大陸的F1編集後記
1987年、ブラジルGPで初めて触れたF1の芸術品ともいえるセクシーなフォルム、爆音に等しいターボの時代、そしてトランペットのような12気筒の心地よいエキゾーストノート、セナやピケ、マンセル、そして中嶋、鈴木亜久里の時代、ホンダの撤退、復帰。F1をファインダー越しに捉え続けて来た。既存のF1誌の写真を見るたびに「そんなんじゃない!」「F1はもっとセクシーなのに...」ウ~ンもう我慢できない!2004年、どうしてもリザルトデータやスペック、記事が主体の既存のF1雑誌に満足できず、記事なんか無くても構わない!「言葉」と違い「写真」は世界共通の言語!プロの写真家が最高の写真を見せたいと思うようなステージをと、アートとしてのF1ファンのためのグラフィック誌 F1SCENE を創刊。編集拠点をF1の本拠地ヨーロッパ、フランスはパリに移し、ヨーロッパの文化と日本の感性の融合を合い言葉に「Team ZERO」を率いて「出版の壁」に挑む。 宮田正和(Photographer)
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F1SCENEサイトへの移転のお知らせ

2006年のシーズンの開幕と共に、
誌面では知ることのできないもう一つのF1を、
本家「F1SCENE」のサイトでもブログを開設することになりました。

しかし、同時進行で2本のブログを更新して行くのは無理があり、
「F1」に関しましてはこれを機会に一本化することにいたしました。
これからはF1関連の話題は「F1SCENE」のサイトにて、
サーキットからライブ感溢れる更新を続けたいと思いますので、
今後ともよろしくお願いいたします。

F1SCENE/オフィシャルサイト :http://www.f1scene.com/jp/index.html
F1SCENE/GP Letterl : http://www.f1scene.com/jp/blog/


2006年 ARTA Project Press Conference



本日、芝にある東京プリンスホテル/パークタワーにて、
鈴木亜久里が率いるARTA PROJECTの2006年度の体制発表があった。

ARTAとして、そして僕にとっても、
9年目のシーズンを迎える、9回目の体制発表会だ。
新しい体制の元で新しいカテゴリーに移籍をするドライバー、
あるいは今年こそはと、同一カテゴリーでチャンピオンを目指すドライバー、
また残念ながらサポートから外れ、ここにはいないドライバーもいる。
悲喜こもごもでもあるこの場。
しかし新しいシーズンの開幕を目前に控え、
そんな彼らの表情からは少々の不安と同時に大いなる自信が伺える。

ちなみに現在F1のテストをバルセロナで行っているため、
ARTA生え抜きといってもいい注目の井出選手は欠席だったが、
懇親会の途中で国際電話で出演という計らいもあった。

僕自身は本来ならテストの撮影に行きたいと思っていたのだが、
カラーリングが施されていないマシンであること、
そして9年目ともなるとこの恒例の発表会を欠場するのは簡単ではなく、
最終的にこの場で撮影をすることを余儀なくされた...

発表会の前にはこれも恒例なのだが、
全ドライバー、スタッフの顔写真を撮る。
毎年変わらないドライバーもいれば、
スッキリと締まったいい表情のドライバーもいる。
中にはオフの間に増量キャンペーンをしたのかな?
と思われるドライバーいるのだが...(笑)

ともかくスタートラインは目前だ。
2006年というシーズンを笑顔で終えられるよう、
ベストを尽くし頑張ろうではないか!

もちろん僕もカメラマンとして最高の写真を撮るつもりだ。
だが、そのためには君たち主役が活躍してくれなければ!
みんな頼むぜ!

ベルギーGP開催中止へ!

ベルギーGP 寒いよね~

2005年のベルギーGPスタートシーン


2月8日(水)、Rue de Seine にあるオフィスを後に、

いつものように世界一の通勤路、ポンデザール橋を渡り、

5分で我が家へ。


最近はオフィスでも家でも、1日の始まりはまずPCの立ち上げからという、

筋金入りのネットジャンキーの僕なので、とりあえずは家でもPCを立ち上げる。

(おいおい、さっきまでオフィスで散々PCを使ってたじゃないの!)

