され、原曲にないpppp、fff、morendoなどが付加される。
ボウイングの指定
・弦楽器のボウイングが細かく指定される。
省略
・第2楽章スケルツォのリピートの一部が省略されるが、それ以外に大きなカットはない。
楽器編成:
独唱4人、混声四部合唱、ピッコロ2(原曲1)、フルート4(原曲2)、オーボエ4(原曲2)、クラリネット4(原曲2)、ファゴット4(原曲2)、コントラファゴット1(原曲1)、ホルン8(原曲4)、トランペット4(原曲2)、トロンボーン3(原曲同様)、テューバ1(原曲なし)、ティンパニ2(原曲1)、大太鼓、シンバル、トライアングル、弦5部。
イム・ユンチャンを初めて聴くと思ったら、3年前プレトニョフ指揮東京フィルとのベートーヴェン《皇帝》について、辛口のレヴューを書いていた。
ミハイル・プレトニョフ イム・ユンチャン(ピアノ) 東京フィル 皇帝&マンフレッド交響曲 | ベイのコンサート日記
今日の演奏も独特で、ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 D850《ガスタイナー》の様式感はシューベルトらしくなく、後半のスクリャービンもイメージとは異なる。
シューベルトの第1楽章はテンポが速く、打鍵も強靭で、シューベルトがベートーヴェンの影響を受けていることを感じさせた。
この作品は、交響的スケールと弾むようなリズムによる運動性、同じフレーズの繰り返しが多い。
イム・ユンチャンは、第3楽章スケルツォや終楽章ではその弾力性をしっかりと打ち出す。
一方で緩徐な第2楽章での旋律を歌う高音部の響きは、妖しい魅力を帯びた音で、単に美しいのではなく、何か魔力的な要素を含む。
この音を駆使してスクリャービンだけの後半を構成していくのでは、と予想したが、それとは全く異なる世界、イム・ユンチャンならではのスクリャービンを打ち出してきた。いわゆる神秘和音に象徴される後期スクリャービン的な透徹した響きではなく、ダイナミックな響きが顕著であった。
第2番から第4番まで、ほぼアタッカで続けた。
第2番は後の印象派を先取りするような性格を持つ作品であり、スクリャービンは海のイメージ、幻想を表したとして、第1楽章は、南国の夜の静かな浜辺、海の揺らぎ、月の光を、第2楽章は嵐の海という注釈をつけている。
イム・ユンチャンの音は、明るく温かみがあり、第1楽章は印象派的であり、第2楽章は嵐の海にふさわしい激しい動きがあった。
休みなく続けた第3番は、一般的にスクリャービンの作品に抱く神秘的なイメージとは異なり、ペダルで響きを豊かにとりつつ、低音部のダイナミクスを強調する演奏であった。
第3楽章アンダンテは、スクリャービン自身が「星が歌う」と呼んだ主題に、星々が輝く光景が浮かび、ここはスクリャービンの特長がよく表れた。
第4楽章は焦燥といらだちの激しさがいっそう強調された。
第4番はスクリャービン自身が序奏的な第1楽章アンダンテについて、「理想への努力と、その後の倦怠」を表していると語ったが、イム・ユンチャンはそこを瞑想的に弾いた後、「飛翔するように」という作曲家の指示がある第2楽章の激しい動きに移行。振幅の大きさは一段と拡大され、左手の動きは強靭で、勢いが加速度的に増していき、最後はヴィルトゥオーゾ的なスケールの大きさで締めくくった。
会場には韓国からのイム・ユンチャンのファンも大勢詰め掛け、歓声とともに立ち上がる聴衆も多かった。
アンコールでは、スクリャービンとモスクワ音楽院で同級生であり、同じ師のもとで学んだラフマニノフの《ヴォカリーズ》を演奏した。一般に広く知られる重厚でロマンティックなアール・ワイルド編曲とは一線を画し、原曲の声楽的な旋律線を最優先したヤコブ・ザーク編を取り上げ、瑞々しい音色で歌い上げた。
プログラム:
シューベルト:
ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 D850《ガスタイナー》
スクリャービン:
ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ト短調 Op.19《ソナタ・ファンタジー》
ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 Op.23
ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 Op.30
アンコール:
ラフマニノフ《ヴォカリーズ》(ヤコブ・ザーク編)
(4月7日・東京文化会館大ホール)
素晴らしい歌手陣、強力な合唱、腕利きが集まったオーケストラ。これだけ条件が整えば、あとは指揮者がワーグナーを存分に聴かせてくれれば、忘れ難い公演となるはずである。
しかし、序曲の終結部と終幕において救済の動機を伴わない初稿形を採用し(その他は改訂版に準拠)、終結部における初稿形の採用による短縮を考慮してもなお、通常2時間20分ほどの作品を2時間5分に収めたテンポ設定には、やや違和感が残った。こうした速めのテンポは、マレク・ヤノフスキが改訂版でベルリン放送交響楽団との録音において採っており、例がないわけではない。
こうした選択は、救済の観念を後景に退け、呪われた航海と人間の切迫した心理に焦点を当てることで、全体をより緊迫したドラマとして提示しようとする意図の表れとも考えられる。
アレクサンダー・ソディの思い切りのよいエネルギッシュな指揮は、水夫たちの合唱や嵐の場面で強烈な印象を残した。一方で、その追い立てるようなテンポにより、第3幕の水夫たちの合唱と幽霊船の船員たちとの掛け合いは、声部の応酬が粗く交錯して聞こえる場面もあった。
エリックとゼンタの対話、それを漏れ聞いたオランダ人の絶望、追いすがるゼンタ、彼女を引き止めようとするエリックの哀願、さらにオランダ人が自らの正体を明かす緊迫の場面、そしてゼンタの最後の言葉「死にいたるまでの誠」に至る真のクライマックスでは、切迫感は強く打ち出されるものの、登場人物の心理に思いを致す余裕が十分に与えられないまま、怒涛のような管弦楽の強奏へと突き進む。終結では2台のハープによる清澄な救済の動機の余韻は現れず、叩きつけるような和音によって幕が閉じられた。
2時間5分に凝縮された緊迫のドラマであったが、余韻を味わう間を与えられないまま次へと押し流される印象も残った。
ソディの指揮で興味深かったのは、ダーラントとオランダ人、あるいはエリックとゼンタの二重唱において、カンタービレが前面に現れ、ワーグナーの語法が一時的にイタリア・オペラ的な性格を帯びるかのように感じられた点である。
歌手陣は充実の極みであった。ゼンタ(ソプラノ)のカミラ・ニールンドは、「ゼンタのバラード」における跳躍の力強さと、「死にいたるまでの誠」における最後の絶唱で圧巻の存在感を示した。オランダ人(バリトン)のミヒャエル・クプファー=ラデツキーは、抑制の中に知性と内に秘めた闘志を感じさせる歌唱。
ダーラント(バス)のタレク・ナズミは、喜劇的な性格に寄らず、雄大なスケールで堂々たる歌を聴かせた。エリック(テノール)のデイヴィッド・バット・フィリップも芯のあるリリカルな声で確かな存在感を示す。舵手(テノール)のトーマス・エベンシュタインも、伸びやかで通りのよい声が印象に残った。
マリー(メゾ・ソプラノ)のオッカ・フォン・デア・ダメラウは、《グレの歌》における山鳩のような劇的な押し出しは控えめであったが、安定感において群を抜いていた。
NHK交響楽団は、福川伸陽が首席客演奏者として短期間復帰し、本作で重要な役割を担うホルン群を要として支えた。ホルンは全体に充実しており、演奏の骨格をしっかりと形成していた。
