ベイのコンサート日記

ベイのコンサート日記

音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


 

1028日、サントリーホール)
  セミヨン・ ビシュコフ、チェコ・フィルのスメタナ連作交響詩「わが祖国」全曲。チェコ・フィルがビシュコフと共に、輝かしい新時代に入ったことを、高らかに告げる記憶に刻まれる名演だった。

 

 歴史が染み込んだプラハの街並みを思わせる、落ち着いて、少しくすんだ陰影の深い音は、まさにチェコ・フィルの響き。ビシュコフは、チェコ・フィルの身体に深く根付いた「わが祖国」の演奏伝統を生かし、彼らの「演奏したい」という気持ちに寄り添うように、チェコ・フィルの持てる力を実に巧に引き出した。チェコ・フィルは16型。コントラバスは正面横に8台並び、チェロは10台、下手前に配置された。ハープは左右に分かれた。コンサートマスターは、史上最年少でチェコ・フィルのコンサートマスターになったヨゼフ・スパチェクが務めていた。

 

 第1曲「ヴィシェフラド」(冒頭上手のハープの音色が力強く演奏された)と、第2曲「モルダウ」(2本のフルートの導入部分は、これしかないという確信に満ちた音だった)は、オーケストラの自主性に任せたような指揮のため、ビシュコフは少し遠慮気味に思えたが、「モルダウ」の最後は強烈に盛り上げた。

 

 第3曲「シャールカ」から、ビシュコフの指揮は一変し、地の底から溶岩が噴出するような熱い演奏が始まった。英雄的女性シャールカの主題を吹くクラリネット・ソロの雄弁で表情豊かに歌うソロは素晴らしかった。騎士スティラートを示すチェロの音がまたいい。二人の出会いを表すロマンティックな部分の甘い表情も弦の響きが深い。

ホルンの合図と共に始まる戦闘場面の強烈な盛り上がりも激しい。ここに来て、ビシュコフとチェコ・フィルの演奏にかける本気度がひしひしと伝わってきた。「シャールカ」が一気呵成に終わると、木管の首席が交替し、ホルン2本の増強があった。

 

第4曲「ボヘミアの森と草原から」の牧歌的な音楽では、チェコ・フィルの木管の陰りを帯びた音を堪能した。

 

第5曲「ターボル」は、安定した金管の分厚い響きで進む。トロンボーンに出る「ヴィシェフラド」の主題とターボルの主題が対位法的に交差する最後は、この夜のクライマックスだった。


 第6曲「ブラニーク」の冒頭の弦の刻みの重い響き、オーボエとホルンが交わす牧歌的な歌の柔らかな表情の美しさにも惹かれる。ホルンによる讃美歌が朗々と吹かれた後、戦闘場面となってからは、堂々とした音楽が展開された。「ターボル」と「ヴィシェフラド」の主題が交差する結尾は、文字通り感動的だった。

 

 

チェコ・フィルによる「わが祖国」は、1991112日サントリーホールでのクーベリック最後の来日公演での伝説的名演や、亡くなった2015115日、ビエロフラーヴェクがNHK音楽祭で指揮した演奏も聴いているが、それらと較べても遜色のない、勢いのある緻密な演奏だったと思う。

 

指揮し終わった後の、「やったね!」というような、ビシュコフの笑顔がとても良かった。ホルンをはじめ、ティンパニや打楽器、フルート、トロンボーン、トランペット、ファゴット、クラリネットと次々に奏者を立たせる仕草も、チェコ・フィルの楽員への感謝の気持ちがよく表れており、楽員との関係も非常に良いと思われた。

 

2階席後方からの怒涛のようなブラヴォはひさしぶりに聴いた。ビシュコフへのソロ・カーテンコールもあった。
LB席で聴いたが、LA席にチェコの人たちがグループで来ており、終演後小旗をチェコ・フィルの楽員に向け振っていたのが印象的だった。楽員も手を振って応えていた。

後で知ったが、1028日は、チェコの独立記念日で、第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊した1918年に制定されたという。スメタナ「わが祖国」 が演奏される日として、ふさわしいタイミングでの演奏会だった。
 

写真:セミヨン・ビシュコフ() Umberto Nicoletti

 

