大陸的F1編集後記 -5ページ目

Good Day!



昨日は熊本発の最終便にて東京まで、
自宅に戻ると既に日付が変わっていた。
4年ぶりという念願のチームの優勝!(500クラス)で、
嬉しさと共に久しぶりの忙しさを味わい、
疲れ果てて、そのままダウン。
昨日の熊本の碧空から一転、激しい雨の音で目覚める。

現在ARTA(オートバックス・レーシングチーム・アグリ)代表の鈴木亜久里だが、
彼との付き合いは彼がF1ドライバーとして参戦したときからなので、既に17年にもなる。
彼が現役を退き世界を舞台に戦える若手の育成をと、
現在のプロジェクトを立ち上げる時にも「手伝って欲しい」と言われ、
当時F1に掛かりっきりだった僕は、F1と日本のレースの両方をカバーするはめになった。
だが、それまでF1しか撮影したことのなかった僕にはある意味で日本のレースは新鮮だった。

普通はフォトグラファーにもレーサーと同じようにステップがあるらしく、
まずは国内の小さなレースを撮影、そして国内メジャーレースへ、
その先にF1がある、という図式がどうやら普通らしい。
初めて撮ったレースがいきなりF1なんてフォトグラファーは、
業界関係者に言わせるととんでもない話で、
そんな機会に恵まれたのは、おそらく世界中探しても僕ぐらいだったようだ。

サーキットには多くの、そして様々なスタンスのフォトグラファーがいるが、
僕はレースそのものを漠然と撮影するのはどちらかと言うと苦手で、
ある人物、特定のチームなどターゲットを絞って、
自分なりのストーリーを描き、写真にする方が好きだ。

F1では完璧に自分の好みを優先して、ある意味では我が侭に撮影し、
日本のレースではほぼARTAだけをこれもまた我が侭に撮影している。(って結局全部我が侭か?)
まあ僕は雑誌の仕事は全く請け負っていないのでこんなスタンスができるのだが。
でも、せっかくレースに行ってるのだから勿体ないという声もあるが、
自分が好きで撮る被写体だからこそ、思い入れのある被写体だからこそ、
納得できる写真が撮れるのだと思っている。
だからついでに何かを、というスタンスは僕には向かない。

仕事を選ぶフォトグラファー、
自分に仕事をフィットさせてしまうフォトグラファー。
こんなフォトグラファーが一人ぐらいいてもいいではないか?
最近は開き直ってそう思っている。(笑)

上海 vs 熊本


二日間分の更新です。


一日中雨と霧に翻弄され、まともにセッションを終えられなったSUPER GT。

阿蘇山の周りにあるオートポリスというサーキットだが、

場内アナウンスで日本のスパ・フランコルシャンと言っていたが、

果たしてそれほどのものか?本場を知ってる僕にはちょっと...


しかしそんな悪天候の中、僕の撮影しているARTAチームが300クラス、500クラス、

両クラスでポールポジション奪取!晴天が予想されている明日の決勝が楽しみだ!

というわけで今日は明日の必勝祈願をこめて、何故かレーシングチームが好きな定番、焼肉へ。

残り2レースとなったSUPER GTもここが勝負どころ、

チーム力、ドライバー、全てがかみ合ってきたARTA、明日の勝利を祈願して乾杯!


ちなみに僕は見かけによらずアルコールは苦手。

最初は飲ませようとしたチームの連中も、一度飲んだ後の僕をどうするかで悩み、

それ以降あえて飲ませようとはしなくなった。


念のためだが、飲んで暴れるわけではなく、

その場で寝てしまうので、どうやって運ぶか?それが問題な訳だ。

今でこそダイエットの効果もあり(?)180cm、85キロだが、

最盛期の(何のだ?)僕は110キロまで達したことがあった!何と約0.1トン!

 

ダイエットをしたい人は、肉屋で10キロの肉を見て欲しい。
これが自分の体にまとわり付いていると想像したら、誰でも絶対に痩せようと思うはず、
そしてこれは自分自身で実験済みなので保障付。

5年で25キロのダイエット成功!

