ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

(10月13日・第一生命ホール)

ファジル・サイの生演奏を初めて聴いた。ピアニストとして素晴らしいことをまず認識させられた。音色の美しさ、混じり気のなさ、純粋な音にまず魅了された。強音の濁りのなさ。高音も本当に美しい。圧倒的な技術に裏打ちされた安定感のあるピアノは、どのような表現にも柔軟に対応する。言わば、重心が安定した船のようなもので、どんなに激しい嵐の中にあっても、中心は揺るがず、余裕の中で演奏が展開されていく。聴き手としては、安心して演奏に浸ることができる。

それは最後の自作曲を弾いていく場面でも同様であり、ピアノの弦を押しながら特殊な音を出すような場面でも、音それ自体が美しく、現代音楽の不協和音のとげとげしさはない点が素晴らしかった。

 

前半はバッハの「ゴルトベルク変奏曲」。演奏時間は50分強と短い。全体的にテンポは速い。しかし1本の軸がしっかりとあり、どれほど動いても、緩急の差、ダイナミックの差をつけようとも、音楽の芯は揺らがない。自由であり、同時に安定感がある。

聴いていても楽しく飽きさせない。

アリア サラバンド風の優雅な音楽だが、先に書いたように音色の美しさに魅了された。装飾音が瑞々しい。

第1変奏 二声のインヴェンション。跳躍する低音がダイナミック。高声部の軽やかなこと。

第2変奏 三声のインヴェンション。速いテンポ。躍動する低音。

第3変奏 同度のカノン。同じ高さで旋律を追いかける、最初のカノン。これは音色が明快であった。

 

第4変奏 パスピエ風の舞曲。四声の模倣が生む、素朴で活発な音楽。予想以上にダイナミック。

第5変奏 急速なトッカータ風。細かな音型と、両手の交差・跳躍が特徴。この両手の動きが圧巻。アクロバティックであるが、余裕綽々。両手が交差していないように思えたが。

第6変奏 二度のカノン。追唱声部が二度上から入り、軽快に絡み合う。アグレッシブな演奏だった。

 

第7変奏 ジーグ。付点リズムが弾む、軽やかな舞曲だが、付点リズムと巻き込むような装飾音が鋭い。

第8変奏 技巧的な二声の変奏。広い音域を行き交う両手の動きは、まったく危なげがない。交差しているようにも見えず、音を左右の手に振り分けて弾いていたのかもしれない。

第9変奏 三度のカノン。穏やかな流れの中で、声部が整然と重なる。滴るような美音。

 

第10変奏 四声のフゲッタ。短い主題が各声部に現れる、小規模なフーガ。切れ味のいい演奏。左手でリズムをとる仕草がグールドのようであった。

第11変奏 ジーグ風の技巧的変奏。音階と分散和音が軽やかに流れ、楽しげである。両手の交差が多い変奏だが、サイの手元にはそれがほとんど見えない。第5変奏と第8変奏でも同様に感じた。サイ自身、ルツェルン交響楽団の広報誌のインタビューで、第5変奏と第11変奏を挙げ、二段鍵盤のチェンバロでは生じない交差の問題がピアノでは起こると説明し、「演奏可能にするために、各演奏者が独自の解決法を見つけなければならない」と語っている。音を左右の手に巧みに振り分けているのだろうか。

第12変奏 四度の反行カノン。追唱声部が旋律の上下を反転させて応答する。サイのピアノは自然で自由である。堂々とした曲だが、サイの演奏にかかると重々しく感じられない。

 

第13変奏 緩やかなアリオーソ風。二声の伴奏の上に、装飾豊かな旋律が歌われる。

アンジェラ・ヒューイットは『最も崇高な曲。作品全体の情感の転換点を示している』と語ったが、サイの演奏は軽やかで、楽しげである。音色は瑞々しく美しい。

第14変奏 華やかなトッカータ風。鋭い装飾音と大きな跳躍が際立つ。鋭い装飾音のきれいなこと!グルーブ感があり、こうした乗りの良さはサイならでは。

第15変奏 五度の反行カノン。最初のト短調の変奏で、内省的な表情を持つ。ここにきて初めてテンポを落としたように感じられた。それまで前面にでてこなかった威厳のような雰囲気も醸し出された。手の動きや表情にも、何かを訴えるような仕草を見せた。

 

第16変奏 フランス風序曲。堂々とした付点リズムの序奏に、活発なフーガ風の部分が続く。後半の幕開けを告げる。華やかな演奏であった。

第17変奏 軽快なトッカータ風。音階や分散和音が、両手の間を駆け巡る。ここでも交差する両手の動きは見えない。鮮やかな速さ。

第18変奏 六度のカノン。密接な模倣による、活発な対位法的音楽。明るい演奏。

 

第19変奏 三声の舞曲風。短い音型が声部を移り、軽やかな流れを作る。愉悦が溢れた。

第20変奏 華やかな技巧的変奏。急速な音型と両手の交差が連続する。完璧なテクニック!唖然とする。

第21変奏 七度のカノン。ト短調。半音階的な動きを伴い、憂愁を帯びる。再びト短調の哀愁。パセティックな演奏で、柔らかく悲しみの感情を打ち出していく。

 

第22変奏 アラ・ブレーヴェ。四声による、端正で古風な対位法的音楽。ヒューイットは『いつも生まれ変わったような気持ちになる』と言うが、そうした感情はわかず、推進力を感じた。

第23変奏 技巧的な二声の変奏。両手が短い音型を応酬し、音階の動きへと展開する。サイの遊び心が発揮された軽やかな動き。ここでは両手をやすやすと交差させた。

第24変奏 八度のカノン。複合拍子の揺れるリズムが、牧歌的な雰囲気を生む。きれいな音に陶然となった。

 

第25変奏 アダージョ。ト短調。半音階と不協和音を多用する、深い悲哀を湛えた緩徐変奏。ヒューイットは『全変奏中で最も偉大な曲』と言うが、サイはテンポをあまり遅くせず、淡々と弾いた。7、8分かかることもある曲だが、サイは5分くらいの演奏だった。

第26変奏 急速な技巧的変奏。細かな音型とサラバンド風のリズムが重なる。急なテンポの変化がピアニストには難しいはずだが、サイは楽々と弾く。圧巻のテクニックだ。

第27変奏 九度のカノン。最後のカノンで、独立した伴奏低音を持たない二声の音楽。

二つの声部が追いかけっこしていくが、サイはいたずらっ子たちが戯れるように軽やかに弾いた。

 