するとF1SCENEのADからメールが...

ホンの数分前にミーティングをしてきたばかりなのに。


内容を見て驚いた!「ベルギーGP開催中止!」それもFIA発表とくれば信憑性は高い。

えっ?あのオールージュが...もう見られない?そんな...

続きを読むと今年はともかく来年は復帰するようなので少しだけ安心。

どうやら施設の改修工事に時間がかかりすぎるようで、今年は見送るとのこと。


ならば代替は富士か?(嬉しさと、ホテルを手配しなければという煩わしさが瞬間、頭をよぎる)

最後まで記事を読んで思わずFIAに電話!

旧知のP氏に尋ねると、どうやら今年は18戦で行く方向らしい。

富士の飛び入り参加は無さそうなので一安心。


ここ数年来、毎年のように開催が危ぶまれているSPAのF1。

しかしここに来て、ついに開催中止に至ってしまった。

表向きの理由は施設の改修だが、資金不足とタバコ広告の問題が裏にあるのも周知の事実。

でも撮影する側からすれば、やはりSPAは欠かせない、

SPAならではのアングルもあるので実に惜しい...


FIAの報道が事実なら来年のカレンダーに復帰するのが待ち遠しい。

2006年LAUNCH

さて、そろそろ冬眠から目覚めなければ...

そう思いつつ、ふと気づけば世の中はもう2月。

正月気分も冬休みモードもどこへやら、そんなものを未だに引きずってるのは僕だけか?


なんせ春節を迎えたばかりなんで(笑)。


懸念されたSUPER AGURI F1もどうやら軌道に乗り出したようだし、

バルセロナのホンダの発表会、そして昨日のモナコでのルノーのイベントと、

僕自身も撮影を始めたので、いよいよ長い冬眠から目覚める時がきたようだ。


それにしても先週のバルセロナのイベントは寒かった!

朝の気温がマイナス1.5度!撮影のためとはいえ、

チーム首脳陣が半袖のチームウェアになったのは、あまりに可哀想。

早く撮影を終わらせてあげたい!そう思った。

天気は良いから、陽が高く上ると暖かいのだが、

それまではまるで冷蔵庫の中に居る気分。


新チームに移籍したドライバーの表情を見ていると、誰もが目を輝かせていて、

チャレンジャーとして強い決意を込めた眼差しを見せている。

つられて撮影している僕まで新たにヤル気にさせられるから不思議なものだ。(笑)


個人的には冬のテストは結構お気に入りだったりする。

朝から晩までダラダラと走るのだが、グランプリでは考えられない時間帯での走行もあり、

また気分的にもみんなまだオフということで、一部チーム関係者を除き、わりとノンビリと構えている。


マシンの走行が途切れた時間帯に日向ぼっこをしながら、i pod に入れたお気に入りの曲を聴きながら、

頬をなでる優しさと厳しさを併せ持つ早春の風に身を任せ、マシンを待つ気分も悪くないものだ。

一切のエンジン音がしない静寂に包まれたサーキットにはまた別の趣がある。


そして発表会ラッシュの今週、僕が選んだのは恒例のルノーのラウンチ・イベント。

パリから日帰り、ルノーのチャーターフライトでモナコまで。

この日の朝のパリの気温は2度、久々のコートダジュールは何と15度!吐く息が白くない!

ここはまるで異国の地。

そういえばニースに居た頃を思い出すと、冬でもヒータを使った記憶が無い...