1027日、サントリーホール)

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」を弾いたアレクセイ・ヴォロディンが何と言っても素晴らしかった。抒情性のある気品ある響き、強靭さに裏付けられた繊細さと優しさ。それは、ベートーヴェンの音楽と一致している。特に第1楽章の長いカデンツァが圧巻だった。弱音から強音まで、ピアニスト、ベートーヴェンの矜持(きょうじ=自信と誇り)が感じられた。

 

アンコールのシューベルト「即興曲作品903」が絶品。最初の一音を聴いたとたん涙ぐんだ。清々しく、心に突き刺さる哀切。中間部は、ベートーヴェン的な強さも感じた。ヴォロディンの演奏は、貴族的と言ってもいい気高さに満ちている。

 

 インキネン、日本フィルによるベートーヴェン・ツィクルスの第2回目、交響曲第1番は、14型対抗配置。厚みのあるベートーヴェン。バロックティンパニに木のマレットを使用していたが、この分厚い音なら、モダンでも良かったような気がした。協奏曲では、10型の編成だが、モダンのティンパニを使用していた。

 

 活気に満ちた第4楽章が最も印象に残ったが、ヨーロッパ・ツアーから、帰国した時のホールトーンを生かした美しい響きが失われてしまっていることが残念だ。同じ演目を繰り返し演奏するツアーと異なり、毎週のようにプログラムが変わる演奏会で、毎回緻密な響きを創りあげることは難しいことはよくわかるが、力で押すのはなく(そうするとどうしても響きが濁る)、アンサンブルを整え、お互いの音を聴き合うような繊細さがあってもいいのでは、と思う。

 

 ドヴォルザークの交響曲第8番も、ダイナミックで分厚い音、推進力のある演奏。インキネンはプラハ交響楽団の首席指揮者でもあるが、民族的な表情はあまりなかった。ここでもやはり、もう少し繊細さがほしいと思う。

 

 ホルンに日橋辰朗がゲストで入り、第2楽章のホルンの強奏で、スケールの大きな吹奏を聴かせていた。日本フィルでいつも感心するのは、オーボエ首席の杉原由希子。彼女が吹く旋律はオーケストラの中にあっても、とびぬけて良く聞こえてくる。今日も、よく歌うオーボエが演奏の要となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1021日、サントリーホール)

 プレトニョフの指揮は、魔法のようだ。東京フィルから、どうしたら、あんなに美しい音をひきだせるのだろう。弦は綺麗に磨き抜かれ、お化粧が施されたように甘さをふくんでいる。オーボエはとろけるような甘い音を奏で、クラリネットはコケティッシュだ。ファゴットは品がある。金管は軽やかに、輝いている。オーケストラのバランスも完璧で、どこにも無理な力が入っていない。

 

ビゼーの「交響曲第1番」は、こうした特徴が全て発揮された鮮やかな演奏だった。しかし、一つだけプレトニョフの指揮に馴染めない点がある。音楽に熱があまり感じられないことだ。どこかひんやりとした温度を感ずる。それは違和感として、聴いているあいだ、ずっと感じていた。

 

後半は、リストの「ファウスト交響曲」。男声合唱とテノールの入る大曲だ。この規模の大きな曲でも、プレトニョフの指揮は冴え渡った。楽々と東京フィルをドライブしていく。

第2楽章の「グレートヒェン」は、精緻を極めていた。東京フィルの各首席のソロや室内楽的な重奏が繊細で美しく夢のような音楽が奏でられた。しかし、陶酔の中にも、時折鋭い緊張が走るような瞬間もあり、ずいぶん長い時間に感じられた。

 

第3楽章「メフィトーフェレス」は、まるでプレトニョフ自身を見せられるようだ。変幻自在の表情が次々と浮かんでは消え、プレトニョフに翻弄される。音楽が静まるにつれて、左右から新国立劇場合唱団と、テノールのイルカー・アルカユーリックが、儀式に臨むように登場した。終結部の「神秘の合唱」が始まる。マーラーの《千人の交響曲》と同じ歌詞、「永遠にして女性的なるものが 我々を高きに導く」と高らかに歌われた。

 