第28変奏 トリルを中心とする技巧的変奏。持続する震える響きに、細かな音型が絡む。明晰な良い音が必要とされる曲だが、サイのトリルはまるで鈴が響くように美しい。躍動するピアノ。

第29変奏 力強いトッカータ風。厚い和音と急速な走句が交替し、終結へ向けた高揚を作る。快速演奏。両手の交差も楽々と弾く。

第30変奏 クォドリベット。二つの俗謡を対位法的に組み合わせた、大らかでユーモラスな音楽。テンポが速い。もう最後のクォドリベットに来てしまった。

 

アリア(回帰) 冒頭のアリアを再び奏する。30の変奏を経て、同じ音楽へ戻る。

愉しい時間があっという間に過ぎたという感覚があった。
 

後半はモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番《トルコ行進曲付》K.331。ゴルトベルク変奏曲と同じく、ベースがしっかりとした上で、多彩な表現を展開する。

第1楽章、主題は透明感のあるピュアな表情で魅了。第1変奏はやや速め。第2変奏は躍動する。第3変奏はテンポが速く、ダイナミックでその振れ幅も大きい。第4変奏はユーモラス。明るい。第5変奏はテンポを落とし、きれいな高音を響かせる。天国的な美しさ。天使たちが戯れるようだ。第6変奏は、遊び心を発揮して次々と装飾技巧を展開した。

 

第2楽章メヌエットは歌うような滑らかな動き。第3楽章「トルコ行進曲」は、速いが音の粒がそろっている。リズムの刻みの切れ味が良い。最後まで美音を保って躍動した。

 

 

最後は自作作品をまとめて演奏した。中には今回が日本初演となる曲もあった。

ここでのサイの演奏は、さらに自由さを得て、内からほとばしる楽想を次々と展開していくという印象を受けた。

youtubeやサイのfacebook公式動画にある映像を添付する。

 

「セス」 トルコのホテル放火事件を題材とする詩にもとづいた、哀切なピアノのためのバラード。悲しみの感情が三拍子の速いワルツのように広がっていく。

https://www.youtube.com/watch?v=Sp30CVKlpGQ

 

「ナズム」 トルコの詩人ナズム・ヒクメトを追悼する、白鍵だけで奏される曲。

https://www.youtube.com/watch?v=PwaptUovfd0

重苦しい雰囲気で始まり、哀感に満ちた音楽が展開される。

 

「クラロス~予言の神殿~」 古代のアポロ神託の聖地に着想を得た作品。日本初演。

激しく、かつ神秘的な音楽。

https://www.facebook.com/watch/?v=745107711472565

 

「小さな黒い魚」 未知の世界へ旅立つ魚を描く、同名の絵本にもとづく小品集。今回は第1曲と第4曲が日本初演。

https://www.facebook.com/watch/?v=1994322007741541

抒情的な曲想。

 

「ブラック・アース」 弦をミュートしてトルコの伝統楽器サズの響きを模し、民謡とジャズを織り交ぜた代表作。

https://www.youtube.com/watch?v=oSGyMhtYqMM

宇宙的な広がりを感じた。

 

「パガニーニ・ジャズ」 パガニーニ《24のカプリース》第24番の主題を、ジャズ風に展開する技巧的な作品。

https://www.youtube.com/watch?v=C8luaYhLIt4

これぞ超絶技巧!

 

アンコールはモーツァルト(ファジル・サイ編)「トルコ行進曲(ジャズ版)」。

https://www.youtube.com/watch?v=WWftABQV4Wk

最後をさらに盛り上げた。

Lorenzo Viotti and the Tokyo Symphony Orchestra: Bach’s Chaconne and Shostakovich’s Tenth

Suntory Hall, Tokyo, 11 October 2026
By Kyosuke Hasegawa


Bach’s Chaconne, orchestrated by Hideo Saito—the influential Japanese cellist, conductor and teacher who mentored Seiji Ozawa and in whose memory the Saito Kinen Orchestra was founded—, led directly, attacca, into Shostakovich’s Symphony No. 10. Viotti paused after the first movement, but took the second, third and fourth movements without a break. There was a clear sense of purpose behind this continuity.
 

His Chaconne offered a fresh perspective. I have long been familiar with Seiji Ozawa’s performances with the Saito Kinen Orchestra, with their austere intensity and compelling momentum. Viotti’s interpretation was rich in colour and radiance. Finely judged changes of tempo and dynamics gave the music a vivid dramatic life.
 

One particularly striking transition came around the work’s midpoint: from the return of the theme in D major in Variation 15 to the gentle oboe solo in Variation 16. The music then gathered strength again, reaching a noble summit in Variation 20. Yet another climax lay ahead. At the final, most richly expressive peak in Variation 24, the cellos voiced the theme with a depth that I found especially moving.

Towards the close, the succession of triplets gained speed, until the theme returned majestically in the full orchestra to bring the work to its conclusion.
 

As the resonance of this exaltation lingered, like a prayer continuing beyond its final words, the quiet, meditative lower strings of Shostakovich’s Tenth emerged. I sensed a convincing musical current connecting the two works. The transition felt entirely natural.

What would Viotti’s Shostakovich sound like? In a recommendation I had written for the previous day’s concert in the “Masterpiece Classics” series at Muza Kawasaki Symphony Hall, I had predicted: “Viotti will bring clarity to the Chaconne’s intricate counterpoint and build a powerful drama of tension and release in Shostakovich.”

The performance largely fulfilled that expectation. Hearing it, however, made me realise that one essential quality had to be added: this was Shostakovich of abundant colour and astonishing beauty.
 

First, I was struck by the Tokyo Symphony Orchestra’s sound itself. The beauty of the individual solos, and the depth of expression their players brought to them, contributed greatly to that richness of colour.

In the first movement, the clarinet solo stating the theme had remarkable depth. Its smooth tone conveyed the weight and darkness underlying the work. The second theme, played by the flute, seemed to reflect Shostakovich’s own inner unease; the bassoon then took it up.

In the development, I was astonished by the force with which the music accumulated and by the weight of the bass sonority. Alongside its beauty, the playing possessed a fierce, untamed energy.

The piccolo solo in the coda evoked a desolate landscape. As its sound seemed to disappear into the void and the movement came to an end, the thread of tension sustained since the Chaconne was finally released.