他にもダイエットを成功させるコツやツボ、ノウハウは相当持ってるので、

お悩みの方は別途気軽にどうぞ!(笑)


まあ基本は食べ過ぎないことに尽きるのだが、ひとつエピソードを。

結婚前、相手の実家に行くと当たり前だが皇太子のように迎えられ、
それこそご馳走の山でもてなされる。基本的にいい人であった僕は、キレイに食べきって帰る、
すると次は前回よりも多い量が用意されている。でもいい人の僕はそれも残さず食べる、
その次はもっと増え、それも残さず食べる,,,

結果デブへのスパイラル一直線!


学生時代78キロでいた僕が110キロ!使用前、使用後みたいで本人が情けなかった。

自分の写真に負けないように、スマートになりたくて、努力(?)の結果が85キロ。

まあこれ以上痩せると、周りが病気じゃないか?と、
騒ぎ出しそうなので止めておくことにした(笑)

 

しかし日本の居酒屋系のメニューは何を見ても美味しそうでいけない!

パリにいるとデザイナーのTが、居酒屋にいきたい!と妙に煩いので、

鈴鹿の日本GPの金曜には居酒屋に連れていったら大喜び。

パリに置いて来た彼の新婚女房殿は、一人寂しく燻製イカで焼酎をあおって、

もう冬みたいに暗く寒いパリで寂しさを紛らわしているらしいのだが...(笑)


その彼は鈴鹿で居酒屋、焼肉(松坂牛)、デニーズ&コンビニと、

彼の言う所の理想の日本の食文化を堪能し、

今週末は中国4000年の歴史に彩られた本場、上海で中華料理攻め。

おそらくは今が旬の上海蟹に舌鼓を打っていることだろう!


おっと一応彼は中国にはF1のために行ってるはずだが...

そしてもちろん僕も負けずに馬刺し+焼肉で応酬しているが、この勝敗は? (笑)

Pro's Pro



昨日より中国GPが始まった。
残されたタイトルはコンストラクターというチームとしてのチャンピオン。
一番肝心のドライバーズタイトルはすでに決定していて、
来期の移籍もあらかた決まりつつある。
果たしてこんな状況で真剣勝負になるのか?
やはりこれはF1の七不思議のひとつかもしれない...


一方僕はといえば、熊本空港に向けてフライトの機内でブログを書いている。
到着地の天気は雨、明日も雨模様らしい。
雨のレースも時にはいいけど、こう続くとちょっとね...


ところで機内でのお話。キャビンアテンダント(名称も気を使わなくては...)さんが、
ジュースとかスープとかコーヒーをワゴンで持ってくる、
まあこれは普通のことなのだが。
ところが前のほうからサーブしてきて僕の目前まで来たら、
突然そのままワゴンごとギャレーに戻ってしまった。
僕は何にしようかな?ちょうど喉も渇いていたし、冷たいお茶にしようかな?
なんて考えていたので、「あれっ?どうしたの」という気分だった。


それから5分ぐらいして後方から別のワゴンが来たのだが、
引き下がる前にせめて「後ろからサーブしてきますので」とか「少々お待ちください」とか、
何か言葉があるでしょうに?それも客室乗務員として最高のサービス教育を受けているはずなのに。
少し僻みっぽい自分も嫌だけど、でも一言で済むことなんだけどね。


で、ここからはホテルの部屋で続きを書いている。
機内のことも忘れて、無事に荷物をピックアップ。
とりあえず空港からキャンギャルを乗せレンタカーでホテルに向かうのだが、
今日は日が悪いのか、ここでまた問題発生。


車を借りた際に、ホテルのインフォメーションをレンタカー屋のお兄さんに見せて、
カーナビをセットしてもらったのだが、これがとんだ食わせ物!

まあ普段行かない場所なんで、道路も道順も記憶は曖昧で、
ナビの指示通りに走っていたら「300メートル先、目的地周辺です!」だと。
もうすぐだ!なんて周りを見渡せど見えるのは畑と線路、後は民家...
どこにもホテルのような大きな建物はない!お前覚えてろ!


