大陸的F1編集後記 -7ページ目
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RULE

本日パリより日本に戻る。
相変わらずエールフランスのハンド・バゲージチェックは厳しい。
「ボンジュール、ムッシュー」と満面の笑顔で青年は出迎えてくれた。
そして「東京までですね?」と希望のシートを尋ね「お荷物はお一つですか?」「そうです、チエックインは一つです!」

30キロを若干超える大きなリモワのスーツケースは問題無く通った。
その後、「お手荷物の大きさは問題無いですが、重さを量りたいのですが」ときたので「どうぞ!」と量りに載せると「えっ?21Kg!」
驚愕の表情で「お客様、お手荷物に何を入れられてるのですか?」
言葉遣いはあくまでも慇懃かつ丁寧だが、
その表情からは「何者だ?」という不審げな様子は隠せない。

「中身は機材、カメラですよ」と僕も至極当たり前の顔で答える、
なんせ僕にとってはこんなことは毎度の事なので対応は慣れたもの。
「プロ用の機材なのですか?」彼は表情を変えずに聞いてくる。
「そうです、私はプロの写真家です、荷物が多く重いのも承知しています。
でもだからこそビジネスクラスのチケットを購入してるのです」
すると最初の満面の笑顔に戻って「判りました、そういう事なら構いません」と僕にとっては最高の模範的解答が返ってきた。しかし手荷物は8キロまでと規約に書いてあるのに
またそれはセキュリティー上の問題でだと言われた事があるのだが。

「オーバー・ルール」もしくはルールの拡大解釈。
これは時と場合によってありがたくもあり、困ってしまう事も多い。
サッカー主審が誤審をしたと裁定を受け、国際試合の資格剥奪となった。
国と国の争いとも言えるワールドカップは代理戦争みたいなものだから、
これは仕方のない事かもしれない。

翻ってF1だが、その主審とも言えるFIAが、
何とも言えない裁定やルールを次々と打ち出している。

タイヤメーカーのワンメイク化、エンジンの規制。
本来、技術開発の競争の舞台でもあったグランプリが、
いつの間にか制限だらけの見せ物に成り下がったのだろうか。
スピードが危険?だったらレース自体を止めればいい、
資源保護?だったらタイヤだけではなく、燃料も制限すれば?
ドライバーのもらう桁外れの高額なギャラは、
彼らの背負ってる「命」を賭けるというリスクへの対価だ。
危険だからといって、F1ドライバーを止めるヤツはいないと思うが...

全てにおいて最高のカテゴリーがFormula Oneだとする僕の解釈は間違いか?
F1に規制はいらない!最高のモノにはお金がかかるのは当たり前で、
嫌なら止めればいいだけのこと。
新しいテクノロジーを導入して何がいけないのか?
僕には納得がいかない。

日本人がヨーロッパで認められるには...

1998年、F1グランプリをレギュラーで取材した初めての年。
自分の宝物を売りさばき得た虎の子150万円で、
半年間車を借りて、それに家財道具一式を積み込んでサーキットをまわった。
F1とオートバイの世界GPの両方を追っていたので毎週移動につぐ移動。
今日はスペイン、明日はイタリアへとシーズン中でおよそ6万キロを走った。
国境を超えて、言葉が変わり通貨が変わる。
1日に3カ国も4カ国も通過する事もある、その国に独特の匂いがあるのを知ったのもこの時だ。
その間半年あまり、宿泊は基本的に車の中、ホテルは洗濯を兼ねて1週間に1泊だけ、
食事はパンとハムとチーズ、これが主食だった。
そんな生活だったが、ちっとも苦痛じゃなくむしろ楽しかった記憶しか無い。

F1の取材をするようになって2年目の1989年から、
パリに2年、ニースに2年、合計4年現地にアパートを借りて、
そこをベースに活動していた。
当時はまだE-mailもインターネットも、そしてデジタルカメラも無かった時代。
どこかの国に取材の申請をするのにテレックスを日本から送った事もある。
(テレックスなんて知ってるだろうか?あの紙テープに穴があいてるヤツだ!)

そしてここ数年F1シーズンはまたパリをベースに活動をしている。
あの「車漬け」の過激なシーズン以降、毎レース日本から通っていた時期もある。
基本的には水曜日に日本を出て翌週の火曜日に日本に戻り、
1週間のインターバルの際には1週間日本で1週間現地になる。

結果として航空会社のマイルばかり増え、
僕の記憶には空港とラウンジ、機内とホテル、
そしてサーキットの風景だけしか残らなかった...