 

In the second movement, Allegro, Viotti’s wild energy was unleashed. The sheer speed had the force of Sturm und Drang. The sharply etched beauty of the woodwinds and strings, the brilliance of the brass and the incisive attack of the percussion combined to drive the music forward with tremendous force. It was like a “beautiful wild beast”, racing across the open plains and pouncing on its prey.

 

In the third movement, Allegretto, the twelve horn calls were outstanding. The player was unfamiliar to me, and after the concert I learned that he was Yudai Shoji of the NHK Symphony Orchestra. Every solo was exquisitely beautiful, yet finely shaded in expression. Each time the horn sounded, it commanded my attention. When Viotti invited Shoji to stand after the performance, the applause grew noticeably louder.

The woodwinds were again exceptional in the finale. In the introduction, the oboe sang a melody steeped in sorrow, followed by the flute and piccolo in their upper register. The bassoon joined this unfolding lament. Then the strings began to stir, as though the first light of dawn were filtering through. At a signal from the clarinet, the strings and woodwinds took up a march-like rhythm, and the music gathered momentum.

The orchestral sound expanded into a great surge. Here, too, the lower strings had formidable weight. The brass joined, and at the climax a forceful statement of **DSCH—the four-note musical signature derived from the composer’s name—**cut across the flow.

 

Eventually, the bassoon’s playful theme returned, followed by the clarinet, and the vitality of the Allegro was restored. The headlong rush from here to the close showed the “beautiful wild beast” at the height of its powers. With repeated statements of DSCH, the music swept towards its conclusion. The ending was exhilarating in its brilliance.

 

However dark and weighty the music became, I felt an underlying hope in Viotti’s Shostakovich on this occasion. Despair and terror were certainly present. Yet they did not overwhelm the listener or hold us at a distance. The richness of the sound and the strength of the musical momentum drew us into the music itself. Perhaps this union of depth and beauty revealed something essential about Viotti’s musical aesthetic.

Tokyo Symphony Orchestra — 746th Subscription Concert
11 October 2026, 2:00 p.m.
Suntory Hall, Tokyo

Conductor: Lorenzo Viotti
Concertmaster: Shotaro Kageyama

J. S. Bach, orchestrated by Hideo Saito: Chaconne
Dmitri Shostakovich: Symphony No. 10 in E minor, Op. 93

Performed without an intermission.

(10月11日・サントリーホール)

J.S.バッハ(齋藤秀雄編):シャコンヌからショスタコーヴィチ:交響曲第10番へ、アタッカで入った。第1楽章のあとに間を置いたほかは、第2楽章から終楽章まで続けて演奏した。この構成に、ヴィオッティの確かな意図を感じた。

 

《シャコンヌ》を振り返れば、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラで聴きなじんだ、気迫と推進力のあるストイックな演奏とは異なり、色彩と輝きに富んでいた。緩急と強弱をきめ細かくつけながら、劇的な展開を聴かせる。その表情は新鮮であった。

全体の中間地点にあるひとつのクライマックス、ニ長調の第15変奏での主題の再現から、柔和なオーボエのソロに受け継がれる第16変奏への変化が印象深かった。そこから再び力を蓄え、第20変奏の気高い頂点へと到達する。しかし、その先にもクライマックスが待っていた。最も豊かな最後の頂き、第24変奏では、チェロが深々と主題を奏で、ひときわ心を動かされた。

終結部に向かって、3連音の連なりで速度を上げ、ついに全管弦楽で壮大に主題が回帰し、曲を結んだ。

 

その高揚の余韻が祈りの続きのように残る中から、ショスタコーヴィチの交響曲第10番の、瞑想的な低弦の弱奏が聞こえてくる。そこにひとつの確かな流れが感じられた。つながりに違和感はない。

 

ヴィオッティのショスタコーヴィチは、どのような演奏になるのか。前日のミューザ川崎シンフォニーホール「名曲全集」に寄せたリコメンド文で、私は「ヴィオッティは『シャコンヌ』で精緻な対位法を明晰に描き、ショスタコーヴィチでは緊張と解放のドラマを力強く構築するだろう」と書いた。

基本的には、その予想通りの演奏であった。しかし、実際に聴いて、もうひとつ大切な要素を加えなければならないと感じた。それは、色彩豊かで、驚くべき美しさを持つショスタコーヴィチだったということである。

まず、東響そのものの音色に打たれた。各奏者のソロの美しさと表現の深さも、その豊かな色彩を支えていた。

第1楽章の主題を奏でるクラリネット(首席エマニュエル・ヌヴー)のソロには深みがあった。この作品の底流をなす重みと暗さを、滑らかな音で示した。フルート(首席知久翔)が吹く第2主題は、ショスタコーヴィチ自身の内なる不安を映すようであった。ファゴット(首席福士マリ子)がそれを受け継いだ。

展開部では、音楽を積み上げていく迫力と、低音部の重厚な響きに驚かされた。そこには美しさだけでなく、荒々しい野性味がみなぎっていた。

コーダのピッコロ(濱崎麻里子)のソロは、荒涼とした風景を思わせた。その音が虚空に消えるように第1楽章が終わると、ようやく《シャコンヌ》から続いていた緊張の糸がほぐれた。

 

第2楽章アレグロでは、ヴィオッティの野性味が全開となった。疾風怒濤という言葉がふさわしい、猛烈なスピード。木管群と弦の切り立った美しさに、金管の輝き、打楽器群の鋭い切れ味が相まって、音楽は凄まじい勢いで突き進んだ。大草原を駆け抜け、獲物に襲いかかる「美しき野獣」のようであった。

 

第3楽章アレグレットでは、12回現れるホルンのソロが飛び抜けて素晴らしかった。初めて見る奏者のように思え、終演後に関係者に確認したところ、N響の庄司雄大(ゆうだい)とのこと。仙台市出身、東京藝術大学卒業。第35回日本管打楽器コンクールのホルン部門で第1位を受賞している。いずれのソロもひたすら美しく、しかも表情が細やかであった。ホルンが響くたびに耳を奪われた。終演後、ヴィオッティが庄司を立たせると、ひときわ大きな喝采が送られた。おそらく早々にN響の首席に就任すると思う。これまで今井仁志一人であったホルンにようやく待望の若手首席が登場することになるだろう。

 

