• 安全保障の基本は、軍事力です。オワリ。ー朝日、毎日、東京社説に見る、相変わらずの「平和ボケ」ぶり。


 先行記事「防衛費、2%で、この騒ぎ。

 

」にて、日本政府が「骨太の方針」の中で示した「防衛費をNATO加盟国目標値であるGDP比2%程度まで増額する」と言う方針に対するアカ新聞社説の「バカ騒ぎ」を分析し、その「防衛費増額に反対する理由」とやらを「尽く粉砕した」心算である。

 その後、参院選が始まり、上記の「骨太の方針」を堅持(と言うより、明示、かな。)する自民党に対し、野党が「追及」・・・と思いきや、どうやら「世論調査結果では、政府の防衛費増額方針を、国民が受け入れているらしい」事を知ると、矛先を鈍らせたり迷わせたりしている、らしい。

 そりゃ選挙ってのは、一面「人気投票」であるのは否めないが、「党としての政策、ポリシーを国民に訴え、国民に選んで貰う。」ってのも、選挙の一面の筈だがね。

 そこへ行くと、参院選挙運動中の各党よりも、「世論の防衛費増額支持」に対して、混乱&困惑しているのが、アカ新聞どもらしい。「無理も無い」と、言えなくもないがな。

①【朝日社説】参院選 外交・安保 力のみで無い戦略を
②【毎日社説】22参院選 外交・安全保障 冷静かつ現実的な論戦を
③【東京社説】平和守るために 防衛力偏重は打開策か '22参院選
④【沖縄タイムス社説】[2022参院選 安全保障]外交重視の議論もっと



(1)①【朝日社説】参院選 外交・安保 力のみで無い戦略を

  • ①【朝日社説】参院選 外交・安保 力のみで無い戦略を

  •   参院選 外交・安保 力のみでない戦略を

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15333395.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年6月24日 5時00分

 

 ロシアのウクライナ侵略を目の当たりにして、国民が自国の安全保障に不安を抱くのは当然だ。だが、それに乗じるかのように、一気に軍事力の増強に走るのが、真に平和と安定につながるのか。外交を含めた総合的な戦略を構築することこそ、政治が果たすべき役割である。

 

 今回の参院選では、かつてなく安保政策に注目が集まっている。必要な防衛力整備を進めつつ、日米同盟を基軸に、アジア・欧州諸国との連携を深めるという基本線を共有する党は多いが、抑止力の強化策について、考え方の隔たりは大きい。

 

 自民党は、北大西洋条約機構(NATO)が目標とする対国内総生産(GDP)比2%以上も念頭においた、5年以内の防衛予算の増額を公約に掲げた。敵基地攻撃能力は「反撃能力」と言い換えたうえで、「保有」を明記。総合政策集の中で、対象はミサイル基地に限らず、指揮統制機能も含むとした。

 

 日本の防衛費の対GDP比は、おおむね1%だ。2%となれば、米国、中国に次ぐ世界第3位になるとみられる。平和憲法の下、抑制的な安保政策を続けてきた日本の対外的なイメージは大きく変容するだろう。相手国の中枢も標的とする攻撃能力の保有と合わせ、軍拡競争に拍車をかけ、かえって地域を不安定化させる恐れもある。

 

 党公約では踏み込んでおきながら、岸田首相は、防衛費は「数字ありきではない」、敵基地攻撃能力は「検討中」などと、あいまいな発言を続けている。財源を含め、具体的な説明をしないまま、選挙後にアクセルを踏むことは許されない。

 

 野党の中でも、日本維新の会は明確に防衛費のGDP比2%を掲げる。国民民主党は「自衛のための打撃力(反撃力)」の整備をうたう。年末の国家安全保障戦略の改定や来年度予算案の編成に向け、力に傾斜する自民党を両党が後押しする場面もあるかもしれない。「平和の党」を自任する公明党は連立与党としてどう臨むのか、選挙戦の中で考え方を示すべきだ。

 

 「着実な安全保障」を重視する姿勢は、立憲民主党も変わらない。「総額ありきではない」としながらも、「防衛力の質的向上」を図るとした。同時に、「対話による平和」も打ち出している。共産党は「対話」を全面的に押し出し、「戦争をさせない外交努力」を訴える。力のみに頼らない、説得力のある対案を示せるかが問われる。

 

 戦後日本の安保政策の転換点になるかもしれない重い選挙である。各党は明確なビジョンと具体策を掲げ、徹底した論戦を通じて、有権者に確かな判断材料を示さねばならない。

 

主張が[共産党と一緒]なのは、偶然では無さそうだな。

  • ②【毎日社説】22参院選 外交・安全保障 冷静かつ現実的な論戦を

 

 

https://mainichi.jp/articles/20220627/ddm/005/070/008000c

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/6/27 東京朝刊 English version 1659文字

 ロシアによるウクライナ侵攻が4カ月に及ぶ中、参院選の争点として安全保障政策に注目が集まっている。

 

 今春の毎日新聞などの世論調査では、日本の安全保障や中国による台湾侵攻に「不安を感じる」と答えた人が9割近くに上った。参院選でも、与野党の安全保障論議が熱を帯びている。

 

 世界第2の軍事大国となった中国は、アジア太平洋地域で米国と覇権を争う。東シナ海や南シナ海に進出し、日本など近隣国とのあつれきが増している。

 

 

 ロシアに接近し、日本周辺で共同軍事活動を活発化させていることも疑心暗鬼を招いている。

 

 日本の防衛当局者の間には、核・ミサイル開発を進める北朝鮮と合わせ、「三正面作戦を強いられかねない」との危機感さえある。

 

「防衛費倍増」の危うさ

 戦後の国際秩序が揺らぐ中、外交・安全保障のあり方について国民的議論を深めることは大切だ。

 

 しかし与野党の主張はかみ合わず、上滑りしている。その象徴が防衛費の増額を巡る攻防である。

 

 自民党は公約で、国内総生産(GDP)比2%も念頭に防衛力を強化すると訴える。北大西洋条約機構(NATO)加盟国の目標を参考にしたものだ。

 

 

 だがNATOは米国と欧州による共同防衛のための軍事同盟だ。島国の日本は、陸続きの欧州とは地理的な条件も全く違う。

 

 防衛政策の根幹である専守防衛との整合性も問われる。

 

 米軍が攻撃という「矛」の役割を担い、自衛隊は守りの「盾」に徹するのが日米同盟の基本だ。それに沿って、日本はGDP比1%を防衛費の目安としてきた。先の大戦の反省を踏まえ、「軍事大国にならない」という内外への政治的メッセージである。

 

 

 自民は、敵国のミサイル発射前に基地などをたたく「反撃能力」の保有も公約に盛り込んだ。国際法が禁じる先制攻撃とみなされかねないうえ、他国への攻撃能力を日本が持つという宣言になる。

 

 平和国家を掲げてきた日本が抑制的な防衛政策から転換すれば、各国の困惑と警戒を呼ぶだろう。軍事力を強化すると、相手国の対抗策を招き、結果的に脅威を高めてしまうという「安全保障のジレンマ」に陥る恐れもある。

 

 

 日本の防衛予算は10年連続で増加し、今年度は実質6兆円を超えた。仮にGDP比2%まで増やせば、米国、中国に次ぐ世界第3位の規模となる。

 

 それを賄うためには約5兆円の新たな財源が必要だ。消費税2%分に相当する。

 

 捻出するには、増税か、国債発行による借金か、社会保障など他の予算を削るかという三つしか選択肢がない。

 

 ところが岸田文雄首相は、こうした課題を参院選後に先送りし、詳細な説明を避けている。

 

緊張緩和へ対話努力も

 自民の公約に防衛費増額の目安や反撃能力の保有が盛り込まれた背景には、安倍晋三元首相ら党内保守派の意向がある。安倍氏は、核兵器を米国と共同で管理・運用する「核共有」を議論すべきだとも主張した。

 

 一方、首相は日本記者クラブの党首討論会で「防衛費は数字ありきではない。必要なものを積み上げる」と語った。核共有については「政府として議論はしない」と明言している。いずれも、むしろ立憲民主党の主張に近い。

 

 首相発言と、自民公約や安倍氏らの主張とのずれが、論戦をさらに分かりにくくしている。具体的に「何をするか」をはっきりさせないまま、有権者に判断を求めるような姿勢は無責任だ。

 

 アジアでの米国の影響力が低下する中、地域情勢の変化に応じた防衛力の見直しは必要だろう。だが、秩序を維持するための外交戦略を欠いては機能しない。

 

 求められるのは、東アジアでウクライナのような事態が起きることを防ぐ手立てである。政治体制や利害の異なるアジア諸国に配慮しつつ、地域安定のために結束を図る努力が必要だ。

 

 経済面でつながりが深い中国とは、平和的な共存の道を探らなければならない。緊張をこれ以上高めないよう、首脳レベルの対話に力を入れるべきだ。

 

 米中対立のはざまで、日本の安全をいかにして守るのか。そのためにどのような外交と防衛力が必要なのか。参院選では、冷静かつ現実的な論戦が求められる。

 

「中国を如何に始末するか」こそ[21世紀の人類最大の課題だ]と、黄文雄氏は断言しているのだがね。

  • ③【東京社説】平和守るために 防衛力偏重は打開策か '22参院選

平和守るために 防衛力偏重は打開策か '22参院選

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/185916?rct=editorial

 

2022年6月27日 07時34分

 

 参院選ではロシアのウクライナ侵攻や中国、北朝鮮の軍備拡張を背景に、外交安全保障政策が主要争点の一つに浮上している。

 問われるべきは世界や日本周辺の情勢をこれ以上、緊張させないために何をすべきか、である。

 二〇二二年度の日本の防衛費は国内総生産(GDP)比1%弱の約五兆四千億円。二一年時点で予算は世界九位(スウェーデンの研究所による集計)、強さは同五位(米軍事会社の評価)だ。

 防衛力の主眼は、日本を攻撃しても反撃されて目的を達することができないと思わせる「抑止力」だ。その効果を確実にするには、防衛力をどの程度整備すればいいのか。議論は割れている。

 自民党は現在の二倍に当たるGDP比2%以上を念頭に、防衛力を五年以内に抜本強化するとの公約を掲げた。具体策として相手領域内でミサイル発射を阻止する敵基地攻撃能力の保有を訴える。日本維新の会、NHK党も「2%」を公約に明記した。

 立憲民主、公明、国民民主各党は数値目標や年限には触れず、防衛力の「向上」や「強化」を訴える。共産、社民両党は防衛力強化に反対。両党とれいわ新選組は平和外交を前面に掲げる。

 厳しさを増す周辺情勢に応じて防衛力を整備する必要性は認めるとしても、「数値目標ありき」で予算を増やすことが打開策たり得るのかは甚だ疑問だ。

 五年という短期間に防衛費を倍増すれば、周辺国の警戒を招いて軍拡競争に拍車をかけ、逆に緊張を高める「安全保障のジレンマ」に陥りかねない。自民党は防衛費倍増の財源も示しておらず、とても現実的な選択肢と言えまい。

 防衛費を倍増すれば世界三位の「軍事大国」になり、敵基地攻撃能力を持てば先制攻撃の意図を疑われる。それでも憲法九条に基づく専守防衛は維持できると言い切れるだろうか。平和国家の道から外れてしまうのではないか。

 戦争は外交の失敗にほかならない。いったん始まった戦争を終わらせることは難しい。外交安保政策の基本は、戦争を始めない、始めさせないことだ。防衛力増強に偏った姿勢はこの基本に背くことにならないか。参院選でも問われなければなるまい。

  •  「武力を以て、戦争をさせない」から「抑止力」だろうが。

 外交=平和的=善」と「軍事=戦争的=悪」って、ステレオタイプな二元論「戦争も外交も、国益追及の手段であり、目的は国益」ってのも、「砲艦外交」って「軍事力を背景とした外交力」も、「戦争は、弾丸を使う外交」「外交は、弾丸を使わない戦争」って「大統一場理論」も、東京新聞は理解しないのだろうさ。

 「『武』と言う字を見るが良い。『戈(ほこ)を、止める(とどめる)』と、ある。
 『それ、抜くぞ!覚悟!!』と見せながら、遂には抜かずに収める。
 これが、『武術』と言うモノじゃ。」


 何度も引用している『講談 猿飛佐助』に於ける、佐助の忍術師匠・戸沢白雲斎先生の「最初の教え」ナンざぁ、東京新聞で「理解出来る」奴ぁ、皆無なんだろうぜ。

 別に「講談 猿飛佐助」が「新聞記者必読の書」と主張する気は無いが、「抑止力に対する理解」は、国の安全保障を論じる上では、不可欠だろう。

  • ④【沖縄タイムス社説】[2022参院選 安全保障]外交重視の議論もっと

 

社説[2022参院選 安全保障]外交重視の議論もっと

 

 

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/982723

 

2022年6月29日 06:54

 

 参院選では安全保障政策も重要な争点として浮上している。ロシアによるウクライナ侵攻を受け増え続ける死傷者、激しく破壊された街並みに、日本の安全保障への不安が国民の間に広がっている。

 

 自民党は、防衛費を対国内総生産(GDP)比2%以上も念頭に置いた、5年以内の防衛予算の増額を公約に掲げた。敵基地攻撃能力は「反撃能力」と言い換えた上で「保有」を明記した。

 

 日本の防衛費は、2022年度当初予算で5兆4千億円に上る。防衛費をGDP2%に増やせば年10兆円を超え、米国、中国に次ぐ世界第3位の軍事大国となる。

 

 日本維新の会が「積極防衛能力」を掲げ、GDP2%を目安にすると明示した。米国の核兵器を日米で共同運用する「核共有」の議論開始も主張する。国民民主党は「自衛のための打撃力(反撃力)」を整備するとの立場だ。

 

 巨額の財源の手当て、日米同盟下での役割分担など議論すべき課題は多い。

 

 その上、日本の防衛政策の基本である専守防衛を逸脱しかねない一足飛びの「防衛力強化」で、安定した平和が保てるとは思えない。対話や交流、さらに資源、食料の安定供給を図る多国間外交や経済協力強化も必要だ。

 

 防衛力への偏重は、軍拡競争を加速させ、地域を不安定化させる恐れもある。

 

■    ■

 

「平和の党」を自任する公明党は「予算額ありきではなく、真に必要な予算の確保を図る」と主張、連立政権を組む自民党と一線を画す。

 

 立憲民主党は「総額ありきではない」とし、「防衛力の質的向上」を図るとした。

 

 共産、社民両党は、軍事費の増額に反対。核兵器禁止条約への参加や、外交による平和実現を強調する。

 

 危機の時だからこそ、説得力のある政策を示せるかが、問われる。

 

 戦後日本は、政府開発援助など人道支援により国際社会で信頼を築いてきた。ウクライナのゼレンスキー大統領も、国会演説で、日本には軍事支援を求めなかった。

 

 23日に閉幕した核禁条約の第1回締約国会議で採択された「ウィーン宣言」では、核の非人道性を長年訴えてきた被爆者にも言及し「貢献を称賛する」とたたえた。

 

 平和国家として歩んできた針路が問われる選挙である。

 

■    ■

 

 広大な米軍基地に加えて、南西諸島への自衛隊の配備増強。米軍の訓練激化で、県民の基地負担は増している。

 

 一方、安保法制で住民保護は自治体の役割とされ、丸投げされた格好だ。東アジアで有事が起きれば、沖縄が攻撃対象になることへの危機感が、県民の間で広がっている。南西諸島の基地強化は抑止力を高めるよりもむしろ、他国の軍拡を招く「安全保障のジレンマ」に陥り、地域の不安定化を一層加速させかねない。

 

 力だけでは、平和は守れない。各党には、選挙戦を通じて外交を重視する総合的戦略を示すよう求めたい。

 

  • 「平和ボケの国民」は、「平和ボケの政府」しか持てないのが、「民主主義」だろう。

 有り体に言って、アカ新聞どもが平和ボケだろうが安保白痴だろうが、「私(ZERO)の知ったことではない」し、「勝手にしろ」である。

 が、そんな「平和ボケで安保白痴のアカ新聞」等(そう言う輩は、アカ新聞に限らず、掃いて捨てるほどある(*1)。)に扇動・誘導されて「日本国民が平和ボケや安保白痴になる/のままでいる」のは、困る。相当に、困る。