 見事としか言いようのない演奏に、プレトニョフの力量を改めて思い知った。同時に、ビゼーでも感じたことを、今度も思った。プレトニョフのつくる音楽は、常にベールに包まれている。あまりにも美しい音楽は、どこか現実感が希薄で、人間味がなく、あやかしに陥れられているような居心地の悪さを感じる。プレトニョフの音楽の底にあるものは、一体何なのだろう。

 

 


(10月20日、東京芸術劇場コンサートホール)
 ユーリ・テミルカーノフと読響の5回にわたるコンサートの最終回。元気に全ての公演を振り抜いた。風邪をひいてしまい、15日のサントリーホールでのチャイコフスキー交響曲第5番を聴き逃したのは残念だが、 今日はブラームス・プログラムで、読響から豊かな中低音を引き出し、重厚な演奏を聴かせてくれた。
 前半は、セルゲイ・ハチャトゥリアンを迎えてのヴァイオリン協奏曲。雄大で大河のようなテミルカーノフの指揮は大きな船のように、ハチャトゥリアンを支え、ハチャトゥリアンも伸び伸びとブラームスらしい力のこもった堅固な演奏を繰り広げた。日本音楽財団から貸与されたグァルデリ・デル・ジェス(イザイ)の漆黒の響きがブラームスによく合う。彼を聴くのは二度目で、前回いつどこで聴いたか思い出せないが、8年以上前かもしれない。作曲家のハチャトゥリアンとは関係がない。この間にずいぶん大きなヴァイオリニストになったと実感した。
 
 読響は、木管の名手たちが揃っており、技術的には全く問題ないが、できれば第2楽章はハチャトゥリアンの名ソプラノが歌うようなヴァイオリンに溶け込ませるような柔らかな甘い音が欲しかった。
 アンコールの曲名は聞き取れなかったが、アルメニアのフォーク・ソングのようだ。繊細な高音の悲しみを秘めた曲。ハチャトゥリアンは、今回の台風の犠牲者に捧げます、と前置きし、しみじみと奏でた。
 
 後半の交響曲第2番は、16型のフル編成。冒頭のチェロとコントラバスの主題から、ずっしりとした厚みのある低音が鳴り響く。第2主題では、第2ヴァイオリンやヴィオラの中音域がたっぷりと奏でられる。堂々と進軍するブラームスのスケールの大きな演奏は、巨匠の風格がある。
 
 読響の弦は強力で充実した響きだが、欲を言えば、小森谷巧が率いる第1ヴァイオリンが、もう少し艶のある美しい音色であったら、更なる名演になったと思う。
写真:(c)ジャパンアーツ


 

(10月14日、東京オペラシティコンサートホール)
完璧で手の込んだ美しい工芸品を鑑賞するような《メサイア》。

 

特にクリスティがマルカントワーヌ・シャルパンティエの音楽劇『レザール・フロリサン(花咲ける芸術)』をとって名付けたオーケストラと合唱が素晴らしかった。

古楽オーケストラとしては、破格のうまさ。古楽のヴィルトゥオーゾ集団とでも呼びたくなる鮮やかな演奏。コンサートマスターのヒロ・クロサキさんの献身的なリードが演奏全体に生き生きとした生命力を与えていた。全曲が終わったあと、「やりつくした」とばかりに、クロサキさんが涙をぬぐう姿に感動を覚えた。

 

合唱は24 人。一人一人が個性を持って、積極的に歌うため、ソリストがこぞって歌うような、個性的な合唱が生まれていた。

 

 ソリスト5人は、安定した歌唱だった。ジェームズ・ウェイ(テノール)の若々しく力強い歌唱、キャスリーン・ワトソン(ソプラノI)の清らかで滑らかな歌、エマニュエル・デ・ネグリ(ソプラノII)は艶のある、技巧的な装飾音を駆使した歌唱が鮮やか、ティム・ミート(カウンターテナー、アルト)は、難しい音程を頑張ってよく歌っていたと思う。

 

感動したというよりも、見事なまでに芸術的な演奏に感銘を受け、心底から感心したコンサートだった。

 

今年のコンサートの中でも記憶に残るひとつになることは間違いない。









 

 