そして終楽章でも、木管群が目覚ましい活躍を示した。序奏では、オーボエの岡北斗(新日本フィル首席)が深い悲しみを湛えた旋律を歌い上げ、フルートとピッコロが高音で続いた。ファゴットも加わり、悲しみが受け継がれる中、薄明が差すように弦が動き始める。クラリネットが合図を送ると、弦は木管群とともに行進曲のリズムを刻み、音楽は勢いを増していった。

管弦楽の響きは次第に膨らみ、大きなうねりを生んだ。低弦はここでも重厚である。金管も加わり、その頂点で、作曲者の名に由来するD–Es–C–H音型が強奏され、流れを断ち切った。

やがてファゴットのおどけた主題が戻り、クラリネットも続いて、アレグロの活気が蘇る。ここから終結に至る疾走は、まさに「美しい野獣」の本領発揮であった。D–Es–C–H音型を繰り返しながら、一気に駆け抜けた。胸のすくような鮮やかな結末であった。

 

今回のヴィオッティのショスタコーヴィチには、どれほど暗く重い楽想であっても、私には根底に希望が感じられた。絶望も恐怖も確かに描かれる。しかし、それらが聴き手を圧倒し、突き放すことはない。豊かな響きと強い推進力が、聴き手を音楽の内側へと引き入れる。深さと美しさを両立させるところに、ヴィオッティの美学の一端が表れていたのではないだろうか。

 

2026年10月11日(日)

14:00 開演

 

東京交響楽団 第746回 定期演奏会

会場:サントリーホール

 

出演:

指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ

コンサートマスター:景山昌太郎

 

曲目

J.S.バッハ(齋藤秀雄編):シャコンヌ

ショスタコーヴィチ:交響曲 第10番 ホ短調 op.93

※途中休憩なし

(10月10日・すみだトリフォニーホール)

ジョナサン・ノットと東京都交響楽団の初共演、2つ目のプログラム。私がすみだトリフォニーホールで都響を聴くのは初めてだが、関係者の話では都響にはこのホールでの演奏歴があるという。今回のリハーサルもここで行われ、ノットと都響はホールの響きを確かめたうえで本番に臨んだ。

 

前半。アンヌ・ケフェレックのベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」は、気品に満ちた演奏。宝石が煌めくような高音と、骨格を支える力強い低音が美しく釣り合い、ノット都響と互角に対峙した。第2楽章のオーケストラの性急な問いかけに、ピアノが淡々と応える対比も印象深い。
アンコールのヘンデル「メヌエット」ト短調は祈るようであった。

 

ブルックナー「交響曲第6番」は、今年2月のノット指揮フィンランド放送響の配信映像とはかなり異なる印象。あちらが澄み切った響きと明晰な構成で魅了したのに対し、16型の都響は野太くたくましい。金管の力感を前面に出した骨太な演奏であった。

暗譜で指揮するノットは、第1楽章コーダ、スケルツォ、終楽章再現部で圧巻の頂点を築いた。一方、アダージョには、フィンランド放送響で感じた清澄な美しさと繊細さをもう一歩求めたかった。配信と生演奏という違いはあるが、同じ指揮者、同じ作品でも、楽団によってこれほど表情が変わることは興味深い。
都響との新たな出会いがノットのインスピレーションを刺激し、その響きに応じて即興的に音楽を変化させていく、彼ならではの感性が働いたのかもしれない。

ノットへのソロ・カーテンコールでは、共演者のアンヌ・ケフェレックも登場した。

詳しくは「音楽の友」コンサート・レヴューに書きます。

 

比較したノット指揮フィンランド放送交響楽団の演奏はこちら。2026年2月6日、ヘルシンキ・ミュージックセンターでの公演である。ブルックナー「交響曲第6番」は、映像の1時間10分前後から始まる。

https://areena.yle.fi/1-76772409


 

歌手、指揮者、オーケストラ、演出が揃い、ロッシーニ《イタリアのトルコ人》の魅力を満喫した。初めて接する作品だったが、これほど楽しく、充実した舞台になるとは。とりわけ重唱の面白さと、それを支える指揮の確かさが印象に残った。

 

《イタリアのトルコ人》は、日本では上演機会のきわめて少ない作品である。関根礼子氏による上演史によれば、日本初演は1981年、東京室内歌劇場による9人の室内楽編成への編曲版。その後も1985年の関西歌劇団、1995年の日本オペラ振興会オペラ歌手育成部修了公演、2003年の藤原歌劇団など、舞台にかかる機会は限られてきた。2022年には「THE UNAFFECTED」がピアノ伴奏で上演している。新国立劇場では今回が初上演となる。

 

私も初めて聴く作品だったが、予習には朝岡聡司会の公式オペラトーク動画が非常に役立った。これから鑑賞する方にも、ぜひ勧めたい。(巻末にURLほか、資料サイトを掲載したので、ぜひ参考にしてください)

 

舞台はナポリ。人妻フィオリッラが旅のトルコ王子セリムに惹かれ、気弱な夫ジェローニオ、彼女の崇拝者ナルチーゾ、セリムの元恋人ザイダが騒動に巻き込まれる。詩人プロスドーチモは、この人間模様を新作喜劇の題材にしようと、事態をさらにかき回す。恋愛騒動と、それを作品に仕立てようとする詩人の視線が重なるところに、このオペラの面白さがある。

 

歌手陣が素晴らしい。ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルに出演を重ねるクラウディア・ムスキオは、昨年の《夢遊病の女》で衝撃を受けた歌手だが、今回も理想的なフィオリッラで魅了した。軽やかな技巧と生き生きした表情が、移り気な人物を愛嬌ある存在にする。セリムのアレハンドロ・バリニャス・ビエイテスも、歌唱、演技ともに適役。同フェスティバル常連のパオロ・ボルドーニャは、妻に振り回される夫の困惑を自然な演技で伝えた。詩人のブルーノ・タッディアも隙がない。

 

新国立劇場初登場のルジル・ガティンは、ナルチーゾの第2幕のアリアで鮮烈な印象を残した。場内から悲鳴にも似た歓声が上がったほどで、実に素晴らしいテノールである。ザイダの但馬由香も大健闘し、充実した歌唱を聴かせた。

 