 何故ならば、我が国は曲がりなりにも民主主義体制をとっており、「政府のレベル」は「国民のレベル」を(ある程度)反映してしまうから。章題にした通り、「平和ボケの国民」は、「平和ボケの政府」しか持てないのが、「民主主義」である。

 であるならば、平和ボケで安保白痴であるアカ新聞どもの扇動・誘導が(上掲各紙社説の通りに)在ろうが、外患誘致の売国奴共(*2)のプロパガンダが激しかろうが、日本国民は「平和ボケや安保白痴に、陥ってはならない」と言うことである。

 でまあ、冒頭に触れたとおり、世論調査結果によると我が国民の民意は「防衛費増額の(ある程度の)支持」であるらしく、少なくとも「アカ新聞どもが期待するほどには平和ボケしていない」らしい。

 そんな「平和ボケは(余り)していないらしい日本国民」には、期待したくもなる。が・・・その日本国民が、あ・の・鳩山由紀夫率いる民数党を、「憲政史上最多の衆院議席数」を以て政権与党の座に据えて仕舞ったことを、忘れる訳には行かないな。

  • <注記>
  • (*1) その内一部は(ひょっとすると全部は)外患誘致の利敵行為を為す「外国のスパイ/手先」乃至「売国奴」であろう。 
  •  
  • (*2) これは、「アカ新聞どもが、外患誘致の売国奴ではない」事を主張するモノでは無い。むしろ、疑っている。 
     
  • 最早「牛歩戦術」頼みの憲法擁護論、らしいや。ー【朝日社説】参院選 憲法 数集めでなく熟議を

 朝日新聞の「護憲論」も、とうとう「来るべき処まで来た」と言うべき、だろうか。

 朝日はじめとする日本国憲法を変えるなと主張する「護憲論者」とか「憲法擁護論者」とやらは、余程間抜け無能で怠慢なのが揃っている/揃っていた、か・・・「護憲論」とか「憲法擁護論」なんて高尚高等なモノはハナっから無くて、タダひたすら日本国憲法を絶対不可侵の不磨の大典として崇め奉る」だけの「憲法信者」「憲法教徒」「憲法変えちゃぁいけない教徒」が揃っている/揃っていたか。何れかではないか、と思えてきたぞ。
 
 「間抜けで無能で怠惰」でも、「憲法信者」「憲法教徒」「憲法変えちゃぁいけない教徒」でも、「朝日新聞記者」ならば、務まりそうだ。だが、日本国憲法を学問の対象とする学究の徒であるはずの「憲法学者」は、普通に考えれば「務まらない」筈だ。

 私(ZERO)が、「日本の憲法学者は、半分(以上)気違いだ。」と、確信している所以だ。

 だが、まあ、今は日本憲法学者の気違いぶりでは無く、朝日新聞社説を見ていくとしようか。
 

  • 【朝日社説】参院選 憲法 数集めでなく熟議を

  • 【朝日社説】参院選 憲法 数集めでなく熟議を

参院選 憲法 数集めでなく熟議を

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15337269.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年6月28日 5時00分

 

 憲法は、国のあり方を定める最高法規である。幅広い国民の理解のうえに、与野党をこえた丁寧な合意形成が不可欠だ。発議に必要な数を集め、期限を切って結論を急ぐようなら、議論の土台を崩すことになる。

 

 今回の参院選の結果は、日本の針路を大きく左右する可能性をはらんでいる。安全保障をめぐっては、戦後の抑制的な政策を維持するのか、敵基地攻撃能力を含む防衛力の抜本的な強化にかじを切るのかが、問われている。憲法に対する各党の姿勢も、重要な論点のひとつだ。

 

 自民党は自衛隊の明記、緊急事態対応など4項目を引き続き公約に掲げ、「早期の実現」をうたう。統治機構改革などを優先していた日本維新の会が、自衛隊を明確に位置づける9条改正と緊急事態条項の創設を加えたことで、共通点が広がった。国民民主党も緊急事態に議員の任期を特例で延長する規定の創設など、憲法論議に積極的だ。

 

 一方、公明党は与党だが、違憲論解消のための自衛隊明記は検討事項にとどめ、賛否を明らかにしていない。野党第1党の立憲民主党は「論憲」の立場から、衆院の解散権の制約などの議論は深めるとしながら、自民の9条改正案には、戦力不保持・交戦権否認を定めた2項の法的拘束力が失われるとして、反対を明確にする。共産党は9条だけでなく、「前文を含む全条項」を守るとした。

 

 各党の議論が集約されつつあるとは、とてもいえないのが現状だ。そもそも自民の4項目は4年前、任期中の改憲に意欲を示し続けた安倍元首相の下でとりまとめられた。その後、進展がみられないのは、中身よりも、憲法を変えること自体を目的とするような態度が、野党の不信や警戒を招き、国民の支持も得られなかったためだ。

 

 岸田首相は日本記者クラブでの党首討論会で、維新が求めたスケジュールの明示には応じなかったが、「中身において、(改憲発議ができる)3分の2が結集できる議論を進めていきたい」と語った。「安倍改憲」の頓挫を直視し、「改憲ありき」を繰り返してはならない。

 

 コロナ禍やロシアのウクライナ侵略が、改憲の追い風になるとの見方もあるかもしれない。確かに、パンデミックへの備えや日本の安全保障のために何が必要かの議論は重要だ。ただ、法改正では対応できないのか。改憲が求められるなら、どの条文をどうするのか。そうした具体論を欠いたままでは、国民の理解が広がることはあるまい。

 

 熟慮と議論を重ねて共通認識を導く。憲法論議こそ、とりわけ熟議が求められることを忘れてはならない。

 

  • .随分長いこと、「数の暴力で改憲議論そのものを封殺して」おいて、数で負けそうになったら、「熟議を」かね?

 上掲朝日社説の主張は、一言で言えばタイトルにもある通り、改憲するなら、熟議が必要だ。である。「改憲派」とされる各党でも温度差が圧とか、改憲の焦点が違うとか、縷々述べているが、要は改憲発議には時期尚早だ。という主張である。私(ZERO)がタイトルにした通り、「改憲に対する牛歩戦術(遅滞戦術)」と、評することもできそうだ。

 改憲するなら、熟議が必要だ。一見尤もらしい主張だ。が・・・我が国の現行憲法である日本国憲法発布以来、日本の国会で改憲が議論されたことなんて、どれ程在ったろうか?憲法発布以来実に70年以上も経つ訳だが、「改憲派(と言うよりは、「改憲容認派」)が、国会議席の3分の2以上に(ようやく)なり、「国会による改憲発議」の可能性が出て来る」までの間(実に、60年以上)、「国会での改憲議論」は殆どタブー視され、全くと言って良いぐらい実施されてこなかった、ではないか。

 「改憲に対する熟議」ならば、「改憲派の議席数が3分の2以下で、国会による改憲発議の可能性が無い」状態でも、「議論は可能だった」筈なのに、だ。

 「改憲派の議席数が3分の2以上となった。」のは、安倍長期政権の途中からだが、少なくとも立憲民主党と共産党は、「安倍政権では改憲議論をしない」という、実に奇怪で奇妙な個人攻撃を口実に「改憲議論を拒否」し続け、その「個人攻撃目標」たる安倍首相が首相退陣して既に2代の首相を重ねていると言うのに、未だ「改憲議論を真面にしない」状態だ。
 
 いや、訂正する。立憲民主党にせよ、共産党にせよ、社民党にせよ、更には朝日新聞などアカ新聞どもと、(私(ZERO)の知る限り)ほぼ全ての憲法学者は、日本国憲法を守れ!変えるな!!!」と喚くばかりでしかなく、「日本国憲法が現状のままが良い」と、説明も論証もしない。特に、日本国憲法が現状のままで、我が国の安全保障を確保し、我が主権、我が国の領土領空領海、我が国民の生命財産を、守り、保障出来る。」と言う説明も論証も、殆ど皆無である(*1)。

 「改憲を熟議」するためには、本来、「真面な護憲論」「真面な憲法擁護論」が、不可欠な筈だ。だが、日本国憲法発布以来70年以上の大半の間「護憲派(と言うより、「憲法変えちゃぁいけない教」信者)が国会議席の3分の1以上を占める(*2)」状態に胡座をかいた国会議員も(何と驚くべき事に)憲法学者(の大半)も)日本国憲法が現状のままで、我が国の安全保障を確保し、我が主権、我が国の領土領空領海、我が国民の生命財産を、守り、保障出来る。」と言う論証、即ち(少なくとも一種の(*3)「真面な護憲論/憲法擁護論」を、(私(ZERO)の知る限り、)殆ど為していない。実に驚くべき怠慢であり、「世が世なら、サボタージュの廉で銃殺」モノだろう。

 政治家や、憲法学者としてなら勿論、「オピニオンリーダーとしての新聞」も、そうだろう。

 所が、単なる「憲法変えちゃぁいけない教徒」だから、そんな「怠慢」も許容されてきた。むしろ「信仰」としては、そんな「怠慢=思考停止」は「推奨/奨励」されてきた、のだろう。いずれにせよ、日本国憲法が現状のままで、我が国の安全保障を確保し、我が主権、我が国の領土領空領海、我が国民の生命財産を、守り、保障出来る。」と言う論証は、ほぼ皆無、と言う惨状を呈している。

 朝日は、上掲社説の通り「改憲に熟議を求める」ならば、先ず「日本国憲法が現状のままで、我が国の安全保障を確保し、我が主権、我が国の領土領空領海、我が国民の生命財産を、守り、保障出来る。」と論証し、「真面な護憲論/憲法擁護論(の一つ)」を、提示し明示すべきだろう。

 敢えて極言するならば、「憲法変えちゃぁいけない教徒」相手に「改憲を熟議する」なんて不可能であり、議論するだけ時間の無駄。サッサと国会で改憲発議して、国民投票にかけるべき、であろう。

 一方その頃、毎日新聞は・・・

  • <注記>
  • (*1) ま、「憲法9条が最大の抑止力」級の狂気そのものの「ロジック」でも使わないと、そんな説明も論証も不可能だから、だろうな。 
  •  
  • (*2) ために、「国会による改憲発議が、成立しない」状態。 
  •  
  • (*3) だが、憲法学者としては兎も角、政治家としては「極めて重要・重大な」。
  •  「憲法学者として」だって、一国民、一有権者としては、どうかと思うぞ。 


 

  • (2)【毎日社説】'22参院選 憲法改正 ムードに流されぬ議論を

  • 【毎日社説】'22参院選 憲法改正 ムードに流されぬ議論を

’22参院選 憲法改正 ムードに流されぬ議論を

 

 

https://mainichi.jp/articles/20220629/ddm/005/070/130000c

 

注目の連載 

オピニオン

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/6/29 東京朝刊 English version 855文字

 参院選では各党が憲法改正の是非を公約に盛り込んでいる。だが、主張はかみ合っておらず、論戦が深まる気配はない。

 

 毎日新聞の情勢調査では、改憲に前向きな自民、公明、日本維新の会、国民民主の「改憲4党」で、国会での発議に必要な3分の2の議席を確保する可能性がある。

 

 

 だが、論点は多岐にわたる。改憲勢力内でも、中身について足並みがそろっているわけではない。

 

 自民は9条への自衛隊明記や緊急事態条項の創設など4項目を挙げ「早期に実現する」と記した。安倍政権時にまとめたものだ。

 

 道州制など統治機構改革を掲げてきた維新も、9条改正と緊急事態条項の創設を公約に加え、「議論をリードする」と自民に歩調を合わせる。

 

 

 一方、与党の公明は自衛隊明記について「検討を進める」と公約に記したものの、山口那津男代表は「明記しなければ(自衛隊が)仕事ができないわけではない」と慎重な姿勢を崩していない。

 

 「論憲」の立場を取る野党第1党の立憲民主は、首相による衆院解散権行使の制約などの観点から「議論を深める」との姿勢だ。自衛隊明記には反対している。

 

 

 共産党は改憲自体に反対だ。

 

 岸田文雄首相は党首討論会で「中身について一致できる勢力が3分の2集まらないと発議ができない」と述べた。このような状況を踏まえれば当然の発言だ。

 

 ロシアによるウクライナ侵攻で安全保障政策に注目が集まっている。だが、共同通信社の世論調査では、投票の際に重視する政策は「物価高・経済対策」が42%と最も多く、「憲法改正」は3%に過ぎない。

 

 

 自民の茂木敏充幹事長は「参院選後できるだけ早いタイミング」で発議を目指す考えを示した。

 

 しかし、中身について与野党で合意を形成する努力は尽くされていない。発議に必要な議席数に達したとしても、改憲の内容について民意のお墨付きを得たことにはならない。

 

 条文のどこに問題があり、どう変える必要があるのか。変えずに対応できる余地はないのか。危機を前に浮足立ったり、ムードに流されたりすることなく、国民的な議論を深めることが求められる。

 

  • .同じ穴の狢

 「熟議を」とすら言わないことで、「真面な護憲論/憲法擁護論」を示すことさえ「回避出来る」という点では、上掲毎日社説は「朝日以上に姑息な主張」と言えそうだ。

 諄い様だが、繰り返そう。

 先ず、「日本国憲法が現状のままで、我が国の安全保障を確保し、我が主権、我が国の領土領空領海、我が国民の生命財産を、守り、保障出来る。」と、論証しろ。言っておくが、日本国憲法には「自衛隊の記述が一切無い」のであるから、この論証は「自衛隊抜き」で無ければならないし、自衛隊を前提としている日米安保体制も「抜き」でなければならないぞ。
 

  • あの野党共が、「国のあり方」なんぞ語れるモノかよ。ー【毎日社説】党首討論の見送り 国のあり方語れないのか


 結論を先に書いて仕舞おうか。「今ある野党を総取っ替えにする」ぐらいの事が無ければ、「国会の権威」なんて回復しないだろうよ。

 あ・の・元は民主党であり、未だ「民主党的」であり続ける立憲民主党が、未だ「野党第一党」なんだぞ。党首討論を、如何に幾ら何度やろうとも、「国のあり方」なんぞ、語れるモノかよ。


(1)【毎日社説】党首討論の見送り 国のあり方語れないのか

  • 【毎日社説】党首討論の見送り 国のあり方語れないのか

党首討論の見送り 国のあり方語れないのか

 

 

https://mainichi.jp/articles/20220612/ddm/005/070/113000c

 

注目の連載 

オピニオン

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/6/12 東京朝刊 880文字

 与野党の党首討論が開かれないまま国会が閉会する。

 

 ロシアのウクライナ侵攻が続き、参院選を控える今ほど、国のあり方について骨太な議論が求められている時はない。言論の府の停滞ぶりを象徴する深刻な事態だ。

 

 党首討論は、英国議会をモデルに2000年に正式に導入された。首相が予算委員会などに出席する週を除き、週1回45分間、開かれるルールになっている。

 

 

 これまで68回開催されたが、導入年の8回が最多で、その後は減少傾向にあり、17年と20年には一度も開かれなかった。直近の開催は、昨年6月にさかのぼる。

 

 岸田文雄首相と立憲民主党の泉健太代表のもとでは、まだ開かれていない。今国会の論戦は、「検討」を連発する首相を野党が攻め切れず、極めて物足りなかった。

 

 

 与野党の党首が中長期的課題や政治理念について議論する場は貴重だ。首相が逆質問することもでき、野党にとっては政権担当能力を示す機会ともなる。

 

 与党は首相の負担が増えることを嫌い、野党も予算委員会のほうが審議時間を確保できるため積極的に開催を求めない傾向がある。

 

 

 野党が多党化し、2大政党制を前提にした制度が政治状況に合っていないとの指摘も出ている。持ち時間が5分という政党もある。

 

 18年には当時の立憲民主党代表の枝野幸男氏と安倍晋三首相が、かみ合わない議論の末、党首討論は歴史的な意味や使命を終えたとの認識を互いに示した。

 

 

 しかし、投げやりになって改革しないのは、両党とも無責任ではないか。与野党とも国家ビジョンを語る覚悟がないから、開催に消極的なのかと疑いたくなる。

 