 

 前半はハイドン「交響曲第94番《驚愕》」。巨匠の風格。ピリオド奏法とは無縁。

スケールの大きな演奏だった。

 

ショスタコーヴッチ「交響曲第13番《バビ・ヤール》」はピョートル・ミグノフ(バス)、新国立劇場合唱団(男声)が共演。
全体に重厚でスケールが巨大な演奏だったが、血が凍るようなショスタコーヴィチではなく、テミルカーノフの温かな愛情のようなものを感じた。

 

第1楽章「バビ・ヤール」は重々しい。また、第4楽章「恐怖」は、密告の恐ろしさが充満する。第2楽章「ユーモア」の表情は演劇的な格調を感じた。第3楽章「商店にて」冒頭の地鳴りのようなコントラバスの低音が聴くものを圧倒する。第5楽章「立身出世」の最後のチェレスタと鐘の音のあとの静寂がまた良かった。

 

バスのミグノフは素晴らしい。長身でやや細身で詩人にふさわしい外見。自然な発音と豊かな表情で、エフトゥシェンコの詩を歌い上げた。50人ほどの新国立劇場合唱団(男声)の野太く力強い歌声は、ロシアの民衆を思わせる。ミグノフのソロとのやりとりも見事で、テミルカーノフは指揮の冨平恭平の手をとって現れ、新国立劇場合唱団を大絶賛していたのが印象的だった。

 

読響はコンサートマスター、日下紗矢子をはじめ、全員がテミルカーノフへの絶大な信頼を寄せるように、演奏に集中していた。熱演というより、テミルカーノフの指揮と解釈を噛み締めるように、いとおしむように、演奏しているように思えた。

 

 

ソロ・カーテンコールに登場したマエストロは、譜面台に置かれたショスタコーヴッチの総譜を高々と聴衆に掲げた。


(10月7日、東京文化会館大ホール)

  シューマン「交響曲第4番」は初稿版。通常の第2稿よりもすっきりとした響きになっているとされる。14型対向配置の都響はヴィブラートもかけ、結構重厚に聞こえた。ヴィオラを始め、各声部がくっきりと聞こえてくる演奏は、明解な指揮を身上のひとつとするミンコフスキらしい。

 

チャイコフスキー「交響曲第6番《悲愴》」冒頭のファゴットはフランス的なやわらかな音。バスーンという名のイメージ。全体に明るく爽やかな「青春のチャイコフスキー」の印象があった。このあとに、死が待っているとは思えない。重い部分は重厚だが、ロシア的な粘っこさはなく、さらりとした感触。各声部が混濁しない、都響の楽員がひとりひとり気持ちよさそうに弾いていることが感じられた。

 

第1楽章では、第1主題も重くならず、第2主題はメランコリックで甘美。続く木管のやりとりも爽やか。Ffffffのクラリネットからファゴット(バスクラリネットは入っていなかったようだった)の最弱音のあとの、展開部は早めのテンポ。再現部285小節目からラルガメンテの総奏はトロンボーンも含め重くなく、遅くない。

 

第2楽章の4分の5拍子のワルツも軽やかに進む。中間部は甘美で感傷的。第3楽章の行進曲ではタメをつくる部分もあった。

 

指揮棒を上げたまま、数秒の間を置いて第4楽章にほぼアタッカで入っていった。第2と第3楽章の間は聴衆の咳もあり、時間を置いたが、ミンコフスキは全楽章アタッカで続けたいようだった。

 

第4楽章終結部は、コントラバスが刻む3連符のリズムが心臓の鼓動のように聞こえる。テンポは遅くならず、過度な思い入れのないところが良い。
音が消えてから10秒の静寂。後味の爽やかな、フランスの秋の空のような《悲愴》だった。

 

ミンコフスキへのソロ・カーテンコールがあった。



()Koichi Mori
https://www.facebook.com/koichi.mori.583/videos/2527805207265742/UzpfSTIwMzI0Mzk0OTcwMTQ2ODozNjU0NzgyNjg3ODgwODkz


 

写真()Marco Borggreve
 

 

 

 

 

ズービン・メータのパーソナル・メッセージ(イスラエル・フィル音楽監督退任の言葉)
https://www.youtube.com/watch?v=ZBzIGNHNm4k&t=2s

最後は涙声になり、胸が熱くなります。
訳してみましたが、"va'ads" and "mo'atzas"の意味がわかりません。
ご存じの方がいらしたら、お教えください。


Good evening, every body

I usually start by announcing to you, my friends in the future,

what a wondeful season is going to be in the future but I would like to divert my messagge a little bit.