何より驚嘆したのは重唱の明晰さだ。第1幕フィナーレ、第2幕の五重唱など、声が重なっても一人一人が鮮明に聞こえる。部分ごとに中心となる声がくっきり浮かび上がり、しかも全体の均衡が崩れない。異なる思惑を抱く人物たちが、音楽の中では見事に結びつく。アンサンブルの確かさが、そのまま劇の面白さになっていた。

 

これらを統括したのが、新国立劇場初登場のアレッサンドロ・ボナートである。ヴェローナ出身、ヴァイオリンとバロック・ヴィオラを学び、マルコ国際指揮者コンクールで第3位に入賞。現在はボルツァーノのハイドン管弦楽団首席指揮者を務め、2019年にデビューしたペーザロにも今年再び登場している。

 

東京フィルハーモニー交響楽団から引き出したのは、躍動するリズムと、軽快で繊細な響き。ロッシーニ・クレッシェンドの高揚にも、歌手の呼吸に寄り添う細やかさにも不足がない。2階右側前方の席からよく見えた指揮は、無駄がなく明快だった。正確なリズム、細かなアーティキュレーション、呼吸やフレージングまで伝わり、奏者にとっても頼もしかったのではないか。

 

ロッシーニの音楽には、どこか浅いのではないかという先入観もあった。しかし今回は、歌と管弦楽が一体になることで、奥行き、色彩、表情の変化がありありと感じられた。決して単純な音楽ではない。その豊かさを実感させた点にも、ボナートの資質が表れていた。冨平恭平が合唱指揮を務める新国立劇場合唱団も安定している。

 

ロラン・ペリーの演出は、かつてヨーロッパで親しまれた恋愛写真小説「フォトノベル」を下敷きにする。登場人物は写真のコマを思わせる枠の中で歌い、演じ、セリムの船も画面から現れるように登場する。フィオリッラが読みふける本と背景の図像が呼応し、空想と現実が重なる。仕掛けを知ると、洒落た舞台がいっそう楽しめる。テアトロ・レアル、リヨン歌劇場との共同制作である。

夫婦が元のさやに納まる結末も温かく、笑いの後に心地よい余韻が残る。残る公演は10月10日(土)14時、12日(月・祝)13時。

 

(参考資料)

 

解説と実演 朝岡聡氏による公式オペラトーク動画  
https://www.youtube.com/watch?v=Khk5bQDar0A

全曲youtube  英語字幕

https://www.youtube.com/watch?v=kG8LtJAvsqU

日本語対訳 オペラ対訳プロジェクト
https://w.atwiki.jp/oper/pages/436.html

第1幕 イタリア語と日本語
https://w.atwiki.jp/oper/pages/2023.html

第2幕 イタリア語と日本語
https://w.atwiki.jp/oper/pages/2026.html

 

来季の都響――受け継がれる音、吹き込む新しい風

都響の2027年度は、大野和士の音楽監督・芸術顧問としての最後のシーズンである。一方、2028年から首席指揮者となるペッカ・クーシストも登場する。これまで積み重ねてきた音楽と、これから開かれる世界。その両方を聴ける1年になりそうだ。

 

まず心が動くのは、エリアフ・インバルのマーラーである。交響曲第6番《悲劇的》は5月20日の東京芸術劇場と21日の横浜みなとみらいホール、第5番は5月26日の東京芸術劇場と27日のすみだトリフォニーホール。90歳の記念公演で聴いた第8番《千人の交響曲》では、そのエネルギーと音楽の密度に圧倒された。透明な弦の響き、細部まで通う意志、巨大な作品がひとつの呼吸になる瞬間。長年の共演で育まれたものを、今度は2つの交響曲で確かめたい。第5番に先立つブルックナーの弦楽五重奏曲のアダージョは、スクロヴァチェフスキ編曲。両者の深い響きのつながりにも期待する。

 

クーシストは10月15日、都響初の主催公演となる紀尾井ホールへ。ハイドンの交響曲第60番《うかつ者》、アンナ・クライン《響きと怒り》日本初演、ベートーヴェンの交響曲第1番という組み合わせである。今年6月の共演で感じたのは、都響に新しい風が吹き込む喜びだった。軽やかで透明な響き、自然に弾むリズム、奏者たちが音楽を楽しむ姿。機知に富むハイドンと若いベートーヴェンは、その持ち味が生きる格好の舞台であろう。10月22日のB定期ではキャロライン・ショウ《間奏曲》、ハイドン《太鼓連打》からニールセン《不滅》へ。大胆な選曲も楽しみだ。

 

6月10日と12日には、フランソワ=グザヴィエ・ロトが7年ぶりに帰ってくる。ラモー《レ・ボレアード》組曲より、イザベル・ファウストとのベルクのヴァイオリン協奏曲、ベルリオーズ《幻想交響曲》。異なる時代の音楽を鮮やかに描き分けるロトが、都響からどのような音色を引き出すか。とりわけファウストのベルクは、作品の痛みと透明さをじっくり受け止めたい。

 

7月3日と4日のヤクブ・フルシャも外せない。トマーシュ・ヤムニークとのマルティヌーのチェロ協奏曲第2番、そしてチャイコフスキー《悲愴》。2020年に予定されながら、コロナ禍でかなわなかった《悲愴》が、ようやく実現する。首席客演指揮者時代から都響を知るフルシャが、今どのような深さでこの曲に向き合うのか。このオーケストラとの長い年月も感じながら聴きたい。

 

都響初共演のダンカン・ウォードは、12月11日のプロムナードに登場する。2025年の紀尾井ホール室内管弦楽団との共演で聴いた、鋭い切れ味としなやかな歌心が忘れがたい。今回は金川真弓、ベン・ゴールドシャイダーとのエセル・スマイスのヴァイオリンとホルンのための二重協奏曲、後半はホルスト《惑星》。珍しい協奏曲と親しみある名曲を結ぶ選曲にも惹かれる。

 

2028年2月19日には、ウクライナ出身のオルハ・ドンディクが日本デビューする。2004年生まれ。パリ管でクラウス・マケラのもと経験を積み、オランダのフィオンでは首席客演指揮者を務める。若さだけでなく、欧州で共演を重ねている点に注目したい。グレイス=エヴァンジェリン・メイソン《燃ゆる月》日本初演、毛利文香とのシベリウスのヴァイオリン協奏曲、本人が希望したラフマニノフ《交響的舞曲》。選曲からも意欲が伝わってくる。

 