 改革の論点は、はっきりしている。開催回数と討論時間の拡充だ。5分ではまともな議論にならない。週1回ルールが形骸化し年間2、3回の開催にとどまる中、党首討論を月1回開くことを目指す与野党合意や、夜間開催を求める超党派議員の提言もあった。

 

 時間稼ぎを防ぐため、首相の発言時間を含めずに野党の持ち時間を確保する「片道方式」という運営方法にすることも一案だ。

 

 党首討論の再活性化は与野党共通の責務だ。このままでは国会の権威失墜に歯止めがかからない。

(2)

  • 党首討論ぐらいで「国会の研に失墜」に歯止めがかかるかよ。

 今の国会の権威を失墜させているのは、私(ZERO)の見るところでは「モリカケ桜ガクジュツカイギの出来損ないスキャンダル追及」しかしない(且つ、多分最早「しかやれない」)野党である。タイトルにした通り、「あの野党共が、「国のあり方」なんぞ語れるモノかよ。」である。
 思い起こせば、今の立憲民主党の前身たる民主党が、「政権交代」を実現してしまった衆院選に先立ち、民主・社民・さきがけの「後に政権奪取する三党」が掲げた共通公約には、実に恐るべき事に、「安全保障という項目が、無かった。」のである。

 これ即ち、民主・社民・さきがけの三党に共通する「安全保障」が成立せず、「如何にして我が国の主権、領土領空領海、国民の生命財産を、守るか。」について、共通政策が成立しなかった・・・もしくは、ハナっから「我が国の主権、領土領空領海、国民の生命財産を、守る」という意思
・意欲・意識すら、無かった、か。どちらにしても「根源的な国家意識の欠如」であり、少なくとも「民主・社民・さきがけの三党連立政権には、真面に『国のあり方』を、語れる筈は無かった。』と言うことである。

 さて、上掲毎日社説が求める党首討論では、現在の立憲民主党は党独自の主張をなせる、筈であり、社民やさきがけ(*1)に同意を求める必要は無くなっている、筈である。ああ、「共産党の同意を求める必要」はありそうで、その場合は、やはり「真面に『国のあり方』を、語れない。」事になりそうだな。
 いや、「共産党の同意を求める必要」が(仮に)なかったとしても、やはり立憲民主党が「真面に『国のあり方』を、語る」なんて私(ZERO)の想像を絶するし、「国のあり方を巡って、建設的な議論が出来る」可能性は更に低そうだ。

 で、だ。斯様な「野党の惨状」は、党首討論のルールをどうこうした所で、改善される可能性は低い。何しろ立憲民主党は、かつて民主党として「憲政史上最多の衆院議席数」を獲得し、三代にわたって首相さえ出した「政権与党」の座にあったこともあるというのに、未だ「真面に『国のあり方』を、語れない」のである。

 党首討論の頻度を上げようが下げようが、討論時間をどう定めようが、「国会の権威が回復する」事は、期待できないだろうよ。

 ああ、左様な惨状が「今の野党の現状・実情である」と言うことを明白に示すという意味では、党首討論の意味・意義はありそうだ。だが、成ればこそ、野党共はあれこれ屁理屈こねて「党首討論に反対する」だろうな。

 で、結論は、冒頭に書いたとおりだ。

「今ある野党を総取っ替えにする」ぐらいの事が無ければ、「国会の権威」なんて回復しないだろう。

 逆に言えば、「国会の権威が回復しない」のは、「今ある野党を総取っ替えにする」と言う選挙結果を出さない有権者の責任、でもあるのだがな。
 

  • <注記>
  • (*1) って、党は消滅したか。 
  • 余程不都合らしいや。ー【琉球新報社説】土地規制法一部執行 欠陥法は廃止しか無い

  • 「欠陥法は、廃止しかない」ならば、全ての法律は「廃止しかない」だろうな。

 ある種の「完全主義」と呼んでも良いのかも知れないが、「全てか、無か。」って発想で、「完全完璧なモノ以外は、存在を全否定する考え方で、左翼に良くある考え方、らしい。
 
 よっぽどの「自信の現れ」なのだろうが、先ず確実に「傲慢さの現れ」であろうな。人間なんてのは誰であれ、「完全完璧なんて事は先ず無い」存在なのだから、完全完璧なモノ以外は、存在を全否定する」人間なんてのは、自己矛盾に自滅し自殺して果てるか、「自分自身は、完全完璧である必要がない、例外である。」って屁理屈を持っているか、「自分自身の不完全さに気付いていない」大間抜けか、だろう。

 欠陥法は廃止しかないと、社説タイトルで高らかに宣言する琉球新報に、是非ともお尋ねしたいな。我が国の六法でも外国の法律でも良いから、「欠陥のない法律」ってのを、是非とも教えて欲しいモンだ。

 大体、神ならぬ身の人の身にして定命の者たる人間の作ったモノで、「完全完璧なモノ」なんてのは、そうそう在るモノじゃぁ無い。我が国で現役バリバリの法律たる六法だって、欠陥は「在って当然・無ければ奇蹟と言うモノだ。

 であるならば、欠陥法は廃止しか無い」理論に従えば、全ての法律は「廃止しか無い事となり、その結果は、正真正銘掛け値無し、文字通りの「無法地帯化」しかないだろう。

 「無法地帯化」こそ正に、「琉球新報の望む世界」では、ありそうだがな。

  • 【琉球新報社説】土地規制法一部執行 欠陥法は廃止しか無い

土地規制法一部施行 欠陥法は廃止しかない

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1527499.html

 

2022年6月3日 05:00

社説

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【1】 自衛隊や米軍基地、国境離島などを対象に周辺の土地利用を政府が調査、規制する土地利用規制法が、1日に一部施行された。

 

 

【2】 基地周辺や離島での自由な経済活動を制約し、思想が侵害される懸念もある私権制限を伴う問題だらけの法律だ。狭い土地に基地が集中し、多くの国境離島を抱える沖縄はほとんどが監視下に置かれてしまう。これだけ危険な法律でありながら、罰則の対象となる行為や対象区域などが明確にされないままに、一部とはいえ法が施行された。許されない見切り発車だ。

 

【3】 全面施行の見送りはもとより、法自体を廃止しなければならない。

 

【4】 全面施行後は政府が「注視区域」や「特別注視区域」に指定すると、土地の所有者名や国籍などの情報を政府が収集し、分析できるようになる。特別注視区域では、一定面積以上の土地売買に事前の届け出が義務付けられる。

 

【5】 基地や国境離島の機能を阻害する行為(機能阻害行為)について中止の勧告・命令や罰則を出すことも可能となるが、法律の条文は抽象的な表現にとどまり、どのような行為が罰則の対象となるのか具体的に示されていない。

 

【6】 機能阻害行為について法律の条文上明確でないことが法案の国会審議で問題となり、思想、信教、集会、結社などの自由に配慮することなどを求める付帯決議が付されることとなった。

 

【7】 政府は9月の全面施行に向け、規制対象の区域や行為を検討する有識者の会議を設置し、閣議で基本方針を決める。だが、一部施行の段階になっても「検討中」を繰り返し、必要な情報を伏せている。国民の権利を侵害する規制の中身がどこまで明らかにされるのか全く見えない。

 

【8】 国会審議では、情報収集に公安調査庁や内閣情報調査室などの情報機関が協力することや、個人の思想信条を調べることも条文上は「排除されていない」という政府の認識も示された。内閣官房は、実際には土地利用と関係のない事項を調べることは想定していないとしたが、条文上の調査権限や罰則行為があいまいでは、政府が恣意(しい)的に規制を運用する恐れがある。

 

【9】 戦時中に日本軍が作成した秘密文書「防諜ノ地域的措置ニ関スル説明要図」という資料には、軍事的に重要な施設の周囲を距離で区分し、住民の立ち入り禁止や他地区の人への秘匿、写真撮影の禁止、外国人の旅行制限など、区域ごとの規制措置が記されている。土地利用規制法の設計は、日本軍が戦時下でとったこの措置と重なる。

 

【10】 沖縄戦では治安維持、軍機保護の名目で、日本軍が沖縄の住民をスパイ視した。安全保障を名目に国民監視を認める土地利用規制法は、戦時体制の再来になりかねない。私権侵害の乱用に歯止めをかけるすべがない欠陥法を全面施行させてはならない。

 

  • 「スパイさせろ!」と、堂々と。なるほど、琉球新報らしいや。

 そりゃ、国民の知る権利のために、米軍基地内をドローン撮影させろ。ってスパイ丸出しの社説を掲げた琉球新報だ。余りにも「スパイ丸出し」なモノだから、チャールズ・ブロンソン主演の映画「テレフォン」の冒頭(*1)を引用して、弊ブログ記事にもした。

 で、上掲の琉球新報「土地規制法反対社説」は、「米軍基地内をドロー撮影させろ社説」と「同じ穴の狢」とも言うべき、「スパイさせろ!」と堂々と主張する社説だ。

1>  戦時中に日本軍が作成した秘密文書「防諜ノ地域的措置ニ関スル説明要図」という資料には、
2> 軍事的に重要な施設の周囲を距離で区分し、住民の立ち入り禁止や他地区の人への秘匿、写真撮影の禁止、外国人の旅行制限など、
3> 区域毎の規制措置が記されている。
4> 土地利用規制法の設計は、日本軍が戦時下でとったこの措置と重なる。


・・・そりゃ「戦時中の日本軍には、真面な防諜意識があったし、実践もしていた。」って事であり、我が国も21世紀になって漸く「土地利用規制法」で「真面な防諜意識」の幾許かを取り戻した、と言うこと。「スパイさせろ!」と堂々と主張する琉球新報には不都合ではあろうが、先ず、常識的な線であろうよ。

 ああ、「戦時下の日本軍が取った措置」だから「絶対悪」って短絡思考も、良い加減何とかした方が良いぞ。「戦時下の日本軍が取った措置」と雖も「悪と断定するには、相応の論証と説得力が必要。」と言うことに・・・・気付く訳もないか。

 「左翼は、痴呆。」ってのは、他でも書いた「仮設」だが、こう言う馬鹿げた社説を読むと、益々その感が強まるな。

  • <注記>
  • (*1) 「優れたスパイとは?」と問われたブロンソンは、「スパイと、悟られないスパイ。」と答える。「その通り。だが、もっと優れたスパイは、”スパイと自覚していないスパイ”だ。」と言う謎めいた会話と、その衝撃的実証から始まる映画。悪役・ドナルド・プレザンスとの頭脳戦や、アメリカ各地に潜伏していた「スパイと自覚していないスパイ」との絡みも楽しい。ラストも、小粋でねぇ。「ブロンソンの男臭さ炸裂!」って所。 
  • 未だやってるんだ(呆れ)。ー「桜を見る会」前夜祭へのタダ酒提供に、安倍首相(当時)の国会説明を求める、と言う、アカ新聞各紙社説


 モリカケ桜学術会議」と言えば、未だやっている「出来損ないスキャンダルの追求」【敢えて断言】なのだが、本当に「未だやっている」ンだから、最早「呆れ」を通り越して「感心する」域に達している。

 何でも、「桜を見る会前夜祭に、サントリーがタダ酒を提供した。」事について、「安倍首相の国会での説明を求める!」と、アカ新聞どもが社説に掲げている、んだが・・・どうせ、安倍元首相が「私が首相の権力権威を使って圧力をかけ、サントリーにタダ酒を提供させました。」って自白以外は、「疑惑はさらに深まった-!!」と言い続けるつもりナンだろう。アカ新聞どもも、多分、野盗共、もとい、野党共(の一部?)も、な。


(1)【朝日社説】「桜」前夜祭 今国会で説明欠かせぬ

  • 【朝日社説】「桜」前夜祭 今国会で説明欠かせぬ

  • 「桜」前夜祭 今国会で説明欠かせぬ

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15313546.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年6月3日 5時00分

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「桜を見る会」であいさつする安倍首相(当時)=2019年4月13日、東京都新宿区の新宿御苑(代表撮影)

 

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 後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭について、安倍元首相の過去の説明に反する事実がまたも明らかになった。費用の補填(ほてん)を否定した118回に及ぶ「虚偽」答弁の上塗りといえ、到底看過できない。安倍氏は今国会で、数々の疑問に必ず答えねばならない。

 

 新たに判明したのは、サントリーホールディングス(HD)による酒類の無償提供である。16年に始まり、17~19年の3年間は、ビールやワイン、ウイスキーなど計382本、各年15万円相当が持ち込まれたという。

 

 前夜祭の会費は1人5千円で、当初から「安すぎる」と疑問視されていた。安倍氏は「参加者の大多数が宿泊者である事情を踏まえ、ホテル側が判断した」「価格以上のサービスは行われていない」と、5千円で賄えたと強弁してきたが、事実関係を詰めないまま、根拠のない説明を繰り返していたのだから、あきれるほかない。

 

 安倍氏の秘書は、費用の補填が公職選挙法の禁じる寄付にあたる恐れがあるので、金額を抑えるために酒を持ち込んだと、東京地検特捜部の調べに供述していた。秘書らが当初から違法性を認識していたことは、すでに明らかになった訴訟記録からもうかがえる。自分は知らなかったで済む問題ではない。

 

 政治資金規正法は、企業が寄付できる対象を、政党か政党が指定する政治資金団体に限っている。政治家個人の後援会に対する酒類提供は、違法献金の可能性がある。サントリーHDは「自社製品を知ってもらう良い機会と考えた」というが、新浪剛史社長は、安倍政権下の14年から政府の経済財政諮問会議の民間議員を務めている。政権との癒着を疑われかねない振る舞いであり、安倍氏側だけでなく、サントリーHD側も説明を尽くさねばならない。

 

 安倍氏は首相を退いて以降も、自民党最大派閥の長として、強い影響力を持つ。最近は、安全保障や経済財政政策をめぐって、持論を言い放つ場面が目立つが、政権時代の「負の遺産」へのけじめを忘れてもらっては困る。

 

 安倍氏が進んで説明に応じないというのであれば、1年近くにわたり「虚偽」答弁で欺かれた国会こそが、その実現に動かねばならない。与野党の立場を超えて、行政監視機能の回復に踏み出すべき時だ。

 

 自民党は今週、党運営の指針にあたる「ガバナンスコード」を定めた。その中には、「疑念を持たれた議員は、国民に対して丁寧な説明を行う」「本党は、厳正にこれに対処する」とある。岸田首相肝いりの指針の実効性が早速問われる。

 

  • 【琉球新報社説】「桜」夕食会酒無償提供 安倍氏は国民に説明せよ

  •  

「桜」夕食会酒無償提供 安倍氏は国民に説明せよ

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1528195.html

 

 

2022年6月4日 05:00

社説

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 安倍晋三元首相の後援会が主催した「桜を見る会」前日の夕食会費補填(ほてん)問題は、政治資金規正法違反で略式命令を受けた元公設第1秘書の刑事確定記録から新たな問題が次々と明らかになっている。

 

 サントリーが3年間で計約45万円分の酒類を夕食会に提供していた。公職選挙法の違法献金に相当する可能性がある。検察は、参加者に寄付を受けた認識がなかったとして立件を見送った。そのような判断でよかったのか。

 立件されなくても、安倍元首相にとっては、政治家としての進退に関わる重大な問題だ。政治責任を踏まえて国民にきちんと説明すべきだ。

 元秘書は、2016~19年の合計3022万円についての政治資金収支報告書への不記載の罪で略式起訴された。4月にも、安倍氏の不起訴に疑問を抱かせる事実が報じられた。確定記録によると、補填は13年、安倍氏が2度目の首相になって最初の開催の時に始まった。この時、秘書らは差額負担が公選法上の寄付になるとの認識を持っていた。夕食会は毎年開催されてきた。安倍氏は本当に知らなかったのだろうか。

 酒類提供はなぜサントリーだったのか。14年にサントリーホールディングス社長に就任した新浪剛史氏は、安倍氏と会食やゴルフをする間柄として知られていた。無償提供を安倍氏が知らないということがあり得るだろうか。

 この問題が明らかになり、弁護士らの刑事告発を受けて東京地検特捜部が捜査した。特捜部は20人超から聞き取りを行い、寄付の認識がなかったとして公選法違反の立件を見送った。検察審査会が「不起訴不当」を議決したが、検察は聞き取りを追加しただけで同じ結論とし、捜査は終結した。かつてうちわやカレンダーを配っても大問題になった。検察の判断に改めて疑問を呈したい。