F1を本当に理解するには、
「ヨーロッパに来て、空気と人に触れること」
F1取材最初の頃にある外人ジャーナリストに言われた一言。
日本の感性で捉えたF1グランプリをヨーロッパにも知らしめたい、
その思いが再び僕をパリに呼び戻した。



永遠のアマチュア

senna
僕の周りにはレースを撮影する若者(?)が大勢いる、
プロ並みの機材を持って、サーキットに現れる彼らの眼差しは
かなり大げさに例えれば(笑)ギラギラと飢えた獣のようで、
(実際は空腹なだけなのかもしれないが...)
チャンスを一瞬たりとも見逃さないという決意の表情、
(待ちくたびれて疲れ果てた表情なのかもしれないが...)
そんな彼らを見ていると、忘れかけていた自分の「闘志」を思い出させてくれる。

きっと昔は自分もそんな目をしていたのかもしれない...
セナとファインダー越しに睨み合った36カット(当時はフィルムなので)。
先に視線を外したら負け!と勝手に決めつけフィルムがとっくに巻き戻されているのに、
撮る振りをし続け、ファインダーから目を離さなかった自分、
恥ずかしくも懐かしい思い出。

おそらくこれは不幸だと今では思い込んでいるが、僕にはアマチュア時代が無い。
写真学校以降では写真を撮り始めた時からお金をもらっていた。
だから今まで趣味の写真の経験は全く無く、撮影=仕事。

アマチュアの方々の思いは熱い、
質問の多さ、深さ、真剣な思いが伝わってくる。
もっと近くで撮りたい、いろんなアングルから撮りたい、
でもフィールドの中に入るにはプロになること。
プロになりさえすれば...
おっとその前に忘れてはいけないことがある、
そう、アマチュアにしかできないことがあった。

プロとしてフィールドに入れば「仕事」という責務を負う。
自分が撮りたいものを撮っているだけでは済まなくなり、
嫌いな被写体でもピントを合わせシャッターを切らねばならない。
アマチュアでいる事によって制限はあるものの、
自分が納得できるまで、好きな被写体だけを追い続けていられる。
失敗しても悔しがればそれでいい、そして次のチャンスを待てばいい。
しかしプロの失敗は収入に直結している、もちろん良ければプラスだが、
悪ければマイナス、仕事を失うことさえもありうる。

そんな賞金稼ぎのようなプロ・カメラマンと、
安定した収入で楽しみながら写真を撮り続けるアマチュア・カメラマン、
さて果たしてどちらが幸せなのだろうか?



ヨーロッパラウンドを終えて

例年ならばイタリアGPがヨーロッパ最後のGPになるのだが、
今年はベルギーGPと入れ替わってしまった。
通常でも一歩間違えると寒いベルギーが、完全に寒いベルギーになった。
木曜日には快晴で半袖短パン!しかし天気は下り坂...
決勝日にはカッパとフリースを着込んで、カメラを持つ身には最悪の天候。
むしろドシャ降りなら望むところ、久しく完全なウエットレースがないので大歓迎!
しかし中途半端な路面状態は最悪、ただひたすらモノトーンの世界。
レースの結果は今更語る気もないが、ひたすら不満の残るグランプリだった。

スパを出てパリへと急ぐ道中は渋滞とそれこそドシャ降り、やってられない...
「たどり着いたらいつも雨降り」なんて古くてマイナーな歌を口ずさむ自分の年齢が...

寒いよね~ ベルギーGP

言葉の助け

そもそも何でブログを始めようとしたか?
もちろんプロの写真家である訳だから、表現者の端くれではあるつもりだが、
そして1枚の写真で全てを表現することに徹してきた訳だが。
出発点は「はたして写真に言葉は必要か?」という素朴な疑問だった。

通常、マスコミ媒体では写真は記事と合わせて、いわゆるセットで使われる事が多い。
それはキャプションとも言われるが、写真の説明がほとんどの場合に付いてくる。
ある時、誰が見ても間違え用のない写真にもキャプションが付いていた、
「何で?」「見りゃ判るだろうが?」僕はそう思った。
もちろんニュースならそれも必要かもしれない、
でも見たまんまの光景を説明しているそのキャプションは例えて言えば、
「海に沈む夕日」とそのまんまの表現だった。(笑)

いらぬ「おせっかい」。
写真は見た人の想像力や思い込み、その時の心理状態で同じ写真が全く異なって見える。
だからこそ楽しく、そして面白い!
そんな思いの全てをぶつけたのが F1SCENE だった。
しかし大手出版社でもない我々が巨額の宣伝費を投じる訳にもいかず、
広告だっておいそれとは打てやしない。

意志のある希有な存在のこの本の存在を知ってもらうため、
言葉の力を借りようと思いたった。
何かを感じてもらえたら、本を手に取って欲しい。
そこに僕の言葉を超えた表現があるからだ。


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