コンサートマスターは長原幸太。ソディの速いテンポにも的確に対応していた。
東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.17《さまよえるオランダ人》(演奏会形式)
2026年4月7日[火]18:30開演(17:30開場)
東京文化会館 大ホール
出演
指揮:アレクサンダー・ソディ
ダーラント(バス):タレク・ナズミ
ゼンタ(ソプラノ):カミラ・ニールンド
エリック(テノール):デイヴィッド・バット・フィリップ
マリー(メゾ・ソプラノ):オッカ・フォン・デア・ダメラウ※
舵手(テノール):トーマス・エベンシュタイン
オランダ人(バリトン):ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:長原幸太
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
(4月6日・東京文化会館大ホール)
2011年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を弾き振りしたベートーヴェン「ピアノ協奏曲全集」の映像もあるルドルフ・ブッフビンダー。その弾き振りを初めて聴いた。
ピアノは通常の配置で、蓋も開けられている。ブッフビンダーは東京春祭オーケストラ(コンサートマスター:豊嶋泰嗣)を向きながら、ほぼ座ったまま指揮を行う。
確かにまとめ方が巧みである。東京春祭オーケストラには一体感があり、全体のバランスも良い。ピアノが主体となり、オーケストラがそれに呼応するという関係が自然に成立していた。ブッフビンダーは時折立ち上がるが、細部を逐一指示するというより、要所で方向を示すタイプの指揮である。
第1番では、ピアノの打楽器的性格が生むリズムとオーケストラのリズムがよく噛み合い、音楽の推進力が明確に感じられる。春祭オーケストラは、特に木管に自由度があり、ソロは奏者にある程度委ねられている印象を受けた。
ブッフビンダー自身も好調で、滑らかな指さばき、澄んだ高音、端正なトリル、過不足のない強音によって、流れの良い演奏を築いていく。
第5番《皇帝》では、冒頭トゥッティの合図をコンサートマスターの豊嶋泰嗣が担った。ブッフビンダーと春祭オーケストラは第1番以上に躍動的で、ソリストとオーケストラが互いに聴き合いながら進む一体感は、弾き振りの理想形といえる。オーケストラも積極的で伸びやかに応じ、ブッフビンダーの音楽への信頼が感じられた。
第1楽章では、冒頭のカデンツァ、コーダ前のカデンツァともに、胸のすくような滑らかさで展開される。コーダも華やかに締めくくられた。
第2楽章では、ブッフビンダーは過度に沈潜することなく、むしろ淡々とした歩みの中で美しいトリルと旋律線を際立たせる。深く内省へ沈み込むタイプの演奏ではないが、その分、構造の見通しが明瞭である。
第3楽章では、ブッフビンダーとオーケストラが演奏そのものを楽しんでいるかのようだ。即興性を帯びた伸びやかな運動の中で、ロンド主題は豪快に反復され、オーケストラも勢いよく応答する。ピアノが華やかに展開すると、オーケストラもそれに積極的に絡み、全体のエネルギーが高まっていく。コーダでは、ピアノとティンパニの対話を経て一度引き締め、そこから一気に高揚して、華麗に締めくくられた。
楽員の大部分がステージから去った後も、残った聴衆が熱心に拍手を続けると、いったん脱いだ上着を着ながらブッフビンダーが再び登場し、笑顔で歓呼に応えていた。
日時・会場
2026年4月6日 [月] 19:00開演(18:00開場)
東京文化会館 大ホール
出演
指揮/ピアノ:ルドルフ・ブッフビンダー
管弦楽:東京春祭オーケストラ
コンサートマスター:豊嶋泰嗣