 何よりも問題は安倍氏の政治責任だ。安倍氏はこの問題について国会で118回もの事実と異なる答弁をした。国有地が8億円余りも値引きされた森友問題でも139回の虚偽答弁があった。参院選広島選挙区の買収事件での自民党本部の関与も明らかにされていない。健康上の理由で首相を退陣した安倍氏だが、国会での追及を逃れるためだったとの見方も否定できない。

 安倍政権と次の菅義偉政権は、官僚などの人事に介入して行政をゆがめてきた。内閣法制局長官を代えての憲法解釈変更、日本学術会議に対する任命拒否などがその例だ。当時の黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題が示すように、検察も例外ではない。人事で検察の判断がゆがめられていないか懸念を拭えない。

 岸田文雄首相も、安倍・菅政権からの問題を棚上げして不誠実な姿勢を踏襲している。参院選を前に論戦が行われている国会で、これらの未解明の問題の追及にも力を注いでもらいたい。

(3)【毎日社説】再浮上した「桜」疑惑 安倍氏の説明が不可欠だ

  • 【毎日社説】再浮上した「桜」疑惑 安倍氏の説明が不可欠だ

再浮上した「桜」疑惑 安倍氏の説明が不可欠だ

 

 

https://mainichi.jp/articles/20220607/ddm/005/070/110000c

 

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/6/7 東京朝刊 857文字

 

 

 安倍晋三元首相の後援会が主催した「桜を見る会」前夜祭を巡って新たな疑念が浮上した。

 

 サントリーホールディングスから2016~19年、酒類の無償提供を受けていた問題だ。

 

 政治資金規正法は企業から後援会など「その他の政治団体」への寄付を禁止しており、同法に抵触する可能性がある。

 

 改めて疑惑が未解明であることを示したといっていい。安倍氏は真摯(しんし)に説明する必要がある。

 

 前夜祭は、安倍氏が首相在任中、政府行事の「桜を見る会」に合わせ、後援会員らが参加して東京都内の有名ホテルで開かれた。

 

 

 会費は1人5000円で、19年秋、疑惑が発覚した当初から「安過ぎる」と疑問視されていた。

 

 ところが、安倍氏は「参加者の会費だけで賄い、安倍事務所の負担はない」と国会で説明。会費の額は「大多数の参加者はホテルの宿泊者であることを踏まえて、ホテル側が設定した」などと答弁していた。

 

 その後、安倍氏の秘書が事務所側が補?(ほてん)した事実を認めると、今度は「自分は知らなかった」と繰り返すだけだった。

 

 

 酒類の無償提供は、政治資金規正法違反(不記載)の罪で罰金刑を受けた元公設第1秘書らに対する東京地検特捜部の捜査記録から明らかになった。

 

 同時に、この記録で看過できないのは、元秘書らが「会費だけで賄えないと思っていた」「安倍氏や事務所が補?すれば公職選挙法に違反する恐れがあることは分かっていた」と供述している点だ。

 

 

 違法性を認識するほどの重要案件にもかかわらず、元秘書らは本当に安倍氏に報告していなかったのか。疑問はますます募る。

 

 仮に安倍氏が秘書任せにしていたとしても、疑惑が発覚した時点で、きちんと調査しなかった責任は極めて重い。

 

 衆院調査局によれば、この問題で安倍氏が事実と異なる国会答弁をしたのは118回にも及ぶ。

 

 防衛費の大幅増をはじめ、安倍氏は最近、表舞台で次々と持論を展開し、それに岸田文雄首相も配慮する場面が続いている。

 

 都合の悪い話には口をつぐむというのだろうか。欺き続けた国会で説明するのは最低限の責務だ。

 

  • 【東京社説】「桜」相次ぐ疑惑 安倍氏の説明が必要だ

https://www.tokyo-np.co.jp/article/182629?rct=editorial

 

 

2022年6月10日 07時12分

 

 「桜を見る会」=写真=前日に安倍晋三元首相の後援会が開いた夕食会で、民間企業二社が物品、サービスをそれぞれ無償提供していた。政治資金規正法に違反する可能性がある。安倍氏は把握していなかったのか。説明責任を果たさねばならない。

 二〇一七?一九年の夕食会にサントリーホールディングス(大阪市)が計四百本近い酒類を無償で提供。一九年までに四回会場となったホテルニューオータニ(東京都千代田区)は酒類の持ち込み料を無料にしていた。安倍氏の秘書は、酒類持ち込みは「飲食代金を抑えるため」と供述している。

 政治資金規正法は、企業から後援会など「その他の政治団体」への寄付を禁じている。二社の行為は、夕食会の収支を後援会の政治資金収支報告書に記載しなかったとして、同法違反の罪で罰金の略式命令が確定した元公設第一秘書らの刑事記録から判明した。

 夕食会費用は出席者一人五千円の会費では賄えず、安倍氏側が補填(ほてん)していた。刑事記録によると、秘書らは補填が公職選挙法が禁じた有権者への寄付に当たる可能性を認識していたが、安倍氏には補填を報告しなかったという。

 安倍氏は首相在任中、国会で繰り返し補填を否定したが、補填の事実が明らかになると、一転して「知らなかった」と釈明した。

 衆院調査局によると夕食会を巡る安倍氏の虚偽答弁は百十八回に上る。違法の可能性がある補填や無償提供を安倍氏が全く知らなかったというのは、にわかに信じ難い。報告を受けていなくても、国会で問題が追及された後、十分に調査しなかった政治責任は重い。

 自民党は先に決めた党運営の指針「ガバナンスコード」に、政治資金の取り扱いに疑念を持たれた議員は「国民に対して丁寧な説明を行う」と明記した。

 安倍氏は首相を退いた今も防衛力強化や財政運営を巡り積極的に発言しているが、自らの疑惑に関しても、まずは党のガバナンスコードに従って説明するのが党総裁経験者の責任だろう。都合の悪いことには口をつぐむようでは、身勝手のそしりは免れまい。

 

  • 公職選挙法違反ならば、追求するのは裁判所であり、国会ではない。

 上掲朝日朝日はじめとするアカ新聞各紙が、「安倍元首相の国会説明」を求めるのは、「公職選挙法違反としての訴訟すら成立しないから。」だと、私(ZERO)は見ている。真面に裁判にすら持ち込めなくても、「出来損ないスキャンダルの国会追求は、出来る。」から。森友学園への「国有地の不正廉売」疑惑も、加計学園への「獣医学部新設不正認可」疑惑も、同じ構造。有り体に言って、第2次安倍政権発足以来の、少なくとも立憲民主党とその他幾つかの野盗、もとい、野党は、「モリカケ桜学術会議」の「出来損ないスキャンダル追求」以外、真面に存在感を示していない。

 野党第一党で未だにある立憲民主党が、唯一「真面に存在感を示す」のが「モリカケ桜学術会議の、出来損ないスキャン去る追求」という処に、立憲民主党の宿命を見る思い、だがね。

 で、そんな「真面に存在感を示していない野党」を全力応援し、一緒になって「出来損ないスキャンダル追求」に地道を挙げ、反権力だか政権批判だかを「気取っている」のが、上掲アカ新聞各紙、だ。安い「反体制」もあったモンだがな。

 それでは、アホ野党もアカ新聞も「支持率が落ちる」のは理の当然。逆にそれで「支持率が上がる」ようならば、私(ZERO)は「日本国民の民意」って奴に、少なくとも「失望する」事になるだろうな。ま、幸いそう言うことには(今の所)なっていない、様だが。
 
 でもねぇ、忘れられないねぇ。立憲民主党の前身たる民主党が、「日本憲政史上最多の衆院議席数獲得」で政権奪取を果たした時を。あの時は、「我が国に於ける民主主義」に対して「絶望しかけた」からなぁ。

 だから、上掲アカ新聞どもが求める「安倍首相の国会説明」なる「人民裁判」を、我が国民が「支持しないとも限らない」と、警戒はしているがね。

 頭ぁ冷やして考えてみろよ。日本国首相が主催する「桜を見る会」の前夜祭だ。「タダで酒を提供しても、宣伝効果で釣りが来る。」って経営判断は、在りうる話だろう。左様な「宣伝効果を狙ったタダ酒」が、「公職選挙法違反に問われる」可能性はありそうだが、公職選挙法違反に当たるか否かは、司法が、裁判所が判断する話で在り、立法府たる国会が「追求する」べき話、では無い。仮に、「国民が安倍首相の説明を求めている。」としても、「民意で司法判断を曲げるというのは、人民裁判で在り、法治主義に反する。」と、司法としても立法としても主張し、拒絶すべき処であろう。
 
 ああ、そうそう。私(ZERO)という一国民は、「安倍首相の国会説明なんか、欠片も求めていない。」という事実も、付記しておこうかな。

 それにしてもなぁ、安倍元首相が首相ではなくなって2年以上も経ち、この間に首相も2代、代を重ねているというのに、未だにアカ新聞どももアホ野党も、「アベガー」しかやらない/やれない、らしいんだから、呆れるよなぁ。
 

  • 「左翼は痴呆。」と、思えてきたぞ。ー【琉球新報社説】岸田首相 「領土」式辞 復帰の目標は人権回復だ

 左翼は、甘え。とは、東京都・豊島区議会議員・沓沢氏の説。

 20歳までに共産主義に傾倒しない者は、情熱が足らない。
  40歳まで共産主義に傾倒している者は、知能が足らない。」
ってのは、ウインストン・チャーチルの説。

 言うまでも無かろうが、私(ZERO)ナンざぁ「殆ど産まれながらの右翼」で在り、共産主義に傾倒した覚えなんか全く無いから、チャーチルの説に従えば「情熱不足」って事になりそうだが、それ以上に左翼とか共産主義とか言うモノにはここ最近特に「知性」ならざる「痴性」とも言うべき「反知性」「狂信性」「気違いぶり」が目立つ様な気がするんだがな。

 本来、思想の左右というのは「思想の方向性の違い」であって、どちらがより優れているとか、より知的であるとかは、「少なくとも無条件に一義的には定まらない。」筈である。私(ZERO)は再三繰り返すとおり「殆ど産まれながらの右翼」であるが、「左翼的政策や左翼が、”正しい””適している”場合も、在りうる。」とは、承知して覚悟している心算なのだが(まあ、滅多に在りそうに無い、事だが。)、琉球新報はじめとする世の「左翼共」を見ていると、とてもそんな「異論異説を認める余裕」は無さそうで、益々「反知性」「狂信性」「気違いぶり」が目立つんだがね。
(1)【琉球新報社説】岸田首相 「領土」式辞 復帰の目標は人権回復だ

  • 【琉球新報社説】岸田首相 「領土」式辞 復帰の目標は人権回復だ

  • 岸田首相「領土」式辞 復帰の目標は人権回復だ

 

 

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2022年5月20日 05:00

社説

 

 

 「戦争によって失われた領土を外交交渉で回復したことは史上まれ」

 

 15日の復帰50周年記念式典で、岸田文雄首相は沖縄の施政権返還を「失われた領土の回復」と述べた。50年前の式典で、当時の佐藤栄作首相が述べた言葉をなぞったものだ。

 「領土」を持ち出してナショナリズムに訴え、国家の一大事業として強調したい保守政治家の意図が当時も今もあるのだろう。しかし、沖縄が「復帰」に求めたのは人権の回復だった。それを領土交渉や基地機能の維持にすり替えた日米間の交渉は、県民の願いを踏みにじるものだった。

 一方で、外務省は「法的には沖縄は米国の領土になったことはない。施政権が一時的に米国にいき、沖縄返還で日本に戻った」とし、首相との不一致を露呈させている。

 1951年に締結され、沖縄などの米国統治を確認したサンフランシスコ講和条約の第3条について、締結時の吉田茂首相は「同条は日本の権利権原の放棄を明記していない。これらの諸島への主権が日本に残る」と述べ、領土の最終処分権は日本にあるとする「潜在主権」を強調していた。外務省の見解はこれらの経緯を踏まえたものだ。

 これまでの大臣答弁でも、憲法施行(47年5月3日)以来、沖縄県民は一貫して日本国憲法の下にあったが、米国の施政権下では実効性を持って適用されなかったというのが日本政府の見解だった。岸田首相の式辞は外交史の不見識をさらしたと言える。

 だが、「潜在主権」についても、沖縄住民が置かれた実態を踏まえることが必要だ。

 米国は第2次大戦の戦後処理の原則として「領土不拡大」を約束していた。敗戦後、日本側は「天皇メッセージ」や吉田・ダレス交渉で、日本の独立と引き替えに、沖縄の長期租借を米政府に提案。領土不拡大の建前を保った上で、これまで同様、米国が排他的に沖縄を自由使用するお墨付きを国際的に与えたのが講和条約だった。

 国家の都合で帰属があいまいにされたことで、沖縄の住民はより過酷な運命を歩まされた。日本から分離され、かといって米国の法律や民主主義も適用されない。土地は強制的に基地へと接収され、事件事故を起こした米兵は軍事裁判で無罪になる。

 日本国憲法の適用による人権の回復を求め、多くの県民が立ち上がったのが日本への復帰運動だった。少なくはあったが国連の信託統治や独立の主張もあり、沖縄の帰属を自ら決めるという意志と努力が時代を動かした。

 だが、日本に復帰はしたが沖縄の基地は維持され、米軍による自由使用が今も続く。岸田首相の式辞からは、沖縄を領土とだけ見なし、日本の安全保障に利用する国家の本質が垣間見える。

 沖縄にとって「復帰」は今も続く未達の目標だ。住民の視点から歴史を学ぶことだ。

 

  • 「平和を愛する諸国民」も「国連」も、人権を保護擁護なんかしない。出来ない。

 章題で半分ネタバレしている様なモノだが、敢えて問おう。貴方の人権を守り、保護している主体は、何か?と。

 人には、産まれならの「基本的人権」をはじめとする数多の「人権」が、「建前上、理念上、認められている。」。これは、「何人にも冒されない固有の権利」とも表現されるが、さて、貴方の人権が、或程度「守られている」ものとして、その「貴方の人権」を、守り、保障してくれる主体は、何だ?