I have spent more tha half my life in this beloved country of Israel.

I'm now takig my leave, it has been my own decision.

I leave my baton to a wonderful colleague, Lahav Shani, he has all my blessings for the future.

みなさんこんばんは

私は通常、みなさまと私の将来の友人の方々に、どんなに素晴らしいシーズン演奏会になるか、お伝えすることから始めるのですが、少しそこからそれたお話をさせていただきたいと思います。

私はこの愛するイスラエルの国で人生の半分を過ごしてきました。

私は引退をすることにいたします。これは私自身の決断です。

私はバトンを素晴らしい同僚のラハブ・シャニに任せたいと思います。彼には素晴らしい未来が約束されています。

 

But first of all I would like to thank my beloved orchestra with whom I've spent 50 years, more than three generations  of wonderful musicians that I inherited when I first came in 1961 of so many "va'ads" and "mo'atzas" choosing the future players, invite the world's greatest artists, going on tours and playing over 4,000 concerts with this wonderful orchestra, I am indeed most grateful most grateful for what the orchestra has done to me-has educated me from my youth.

しかし、まず最初に、1961年に初めて着任以来、未来のプレイヤーを選び、世界の偉大なアーティストを招待し、ツアーに参加し、4,000を超えるコンサートを演奏するなど、50年以上一緒に過ごしたこの愛すべきオーケストラ、3世代にわたる素晴らしい音楽家たちに感謝申し上げます。オーケストラが私にしてくれたことに心から感謝しています。

 

Great players that I have grown with, like ur Concertmaster Chaum Tahb,our solo fagottist Mordechai Rectman,our wonderful harpist Judy Liber, and who could forget the great Zvi Haftel who first had the courage to invite a young indian from Vienna and then the responsibility of music director later on.

I'm sure that under the continuing leadership of Avi Shoshani

and the "va'ads" of the orchestra you have a wonderful future and I want to wish you all the best.

I cannot tell you how much I will miss you all.

I want to say goodbye with all my heart,Thank you, Thank you so much.

一緒に成長した偉大な演奏家のみなさん、コンサートマスターのチャウム・ターブ、首席ファゴット奏者であるモルデチャイ・レクトマン、素晴らしいハープ奏者のジュディ・リバー、そして偉大なツヴィ・ハフテルのことを忘れようがありません。彼は

ウィーンから若いインド人を招き、後に私を音楽監督に任命する勇気がありました。

アヴィ・ショスハニの継続的なリーダーシップのもとで

オーケストラには素晴らしい未来があります。あなた方の幸せを願っています。

あなた方と別れるのがどれほどつらいことか言葉では言い表せません。

心をこめて、さようならをお伝えしたいと思います。

ありがとうございました。本当にありがとう。
 



 

(10月4日、すみだトリフォニーホール)
 シューベルト「交響曲第7番《未完成》」は、作曲家本人が聴いたら喜ぶに違いないと思えるほど、繊細な歌に満ちていた。夢の中で聴いているような、幻のような《未完成》だった。編成は10-8-6-4-3という小編成。

 

最も印象的だったのは、第2楽章の第60小節目から、第1ヴァイオリンによる2小節の寂しさに満ちたフレーズに続いて、クラリネットからオーボエに受け継がれながら歌われる旋律の細やかなニュアンスの変化。それはまるで妖精がうたうようだった。

 

シューベルトが一番言いたかったこと、伝えたかったこと(内面的な告白、ささやき、言葉にできない思い、歌わずにいられない思いなど。)が、今夜の上岡と新日本フィルの演奏から感じられた。それはまさに、上岡が「音楽の友」のインタビューで語ってくれた言葉、『シューベルトの内面の世界をうまくオーケストラで表現できたら、それが伝わったら、それはお客様にとっても、僕らにとっても、ものすごくいいこと』が実現した演奏であり、実際にシューベルトの内面世界が浮かびあがってくるような演奏だった。
 