やはり南仏は冬が最高だ!夏は観光客が多く騒々しいから、南仏に行くなら今の季節がベスト。

前週のバルセロナが異常に寒かったので、覚悟をしていたのだが拍子抜けした。

ヨーロッパ各地から呼ばれたゲスト、プレス、その数500人は下らないと思われる関係者が、

モナコのグリマルディ・フォーラムに集まった。


イベント自体は以外とあっさりとしたものだが、

フォトセッションのあとは言語別にドライバーやディレクターなどへの個別のインタビューが待っている。

同じような質問を4ヶ国語でそれぞれ繰り返され、同じような答えをするのかと思うと、

それだけで2時間近く拘束されている彼らも、仕事とはいえご苦労なことである。


全てが終わるとリージョン別にバスに乗って、ニース空港へ、

行きと同じチャーターフライトでパリへと向かう。

パリの空港を出てみると以外と寒くない、もちろんニースとは比べ物にならないけど...


4日連続で晴天のパリ、春はもうそこまで来ているのかもしれない、

またそれは僕にとって、20年目の「旅」の始まりの季節が迫っているということになる...


遅ればせながら今年もよろしくお願いいたします。

Greeting to all my friends!

いつも私のブログにお付き合いくださっている方々へ...


世界の平和と自由を願い、

皆様が愛する人との時間を平穏に過ごせますように...

パリから心を込めて、「Merry Christmas and A Happy New Year!」

これからもよろしくお願いします。


宮田正和

miyata@mistral.gr.jp

SUPER AGURI F1 再申請へ!


朝一番に朗報!


SUPER AGURI F1再申請へ!

最大の難関と思われていた、10チームの承認が得られ、

あとはFIAへ再申請、認可待ちという状況になった。


これで来期のスターティンググリッドにつく可能性はかなり高くなったといえるだろう。

とはいえ、マシンのクラッシュ・テストや体制作りなどまだ課題は多いが、

ともかく本格的に参戦ができるところまでこぎつけた。



僕の「ICHIBANN」物語20



パリ-サンマリノ、これは今では僕のお気に入りのルートの一つだ。


パリからA6で南に向かって、およそ450キロでリヨンを通過、

そこからスイス方面にそれてシャモニー、

モンブラン・トンネルを通過してイタリア国境、アオスタを抜ける。

さらにミラノを遠巻きにして、ボローニャまで走る。


総走行距離およそ1100キロ、一息に走ると半日はかからない。

今回の走行、これが今後の自分の中での尺度となるから、

無理はせず、また極端に止まることも無く、通常の給油、食事、トイレと、

ルーティンのピットストップ以外は止まることもなく走りきった。

感想からいえば、1100キロという言葉の距離感よりは、

実走の距離感のほうが短く感じていた。

ほとんどが高速道路、そして制限速度が130キロ!

これが実走距離の方が楽に感じた大きな理由かもしれない。


と、これが正しいルート、但し目的地がボローニャならば...


サンマリノGPと聞いてあなたはどこでレースが開催されると思うだろうか?

もちろん、今ほどF1の情報が巷に溢れているようならば、

ほとんどの人はイモラ!と答えるだろう。

だが1987年当時はまだ情報も少なく、初めて撮影に行く僕としては、

安心のために最初のレースだけはと、

ご丁寧にも日本の旅行代理店でサンマリノ共和国のホテルの予約をした...

F1はホテルが取れないと聞いていたのだが、何だ、簡単に取れるじゃないか!

う~ん、そりゃ取れるわけだ!サンマリノは名前だけで、開催地はボローニャに近いイモラだ。

サンマリノから車で2時間半はかかる距離だから、

いくら物好きでもサンマリノからイモラに日々通う奴はおるまい。


ということでヨーロッパ・ラウンド初戦でいきなりつまずいた...

毎朝5時おきでイモラに向かい、ホテルに帰ると既に街の灯りは暗く、

観光地とはいえハイ・シーズンにはまだ早く、空いてるレストランも数少なく、

結局、途中のガソリンスタンドで買ってきた菓子パンやお菓子そのもので、

最初の2日間は過ごす羽目になったl。


おいおい、最初からこんな状態で大丈夫か?自問自答を繰り返す。

それにしてもF1は何て世界なんだろうか?