 詰まるところそれは、基本的に国家だ。国だ。国が、国民の人権を保障し、守る。「人権派弁護士」とかが直接的に「人権を守る」のも、所詮は国として法律が在り、法秩序法体制があるから、「弁護士としての機能が発揮できる」のである。諄い様だが繰り返すが、国が、国民の人権を守り、保障する。のである。

 無論、国によっては「国民の人権を保障しない」どころか「国民の人権を蹂躙する」事もあり得る。その場合、何らかの国際機関、国連とか人権団体とかの「出番」ではある。だが、これら国際機関とて、直接的に「人権を守り、保障する」事は出来ない。精々の処、「ある国が、その国民の人権を守り、保障する様に、仲介し説得する。」のみで在り、それが叶わないならば「その国の国民(の一部)を”難民”として、別の国の庇護下に置き、その"別の国"が、"難民"となった"外国人"の人権を守り、保障する様に、仲介する。」ばかりである。無論、「平和を愛する諸国民」なんて半ば(以上)「架空の存在」は誰の人権に対しても何も出来そうにない。
 
 であるならば、琉球新報記者諸君を含む(*1)沖縄県民の人権を守り、保障するのは、他ならぬ日本政府である。また、日本政府が「沖縄県民の人権を守り、保障する。」のは、「沖縄が、日本の領土であるから。」一寸でも考えるならば・殆ど自明の事、と言えよう。

 であると言うのに、上掲琉球新報社説のタイトルは、「岸田首相「領土」式辞 復帰の目標は人権回復だ」であり、言っていることは、ほぼ「沖縄を日本の領土とはするな。だが、人権は保障しろ。である。

 「沖縄県民の人権が蹂躙されている」って根拠が「過重な基地負担」ってのも、呆れる他無いんだが(*2)、「沖縄を日本の領土とはするな。だが、人権は保障しろ。」とは、一体「沖縄県民」ってのは、何様のつもりなんだろうねぇ。

 あ、上掲琉球新報社説には、「沖縄の日本復帰」の代替案として「国連の委託統治」だの「独立」だのに触れているが、その何れかの道を選んでいたら、今頃は目出度く中国に占領されていたことだろうよ。天安門事件や新彊ウイグル自治区に端的に表れているとおり、中国政府は「沖縄県民の人権」なんぞ、保障したりしないぞ。
 

  • <注記>
  • (*1) あ。その琉球新報記者が日本国籍を有する沖縄県民であれば、だが。 
  •  
  • (*2) 尖閣諸島への中国の「核心的利益」と称する侵略宣言で明らかなとおり、沖縄は対中国最前線だ。前線から兵を退くのは戦争誘因であるから、沖縄に兵力集中=基地負担集中するのは当たり前。それを「人権蹂躙」とは、言わない。 
     
  • 「冷静さを欠いている」のは、誰かね?ー【毎日社説】防衛予算の増額 冷静さ欠く議論は危うい

 先行記事、「防衛費、2%で、この騒ぎ防衛費、2%で、この騒ぎ。-「骨太の方針として、防衛費倍増示唆」に対する、アカ新聞社説の右往左往 | 日出づる処の御国を護り、外国までも率いん心 (ameblo.jp)」に於いては、毎日新聞社説を含むアカ新聞社説を取り上げて、その「防衛予算増額反対理由」を「尽く」撃破粉砕、した心算だが、そこで取り上げた毎日社説以外にも、こんな社説を毎日新聞は掲げていた。

 では、「残敵掃討」と、参ろうか。

 「叩いたら、叩いて潰せち、教わった。
  親父殿(おやっど)も、叔父上殿も、もう一人の叔父上も、もう一人の叔父上も、
 おじい様も、ひいじい様も、言うておった。」
ー島津豊久@ドリフターズー


 

  • 【毎日社説】防衛予算の増額 冷静さ欠く議論は危うい

  • 防衛予算の増額 冷静さ欠く議論は危うい

 

 

https://mainichi.jp/articles/20220603/ddm/005/070/122000c

 

注目の連載 

オピニオン

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/6/3 東京朝刊 English version 846文字

 

【1】 防衛予算の増額を求める声が、自民党を中心に強まっている。ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、東アジアでも軍事的緊張が高まるのではないかとの懸念が背景にある。

 

【2】 自民は、軍拡路線を取る中国や北朝鮮などへの対抗策として、防衛費の抜本的な増額を提言した。国内総生産(GDP)比2%以上も念頭に置き、5年以内に引き上げることを求めている。

 

【3】 岸田文雄首相は米国のバイデン大統領に対し、「相当な増額を確保する決意」を伝えた。

 

【4】 確かに、安全保障環境の変化に応じた防衛力の整備は必要だ。ただし、専守防衛との整合性や、さまざまな政策の中での優先順位などを考慮した、冷静な議論が求められる。

 

【5】 とりわけ問題なのは、増額の数値目標が先行していることだ。

 

【6】 自民の提言は、装備品などの具体的な項目を積み上げないまま、北大西洋条約機構(NATO)並みの予算水準を求めている。

 

【7】 そもそも日本の防衛力は、憲法9条に基づく「必要最小限度」という制約がある。その枠内で国民の安全をどう守るか、丁寧な議論が必要だ。

 

【8】 財源の問題も避けて通れない。

 

【9】 2022年度当初予算の防衛費は8年連続で過去最大を更新し、21年度補正予算との合計で初めて6兆円を超えた。それでも、これまでは「GDP比1%」の目安が歯止めとして機能してきた。

 

【10】 2%への倍増を求める自民の安倍晋三元首相は「財源は国債で賄えばいい」とさえ主張している。だが先の大戦では、戦時国債が乱発されて歯止めなき軍拡を招き、戦後の教訓となった。

 

【11】 しかも、政府の長期債務残高が21年度末で1000兆円を突破した中、将来世代の借金を一層膨張させることにもなりかねない。

 

【12】 安全保障には防衛力だけでなく外交や経済面など、重層的な取り組みが必要だ。多くの課題を置き去りにしたまま、防衛費の増額が独り歩きする風潮は危うい。

 

【13】 来月の参院選では、ウクライナ情勢を受けた安全保障問題が争点の一つになる。東アジアの現状をどう認識し、どのような防衛力整備を構想しているのか。首相は、国民に明確に示すべきだ。

 

  • 先行記事「防衛費、2%で、この騒ぎ」に於いて、アカ新聞各紙社説から抽出した「防衛費増額反対理由」リストを、上掲毎日社説に当てはめてみよう。


 以下の<理由1>~<理由12>が、先行記事でアカ新聞各紙社説が掲げた「防衛費増額に反対する理由」。これらについては先行記事で「殆ど議論するに値しない」と、結論づけている。(【】内は、上掲毎日社説のパラグラフ番号)

<理由1> 「倍増ありき」だから。 【5】【6】 


<理由2> 歳出の拡大に歯止めが利かなくなるから。


<理由3> 歳出拡大には財源論が必要だから。/赤字国債を財源とする案があるから。【8】【10】【11】


<理由4> 1947年発行の財政法は、赤字国債を禁じているから。


<理由5> 際限のない軍拡競争を招きかねないから。


<理由6> 「専守防衛」との整合性を議論すべきだから。【4】


<理由7> 財政規律が骨抜きになりかねないから。


<理由8> 岸田首相の強い指導力が見られないから。/安倍元首相の強い影響が見られるから。


<理由9> 過剰・不要な装備を買う恐れがあるから。


<理由10> NATOは相互防衛義務があるが、日本は専守防衛だから。


<理由11> 軍事費を特別扱いした戦時中を想起させるから。【10】


<理由12> 防衛費増額分の予算は、他のことに使えるから。【4】



 予想されたことだが、上掲毎日社説が掲げる「防衛費増額反対理由」の大半は、先行記事で抽出したアカ新聞(毎日含む)各紙の「防衛費増額反対理由」に包含されており、既に「撃破済み」である。
 
 今回、上掲毎日社説から「新たに抽出される防衛費増額反対理由」としては、以下のモノがある。

<理由13> 日本の防衛費は、憲法9条に基づいて「必要最小限」という制約があるから。【7】

<理由14> 安全保障には防衛力だけでなく、外交や経済も重要だから。【12】

  • <理由14> 安全保障には防衛力だけでなく、外交や経済も重要だから。

 一見尤もらしいし、ある意味「正論」でもあるのだが、この<理由14>は、先述の<理由12>「防衛費よりも優先すべき予算がある。」の一変形である。先行記事にした通り、この<理由12>を「防衛費増額反対理由」に挙げた琉球新報は、「防衛費より優先すべき予算」として、「授業料・給食費の無料化」「年金増額」「消費税減税」と、俗耳に入りやすそうな「大衆迎合政策」を挙げてのに対し、上掲毎日社説は、「流石は全国紙」と言うべきか、「防衛費と同様に安全保障上重要な、外交と経済」を挙げて、「安全保障重視」の姿勢を見せている。

 その「安全保障重視の姿勢」故に、先行記事で私(ZERO)が上記<理由12>撃破に用いた論拠「安全保障政策に失敗すれば、国家の危急存亡にも関わる。」を「封じた」事は認めざるを得ず、今回改めて<理由14>を取り上げねばなるまい。
 
 先ず、安全保障に於いて、防衛力以外の「外交や経済」も重要である、と言う点に同意しよう。以前にも書いたが、外交と軍事は少なくとも一面相補的関係にあり、「戦争は、弾丸を使う外交。」「外交は、弾丸を使わない戦争。」とも言い得るのだから。

 一方で、安全保障とは一義的には「防衛力」の問題である。外交も、そりゃ大事だが、それは主として「同盟国を増やし、同盟関係を強固にする」意味で大事なのであり、「開戦回避」とか「緊張緩和」とかで「外交が安全保障に資する」頻度も重要度も、軍事・防衛力程ではない。これは、冷厳たる事実・史実であり、「安全保障とは、先ず第一に軍事力・防衛力の問題」なのである。従って、「安全保障の議論として、先ず防衛費を論じるべき」であり、防衛費を優先して論じることを「軍事偏重」などと非難される筋合いは、ないのである。

 更に、我が国の防衛費という意味では、上掲毎日社説にも「1%枠」として登場する様に、「防衛費増額は殆どタブー視され、ろくな防衛費を予算化して来なかった。」のである。お陰で我が自衛隊は、正面装備の数はそこそこ揃うモノの(それでも、戦車の数とか、なぁ・・・・)、弾薬備蓄なんてのは実に心許ない惨状を呈している。その惨状の理由の少なくとも一端は、NATO基準の半分でしかない、「1%枠」というしょうもない「防衛費抑制策」のため、である。

 外交や経済以上に安全保障上重大な防衛費が、左様な惨状を呈していたのであるから、安全保障の観点から、今こそ、「外交や経済」ならぬ防衛力・軍事力が、「議論されて当然」なのである。 
 

  • <理由13> 日本の防衛費は、憲法9条に基づいて「必要最小限」という制約があるから。


 Negative!「必要最小限」も何も、日本国憲法には前文にも9条にも、我が国の安全を保障する武力や軍隊や自衛艇に関する記載が、一切ない。そんな自殺憲法自滅憲法と、厳然として存在し我が国にとって必要不可欠な自衛隊との、「憲法と現実の乖離」を埋める「埋め草」が「憲法9条に基づく”必要最小限”と言う制約」である。有り体に言って、「言葉遊び」だ。実体は、無い。実害は、あるべきではない。

 更に言うならば、我が国の安全保障上必要な防衛費増額は、「我が国の安全保障上必要」なのだから、それだけで「必要最小限」と主張するに十分な理由であろう。
 
 その「我が国の安全保障上必要な防衛費増額」が、「GDP比2%に、達するか、否か?」には、議論の余地が在るだろう。それを審議するのが、「防衛予算の国会審議」というモノであろう。

 言い替えれば、我が国の防衛予算は国会で審議されるのだから、可決成立した防衛予算は、「必要最小限」の筈だ。少なくとも、左様に主張出来よう。
 

  • .「冷静さを欠いている」のは、毎日新聞社説の「防衛費増額反対論」では、ないのかね?


 特に、琉球新報と同じ防衛予算増額反対理由(の一つ)である<理由11>「軍事費を特別扱いした戦時中を想起させるから。」は、ヒドいぞ。先行記事にも書いたが、総力戦中の交戦国が「軍事費を特別扱いする」のは当たり前だ。そうしないと忽ち戦争に負けて、国が滅んでしまう可能性は大きいのだから。更には、「GDP比2%の防衛費」は「特別扱い」ではなく、むしろ常識の線である。

 それどころか、従来従前の「防衛費1%枠」こそ、逆に「少な過ぎる」という意味で「特別扱い」と言われるべきだろう。

 そんなヒドい「防衛費増額反対理由」を持ち出すとは、「冷静さを欠いている」のは、一体どちらかね?

  • 防衛費、2%で、この騒ぎ。-「骨太の方針として、防衛費倍増示唆」に対する、アカ新聞社説の右往左往

 何度か書いた覚えがあるが、「馬鹿が、馬鹿を晒しているのを見るのは、楽しいモノだ。」。今回は、日本政府の「骨太の方針(*1)」として「経済財政運営と改革の基本方針」が閣議決定され、この中で「(防衛費の)5年以内の強化」と明記の上、「北大西洋条約機構(NATO)諸国が国内総生産(GDP)比2%以上を目指している」とも明記された、と言うので、アカ新聞どもの社説がこんなことになって居る。

 これ即ち、「馬鹿が、馬鹿を晒している」状態であり、実に「楽しいモノ」である。

①【朝日社説】骨太の方針 防衛費の膨張が心配だ
②【毎日社説】規律なき骨太方針 首相の姿がかすむ一方だ
③【東京社説】防衛費2%方針 「倍増ありき」の危うさ
⑤【琉球新報社説】「骨太方針」決定 防衛費増ありきは問題だ

 ④の沖縄タイムスは、該当する社説無し。
 

  • <注記>
  • (*1) この表記は、好かんのだがね。方針ってのは、方針であるが故に、「骨太である」のが本来にして王道。骨細でフラフラしたり、折れたりするのは、「方針」とは言わない。 




(1)①【朝日社説】骨太の方針 防衛費の膨張が心配だ

  • ①【朝日社説】骨太の方針 防衛費の膨張が心配だ

骨太の方針 防衛費の膨張が心配だ

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15318247.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年6月8日 5時00分

 

骨太の方針を決めた経済財政諮問会議・新しい資本主義実現会議合同会議で、発言する岸田文雄首相(左から2人目)=2022年6月7日午後5時41分、首相官邸、上田幸一撮影

 

 

【1】 防衛費をはじめとする歳出の拡大に歯止めがかからなくならないか。きのう閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太の方針)からは、こんな不安が拭えない。

 

 

【2】 骨太の方針は、翌年度の予算編成の大枠にあたり、政府の重点政策を挙げつつ、財政健全化に向けた考え方を示してきた。今回も「財政健全化の旗を下ろさず、これまでの目標に取り組む」と記し、国と地方の基礎的財政収支を25年度に黒字化する目標を維持した。

 

 

【3】 25年度には、団塊世代全員が75歳に達し、医療費などの公費負担が一段と膨らむ。それまでに、借金依存の財政運営から脱する意義は大きい。コロナ禍を経ても企業業績は堅調で、税収は増えている。目標を維持するのは当然の判断だ。

 

 

【4】 一方で、見過ごせない問題がある。目標達成の前提になる歳出抑制を形骸化させかねない表現が加わったことだ。

 

 

【5】 従来の骨太では、社会保障経費の伸びを高齢化による自然増の範囲内に、その他の経費は3年間で計1千億円の伸びに抑えるとしてきた。今回も、この方針自体は変えなかったが、決定前日の自民党との調整で「ただし、重要な政策の選択肢をせばめることがあってはならない」との文言が入った。抑制の例外を認めるかのような表現だ。

 

 

【6】 歳出を増やすべき「重要な政策」があるのは否定しない。ただ、その際はその分の財源を同時に議論すべきだ。歳出拡大だけを言うのでは「財政運営」の名に値しない。

 

 

【7】 とくに懸念するのは、安倍元首相らが国内総生産の2%以上にするよう求める防衛費の扱いだ。この「重要な政策」の一つとして念頭にあるとされる。

 

 

【8】 ロシアのウクライナ侵略が起きたなかで、あるべき防衛の姿を考えることは当然だ。ただ、適切な予算は、装備など必要な経費を積み上げて検討すべきで、「2%」のように総額ありきの議論は筋違いである。

 

 

【9】 安倍氏は「政府は日本銀行とともに、お札を刷ることができる」など財政規律を軽んじる発言も連発している。骨太が「防衛力を5年以内に抜本的に強化する」としながら財源には触れず、歳出の別扱いにする余地までつくったのは、安倍氏らに配慮したためだろう。

 

 

【10】 1947年施行の財政法は、赤字国債の発行を禁じている。野放図な借金が身の丈を超えた軍事予算の拡張を許し、悲惨な戦禍を招いた反省からだ。政府の借金は、すでに未曽有の規模に膨れあがっている。このうえ歯止めなき国債発行を続けて、際限のない軍拡競争を招くようなことは、あってはならない。

 

  • ②【毎日社説】規律なき骨太方針 首相の姿がかすむ一方だ

  •   https://mainichi.jp/articles/20220608/ddm/005/070/093000c

 

 

規律なき骨太方針 首相の姿がかすむ一方だ

 

毎日新聞 2022/6/8 東京朝刊 English version 876文字

 

【1】 防衛と財政は国の根幹をなす重要政策だ。岸田文雄首相が自らの考えを明確に示さないまま、方向が決まっていく流れは危うい。

 

【2】 岸田政権で初めての「骨太の方針」が閣議決定された。

 

【3】 ウクライナ危機で増額論が浮上した防衛費では、原案になかった「5年以内の強化」を打ち出した。「北大西洋条約機構(NATO)諸国が国内総生産(GDP)比2%以上を目指している」との記述も注釈から本文に格上げした。

 

【4】 これまでGDP比1%程度にとどまっていた防衛費を5年以内に倍増させたい思惑がうかがえる。原案の提示後、安倍晋三元首相らの主張に押される形で修正した。

 

【5】 安全保障環境の変化に応じた防衛力の整備を検討するのは必要だろう。ただ数値ありきではなく、専守防衛との整合性などを丁寧に議論していくことが欠かせない。「骨太」がなし崩し的な増額にお墨付きを与えるようでは問題だ。