曲目
ベートーヴェン:
ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15
ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73《皇帝》
東京春祭オーケストラ(管弦楽)
オーケストラメンバーリスト
★:コンサートマスター ◎:首席
【ヴァイオリン】
★豊嶋泰嗣 (ソリスト)
安達優希 (東京都交響楽団)
荒井章乃 (ソリスト)
伊東翔太 (東京都交響楽団)
今高友香 (新日本フィルハーモニー交響楽団)
小形 響 (読売日本交響楽団)
蔭井清夏 (東京都交響楽団)
加藤玲名 (ソリスト)
北田千尋 (広島交響楽団 ソロ・コンサートマスター)
重岡菜穂子 (ソリスト)
菅谷 史 (ソリスト)
瀧村依里 (読売日本交響楽団 首席奏者)
伊達紀花(ソリスト)
對馬哲男 (読売日本交響楽団 次席奏者)
富井ちえり (ソリスト)
新田 僚 (東京都交響楽団)
福田俊一郎 (群馬交響楽団 コンサートマスター)
外園萌香 (ソリスト)
松崎千鶴 (新日本フィルハーモニー交響楽団)
水谷有里 (東京交響楽団)
三原久遠 (東京都交響楽団)
横溝耕一 (NHK交響楽団 次席奏者)
【ヴィオラ】
阿部 哲 (藝大フィルハーモニア管弦楽団)
大森悠貴 (パシフィックフィルハーモニア東京)
落合なづき (東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団)
笠井大輝 (ソリスト)
髙梨瑞紀 (シンフォニエッタ 静岡)
中村洋乃理 (NHK交響楽団 次席奏者)
森野 開 (ソリスト)
鈴村大樹 (パシフィックフィルハーモニア東京 首席奏者)
【チェロ】
◎伊藤文嗣 (東京交響楽団 ソロ首席奏者)
落合真悟(ソリスト)
檜山百合子 (ソリスト)
山本 大 (東京都交響楽団)
渡邊ゆかり (東京交響楽団)
蕨野 真美(ソリスト)
【コントラバス】
◎赤池光治 (藝大フィルハーモニア管弦楽団 首席奏者)
佐野央子 (東京都交響楽団)
瀬 泰幸 (読売日本交響楽団)
谷口拓史(岡山フィルハーモニック管弦楽団 首席奏者)
【フルート】
◎神田寛明 (NHK交響楽団 首席奏者)
藤枝麻里花 (ソリスト)
【オーボエ】
◎中村周平 (NHK交響楽団)
崎本絵里菜 (ソリスト)
【クラリネット】
◎中舘壮志 (読売日本交響楽団 首席奏者)
瀧本千昌 (新日本フィルハーモニー交響楽団)
【ファゴット】
◎皆神陽太 (東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団)
古賀朝也 (ソリスト)
【ホルン】
◎大野雄太 (ソリスト)
村中美菜 (日本フィルハーモニー交響楽団)
【トランペット】
◎平山あかり (藝大フィルハーモニア管弦楽団)
星野朱音 (藝大フィルハーモニア管弦楽団)
【ティンパニ】
窪田健志 (名古屋フィルハーモニー交響楽団)
原田慶太楼の東京交響楽団・正指揮者として最後の定期演奏会。翌日の新潟公演が本当の意味での最後であるが。
障害を持つ方々との協働や、バーチャルピアニストとの共演など先駆的な企画を次々と実現するほか、東響コーラスとの大規模声楽作品を取り上げるなど、積極的なレパートリー開拓にも力を発揮してきた。
この日の公演でも、コープランド、バーンスタインの声楽付き作品とショスタコーヴィチを並べる意欲的なプログラムを披露した。
コープランド《アメリカの古い歌》では、アメリカ民謡や伝承歌からなる楽曲を、時にゴスペル調に、時に皮肉を込めて歌い上げる。終曲〈私は自分に猫を買いました〉では、動物の鳴き真似を東響コーラスに担わせつつ、ユーモアたっぷりに演奏した。