ホテルは自分で探さなければならないし、どの宿もサーキットの周りは常連で一杯だ。

サーキットでもレストランやケイタリング・サービスなんてあるはずもなく、

チームのホスピタリティーでこそこそと肩身の狭い思いでランチを頂くならば、

観客と一緒にスタンド裏の売店でホットドッグでもかぶりついている方が性に合う!

もしかしてF1は取材されたくないんではないか?本当にそう思えるような待遇だ。


一転して、例えばテニスのメジャー・イベント。

フレンチ・オープンやウィンブルドン、あるいはオーストラリアン・オープンなどでは、

パスの申請をした段階で、親切にも「ホテルの部屋は必要か?」と聞いてくれるし、

実際にプレス向けに豪華なホテルを格安で予約をしてくれる。

更にプレスセンターでは毎日ミールのチケットが支給され、

中でもフレンチ・オープンでは何とマキシム・ド・パリがケイタリング・サービスを提供していて、

プレスランチなのにワイン、前菜から始まってメイン、デザートまであるのだから、

F1から見るとその差は天と地、いやそれ以上の想像を絶するものがある...


現実にF1を年間通して追いかけるというのは、あらゆる面で難行苦行の連続で、

それに耐え、乗り越えてきた人間だけが、あたかも水戸黄門の印籠のごとき、

今やプラチナ・パスとも言われる、FIA発行の「パーマネント・パス」(注1)を得ることができるのである。

一途にF1を追い、苦心の末に得たパスは本人にとってはまさに値千金。

虐げられ、苦労が多いだけに嬉しさもひとしおなのだが、

ふと気がつくと自分自身がかなりストイックになっているような気もするし、

本来ならレギュレーションを満たしているのだから、パスはもらって当然なのだが、

現実には「パスを頂けて嬉しいです!ありがとうございます!」と錯覚すら起こさせるほどのものなのだ。

ふ~む、これって実はバーニー・エクレストンにみんな上手く動かされているだけのかもしれない...


さあ、ヨーロッパ・ラウンドは始まったばかり。

まだまだ、色んなことが僕を待っている!まさに難行苦行の連続が...


注1

FIA発行のパーマネント・パスは、

そのパス・ホルダーに世界中のFIA公認イベントの取材を許諾するもので、

F1から国内レースまでその効力を発揮する。

だが逆にF3や国内のパスを持っていてもF1の取材はできないし、

またパス・ホルダーもこのパスの更新のためには、年間最小取材レース数、

加えて写真家の場合は、年間に出版される媒体に掲載される最低カット数などが定められている。

また単純にパスの申請をしても、多くの場合制限があったり申請自体が却下されるのが現状で、

ゆえにプラチナ・パスとも言われている。

F1の未来/Part2

かつてアイルトン・セナ・ダ・シルヴァは自分自身のために走った。
だが結果として彼はブラジルの貧困層に夢を与えた、
もっと大げさに言えば彼らに生きる勇気を与えた。

では日々の生活にも窮するような貧困層が、

どうして彼らの想像を絶するようなお金持ちの家に生まれたセナを、

自ら自分たちのヒーローと位置づけたのか?


それはセナのレースに対する純粋な思い、

損得を超えた純粋な「ただ誰よりも速く走りたい!」

という一途な思いを彼らが感じ、

そのスピードという世界にだけに自らの人生を賭けたことに共感を覚えた。

そしてその結果としてセナは彼らのヒーローに成りえたのだ。

ライバーのそんな純粋な思いは現在のF1では反映されることは難しい、
利益を上げることを何よりも願う金の亡者がたむろするF1では当然のことだが...
今のF1は僕には「モーター・スポーツ」ではなく、
「モーター・ショー」としか思えない。