 

【6】 財政に関しても、健全化目標の時期が明記されなかった。

 

【7】 政府は基礎的財政収支という指標を2025年度に黒字化する目標を掲げてきた。従来は「堅持」としていた表現を「これまでの目標に取り組む」と後退させた。財政規律が骨抜きにされかねない。

 

【8】 背景には、予算の大幅な拡大を求める積極財政派の安倍氏らの動きがある。防衛費を増やしても国債で賄えばいいと唱えている。

 

 

 

【9】 国と地方の借金は計1200兆円規模と危機的状況にある。高齢化が進む中、将来世代へのつけを膨らませるのは無責任だ。

 

【10】 本来、首相のビジョンが問われる大事な局面である。にもかかわらず指導力を発揮していない。

 

【11】 防衛費については「相当な増額を確保する決意」をバイデン米大統領に伝えた。だが国民には財源も含めて詳しく説明していない。

 

【12】 財政でも以前は健全化を訴えていたが、「骨太」策定では、積極派の主張を大幅に受け入れた。

 

【13】 看板政策に掲げる「新しい資本主義」も、アベノミクスと代わり映えしない内容になった。存在感はかすむ一方である。

 

【14】 参院選を前に最大派閥を率いる安倍氏の影響力を意識しているのならば、あまりに内向きだ。どのような国家を目指すのかを国民に明示する必要がある。

(3)③【東京社説】防衛費2%方針 「倍増ありき」の危うさ

 

  • ③【東京社説】防衛費2%方針 「倍増ありき」の危うさ

  •   https://www.tokyo-np.co.jp/article/182243?rct=editorial

防衛費2%方針 「倍増ありき」の危うさ

 

 

2022年6月8日 08時02分

 

【1】 政府が経済財政運営の指針「骨太の方針」を閣議決定し、防衛力を五年以内に抜本的に強化する方針を明記した。防衛費を国内総生産(GDP)比2%程度に増額することを念頭に置いたもので、現在の1%から「倍増ありき」の方針は、防衛力整備の歯止めを失う危うさをはらんでいる。

 

【2】 骨太の方針は防衛力強化の理由に、ロシアのウクライナ侵攻やインド太平洋地域での力による一方的な現状変更で安全保障環境が厳しさを増していることを挙げ、北大西洋条約機構(NATO)加盟国が国防費の目標としているGDP比2%以上を例示した。

 

【3】 二〇二二年度の防衛費は約五兆四千億円でGDP比は1%弱。これを2%に増やすと年五兆円以上が新たに必要になる。

 

【4】 岸田文雄首相は、防衛力強化について「国民の命や暮らしを守るには何が必要なのか、具体的に現実的に議論し、しっかり積み上げる」と数値目標の設定に慎重な見解を繰り返し示してきた。

 

【5】 骨太の方針に、積算ではなく、数値目標を盛り込んだのは、政権基盤を安定させるため、防衛費の大幅な増額を求めていた安倍晋三元首相に配慮したからだろう。

 

【6】 ただ防衛力の抜本的強化が何を意味するのか、必ずしも明確ではない。仮に防衛費を五年間で五兆円以上増やすことになれば、年間一兆円以上も積み増し続けることになる。明確な防衛戦略もなく、過剰あるいは不要な装備品を大量に買い込むことにならないか。

 

【7】 政府は、「国家安全保障戦略」「防衛計画の大綱(防衛大綱)」とともに、防衛装備調達の五カ年計画である「中期防衛力整備計画(中期防)」を年内に改定する方針で、防衛費倍増方針がどう反映されるか注視する必要がある。

 

【8】 防衛費増額の財源をどう手当てするのかも不透明だ。自民党内では国債を発行して充てるべきだとの意見が強いが、「戦時国債」発行で軍備拡張を推し進めた過去の過ちを繰り返すべきではない。

 

【9】 そもそも他国を防衛する義務がない日本の防衛費を、相互防衛義務を負うNATO加盟国と同列に扱う合理性はない。防衛費の増額は逆にアジア太平洋地域の安定を損なう要因になりかねない。

 

【10】 節度ある防衛力の整備に努めるのはもちろん、外交にも力を注ぐことこそが、国民の命と暮らしを守ることになるのではないか。

 

  • ⑤【琉球新報社説】「骨太方針」決定 防衛費増ありきは問題だ

  • 「骨太方針」決定 防衛費増ありきは問題だ

 

 

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1530428.html

 

2022年6月9日 05:00

社説

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【1】 岸田政権で初の経済財政運営の指針「骨太方針」が閣議決定された。だが、岸田文雄首相が目指す国家像とリーダーシップが見えない。

 

 

【2】 財源健全化が後退し、歳出増を伴う施策が並ぶ。特に防衛費は保守派の「圧力」で大幅増額を見込む内容に修正された。必要額を積み上げた結果ではなく最初から防衛費増額ありきは受け入れられない。軍事費を特別扱いした戦時中を想起させ、看過できない事態だ。

 

【3】 「骨太」の焦点だった財政健全化では安倍晋三元首相率いる自民党の積極財政派に配慮した。国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化を目指す時期を削除してしまった。さらに「政策の選択肢を狭めることがあってはならない」との文言を加えることで、歳出拡大の余地を残した。

 

【4】 歳出拡大の一例が防衛費である。政府原案は「防衛力を抜本的に強化」と表記していたが、最終的に大きく変更した。ロシアのウクライナ侵攻を機に増額論が高まり、原案になかった「5年以内の強化」を書き加えた。北大西洋条約機構(NATO)加盟国が目標とする、国内総生産(GDP)比2%以上という記載を、脚注から本文に格上げした。

 

【5】 防衛費の上限をGDP比1%にとどめた1976年の閣議決定を覆す思惑があるのだろう。安倍氏ら保守派の圧力に屈したと言われても仕方あるまい。

 

【6】 GDP比を2%に倍増すると5兆円規模の予算が必要になる。どこに財源があるのか。今回の「骨太」は財源を明らかにせず、無責任のそしりを免れない。

 

【7】 国家の借金に当たる「国債残高」は2021年度末で1千兆円を突破した。それでも安倍氏は「防衛費確保のための国債発行」を訴えている。その国債を「政府の子会社」(安倍氏)と位置付ける日銀に購入させるのだろうか。

 

【8】 既視感がある。日中戦争と太平洋戦争の戦費は戦時国債で調達した。国民に国債を無理矢理買わせ、足りない分は日銀が直接引き受けた。調達した資金は臨時軍事費特別会計に組み込まれ、敗戦まで帝国議会に報告されることはなかった。軍にとって都合のいい財布だ。戦時国債は敗戦によって紙くずになった。

 

【9】 5兆円あれば、大学の授業料や小中学校の給食費を無償化できる。1人当たり年金の支給額を増やすことも、消費税を現行10%から8%に引き下げることも可能だ。

 

【10】 一方、「骨太」は「強い沖縄経済」の実現を掲げ、沖縄振興策を「国家戦略として総合的・積極的に推進する」と明記した。

 

【11】 だが、沖縄経済の最大の阻害要因である基地の負担軽減に触れなければ画餅に終わってしまう。名護市辺野古の新基地建設や防衛費増額の先に、沖縄が再び戦場になる危険性が高まる。県民の命と暮らしを守らない「骨太」では困る。

 

  • 抽出 アカ新聞各紙が「防衛費増額に反対する理由」

<理由1> 「倍増ありき」だから。①【8】③見出し【1】⑤見出し 


<理由2> 歳出の拡大に歯止めが利かなくなるから。①【1】【4】②【7】


<理由3> 歳出拡大には財源論が必要だから。/赤字国債を財源とする案があるから。②【13】③【8】⑤【6】【7】


<理由4> 1947年発行の財政法は、赤字国債を禁じているから。①【10】


<理由5> 際限のない軍拡競争を招きかねないから。①【10】


<理由6> 「専守防衛」との整合性を議論すべきだから。②【5】


<理由7> 財政規律が骨抜きになりかねないから。②【7】【9】


<理由8> 岸田首相の強い指導力が見られないから。/安倍元首相の強い影響が見られるから。②【13】【14】③【5】⑤【5】


<理由9> 過剰・不要な装備を買う恐れがあるから。③【6】


<理由10> NATOは相互防衛義務があるが、日本は専守防衛だから。③【9】


<理由11> 軍事費を特別扱いした戦時中を想起させるから。⑤【2】【8】


<理由12> 防衛費増額分の予算は、他のことに使えるから。⑤【9】

 

  • <理由2> 歳出の拡大に歯止めが利かなくなるから。

  • <理由3> 歳出拡大には財源論が必要だから。/赤字国債を財源とする案があるから。

  • <理由4> 1947年発行の財政法は、赤字国債を禁じているから。

  • <理由7> 財政規律が骨抜きになりかねないから。


 この4つの理由は、「財政的理由」と括ることが出来よう。平たい話が、「金がないから、防衛費増額反対。」という主張。

 国の予算である以上、財政に関わることは不可避で在り、予算増額なのだから財政悪化/赤字化の方向であることも不可避だろう。これは、全ての予算増額について言えることで在り、防衛費増額とて例外ではない。

 だが、「財政悪化/赤字化を許容するレベル」は、予算増額の種類によって大いに異なろう。で、防衛費増額ってのは、我が国の安全保障に直結した予算増額で在り、我が国の危急存亡にさえ関わることがある予算増額である。従って、防衛予算増額の「財政悪化/赤字化を許容するレベル」は、高い。多分、国家としての最高レベルであり、「ちょっとやそっと国が傾くぐらいの財政悪化/赤字化は、許容されるべきレベル」ともなり得る。「赤字国債を発行して財源に充てる」ことも、「財政規律の例外とする」ことも、政治判断として十分ありうることだ。

 無論、その「赤字国債を発行して財源に充てる」「財政規律の例外とする」等の議論をし、判断し、決断を下す事は大変重要であり、それこそ正に「国会に於ける予算審議の真骨頂にして存在意義」である。が、「赤字国債発行禁止」や「財政規律」を理由に「防衛予算増額の議論も国会審議も許さない」と言うのは、本末転倒とは言わぬまでも、「角を矯めて牛を殺す」暴論ではあろう。

 アカ新聞各紙が上記4つの「財政的理油」で「防衛予算増額に反対する」のには、(珍しく)相応に理がある。だが、「増額される防衛予算を含めて、予算は国会の審議を経て成立・執行される。」のであるから、その過程で「財政的理由による防衛費増額反対」を議論すれば、済む話。「政府の予算案の段階での、防衛予算増額」に反対できる理由ではない。
 

 

  • <理由12> 防衛費増額分の予算は、他のことに使えるから。


 この<理由12>は、「財政的理由=金がないから防衛費増額反対」に準じたモノであり、防衛費増額する金があるなら、他へ廻せ。という主張。言い替えれば、予算配分として、防衛費増額よりも優先すべきモノがある。って主張だ。

 これまた、「一見尤もらしい主張」であるが、同時に「大抵の予算増額反対に利用・活用できる主張」でもある。それだけに、「それだけでは、説得力に欠ける」理由でもあろう。ああ、「防衛予算増額=悪」と短絡思考して考える安保白痴の平和ボケは、この限りではないか。

 上記<理由12>を掲げる琉球新報は、その安保白痴・平和ボケと表裏一対の軍事忌避・軍人差別で「一部では有名」であるが、

⑤1>  5兆円あれば、大学の授業料や小中学校の給食費を無償化できる。
⑤2> 1人当たり年金の支給額を増やすことも、
⑤3> 消費税を現行の10%から8%に引き下げることも可能だ。


として、「授業料/給食無償化」「年金増額」「消費税減税」を「防衛費増額より優先すべき予算」として挙げている。多分、俗耳に入りやすく、一般受けしそうな項目を選んだのだろう。

 だが、私(ZERO)に言わせるならば、「矢っ張り安保白痴の平和ボケ」である。

 防衛費が直結しているのは、我が国の安全保障だ。安全保障政策に失敗すれば、国が滅びることだってある。国が滅びたら、少なくとも「授業料/給食費無償化」も「年金増額」も、意味を成さない(*1)

 従って、防衛費増額の可否は、先ず(琉球新報が忌避し、差別し、それ故に大いに不得意としている)安全保障上の観点から論じるべきであり、「授業料/給食費無償化」「年金増額」「消費税減税」等と同列において予算の正否を論じるのは、良く言っても大衆迎合論。普通に考えれば「亡国に至る可能性さえある暴論」であろう。

 尤も、「日本の亡国」こそ正に、琉球新報の目的である可能性は、相当に高そうだが。
 

  • <注記>
  • (*1) ああ、「消費税減額」も「意味を成さない」が、「消費税そのものを徴税されなくなる」可能性があるので、「減税ではなくなる(そもそも、税金を取られなくなる)」可能性がある。 


 

  • <理由9> 過剰・不要な装備を買う恐れがあるから。

 この<理由9>「財政的理由=金がないから防衛費増額反対」に準じたモノと言えそうではある。言えそうではあるが・・・ナンとも情けない理由であろう。「防衛予算を要求する防衛省や自衛隊も、防衛予算を審議する国会も、随分と舐められ、馬鹿にされたモンだ。」と言うところ。要は、防衛予算を増額すると、無駄遣いするから、反対。って主張だ。

 「自衛隊、防衛省、国会を、ガキ扱いした」反対理由である。少なくとも「国会軽視」と非難されて然るべき反対理由であろう(*1)
 この<理由9>も、前述の「財政的理由」と同様に、「買い込む装備品の過剰・不要は、国会での予算審議を通じて議論すれば済む話」であり、「政府の予算案において、防衛予算を増額する」ことに反対できる反対理由ではない。

 あ、「今の野党が無能で少数で、国会の予算審議で真面な議論が出来ない。」のは、無能な野党と、少数しか選出しない有権者の責任であり、「国会の予算審議を軽視する理由」にはならないぞ。

  • <注記>
  • (*1) 防衛省や自衛隊は、軽視されても、それだけでは罪にならない。多分。 

 

  • <理由5> 際限のない軍拡競争を招きかねないから。

  •  <理由6> 「専守防衛」との整合性を議論すべきだから。

  •  <理由10> NATOは相互防衛義務があるが、日本は専守防衛だから。

 この三つの「防衛費増額反対理由」は、「政治的理由」と分類出来そうだ。左様分類は出来るが・・・揃いも揃って屁理屈ばかりだな。

 先ず<理由10>は、今回「防衛費倍増方針」のベースとなった「NATO加盟国はGDP比2%以上の国防費が目標である」のに対する「NATOと我が国では条件が違う」って主張であり、それを「相互防衛義務のNATOと、専守防衛の日本」で対比させているのだが・・・実に好都合な点だけに絞った対比だな。

 NATOが対峙しなければならないのは、ロシア一国だ。これに対し我が国は、中国とロシア、北朝鮮と、対峙しなければならない国が(少なくとも)3つある。「相互防衛義務のNATOと、専守防衛の日本」と言う対比だけでは、「条件の違い」が、判る訳がない。


 かてて加えて、専守防衛の方が、防衛費は安く上がる。」と言うのは、かなりの程度思い込みだ。「攻撃的兵器を保有しなくて良い」点では「安く上がる」様に思えるが、弾道ミサイルと弾道ミサイル防衛では、弾道ミサイル防衛の方が技術的にも高度で、値段も高い。少なくとも弾道ミサイルについては「専守防衛よりも、大量報復戦略の方が、安く付く」ことは、ありうるのだ。

 更には、上記<理由6>とも関わって来るが、防衛予算は先ず第一に我が国の安全保障、我が国の主権・領土領空領海及び我が国民の生命財産を如何に守るか、と言う視点で議論されるべきであり、「専守防衛」だろうがナンだろうが(*1)、「我が国の安全保障上、有害」と判定されれば、「従来の方針を改め、専守防衛を止めるべき」なのである。
 言い替えれば、優先すべきは我が国の安全保障であり、その為の防衛費増額である。その防衛費増額が「専守防衛と整合しない」ならば、「専守防衛方針を改める」だけの話。従って、上記<理由6>「「専守防衛」との整合性を議論すべきだから、防衛費増額反対。」ってのは、矢っ張り「角を矯めて牛を殺す暴論」・・・と言うよりは、これこそ正に「本末転倒」と評すべきだな。