私にとって初めて聴くリッカルド・マサヒデ・ミナーシも楽しみだ。古楽の世界で活動し、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の首席指揮者も務めた指揮者である。2028年1月15日はアリョーナ・バーエワとのサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番とベートーヴェン《英雄》。1月21日のC定期はモーツァルト《ハフナー》《リンツ》《プラハ》を並べる。とりわけ得意とするモーツァルトで、その語り口やリズムの生命力に触れてみたい。

 

岡本陸も初めて聴く。1998年生まれで、2025年のドラティ国際指揮者コンクールでは最高位の第2位を受賞した。10月10日、都響主催公演に初登場する。ベートーヴェン《コリオラン》とピアノ協奏曲第3番、サン=サーンス《オルガン付》という、ハ短調の3曲を並べるプログラム。ジアシン・ミン、大木麻理との共演で、若い指揮者が大きな音楽の流れをどう築くかに注目したい。

 

ほかにも、2028年2月10日と12日のシモーネ・ヤングによるブルックナーの交響曲第5番、11月13日のレナード・スラットキンによるエルガーの交響曲第1番など、聴きたい公演ばかりである。長年の信頼を持つ指揮者と、新しい才能との出会い。来季はこれまで以上に充実した陣容とプログラムだと感じる。

 

大野のシーズンは4月10日、ファニーとフェリックス、メンデルスゾーン姉弟それぞれの《讃歌》で始まる。そして2028年3月17日のB定期と18日の特別公演はマーラーの交響曲第9番。最後の音が消えたあと、都響との歩みをどのように思い返すことになるだろう。ひとつの節目と新しい出会いが交差する来季を、丁寧に聴いていきたい。

 

東京都交響楽団 2027年度楽季ラインナップ(各公演の詳細ページへ)

左から、飯森範親音楽監督、日野洋一会長、吹浦忠正理事長、大谷康子芸術顧問、伊藤裕太特別顧問
 

10月1日、パシフィックフィルハーモニア東京(PPT)が、新体制および2027-2028シーズンの定期演奏会プログラムを発表した。記者発表会には出席できなかったが、事務局から資料をいただき、会見の録画も拝見したので、その概要をまとめておきたい。

新体制では、飯森範親が引き続き音楽監督を務め、ヴァイオリニストの大谷康子が芸術顧問、伊藤裕太が特別顧問に就任する。大谷はオーケストラ奏者として長年活動してきた経験を生かして飯森を支えるとともに、「こども音楽食堂」など、音楽を社会へ届ける活動にも携わるという。

 

2027年はベートーヴェン没後200年。PPTは「2027年、ベートーヴェンとともに生きる」を掲げ、東京芸術劇場で行う定期演奏会全8回をベートーヴェン作品で構成する。しかも交響曲全9曲だけではない。ピアノ協奏曲全5曲、ヴァイオリン協奏曲、《合唱幻想曲》、さらに《レオノーレ》《フィデリオ》《エグモント》《献堂式》《命名祝日》《シュテファン王》などの序曲・劇音楽まで、一年をかけて幅広く取り上げる。指揮は飯森のほか、大友直人、大井駿、ミコラ・ジャジューラ、鈴木優人が担当する。

 

会見で特に興味深かったのが飯森の発言である。ベートーヴェンの解釈は国によっても異なる。楽譜という音楽の語法は万国共通であっても、そこへどうアプローチするかは指揮者によって違う。さまざまな指揮者がそれぞれのカラーをオーケストラから引き出し、その経験を一年かけてPPTの中に蓄えてほしい、というのである。飯森は「引き出しは多ければ多いほどいい」とも語っていた。

質疑応答では、ベートーヴェン存命中に大変な人気を博した《ウェリントンの勝利》を「時節柄、いまこそ取り上げては」との質問も出た。これに飯森は「やります。ただ別の企画になります。楽しみにしてください」と回答。定期演奏会とは別に、何か仕掛けが用意されているのかもしれない。

 

同じベートーヴェンを複数の指揮者と一年かけて掘り下げることで、PPTがどのような音を蓄え、変化していくのか。没後200年を単なる記念年に終わらせない、興味深いシーズンになりそうである。

プログラム詳細についてはこちらをご覧ください。

【速報】2027-28シーズンラインナップ発表 - パシフィックフィルハーモニア東京 | PACIFIC PHILHARMONIA TOKYO

 

※2027-2028シーズン年間プログラム(速報版)、記者発表会録画、関連発表資料をもとに構成。


Lorenzo Viotti in Franz Schmidt’s The Book with Seven Seals: From Catastrophe to Hope
On 19 September at Suntory Hall, and again on 21 September at Muza Kawasaki Symphony Hall, I heard Lorenzo Viotti conduct the Tokyo Symphony Orchestra in Franz Schmidt’s oratorio The Book with Seven Seals (Das Buch mit sieben Siegeln).

 

Only a week earlier, I had heard the same work performed by the NHK Symphony Orchestra under Fabio Luisi. What emerged from Viotti’s interpretation, however, was a markedly different vision: not simply an evocation of apocalyptic catastrophe, but a journey through suffering towards redemption and hope.

At Suntory Hall, the first thing to make a strong impression was the distinguished cast of soloists. As St John, Maximilian Schmitt sang with a full, ringing tone and narrated the unfolding events with the immediacy of an eyewitness. Equally memorable was Franz-Josef Selig as the Voice of the Lord (Stimme des Herrn), bringing profound authority and dignity to the role. Christina Landshamer, Catriona Morison, Patrick Grahl and Krešimir Stražanac also made vivid individual impressions, each contributing a distinctive vocal character and strong stage presence.
 

Throughout the performance, Viotti showed a keen sensitivity to the breathing and phrasing of the singers. His instinct for allowing the music to breathe on a large scale revealed the qualities of an experienced opera conductor, while his ability to build dramatic climaxes was equally striking. At Suntory Hall, where he was conducting the work for the first time, there were still occasional moments when one sensed him exploring how best to shape the overall trajectory.

Two days later at Muza Kawasaki, however, the interpretation had clearly deepened.
 

The Tokyo Symphony Orchestra sounded more tightly unified, while the balance with the Tokyo Symphony Chorus and Mari Ohki’s organ was more natural and integrated. Viotti’s conducting had gained an added degree of assurance; there was no longer any sense of hesitation.

In the Fifth Seal, “Und als das Lamm der Siegel fünftes auftat” (“And when the Lamb opened the fifth seal”), the immense fugue of the martyrs was powerfully realised by the Tokyo Symphony Chorus, with the organ blending superbly into the overall sonority.