後半はモーツァルト《レクイエム》。合唱は東京少年少女合唱隊、同カンマーコア。白い聖衣に身を包んでいた。ソリストはソプラノ吉田珠代、カウンターテノール藤木大地、テノール鈴木准、バリトン町英和。
 

合唱をいつもの栗友会にしなかった上岡の意図が納得できた。大人の合唱団にはない清らかな歌声。少年少女の合唱が歌う天国的な透明感と明晰さにより、 心が洗われるという言葉が、真実のものとなった。
 特に第7曲コンフターティス(呪われた者)からラクリモーサ(涙の日)の子供たちの高音の響きが美しかった。
 ソリスト4人も、ヴィブラートの少ない透明感あるソロや重唱を聴かせてくれた。

新日本フィルはシューベルトのときと同じ編成。透明な合唱やソリストたちの歌声に、ぴったりと合う繊細な響きがあった。

 

この演奏会は、一人でも多くの人に聴いていだけたらと思う。明日(今日)105日(土)午後2時から、同じプログラムがすみだトリフォニーホールである。

 

心からおすすめしたいコンサートです。

 

 

2003年からコンサートマスターを務めていたアントニオ・アンセルミが急逝したため、バロック・アンサンブル、カメラータ・アングザヌムで活躍しているマッシモ・スパダーノが急遽ソロとコンサートマスターを務めた。


 公演冒頭に、アンセルミを悼んで、ヴェルディ「4つの聖歌」から「アヴェ・マリア」が演奏された。演奏後は黙とうしたかったが、拍手が起きてしまったのは残念。

 

イ・ムジチの弦は、ピカピカに磨き上げた高級イタリア家具のような、木目の美しく滑らかな音がする。音色は明るく華やか。どれほど激しい演奏も混濁はなく、軽やかな響きを保っている。編成は3----1にチェンバロ。

 

モーツァルト《ディヴェルティメントニ長調K.136》、テレマン《ディヴェルティメント変ロ長調TWV50:23》は、流麗で艶のある演奏がレガートで美しく流れていく。響きは重くならず、天空を飛んでいるような気持になる。

 

ソプラノの天羽明惠(あもうあきえ)により、ヘンデルのオンブラ・マイ・フ、モーツァルトのモテット《エクスルターテ・ユビラーテ》ほか全3曲が歌われたが、湿り気を感じるやや重い日本人的な声が、(ヴィブラートのかけすぎかも)イタリアの明るく乾いた音色とあまり合っていないように感じた。

 

後半は、ヴィヴァルディ《四季》。抜けるような青空を思わせる、軽やかで美しい演奏。アンセルミ時代の演奏は、映像で見る限り、かなりアグレッシブな《四季》を聞かせていたが、スパダーノ率いるイ・ムジチはピリオド奏法を取り入れつつ、適時ヴィブラートをかけ、中庸で流麗な演奏に終始していた。

 

 《冬》第1楽章冒頭でのフラジオレットの高音の無機質な不協和音が現代音楽のようで、面白いと思った。

 

 アンコールはJ.S.バッハ: G線上のアリア、ヴィヴァルディ: 4つのヴァイオリンのための協奏曲 ロ短調 「調和の霊感」RV580から 第1楽章、天羽明惠が会場に歌を呼びかけた山田耕筰: 赤とんぼ。終演は920分を過ぎていた。

 

 

 

資料:

イ・ムジチ合奏団歴代コンサートマスター

1代:フェリックス・アーヨ(Felix Ayo19511967

2代:ロベルト・ミケルッチ(Roberto Michelucci19671972

3代:サルヴァトーレ・アッカルド(Salvatore Accardo19721977

4代:ピーナ・カルミレッリ(Pina (Giuseppina) Carmirelli19731986

5代:フェデリゴ・アゴスティーニ(Federico Agostini19861992

6代:マリアーナ・シルブ(Mariana Sîrbu19922003

7代:アントニオ・アンセルミ(Antonio Anselmi20032019

 

写真:()KAJIMOTO