 「専守防衛との整合性を議論する。」のは良いさ。だが、我が国の安全保障上必要となった防衛費増額を「従来方針である専守防衛と整合しない」として否決するならば、それは「本末転倒」というモノ。専守防衛は従来従前の我が国の防衛方針ではあるが、それは我が国の安全安泰に資する、少なくとも「邪魔にならない」範囲であるべき、だろう。

 上記<理由5>は「際限のない軍拡競争を招きかねないから、防衛予算増額反対。」な訳だが・・・ある種の敗北主義だな。
 「軍拡競争」。結構ではないか。「軍拡競争にすら至らない、軍拡不戦敗」よりは、余程良い。
 大体、我が国が対峙すべき核大国の片割れである中国は、もう20年以上も軍事費二桁爆増を続けて来たのだから、我が国の「軍拡競争参戦」は、遅いと言うことはあっても早いと言うことは無い。

 言い替えるならば、我が国は覚悟を持って、「対中国軍拡に参戦すべき」なのである。またそれは、対ロシアでも対北朝鮮でも有効であろう。

  • <注記>
  • (*1) この「ナンだろうが」には、大抵のことが入る。何しろ、我が国の危急存亡に関わるのだから、「非核三原則」だろうが「平和主義」だろうが「日本国憲法」だろうが、存否を含む議論の対象から、外すべきではない。 


 

  • <理由8> 岸田首相の強い指導力が見られないから。/安倍元首相の強い影響が見られるから。

・・・今回上掲アカ新聞社説から抽出した「防衛予算増額反対理由」の内、ほとほと呆れ果てたのが、この<理由8>である。岸田首相の強い指導力が見られない。」なぁんて一見尤もらしい「反対理由」を挙げているが、「安倍元首相が防衛費増額を主張しているのだから、岸田現首相は(当然)これに反対すべきだ。」って主張だか思想だか信仰だかが背景にあっての、この<理由8>であり、防衛費増額も、アベガワルイ。と言う「アベガー理論」の発露・発現である、らしい。

 そりゃ安倍政権は長期政権で、安倍晋三氏は近年希に見るほど長いこと首相の座にあり、その「安倍首相在任時代」を通じてバカ野党とアホマスコミは「アベガー!アベガー!!」吠えていたんだけどさ。習い性となって「アベガー」しか出来なくなったのではないか?そりゃ、言論人としても、政治家としても、自滅だろう。

 念のために書いておこう。今般の防衛費増額は、防衛費増額として議論すべきであり、その背後に「黒幕」安倍元首相が居ようが居まいが、岸田現首相の指導力が見えようが見えまいが、「防衛費増額」とはナンの関係もない。

 従って、上記<理由8>は、「防衛費増額に反対する理由」として不当であり、議論するに値しない。

 

  • <理由11> 軍事費を特別扱いした戦時中を想起させるから。

 これもヒドいよなぁ。此処で言う「戦時中」とは、先の大戦=大東亜戦争の事を指す。第2次世界大戦という押しも押されもしない総力戦の真っ只中の交戦国で「軍事費を特別扱い」しなかった国なんぞ、あるモノかよ。アメリカ合衆国は「第2次大戦直後には、世界のGDPの過半を占めた」ぐらいの「無慈悲なまでの工業力」を誇ったが、そのアメリカ合衆国でさえ第2次大戦下では「軍事費を特別扱いした」事は間違いない。
 言い替えれば、少なくとも総力戦の「戦時中」に「軍事費を特別扱い」するのは、当たり前。非難するには当たらない。

 で、今回の防衛費増額は、「GDP比2%」でしかない。従来従前の我が国防衛費と比べれば「増額ではある」が、「GDP比2%」は「NATO諸国の国防費目標値」でもある。「グローバルスタンダード」とは言わないまでも、先ず「常識的な線」であり、「特別扱い」と言うさえ憚られ様。(むしろ、GDP比1%と言う従来の我が国防衛費こそ、逆の意味で、「特別扱い」である。

 況んや、総力戦たる大東亜戦争下の「軍事費の特別扱い」を「想起させる」として同一視してみせるとは、イチャモンとは言われないかも知れないが、「印象操作」ではあろう。
 
 以上から、上記<理由11>は、「琉球新報社説担当記者の感想」ではあろうが、それだけであり、「防衛費増額反対理由としては、不当である。」。

  • <理由1> 「倍増ありき」だから。

 でまあ、上掲アカ新聞社説の見出しにもなっているのが、この<理由1>なんだが・・・・

  • 「1%ありき」と、何が違う?

 「忘れた」とは言わせないぞ。我が国の防衛費ってのは随分と長いこと「1%ありき」だったんだ。それも、大した根拠もないままに、だ。余りにも「1%ありき」なモノだから、「GDPは、防衛費の100倍とする!」ってブラックジョークが(極一部には)あったぐらいだ。

 それでも、人事院勧告に従って給与を上げたら、防衛費が1%を越えてしまったぁぁ!軍国主義化だぁぁぁっ!!!とアカ新聞らが騒いでいた一頃に比べると「年度当初予算で1%の枠に入っていれば。補正予算追加での1%突破は、可」ぐらいまで「防衛費のGDP比1%枠」の適用は緩和された様だが、「1%ありき」は残り続けた。

 今度の「骨太の方針」で「防衛費2%の枠」が示されているが、これには「NATO諸国の国防費目標値」という、なかなか説得力ある「指標」が付いている。これに対し前述の通り(<理由10>)東京新聞は「NATOと我が国の相違」を「防衛費増額反対理由」に挙げている訳だが、「防衛費増額の原案としての、NATO加盟国目標値並みのGDP比2%」と設定し、議論を始めることに、なんの問題があろうか。
 
 「防衛費の総額ではなく、中味を議論すべきだ。」と言うならば、それこそ正に、国会に於ける防衛予算審議の意味と意義である。
 
 「防衛費の総額を決めるとはケシカラン!」と主張する輩には、従来従前の「1%枠」を、しっかりキッチリ、説明して貰おうではないか。


 以上を以て、アカ新聞各紙の「防衛費増額反対理由」は、殆ど議論するに値しない、と言える。QED。

  • 銃は、自らの手にあるべきだ。ー【朝日社説】銃社会の米国 人命を守る民主主義を 他、アカ新聞各紙の「銃規制を訴える社説」に欠けている視点

 タイトルにした「銃は、自らの手にあるべきだ。」と言うのは、フランスの大統領(当時)であったシャルル・ド・ゴールの決め科白である「剣は、自らの手にあるべきだ。」を捩ったモノ。「銃」と「剣」の違いはあるが、何れも「武器である」と言う点は共通しており、何れも「武力の象徴」である。ド・ゴールはこの決め科白で以て「フランス独自の核武装」を表明しており、ド・ゴールの言う「剣」とは、「独自の核兵器の象徴」である。

 で、だ。「フランスの国家としての独自核武装路線」と、「アメリカ人としての自己防衛Self Deffence意識」とを、全く同列に置くのは無理があるが、相通じるモノは在ろう。「アメリカ人としての自己防衛Self Deffence意識」と言う、ある意味「アメリカの伝統と歴史」を無視して「アメリカでの銃規制」を主張したって、ほぼ無意味無反響無影響、だと思うんだがなぁ。

①【朝日社説】銃社会の米国 人命を守る民主主義を

②【毎日社説】米国の小学校乱射事件 いつまで悲劇が続くのか

③【東京社説】米国の銃犯罪 なぜ規制に踏み出さぬ

 

  • ①【朝日社説】銃社会の米国 人命を守る民主主義を

  • 銃社会の米国 人命を守る民主主義を

 

 

https://www.asahi.com/articles/DA3S15306582.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2022年5月27日 5時00分

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乱射事件が起きた米テキサス州ユバルディの小学校の前で25日、肩を組んで寄り添う人びと=ロイター

 

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 安全な学びの空間であるべき教室が、銃による殺戮(さつりく)の場となる惨劇がまた米国で起きた。

 

 テキサス州の小学校で男が銃を乱射し、児童19人と教員2人が死亡した。容疑者は地元に住む18歳で、教室に1時間近く立てこもり、警官に射殺されるまで凶行に及んだという。

 

 大勢が犠牲になる乱射はこれまでも繰り返されてきた。大きく報じられずとも、銃が絡む事件は各地の教育現場で「日常」となっている現実がある。

 

 「うんざりだ」。バイデン大統領はそう嘆く。怒りを共有する米国人は少なくないだろう。だが、それは子の命を守れない政治の無策にも向けられていることを忘れてはならない。

 

 背景には、人口を上回る4億の銃が社会にあふれる実態がある。しかもテキサスなど多くの州で、戦場で用いられるような銃が厳格な審査もなく販売されている。

 

 今回の男も殺傷力の高い銃を合法的に購入したという。18歳の若者がなぜ単独で購入できたか。取引でどんなやりとりがあったのか。疑問は尽きない。

 

 たしかに合衆国憲法は、市民が武装して自衛する権利を規定している。しかし、それは独立と自由を勝ち取った建国後まもない当時の理念にもとづくもので、善良な市民への攻撃が許されるはずもない。

 

 今までも乱射事件のたびに購入審査の厳格化や高性能銃の販売規制などを求める世論が盛り上がった。だが、何を守るべきかという冷静な議論を欠いたまま、銃規制の是非ばかりが争点となり、有効な解決策は置き去りにされてきた。

 

 さらに懸念されるのは、自分と異なるアイデンティティーや信条を持つ相手を敵と見なす風潮が近年の米国で強まっていることだ。アジア系など特定人種への憎悪犯罪が横行し、妊娠中絶問題など価値観をめぐる問題で市民同士がいがみあう。

 

 銃が蔓延(まんえん)する社会に、非寛容が広がる恐ろしさが浮き彫りになる事件も多い。最近、ニューヨーク州の食料品店で白人至上主義を標榜(ひょうぼう)する若者が起こした乱射事件では、死傷者のほとんどが黒人だった。

 

 格差の拡大や価値観の多様化など分断の原因は複雑だ。しかし、意見や立場の違いを超えて共存をめざすどころか、対立をあおることで支持を固める手段と堕した今の政治のありようこそ、改める必要がある。

 

 米国は民主体制の利を世界に説くのであれば、足元の民主主義も見つめ直すべきだろう。理不尽な暴力におびえずに学べる社会をどう築くか。違いを超えて知恵を絞り合う協働を、その第一歩としてほしい。

 

  • 「自らの手にある銃が、民主主義を守る。」革命権とは、そう言う事だろう。

 「差別主義者や犯罪者の手にある銃が、民主主義を脅かす。」ならば、尚のこと。「自らの手にある銃が、自らの命と民主主義を守る。」と考えるのが、多分「伝統的・保守的(ひょっとすると、相当に一般的)なアメリカ人」であろう。

 アメリカに住んだことも無く、実は行ったことすら無い私(ZERO)が、アメリカ及びアメリカ人について斯様に断定断言できる/してしまうのは、私(ZERO)が「随分昔から西部劇ファン」で在り、「西部劇を通じてアメリカ及びアメリカ人を(相応に)理解している(と思っている)」から。そりゃ、西部劇なんてジャンルの映画は、本家本元であるアメリカですら絶滅危惧種状態であるし、そんな「過去のフィクションエンタテイメント」が21世紀のアメリカ及びアメリカ人にどれ程影響しているかは、大いに疑義の余地がありうるが、事「銃社会アメリカ」と「アメリカにおける銃規制(が、全くと言って良いほど普及しないこと)」に関する限りは、「西部劇に見られるアメリカ及びアメリカ人のメンタリティ」と言うのは、大いに参考になる、と思えてならない。

 無論、西部劇というのは精々が「史実をベースにしたフィクション」で在り、「史実をベースにすらしていない西部劇(*1)」もあれば、「ベースとした史実からしてかなり怪しい西部劇(*2)」もある。

 だが、肝腎なことは、「西部劇がどの程度フィクションで、どの程度史実に基づいているか。」ではないだろう。恐らくは、「史実をベースにした」が故の「西部開拓時代」というある種の「建国神話」であるのが西部劇で在り、極言すれば「魂の故郷」とも言い得よう。

 その「アメリカ人の魂の故郷」とも言い得る(多分)西部劇の本質の一つは、「力による正義の肯定」で在り、更には、「正義を裏付ける力が、政府や他人では無く、自らの手にあること。」であると、私(ZERO)は理解している。クリント・イーストウッド演じるハリー・キャラハン刑事が「ダーティー・ハリー」シリーズで最後にモノを言わせるのは大型回転式拳銃スミス&ウエッソンM29 44マグナム(と、その後継者達)であるし、チャールズ・ブロンソン演じるポール・カージーがDeath Wishシリーズにて正義を執行するのは、「靴下に小銭を詰めた棍棒・ブラックジャック」から徐々にエスカレート・大型化・大威力化していく銃火器だ。ダーティー・ハリーシリーズやDeath Wishシリーズは、西部劇ではないが、「力による正義の肯定」という点では「西部劇の末裔」と言えよう。
 
①1>  たしかに合衆国憲法は、市民が武装して自衛する権利を規定している。
①2> しかし、それは独立と自由を勝ち取った建国後間もない当時の理念にもとづくもので、
①3> 善良な市民への攻撃が許されるはずもない。


等と、上掲朝日社説は主張するが、「その善良な市民が武装していれば、差別主義者や犯罪者も、そうおいそれとは手が出まい。」と言うのが、全米ライフル協会の主張であるし、「市民が武装して自衛する権利」の現代的意義でもある。おそらくは、相当部分のアメリカ人の意見でもあろう。
 
 なればこそ、銃乱射事件が生起する度に、「銃規制を求める声」が一方で大きくなるモノの、他方で「銃の売れ行きが良くなる」と言う、「極めて冷徹な現実」がある。
 

  • <注記>
  • (*1) チャールズ・ブロンソン主演の「ホワイト・バッファロー」なんて、殆ど怪獣映画である。
  •  ブロンソンが演じるのは、実在の人物・バッファロー・ビルなんだけどね。 
  •  
  • (*2) ジョン・ウエイン主演・監督・制作の「アラモ」は、アメリカのテキサス併合の契機となった「アラモ砦の戦い」と言う史実をベースとしている。が、種々「史実とは異なる」事が知られている。
  •  私(ZERO)の大好きな映画、なんだけどね。 



 

  • ②【毎日社説】米国の小学校乱射事件 いつまで悲劇が続くのか

  • 米国の小学校乱射事件 いつまで悲劇が続くのか

 

 

https://mainichi.jp/articles/20220529/ddm/005/070/051000c

 

 

朝刊政治面

毎日新聞 2022/5/29 東京朝刊 843文字

 米国の宿弊がまたも惨劇をもたらした。

 

 南部テキサス州の小学校で、教室に立てこもった18歳の男が銃を乱射し、児童や教員ら20人以上を殺害した。

 

 事前にソーシャルメディアで襲撃を予告していたという。国境警備隊に撃たれて死亡し、現場からは殺傷力の高い軍用の半自動小銃が見つかった。

 

 

 ダンス好きの男の子やバスケットボールに熱中する女の子らの将来が瞬時に奪われ、児童を守ろうとした女性教師が犠牲となった。

 

 10年前には26人が殺害される小学校乱射事件があった。なぜ悲劇は繰り返されるのか。

 

 事件が起きるたびに銃規制強化を求める声が上がるが、遅々として進んでいない。背景には、米国社会の根深い対立がある。

 

 

 合衆国憲法は市民に自衛のための武装を認めている。規制賛成派は、そうであっても戦場で使われるような銃は護身の範囲を超えており、制限すべきだと主張する。

 

 規制反対派は、銃そのものは「悪」ではないと反論する。凶悪な犯罪者から身を守るための手段であり、種類によって制限を加えるべきではないという立場だ。

 

 

 問題は、対立のはざまで政治が身動きできないでいることだ。

 

 規制を支持する民主党は、銃購入者の身元調査を拡大し、厳格化する法案の可決を目指すが、見通しは立たない。

 

 規制に反対する共和党が、再発防止の最善策は教職員に銃を持たせ、訓練を実施することだと主張し、妥協を拒んでいるからだ。

 

 

 そもそも、大量殺傷を可能にする武器を10代の若者が合法的かつ容易に入手できることが、尋常ではない。その規制なしには悲劇が繰り返されるだけではないか。

 