本来なら空港まで戻って文句を言おうかと思ったけれど、今日は特別に許してやることにした。
何故って?うら若き乙女たちを3人も乗せていてはおじさんも冷静さを保たねば...(笑)

しょうがないので自分で電話番号を入れなおし再スタート後、15分で到着。

おなか空いた!という子供のようなギャルたちと共に無事にチームのスタッフと合流。


それにしても最近は「プロ」意識を持った職業人が本当に少なくなった。
元気でそのブログを読んでいるだけで、エネルギーを分けてもらえるので時々お邪魔する、
東京小町さん のコメントにもあったが、
やはり自分で選んだ道ならばその道の一流へ、スペシャリストにならなければ...
そして、せめて対価としてお金をもらう以上、プロなのだから、プロらしくあって欲しい。


自分自身への戒めの意味も込めて...今日は一言、「Pro's Pro」でありたい。

今週はSUPER GT!




今週末はF1は上海GPだが、僕は熊本オートポリスでスーパーGTの撮影。

F1の最終戦も心惹かれるけど、チャンピオンの決まってしまった消化レース(失礼!)は、
正直に言えば僕の興味の対象ではない。(何と贅沢な...)
もちろん鈴鹿は地元GPということで、それなりの役目も仕事もあったのだが、
上海は去年1回行って、片道2時間のサーキットへの道程に懲りてしまったのでパス。
どうやら上海のパドックではF1SCENEが1000部もVIPに配られるらしいのだが、
それは写真とレポートをもらえればいい。

という訳で金曜の夜から、チームのキャンギャルをツアコンよろしく引き連れて熊本入りの予定。
本業はあくまでも写真家なんだけど、チームの一員みたいなところもあるから止む無しか?(笑)
お父さんと言われてもおかしくない年齢差の彼女達の会話を聞いていると、まるで宇宙人のよう。
主語も述語もへったくれもなく、意味不明な言葉の応酬。
僕の頭の中は???といった状態だが、一人ずつ話してみると実はみんなごく普通の女の子。
それも凄くいい娘達に思えるから不思議だ。
人は見かけで判断してはいけないと、頭で理解はしているつもりだが、
無意識のうちに自分の範疇でない人を敵対視してしまう悪しき習慣が身に付いている。

そういえば先日、JRのホームの階段でこんなシーンを見た。
ズボンがずり落ちそうでパンツが見えてる十代と思われる男の子が、
荷物を目一杯もって階段の前で途方に暮れているおばあさんに声をかけ、
階段の上まで持っていってあげた!僕は思わずその男の子に「いいね!」と声をかけた。
すると彼はものすごく照れくさそうに「どーってことないっす!」と答え、
今来た階段を降りていった、「?」そう彼は自分の行きたい方角でもないのに、
ただおばあさんの荷物を持って上まで行ってあげたのだ。
日本もまだまだ捨てたものじゃない!本心からそう思った。

もちろん初対面同士では見かけは相手を見極める大事な要素の一つにはなるが、
それが全てではなく、心を開いて接してみなければ中身はわからないものだと思い知った。
そう思って瞬間的に何人かの顔が僕の脳裏に浮かんだが...
いやいや、やっぱりあいつはダメだ!うん、こいつもダメだ!(笑)
結局、自分の感性を頼りに生きてきた僕は直感が全てなのかもしれない。

今回の写真は2005年/MONACO GPからです。

Sennaのこと

senna
今日、僕のブログにある方がコメントを残してくれた。
セナの事、セナへの思いが切々と伝わってきた彼女のメッセージに答える意味でも、
今日は僕もセナの事を書きたいと思う。

僕は1994年のその日、その時、その場所にいた...
言葉では何も伝えきれない、
そんな無力感に襲われた記憶しかない。
直後に日本に戻ると、ものすごい数の雑誌社からセナの写真はないか?と連絡が来た。
いわく写真展をやるから、写真集を作るから...
当時の僕には商魂が丸出しのように思え、
その瞬間から僕が持っていたセナの写真は全て封印をした。
そしてその後どんな依頼が来ても一切写真を出す事は無かった。
(当時契約していた出版社が持っていた写真は止むおえず、だったが...)