バーンスタイン《チチェスター詩篇》は、1965年の作品だが、60年以上経った現代にも、そのまま警鐘として響く不変性を持った作品である。ボーイソプラノで歌われる第2楽章では(今回はカウンターテナーの彌勒忠史が代替として)、どことも知れない世界からの声で主への感謝を歌う。より内省的で翳りを帯びた声質が、この場面に一層の緊張を与えていた。異世界から響く声のようにも聞こえ、何か原田の意図があるのか――すなわち、本来の無垢なボーイソプラノではなく、カウンターテナーという「大人の声」を選ぶことで、祈りをより現実に引き寄せた視点から提示しようとしたのか、とも思わせるが、その歌も国と国との争いのカオスの中に埋もれていく。争いの場面での原田の思い切りのいい指揮は、切り裂くような緊張感をもたらす。
第3楽章は、魂を鎮める心境が歌われ、最後は「見よ、なんとよいことか、兄弟が共に住むことは」と合唱が歌い、「アーメン」で静かに閉じられた。
ショスタコーヴィチ《交響曲第5番》は16型の編成。第1楽章は、ヴァイオリン群がやや細身に感じられた。第2楽章スケルツォのコーダでは急にテンポを落とし、これで終わりだと言いたげに閉じた点が興味深い。第3楽章は、東響の木管の透徹した響きが胸を打つ。終楽章、特にコーダは断固とした決意を思わせる強烈さで、そこには誰も言葉を挟むことができないほどの強い意志が込められていた。ショスタコーヴィチの意図と原田の意志が、一つになったように思えた。
シフはバッハ《フーガの技法》を、自然体の演奏とピュアな響きによって、闊達かつ精緻に描き出した。
コントラプンクトゥスIからIVまでの単純フーガでは、反行の発展形であるIVにおいて滑らかな指運びが際立つ。
VからVIIまでの主題変形、展開フーガは、Vの細分化された音型がきわめて精緻である。拡大と縮小を繰り返すVIIは壮大なスケールで、最初のピークを形作った。
多重フーガのVIIIからXはさらに発展していく。広い音域にわたり構築的なIXは、これもまた規模が大きい。途中に挿入されるカノンが構造に緊張を与えつつ、ミニマルミュージックのように同じフレーズが重なり合い重層的に展開されるXは、聴き手をトランス状態に引き入れる。
XIの四声の三重フーガは、その陶酔を鎮めるように穏やかに弾かれた。対称構造のXIIは淡々としており、ここで一息を入れるようであった。
XIIIも簡潔な構造だが、シフの透明感のある響きはますます冴え渡り、その洗練された味わいは現代的な感覚すら醸し出した。複雑に絡み合う声部が、あたかも二人の奏者による掛け合いのように明晰に弾き分けられた点も印象的である。
最後の未完成フーガ(コントラプンクトゥスXIV)は、第3主題にB-A-C-Hの音型が現れたのち途中で断ち切られる。ヨハン・セバスティアン・バッハの息子、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、この主題をフーガに挿入したところで死に至ったと記している。
シフはそこで突然動きを止め、両手を宙に浮かせたまま長く静止した。20秒近くたっただろうか、ゆっくりと両手を下ろし、祈るようにこうべを垂れ、動きを止めた。それが10秒か15秒か続いた後、ようやくすべてが終わったというように、ゆっくりと動き、そこで初めて拍手が起こった。
アンコールはさながら、バッハ名曲集のようであった。
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903を鮮やかにヴィルトゥオジティを発揮して弾いた後は、《ゴルトベルク変奏曲》BWV988より「アリア」を清らかに奏で、さらに《平均律クラヴィーア曲集》第1巻第1番 前奏曲とフーガ BWV846 ハ長調を加えた。
そこから先は登場するたびに、《イタリア協奏曲》BWV971の3つの楽章を順番に弾き、2時間近く休憩なしのリサイタルを終えた。