At the close of the Sixth Seal, “Und ich sah, daß das Lamm der Siegel sechstes auftat” (“And I saw when the Lamb opened the sixth seal”), depicting the collapse of the world, the final chord had tremendous force. Viotti then remained motionless for several moments, allowing the ensuing silence itself to become part of the drama.
 

After the interval came “Nach dem Auftun des siebenten der Siegel” (“After the opening of the seventh seal”). From this point, the performance rose to an even higher level.

As the seven angels received their seven trumpets and the music advanced through successive catastrophes towards the Last Judgement, Viotti took complete command of the immense structure. Orchestra, chorus and soloists were drawn together into a single dramatic arc, and he drove the music steadily upward, stage by stage, towards its vast climax. His control and theatrical instinct were remarkable.

After all seven seals had been opened and the Last Judgement proclaimed, the Voice of the Lord returned. Here Selig sang with exactly the gravitas needed to announce the coming of a new world.
 

The great “Halleluja” (“Hallelujah”) was monumental yet never lost its balance or dignity.

It was followed by “Wir danken dir, o Herr” (“We thank Thee, O Lord”), sung by the unaccompanied male chorus.

Finally came “Ich bin es, Johannes” (“I am John”), in which St John brought the work full circle with his final words of admonition and blessing. The chorus answered with its concluding “Amen”.

At that moment, the only adequate word was awe.

Viotti then broadened the tempo for the final statements of the opening C–D–G–F motif in the full orchestra. With three tam-tams and the organ added to the texture, the vast drama finally came to its close.
 

At Suntory Hall, one could hear Viotti actively exploring and engaging with this extraordinary score. Two days later at Muza Kawasaki, that interpretation had clearly matured into something more assured and compelling.

What stayed with me most was Viotti’s refusal to treat the work merely as a vision of terror and destruction. His gaze seemed fixed instead on what might lie beyond catastrophe: light, redemption and hope.

Through human suffering, beyond the Last Judgement, towards hope.
 

Hearing the two performances in such close succession made me newly aware not only of Viotti’s instinct for music theatre, but also of his remarkable ability to absorb a vast score and deepen his interpretation from one performance to the next.
 

Concert Information

Franz Schmidt: Das Buch mit sieben Siegeln (The Book with Seven Seals)


Saturday, 19 September 2026, 6:00 p.m.
Suntory Hall, Tokyo
Tokyo Symphony Orchestra — 745th Subscription Concert
80th Anniversary of the Tokyo Symphony Orchestra


Monday, 21 September 2026, 2:00 p.m.
Muza Kawasaki Symphony Hall, Kawasaki


Lorenzo Viotti, conductor
Maximilian Schmitt, tenor (St John)
Franz-Josef Selig, bass (Voice of the Lord)
Christina Landshamer, soprano
Catriona Morison, mezzo-soprano
Patrick Grahl, tenor
Krešimir Stražanac, bass-baritone
Mari Ohki, organ
Tokyo Symphony Chorus
Kyohei Tomihira, chorus master
Tokyo Symphony Orchestra


Sung in German with Japanese subtitles
20-minute intermission

9月に発売された音楽誌に、いくつか記事を書きました。コンサート・レヴューからフェスタサマーミューザ、そしてシューベルトとブルックナーの「未完」をめぐる記事まで、今回はかなり幅広い内容になりました。

 

まず、『音楽の友』2026年10月号です。

「真夏に熱狂! 川崎から届けた音楽の力――フェスタサマーミューザKAWASAKI2026」

掲載は71ページ。

私が担当したのは、7月30日、太田弦指揮・神奈川フィルハーモニー管弦楽団と、8月3日、下野竜也指揮・NHK交響楽団です。

神奈川フィルでは、若いマエストロとソリストたちの協演から生まれた新鮮な音楽を、N響では「狩り」とホルンをテーマにしたプログラムから、下野竜也とN響が描いた多彩な世界について書きました。

今年のサマーミューザの熱気と、それぞれのオーケストラの個性が伝わればと思います。

「Concert Reviews」

巻末の「Concert Reviews」では、2公演を担当しました。
p.3 8月20日 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第385回定期演奏会

藤岡幸夫指揮、宮田大のチェロで、ディーリアス「幻想曲《夏の庭で》」、菅野祐悟「チェロ協奏曲」、シベリウスの交響曲第2番。作品それぞれの世界を鮮やかに描いた演奏を取り上げました。

p.7 7月22日「葵トリオ with 東京クヮルテット Legends」

葵トリオが、池田菊衛、磯村和英を迎えて演奏したブラームス。世代を超えた5人の奏者による、密度の高いアンサンブルについて書きました。

そして、『MOSTLY CLASSIC』2026年11月号には2本掲載されています。

「未完のフィナーレ――シューベルト《未完成》とブルックナー第9番」

特集「傑作の終楽章」の54~55ページです。

シューベルト《未完成》とブルックナー第9番。同じ「未完」と呼ばれながら、その意味は大きく異なります。

シューベルトはなぜ2楽章で筆を止めたのか。ブルックナーが完成できなかったフィナーレを、後世の私たちはどう考えるのか。

二つの傑作の「終わり」をめぐって書きました。

「フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2026」

こちらは73ページ。

この夏のサマーミューザを振り返り、とりわけ強い感銘を受けた梅田俊明指揮・昭和音楽大学管弦楽団のベートーヴェン《交響曲第7番》と《春の祭典》を中心に書いています。

学生オーケストラという枠を超え、一人ひとりの奏者が主体性をもちながら一体となって音楽をつくる。その演奏から受けた「感動」を、率直に記しました。

 

こうして並べてみると、その夜の演奏から受け取ったものを書くコンサート評と、作品そのものを時間をかけて考える文章の両方が、この2誌に収まりました。

『音楽の友』10月号はサー・サイモン・ラトルが表紙。特集は『オペラで、ととのう』と『来日演奏家速報2027』です。
『MOSTLY CLASSIC』11月号は「傑作の終楽章」が大特集です。

私の記事以外にも読み応えのある記事が多数掲載されています。

書店などでお見かけになりましたら、ぜひ手に取ってご覧いただければ幸いです。


掲載記事

『音楽の友』2026年10月号

・p.71「真夏に熱狂! 川崎から届けた音楽の力 フェスタサマーミューザKAWASAKI2026」
 7月30日 太田弦指揮・神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 8月3日 下野竜也指揮・NHK交響楽団