そして事故から10年を過ぎようとしたある日、こんなことがあった。
きっかけはうちの奥さんの一言だった。
たまたま写真の整理をしていた時に、セナの写真を見つけ出し、
「こんなセナ見た事ない!」「他にも見たい!」と言い出した。
そう、うちの奥さんはアイルトン・セナファンクラブのメンバーだった。
そして「どうしてあなたのセナの写真は雑誌とかイベントで使われないの?」と尋ねられ、
僕は誰にも言わずにいたその理由を初めて彼女に話した。
すると彼女は「皆に見せて欲しい!」
「悲しい事だったけど、こんなセナがいたという事実を残して欲しい」と言った。

実は彼女と知り合ったのはセナの事故より数年後の事だった。
だから僕は彼女がセナが好きな事も後から聞いた話で、
特にセナの事を話題にする事は無かった。
今思えば彼女も触れたくない話題だったのかもしれない。

そして彼女の言葉で僕はセナの写真集を作ることを決断した。
確かに自分だけがセナの写真を持っていても、
それはただの悲しい思い出に過ぎず、
写真家として公開する義務もあると思い、
セナの姉、ビビアーニにコンタクトを取り、趣旨を伝えると、
「是非素晴らしい本を作って欲しい!」と快諾を得られた。

本の中身はうちの奥さんの意見や思いも取り入れ、
Team ZEROの仲間達の素晴らしい写真も加えて、
これが最初で最後のセナの本!という思いで一生懸命作った。

本を作り終えて、イモラのパドックでビビアーニに直接渡した瞬間、
まるで何かの呪縛が解けたかのように凄くホッとした。

奥さんとブラジルのモルンビーにセナのお墓参りに行き、
花を捧げて感謝の気持ちを残した。
お墓参りの帰り道、その時彼女が「F1やめるの?」とポツリと言った、
ドキッとした。実はセナの事故以来、僕はF1に関わっていたけれど、
とりあえず写真は撮っていたけれど、
何となく昔みたく本気で写真を撮っていなかったように思えた。
そして止めようかな?と心の奥底で思った事も事実だった。

僕にできる事の中で、最も得意なのは写真を撮る事、
ならばもう一度、一生懸命写真を撮ってみようか?
セナへの思いを遂げたからか、
僕はまた新たに現場に立ち向かう気持ちを持っていた。
その思いから、ただひたすら夢中で走り続け、
気がつけば新しいF1の本を作るまでに至ってしまった。

長くなったがこれが僕のセナへの供養だと思っている。
そして奥さんがいなければ、
今の写真家としての僕は存在してなかったと思う。
10年間の空白を真摯に見つめ直し、
彼女もセナにちゃんと「さよなら」を言えたことだと思う。

辛い事かもしれないけど、僕たちはセナの生きてきた証をもう一度見なおす事によって、
今自分が生きてることの素晴らしさをあらためて感謝している。

アイルトン・セナ/The First Decade

The Day Afer




レース終了後の渋滞を嫌い、
日曜日の深夜0時に鈴鹿を出発。
飯田橋、銀座、横浜経由で自宅まで、
オン・タイムで到着!素晴らしい(笑)

途中から降り出した雨はシトシトと降り続いていた。
鈴鹿サーキットの碧空が懐かしい!って何時間前のことか?

かつて南仏のニースに住んでいた頃のことだが、
同じニース在住の作家にI.Y氏という熱いオヤジがいて、
ひどい時には炎天下に4時間もコート上で、
フルセットのタイブレークとフレンチ・オープン並みの戦い(?)をしていた。
そんなライバルの存在もあり、
休みと言えばテニスを一生懸命していたのだが、
最初の頃は毎朝起きると「今日も天気!」と、
二人して喜び勇んでテニスコートに向かったものだが、
それが一週間も続くと、「また天気?テニスやらなきゃ...」
に変化していき、最後には二人とも「お願い、雨降って!」となる。

もちろん自分でテニスコートに行かなければそれで済む話なのだが、
ライバル関係である以上、どちらも自分からは「今日は止めよう」とは言い出せず、
相手がそう言いだすの心待ちにしていた。(つまらない男の意地...)
だがそれほど晴天続きで雨の「心配」が無いというより、
この場合は雨の「期待」ができないニースだった。