マシンの開発はまさしく「競争」そのものだと思うが、

「競争」をするということはそこにアイデアや努力があり、

他人よりも早く走ろうとする行為だと僕は理解している。

もちろんそこに一定のルールが存在することには異論はない。

ただ開発を牽制するような、進化を妨げるようなルールには納得がいかないのだ。


極論だが、仮にも「スポーツ」という言葉を使うのであれば、

選択肢は2つしかないと思う。


ひとつはまったくのイコールハンデで、同一条件のマシンで走り、

ドライバーの腕だけを競う競技。

ただこれは別にF1でなくても、すでに下位のクラスの競技で実施されているので、

あえてF1をそうする意味や必要性はないと思う。


残るひとつは大げさだが、人類の英知と資産をかけて、

それこそ究極のマシンを作り、究極のドライバーに運転させるという方法だ。

僕にはこれこそが本当の意味での「Formula 1」だと思えるのだが。


もしも、それを無駄だというならば、

やはりレースなんて本質的には消費以外の何ものでもないのだから、

潔く止めてしまうべきではないか?むしろ僕はそう思う。


自分自身が身を置くレースの世界の真っ只中で、

自分自身に矛盾を感じているのも事実。

しかし、一旦コックピットに収まりシールドを下ろす瞬間のドライバーの視線は、

一切の邪念はなく、ただひたすら速く走りたい!そう訴えている。

そしてその思いが僕を捕らえて離さない

だからこそF1F1らしくあって欲しいと切に願うのである。


果たしてF1の未来はどこへ

時代の目撃者として、一人のF1ファンとして、

そして写真家・宮田正和としてできること、

いや宮田正和じゃなければできないことは何だろうか?

熟考したいと思う

F1の未来/Part1


さて、ミシュランの撤退を受けて様々な意見があり、

ある方からのコメントに考えさせられてしまった。

改めて「F1とは何ぞや?」と、

今こそ見直さなければならないと思った...


SPORTSの語源はフランス語のDESPORT

「気晴らしをする、遊ぶ、楽しむ」だと言われている。

元来モータースポーツはヨーロッパ貴族階級の遊びであり、

F1ドライバーはいうなれば彼らのお抱えの戦士だった。

その遊びから、貴族社会の変遷と共にドライバーの個性が注目されるようになり、

マシンと共にドライバーに重点が置かれる近代F1レースへと変化を遂げてきた。


では「Formula 1」というカテゴリーは一体何なのか?

Formula 1」の「1(One)」の意味するものは何か?

本来ならレースとして一番最高峰のはずなのに、今や規制に次ぐ規制で、

状況は下位のカテゴリーと何ら変わらないことになってきている。


基本的にF1も興行の一種であることには間違いない。

そして興行であるならば、興行として成功するための努力はするべきだ、

ただその手法が、そして方向性が間違っているような気がするのだ。


かつて安全性を理由に、マシンのスピードを押さえるために、

スリックタイヤが規制されて、グルーブタイヤに変更された、

しかしサーキットによっては従来よりも速いタイムが記録されていった。

これは一番いい実例だと思うのだが、

チームは規制を相手に創意工夫によって、

現実には規制前よりも良いタイムを叩き出してきた。

これでは速度を落とすことを目的とした規制は何の意味も成さない。


人は規制をされたからといって、現状に満足はしない。

隙間やルールの盲点をぬって、新しい手や策を考え、

必ず記録を更新してくる、これは歴史を見れば明らかな事実だ。


だとしたら安全性を訴えるのであればマシンの制御よりも、

サーキットの改善の方がどれだけ効果的か?

エスケープゾーンを広げ、ランオフエリアのグラベルを増やす、

それでも充分だと僕は考える。


そして排気量やエンジン形式を規制して、

パワーダウンさせた車をドライブすることは、

果たしてドライバーにとって楽しいことなのか?

現実にドライバーに車に対する要求を聞くと、

ほぼ100%近くが、もっとパワーがあってもいい、

いや、いくらでもパワーはあったほうが嬉しいと答えている。


彼らとてつもないパワーのモンスターマシンを走らすことが誇りだし、

何よりも好きなのだ!