・「Concert Reviews」p.3
 8月20日 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第385回定期演奏会
 指揮:藤岡幸夫/チェロ:宮田大

・「Concert Reviews」p.7
 7月22日 葵トリオ with 東京クヮルテット Legends

 

『MOSTLY CLASSIC』2026年11月号

・pp.54~55
「未完のフィナーレ シューベルト《未完成》とブルックナー第9番」

・p.73
「フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2026」

台風25号が関東に接近するなか、無事に公演が行われたことをまず喜びたい。

N響(NHKホール、2日目)、東響(サントリーホール)と聴き、本日の東響(ミューザ)で3回目。今回の三公演のなかでは、総合的に最もバランスの取れた演奏だったように思う。

 

サントリー公演に比べれば、ソリスト陣にはわずかに疲れも感じられたが、テノール(ヨハネ)のマキシミリアン・シュミットと、バス(神の声)のフランツ=ヨゼフ・ゼーリヒはよく歌った。

 

東京交響楽団はサントリーホールの時よりもさらにまとまりを増し、東響コーラスもほぼ同水準を維持した。

大木麻理の弾くオルガンはミューザの方がバランスよく響いた。ステージリハーサルをミューザで行い、実際のホールで細かな調整を重ねていたことも大きいのだろう。ヴィオッティの指揮も一段と安定し、迷いはまったく感じられなかった。

 

前半では、第4の封印――青白い馬=死の場面、2人の生存者による対話の最後の弱奏が深みを湛え、素晴らしかった。唯一残念だったのは、この大切な場面でスマートフォンの音が鳴ったこと。ただし、あまりにも音楽に溶け込むように響いたため、一瞬、演奏の一部かと思ったほどであった。それがせめてもの救いかもしれない。

 

そして、第5の封印――殉教者たちの巨大なフーガで聴かせた東響コーラスの素晴らしさ。オルガンも絶妙なバランスで響き、合唱と一体となった。

 

前半最後、第6の封印――世界崩壊の場面を締めくくる和音にも凄みがあった。最後の響きのあと、ヴィオッティがしばらく動きを止めたことも印象的だった。

 

後半冒頭のオルガン・ソロも見事。第6の封印の音楽、とりわけそのフーガを圧縮・変形しながら、第1部の記憶を第2部へと橋渡しする役割をきっちりと果たした。

 

そして、いよいよ第7の封印。その長大な展開も緻密であった。

天上が静まり返る導入のホルンが決まり切らなかったこと、〈女が男子を産む〉場面でオーボエ、続くクラリネットのソロにもう一段の表情が欲しかったことは惜しい。しかし、オーケストラ全体はよく統率され、シュミットの音楽は物語の細部まで鮮明に伝わってきた。

 

やがて七人の天使に七つのラッパが与えられ、ラッパが次々と鳴らされるなか、災厄から最後の審判へ向かう巨大な音楽が展開する。シュミットの管弦楽・合唱技法の集大成ともいうべき長大なクライマックスで、演奏全体はさらに熱を帯びた。

ヴィオッティは完全に場を掌握し、オーケストラ、合唱、独唱者を一つにまとめながら、音楽をさらに高みへと押し上げていく。その確かな手腕は特筆すべきものであった。

特に、第5のラッパを告げる3番トランペット(早野舞花)、第6のラッパで吹かれる2番トランペット(松山萌)のソロは、サントリーホール公演以上に充実していた。

第7のラッパから続く場面ではトランペット首席の澤田真人を含む金管群が加わり、音楽はいよいよ巨大なフーガへと発展していく。その後のクライマックスを締めくくるトランペットの高音も見事に決まり、強烈な印象を残した。

 

七つの封印がすべて解かれ、ヨハネが最後の審判を厳粛に告げたのち、再び〈神の声〉が現れ、裁きの後に訪れる新しい世界を告げる。ここでのゼーリヒの歌唱は、新しい世界を宣言するにふさわしい威厳を備えていた。

 

そして最後の「ハレルヤ」の大合唱。東響コーラスは均衡を保ちながら、格調高い響きを築いた。

アカペラの男声合唱による「感謝の歌」を経て、ヨハネが円環を閉じるように結びの言葉を歌う。

最後にヨハネが、

「この啓示に心せよ! 神の慈悲があなた方みなにありますように。アーメン!」

と高らかに歌い上げ、合唱が「アーメン!」と唱和する。

ここでの東響コーラスには、「畏怖」という言葉こそがふさわしい。文字通り、震撼した。
 

そしてヴィオッティはテンポを落とし、全管弦楽で冒頭のC–D–G–Fモティーフを4度繰り返す。最後は3台のタムタムとオルガンも加わり、壮大なドラマを閉じた。


【追記】

実はこの日、台風の影響を心配して、午前11時にはミューザ川崎シンフォニーホール近くのカフェに到着していた。開演までの時間を利用して、ニコニコ生放送の映像を全編あらためて鑑賞し、公演に備えた。

その甲斐もあって、作品の流れや演奏上の細部をより正確に捉えることができたと思う。

ところが、カフェの冷房の風に長時間あたり過ぎたらしく、開演前には少し熱っぽくなり、「果たして最後まで聴き通せるだろうか」と心配になった。

それでも、演奏が始まると不思議なことに体調は持ち直し、無事に最後まで聴き終えることができた。さらに帰宅後、こうして長文のブログまで書き上げることができた。

これも音楽の力か。それとも、この作品にふさわしく、神のご加護であったのかもしれない。

 

ミューザ川崎シンフォニーホール×東京交響楽団×ロレンツォ・ヴィオッティ

フランツ・シュミット:オラトリオ《7つの封印の書》

2026年9月21日(月・祝)14:00
ミューザ川崎シンフォニーホール

出演

指揮:ロレンツォ・ヴィオッティ
テノール(ヨハネ):マキシミリアン・シュミット
バス(神の声):フランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ
ソプラノ:クリスティーナ・ランツハマー
メゾソプラノ:カトリオーナ・モリソン
テノール:パトリック・グラール
バスバリトン:クレシミル・ストラジャナッツ
オルガン:大木麻理
合唱:東響コーラス
合唱指揮:冨平恭平
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:小川ニキティングレブ