会場は完売満席。聴衆のマナーも素晴らしかった。KAJIMOTOは演奏終了後の写真撮影はOKとの掲示を出していたが、アンコール中は完全に公演が終わっていないということだろうか。ホールのスタッフが何度も止めに入っていたのは、公演の余韻を味わうには適さなかった。アンコール終了まで撮影はご遠慮くださいとは、書いてなかった気がする。
写真©Katsunori Abe
第1楽章のあとに20分の休憩を入れるという、おそらく《復活》史上初めての試みが行われた。プレトークで、1907年11月ウィーンでのマーラー指揮の演奏で、10分以上休んだことがある。マーラーはオーケストラのために休みを入れたと高関は語った。
我々もトイレに行くなど、いつもの休憩と変わらずに過ごした。
第2楽章は、第1楽章とは打って変わって穏やかな音楽(第2トリオは活発だが)なので、休憩後も音楽のつながりに意外に違和感がない。
オーケストラにとってはありがたい休みだろう。
演奏は、しかし、第1楽章はきちんとまとまっているものの、オーケストラの響きがいまいち。熱気が伝わってこない。第2楽章は繊細だが、感情が伝わってこない。先日N響を指揮したソヒエフは、第6番《悲劇的》についてではあるが、マーラーはあらゆる感情をこの作品に込めていると語った。《復活》もまた、様々な感情をはらんでいる作品である。その点が物足りない。
ところが、第3楽章スケルツォに入ると、俄然演奏が生き生きとしてきた。
ティンパニの強烈な打音が演奏に活を入れたのかどうかは、わからないが、クラリネットが吹く主題が細やかな陰影を醸し出して惹きつける。トリオの金管にも一段と輝かしさが増した。
結尾のトリオの再現とその後のクライマックスの中で、下手からメゾ・ソプラノの加納悦子が登場し、第2ヴァイオリンの後ろに座り、スケルツォ楽章に続いて切れ目なしで第4楽章〈原光〉を歌い始める。この曲はメゾ・ソプラノ(アルト)にとって難しいのか、これまでどの歌手も苦労していたように思える。例外は藤村実穂子だ。加納悦子もやや苦しそうに歌った。
高関はトークで、あちこちから音が聞こえてくる。すべてはマーラーの指示通り。と語ったが、金管が奏する静かなコラールはなんとオルガン左右のバンダの金管が吹奏した。
歌い終わると間髪を入れず、第5楽章が始まる。ここでの演奏は、一段と充実した素晴らしさ。
コントラバスの刻みから一気に爆発する破壊的な大音響に打ちのめされる。練習番号14の打楽器が強烈にクレッシェンドして地獄の門が開く場面がまた引き締まった強烈な爆発力があった。
その後は勇壮な行進曲が続くがここも勢いがあった。
バンダの音を飲み込むように金管が強奏され全管弦楽が最高潮に盛り上がっていく場面でソプラノの森野美咲が登場し、加納の横に座った。合唱を立たせるタイミングは指揮者によって異なるが、高関はこの盛り上がりの頂点、練習番号29の直前で立たせた。
合唱が始まる直前のバンダのトランペットとホルンのやりとりは、オルガン左右のドアを開けて行われた。トランペットは上手でドアは広く開けられ、ホルンは下手で隙間は少な目。
《復活》の合唱が始まり、メゾ・ソプラノとソプラノも交えて盛り上がっていく。森野美咲の歌唱は、美しく凛として素晴らしかった。
新国立劇場合唱団のようなプロ集団と較べると、東京シティ・フィル・コーア(合唱指揮:藤丸崇浩)はアマチュアが多いため、合唱の厚みと芯の強さがもうひとつ足りない。しかし、『生きるために死ぬ、おまえはよみがえるのだ』。合唱とメゾ・ソプラノとソプラノ、オルガンも加わり、壮大な頂点が築かれていくクライマックスは、東京シティ・フィルの渾身の演奏と一体となり、聴くものを揺さぶるものがあった。後奏の激しさと最後の管弦楽の高揚でもその力強さが維持された。