命がけというリスクも、

対価としてあれだけの年棒やステータスをもらっているのだから、

当然承知しているはず。


余談であるが、想像して欲しい。

彼らは車の運転が僕よりもちょっとばかり上手いだけで

(ちょっとか~?いやもう少し上手いかも笑)

想像を絶する富とステータスを手に入れている!

もしも彼らが救急車の運転手にでもなって、

人命救助でもしてくれたなら、それはそれで立派な社会貢献かもしれないし、

僕も納得できるかもしれない(笑)

だがレースではただの消費活動に加担しているだけで、

直接的に誰の命が救えるわけでない...


では世界中でこれほど多くの人々がどうしてF1に魅入られるのか?

それは人間の持つ「心」が最大の理由だと思う。

人は誰でもそうだと思うが、「感動したい!」「喜びたい!」、

危険なもの、スリルのあるものには怖いもの見たさも手伝い惹かれてしまう。


自分の想像を絶するハイパワーのマシンを自在にコントロールするドライバー、

(例えば最盛期のターボエンジン搭載車では1000馬力を超えていた。もちろん馬力だけではなくパワーウェイトレシオが一番肝心なんだが...)

自分自身ができないことを可能にする相手に、人は誰でも憧れ夢を持つ。


それが安全のためという大義名分で、

そしてただ単に追い越しのシーンが少ないから、

視聴者が面白くないからと...

そんな理由づけでこんな規制を実施するなんておろかではないか!


危なくたっていい!

莫大な資金がかかってもいい!

何故ならそれがF1だから。

そして大の大人が夢見ることのできるレースだから続く。

ミシュラン2006年限りでF1から撤退!

連日のようにビッグニュースが飛び込んでくる。

今日のプレスリリースは「ミシュラン」からだった...


「2006年限り、F1から撤退を表明!」


2008年からのレギュレーションでタイヤメーカーが1社になるとFIAが発表。

それを受けてタイヤサプライヤーとして競争相手のいないF1は意味が無いと、

ミシュランは撤退を表明した。


この判断をどう思うか?

そもそもお金がかかりすぎるからF1を規制しようというのは実に変な話だ。

レースの存在自体が、「消費」であることには間違いなく、

レースをすること自体がお金のかかる事というのは大前提なわけで、

予算が無いなら、GP2や下のカテゴリーに参戦すればいい。

何も最高峰を謳うF1でエンジンを規制したり、タイヤをワンメイク化して何の意味や価値があるのか?

ゆえに競争相手無きレースに何の価値も見出さないミシュランの判断はすこぶる正しい。


かつてエンジンに12気筒、10気筒の両方が混在していた時期があった。

それもスバルやポルシェの水平対抗12気筒エンジンのように、形式が異なるエンジンも存在していた。

それぞれにアドバンテージがあり、ウィークポイントもあり、

開発を進めていった結果として、V10が生き残ったわけだ。

だからこそF1の価値があるわけで、

無条件にコストパフォーマンスだけでV8エンジンと決めてかかるFIAの考えには納得がいかないし、

試行錯誤の末に、結果としてV8が良くて残ったわけではないということが問題なのだ。


最高峰のF1では一切の規制を取り払って、

最新テクノロジーを存分に盛り込み、

それこそ世界最高峰のレースにするべきだ。

夢のレースだから莫大なお金が必要なのは承知のうえだ、

でも、だからこそ世界中の人々が夢中になれるのではないか?

夢を見ることのできないF1なんて...


明らかに今までよりも性能の落ちるエンジンを使い、タイヤもワンメイク。

その上、リアウイングまで決められてしまったら...

これじゃまるでA1グランプリ?


「公平」とか「安全」とかを掲げるのであれば、いっそレースを止めることをお勧めしたい。

レースなんてもともとマシンのハンデがあって当たり前のもの。

ワンメイクならともかく、F1でこんなことが論議されること自体不思議でしょうがない...

どうやら「Formula One」というカテゴリーの存在をもう一度見直さなければならないようだ。

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