そんな理由で南仏時代は天気を気にしたことはほとんどなかった。
一転してパリ生活だが、ここは違った意味で天気を全く気にすることはない。
それは天気の変化が激しく、朝晴れていても午後に雨が降り、
夕方にまた晴れるなんてことも当たり前なので、
結果として天気予報もあまり当てにならない。
だから僕も最初から雨も晴れも覚悟をしているからだ。

天気が良いと気分も良くなる、これは誰もが同じだと思う。
でも仮に1年中晴れていて、雨が降らない場所があったとしても、
そこにずっといる気にはなれない。
やはり雨があるから晴れが嬉しく思え、楽しくなるのであって、
晴ればかりでは有り難さを感じなくなるものだから...

それにしても写真家とはなんと贅沢で我が侭な生き物なのか?
晴れれば雨を望み、雨が降れば晴れを待つ。
職業柄とはいえ誠に厄介な性格ではないか?

ところで、そんなパリはもう寒いし暗いらしい。
11月の後半までは様々なイベントや打ち合わせで日本にいるので、
帰る頃には朝の9時でも真っ暗で、4時になると既に真っ暗な世界か?
今のうちに太陽の恩恵に預からねば...
僕のF1シーズンは終わったので、
明日からはせっせとゴルフに通うことにする。(笑)

Party is over...




決勝レースを終え、ルーティンの作業を終えて、
フォトグラファー・ルームを出ようとしたその時、一斉に拍手と歓声が沸き起こった!
実は土曜日の夜にあった「RENULT TEAM SPIRIT PHOTO COMPETITION」の年間表彰で、
僕が第1位となり、同時に獲得した賞金6000ポンドでご馳走しろ!
と言った意味の羨望と悔しさの(?)入り交じった拍手と歓声であった。

このイベントは年間を通してルノーが主催しているフォトコンペティションだが、
各レースごとにプロの写真家からベストショットを募り、各レースごとにウィナーが選ばれる。
今年、僕は2点ノミネートされていて、ミッド・シーズンでは第2位を獲得していた。
そして日本GPで年間を通してのNo.1が選ばれ表彰される。
そのこと自体、僕自身にとっては嬉しいことなのだが、
もっと嬉しかったことは、第3位にP・アンリ・カイエ、第2位にT・グロミック、
そして第1位が僕と、Team ZEROのフォトグラファーが表彰を独占したのである!
言うなればポディウムの独占!これは最高の気分だった。
この瞬間、文字通りTeam ZEROは世界最強のプロ・フォトグラファー集団となった。

No.1の勲章を得て達成感と満足感に満たされつつ、
僕が幾分誇らしげにサーキットを後にしようとすると、
見慣れた顔が「Congratulations!」と次から次へ握手を求めてくる。
もっと素晴らしい写真をと心に誓いつつ、そして僕の2005年のF1シーズンは終わった。

これが今年の第1位の写真だが、モナコの観客とヨットハーバ-を背景に、
マシンのみを止め、背景を流す、流し撮りの1枚。


BODY:CANON 1DS MK2
LENS: EF600mm/F4.0+EXTEDER 1.4
SP : 1/13
AV : 22

鈴鹿 The Second and Final day



本来なら土曜日も鈴鹿からアップしようと考えていたのだが、
しかし実際に鈴鹿に入ると、思わぬ用事やイベントが次から次へと...
気がつけばタイムスケジュールに乗せられ、
目の前に現れてくるイベントを消化するので精一杯。
まあこれも地元グランプリならではのこと、
年に一度のお祭りだと割り切っているのだが。

金曜日、土曜日の天候からは想像もつかない秋晴れの鈴鹿サーキット。
どのスタンドもほぼ満員の観客!セナの時代に劣らぬ人気ぶり、
これが琢磨効果なのか?
しかしその15万6千人の応援も虚しく、流れは琢磨にあらず。

僕は1コーナーイン側でスタートを撮影したが、
琢磨がコースアウトした瞬間の観客の何とも言いがたいどよめきは、
まるで地鳴りのようにサーキット中に響き渡った。
結果としては不本意な13位(しかもレース後の裁定でどうやら完走は取り消しの模様)、
終わってみれば目立ったのは後方からのスタートで表彰台の頂点に上り詰めた、
ライコネン、アロンソの二人。

今年のチャンピオンシップを争った二人が見応えのあるレース展開を見せてくれた。
この結果を見る限り、世間で言われている世代交代は既成事実かもしれない。
しかし、マイケルの凄さは7回、5年連続でチャンピオンを維持してきたことに尽きる。
F1は「ドライバー」の力だけでは勝てない。プラス「マシン」のパフォーマンス、
チームとしての秀でた「戦略」の三拍子が揃って初めて「勝利」に辿り着ける。

今、この瞬間は確かにライコネン+マクラーレンが抜きん出ているのは否めないが、
チャンピオンを獲ったという実績を残した、
アロンソ+ルノーの来年以降がとても楽しみでもある。

サーキットを後に駐車場まで、あるいは白子駅まで延々と続く人の流れは、
まるで琢磨の無念さがそのまま乗り移ったかのように、
疲労感、脱力感に包み込まれているように見えた...

フェイスペインティングの日の丸も、ホンダやトヨタの旗も、
どこか寂しそうに見えたのは、僕の個人的な思い入れのせいだろうか?



鈴鹿 The First Day



待望の日本グランプリ、鈴鹿サーキットの1日目。
今日はフリー走行に新たな日本人ドライバーが登場!
山本左近はどこまでやれるか?期待と不安の入り交じる中、
グリーンフラッグと同時に先頭でコースイン、その志し良し。
走り慣れている鈴鹿とはいえ、そしてあくまでもフリー走行とはいえ、
レギュラーの二人のドライバーと互角以上のタイムは立派といえる。

午後からの雨予報が気になったのか、
通常のフリー走行よりも遥かに多くのマシンが、多くのラップを重ねた。
午後に入り、小雨から本格的な雨になるが、
各チーム明日の土曜の予選に向けてセットアップを続けた。

フリー走行と予選、そしてレースは全く別ものだが、
今回はフェラーリ+ブリヂストンが良さそうな気配。
BAR最後の鈴鹿となる佐藤琢磨だがホンダ陣営は強気。

気まぐれな勝負の女神の寵愛を受けるのはだれか?
明日の予選が楽しみだが、天気予報は今一つ...





鈴鹿へ...最終章 (されど写真は楽し!)



さあ、いよいよ明日から鈴鹿へ。
いつもの事だが、サーキットに向かう自分の中に、
心待ちにしている自分と、躊躇している自分がいる。

プロの写真家として結果を出さなくてはならない、
これは当たり前だが、同時にかなりのプレッシャーにもなる。
作品を作る苦しさから逃げようとしている自分がいる。
しかしそれと同時に撮影するという行為を楽しみ、
いい写真が撮れるという、自信に満ちた余裕のある自分もいる。

プラスとマイナスの要素のバランスが絶妙な時、
過去においては素晴らしい作品が生まれてきた。
不安が大き過ぎても、また自信が勝りすぎてもどこか違う、
心底納得できない作品が多くなる。

プロだからピントや露出は良くて当たり前の大前提の話。
フレーミングやアングル、シャッターチャンス、
これらが巧く絡み合い、本人の心のバランスが良いと、
結果的に自分自身でも納得できる作品に巡り会えることになる。

写真を撮る、
現実にあるものを写し、切り取るという行為。
それ以上でもそれ以下でもない。
額面通り、「写真を撮る」ことだ。
だがその瞬間は大袈裟に言えば、
これまで生きてきた自分の人生のすべてが、凝縮され反映される瞬間でもある。

動画でなく静止画だからこそ、「想像力」をかき立てられ、
同じ写真でも見る時の気分で全く異なる受け取り方をする。
これが写真の面白さか。
そして「偶然」という天がくれるシャッター・チャンスによって、
思いもよらない素敵な写真が撮れることもある。
だから写真は止められない...