 衝撃は世界に広がっている。欧州諸国の政府首脳らは「ひどい話だ」「ぞっとする」と驚きの声をあげた。ロシアや中国は米社会の深まる分断を民主主義の衰退の表れと指摘している。

 

 米国では人口を上回る4億丁の銃が流通する。銃問題は、「米国の常識」が世界には非常識に映る典型的な事例である。

 

 人権尊重をいくら叫んでも、足元の人権侵害に無策のままでは、国際社会の信頼は得られまい。

 

  • ③【東京社説】米国の銃犯罪 なぜ規制に踏み出さぬ

  • 米国の銃犯罪 なぜ規制に踏み出さぬ

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/180362?rct=editorial

 

2022年5月30日 07時35分

 

 悲劇のたびに銃規制が叫ばれながら、いつの間にか立ち消えになる。そんな繰り返しは終わりにしなければならない。米南部テキサス州の小学校で起きた銃乱射事件。今度こそ米社会は再発防止へ踏み出すべきだ。

 事件では十九人の児童に加え、児童を守ろうとした女性教師二人も犠牲になった。報道によると、その一人イルマ・ガルシアさん(48)は虫の息で児童を抱き締めているところを警官に発見された。

 伴侶の死がショックだったのだろう。事件の二日後、ガルシアさんの夫も心臓発作で亡くなり、四人の子どもが残された。

 犯人の十八歳の少年が所持していたのは殺傷能力の高い半自動小銃「AR15」である。二〇一七年にネバダ州ラスベガスで五十八人が死亡した史上最悪の銃乱射事件でも使われた。

 バイデン大統領は「こんな銃を十八歳の少年が店頭で買えるなんて、間違っている」と述べたが、こうした殺傷能力の高い武器は全面的に禁止すべきである。

 米国では総人口よりも多い四億丁の銃器が流通しているという。銃規制を目指す民間団体によると、年間で自殺を含めて四万人余が銃で命を落とす。

 しかもコロナ禍が本格化した二〇二〇年、銃の販売数は二千万丁を超えて過去最多を記録した。コロナ禍による治安悪化への懸念が指摘されている。

 米憲法修正第二条は「規律ある民兵は自由な国家の安全に必要であり、国民が武器を保有し携行する権利は、これを侵してはならない」として、自衛のための銃の所持を認めている。

 銃規制反対派はこの憲法条項を盾にするが、警察機構が整備されていなかった建国当初とは時代が違う。

 ロビー団体である全米ライフル協会の反対も壁になっている。政界に及ぼす影響力は強く、銃購入者の身元調査の厳格化といった規制の立法化は進まない。

 バイデン氏は「こんな事件は世界のよその土地ではめったに起きない」と嘆いた。米社会はその異常ぶりを自覚する必要がある。

 

  • (4)> 警察機構が整備されていなかった建国当初とは時代が違う。 警察を解体しちまう様な地方都市があるのに、かね?

 先述の通り、「銃乱射事件が生起する度に、銃の売れ行きが良くなる。」と言う極めて冷厳な事実がある一方、章題に挙げた通りマイアミ警察の様に「人種差別的行動で黒人容疑者を死に至らしめた」廉で「警察解体」なんて事態が起こりえる(*1)のが、現代アメリカである。

 21世紀の今日、アメリカの警察機構が200年以上前の建国当初よりも(基本的に)整備されているのは事実だ。だがそれは、「市民自身の自己防衛を不要とする」には不十分な地域が相当部分である(と、推定できる)。更には、その「不十分な警察機構」さえ、(どうにも私(ZERO)なんそには理解不能な理由で(*2)「解体し、無くなってしまう」事がありうるのが、現代アメリカである。
 
 「銃は、自らの手にあるべきだ。」と、ド・ゴール張りの考えに、現代アメリカ人が傾倒するのは、理の当然ではなかろうか。

 アメリカ自身が、その歴史と伝統の上で、押しも押されもしない「実際に銃社会である」と言う冷厳たる事実もある。我が日本がアメリカとは対極にある様な「銃規制の厳しい、銃なき社会」であるから、想像しがたいのも無理なかろうが、「既に銃社会であるアメリカが、ちょっとやそっと銃規制したぐらいで、銃なき社会になる、訳が無い。」事も、先述の「西部劇を魂の故郷とする、市民防衛・自己防衛の伝統と現実」の他にも、考慮せねばなるまい。現存する銃の内、銃規制で規制できるのは、「合法的に登録されている銃」ばかりで在り、「非合法で未登録の銃」は、ほぼ規制されない。

 以前にも書いたが、「米国を銃規制(*3)などで銃なき社会に近づけよう。」とするならば、一つには「市民が武装し自己防衛する必要がないだけの高い治安」を実現する必要があり、もう一つには「合衆国憲法に明記された武装権・革命権との整合・妥協」が必要だろう。

 「革命は銃口から。」とは毛語録だが、「政府の不正を、武力で正す、革命権」は、「武装した市民」が前提となる。その「市民の武装」は、少なくとも警察、ひょっとすると軍隊に対抗出来なければならない。「政府の不正を武力で正す」のには、それほどの「武力」が必要であり、徒手空拳や刀槍では事足るまい。革命権そのものが、アメリカの建国理念、「イギリスの植民地から、武力革命で独立した」歴史に根差しているのだから、そうおいそれと「取り上げる」事も「弱体化する」事も、ままなるまい。相応の議論と何らかの妥協が必要だろう。
 
 それでも、「革命権」の方は言ってみれば「覚悟一つ」で決まる話だ。より問題なのは「市民の自己防衛が不要な高い治安」の方であろう。先述の通り(章題にもしたとおり)「警察解体」なんて動きも(一部では)在るぐらいだから、「警察予算を増やし、警官を増員した」ぐらいで、即座に治安が高まる訳ではない・・・いや、正直なところ、アメリカで「市民の自己防衛が不要な高い治安」を実現したならば、その時の大統領は「合衆国史上最高の大統領」と言われることは間違いなさそうだが、それだけにこれは難事で、「一体どうすれば実現するか」私(ZERO)なんぞは途方に暮れるぐらい。

 即ち、アメリカにおいて、「市民の自己防衛が不要な高い治安」は、(少なくとも)当面実現しない。

 「銃なき社会に近づける」事を当面諦めれば、「革命権/武装権との妥協」や「市民の自己防衛不要な高い治安」は不要だろう。だがその場合、「現状とさして変わらない銃社会における銃規制」に止まる。その銃規制による「銃乱射事件防止効果」は、在るにはありそうだが、限定的なモノに止まるだろう。
 一部には、「学校での銃乱射事件を防止するため、教師が武装すべきだ。」って論があるそうだ。一見暴論とも思える議論だが、「法的一律の銃規制」は「教師や生徒の非武装化の方向」でもあるのだから、「学校での銃乱射事件を、誘発ないし被害拡大する可能性」も、決して「頭ごなしに否定」すべきモノではあるまい。言い替えれば「教師武装化論」と言うのも、「相応に理がある」のである。

 「銃乱射事件は悲惨だから、アメリカは銃規制しろ。」と主張するのは、一見尤もらしく、正義漢面も出来、「カッコ良い」主張でもあろう。だから、上掲アカ新聞ばかりか、産経新聞まで、似た様な社説を掲げている。
 
 だが、「銃社会アメリカ」という冷厳な事実は、ちょっとやそっとの「銃規制」では「銃なき社会に近づく事すらない。」と言うことでも在る。また、先述の通り「合衆国憲法に明記され、建国理念にも深く関わる武装権/革命権」と「一般市民の武装無しには覚束ない治安」は、「銃なき社会に近づくことすら許容しがたい」という事実。言い替えれば、「銃社会を銃なき社会にすることは、絶対善ではない。」と言うこと。それらをすっ飛ばして、或いは無視して、「アメリカも銃規制を!」って主張は、かなり無責任だと思うぞ。
 
 その無責任は、上掲アカ新聞ばかりではなく、産経新聞も、だけどな。

  • <注記>
  • (*1) 今回調べて見ると、マイアミ警察は何とか解体は免れた様だが・・・実際に警察解体に至ってしまった、事例も在る、と判明した。 
  •  
  • (*2) マイアミ警察が解体されそうになったのは「組織ぐるみの人種差別」を疑われたから、ナンだが・・・・仮にマイアミ警察が組織を挙げて人種差別をしていたとして、為すべき事はマイアミ警察改革では無いのか?新たに「新マイアミ警察」を立ち上げる、と言うのもあるかも知れないが、「警察解体」って選択肢は、どうにも理解しがたい。
  •  「市民自身の自己防衛意識の究極的発露」と、理解すべき、なのだろうか。 
  •  
  • (*3) だけでは、無理だと思うが・・・国民意識の抜本的変更が必要だろう。
  •  その過程で「西部劇の流通・公開禁止」なんて事も、想像できてしまう。Death Wishシリーズなんぞも、ご禁制の品にされそうだな。 
  • 「死刑制度を廃止して幸福になろう。」って、宗教だろう。-【プレジデント】殺人犯を死刑に処するのは当たり前・・・そんな考え方に幸福学者が「不幸になるだけ」と反論するワケ

 弊ブログで幾つか記事にした通り(と言っても、大分前だと思うが・・・・)、私(ZERO)は我が国の死刑制度を「かなり積極的に肯定」している。死刑制度廃止がEU加盟の条件だ。」とか、「死刑制度を廃止した国は増加している(って説は、かなり怪しいのだが・・・)」とか、聞いた/読んだ処で、だから何?我が国が我が国の死刑制度を維持継続する上で、何の支障にもなるまい。と答える。喩え、「我が国以外の全ての国が死刑制度を廃止した。」としても、それは「我が国が我が国の死刑制度を廃止する」理由には、少なくとも直接的には、なり得まい。「我が国が我が国の死刑制度を廃止する理由」が「外国では廃止しているから。」と言うのは、実に恥ずかしい限りのロジックであろう。

 平安時代には我が国でも「死刑は実施されなかった」ってのも何処かで読んだが、だからと言って我が国が「平安時代の昔に戻って死刑を執行しなくなる」のが「正しい」とも「より良い」とも、全く思えない。

 再三繰り返すとおり、「我が国の死刑制度の存廃」は、「死刑制度を存続させている日本」と、「死刑制度を廃止してしまった日本」と言う「二つの日本の未来像」の優劣良否で判定すべきで在り、「何人を如何に残虐に殺そうが、死刑になる事は無く、精々が終身刑で、生涯国に喰わして貰える(*1)」日本が、「ヘタすると死刑にされる可能性がある」日本よりも、「良い」とか「優れている」とか「より理想に近い」とか、全く思えない。「より人道的である」とは辛うじて評せるかも知れないがそれは、一面的な対死刑囚向きの人道的で在り、対被害者や、対社会と言う点では、逆に非人道的ではないか。と反論/反駁したくなる。

 ”万死に価する罪”というモノがあるのに、”一死もてすら償わず、償えない”等と言うことが、正しい訳が無い。と、世界中に相応の数の「死刑制度廃止国」が在り、下掲記事にある「幸福学者」含めて我が国内にも相応の数の「死刑制度廃止論者」があることを承知の上で、私(ZERO)は主張するものである。

  • <注記>
  • (*1) 左様な国が、「死刑制度廃止国」として、現存しているのは承知しつつ。 


 

  • 【プレジデント】殺人犯を死刑に処するのは当たり前・・・そんな考え方に幸福学者が「不幸になるだけ」と反論するワケ

 

 

https://president.jp/articles/-/57782

 

https://president.jp/articles/-/57782?page=2

https://president.jp/articles/-/57782?page=3

https://president.jp/articles/-/57782?page=4

https://president.jp/articles/-/57782?page=5

いずれ死ぬ運命ならば、許し、罪を償わせたほうがいい

PRESIDENT BOOKS

前野 隆司

前野 隆司

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授

 

 凶悪な殺人犯にはどんな刑罰を与えるべきなのか。慶應義塾大学の前野隆司教授は「人は死んだらなにも残らない。ならば、加害者を許し、罪を償わせるべきだ。報復手段としての死刑は、社会の平和につながらない」という――。

※本稿は、前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

 

 絞首刑のロープのイメージ写真=iStock.com/xefstock※写真はイメージです

 

存続、廃止について答えが出ない死刑制度

 誰もが最後は死ぬのなら、いま生きている期間は、いずれやってくる死を恐れながら監獄で待つのと大差ないのではないか。

 

 誰だって、今日明日にも死ぬかもしれない。

 

 わたしたちは、いつ死刑執行されるかもわからない毎日を暮らす虚むなしい存在なのではないか――。

 

 死について考えるとき、関連する問題として、社会制度としての死刑の存在がある。

 

 存続・廃止をめぐって世界中でいろいろな議論があり、日本でも世論が大きく分かれがちな問題、それが死刑制度だ。

 

 

死刑の最大の目的は「犯罪抑止」

 死刑が求刑されるような事件のニュースに触れて、感情的に「許せない」と感じる人は多いと思う。卑劣な犯罪が行われ、なんの瑕疵かしもない被害者やその家族らの映像が出てくると、なおさら「犯人を早く死刑にしたほうがいい」「こんな人間は生きている価値がない」という感情を掻かき立てられる。

 

 しかし現代法では、死刑は「目には目を、歯には歯を」という復讐ふくしゅうのために行うのではない。犯罪抑止効果を最大化するのが刑罰の最大の目的である。

 

 だから、死刑が求刑されるような犯罪が起きたときに、テレビの視聴者が「死んで償ってほしい」「犯人を殺してやりたい」というのを聞くとき、わたしは人類全体に対するいたたまれない悲しみと虚しさを感じる。なぜなら、復讐心は怒りの連鎖を生むだけだからだ。

 

人間が生まれながらに持つふたつの本能

 人間にはふたつの本能がある。それは、「怒り」と「共感」だ。人間は生き残るために、いわば「戦う本能」と「仲良くする本能」のふたつを維持してきた。

 

 怒りの本能とは、自分に危害を加える者に対して怒り、戦い、もし仲間がやられたら復讐するモードのことを指す。

 

 はるかむかしの人類を想像するとわかるだろう。凶暴な獣が目の前に現れたとき、戦わないとやられてしまう。だから、獣と戦う本能が人間には備わっている。

 

 この本能は、現代においては「勝ちたい」という本能に転化される。子どもの頃も、大人になってからも、「他人に勝ちたい」と思う人は少なくないであろう。個人差はあるものの、力や暴力によって勝ちたいという本能のみならず、成績やスポーツで他人に勝ちたいという気持ちも人間には備わっている。社会を見ると、この戦う本能にドライブされて生きている人は多いように思われる。

 

 一方、人間の脳には共感の本能も埋め込まれている。

 

 目の前に現れたのが獣ではなく、もし人懐っこい犬だったらどうだろうか? 人間は犬とは仲良く暮らせることを学び、危害を加えたり憎んだりせずに済む。いや、場合によっては獰猛どうもうな獣とだってともに暮らすことができるはずだ。

 

 ましてや相手が同じ人間なら、親が子どもを育てるときの本能のように、相手の気持ちになって共感したり、互いに労いたわり合ったりできるはずだ。

 

 

20万年前から人間は進化していない

 話を戻すと、人間は被害者に共感することができるが、同時に加害者にも共感できる本能も持っている。

 

 「この犯人は許せない」「この人間は心が歪んでいる」と憎むこともできれば、「未熟さゆえにこんな罪を犯したのだ」「親からの虐待や社会の激しい格差のなかで育ったから、こんなことをしてしまったのだ」と想像し、共感することもできる生き物なのである。

 

 ほかの動物にこんなことは到底できない。

 

 いま目の前に危機が迫っている場合は、まず「戦う本能」が発動するだろう。凶暴な敵がやってきたときに「仲良くしよう」と思っていると自分の身が危うくなるため、先に戦う本能が発動するからだ。本能と本能とのせめぎ合いでは、怒りや「許せない」という復讐の感情のほうが先に出るだろう。

 

そんな、自分を守るために相手を敵として憎む本能と、みんなと仲良くしてコミュニティを安心安全に保つ本能――。どちらが発動するかで結果はまるで違うものとなるし、まるで異なる社会になるというわけだ。

 

 いずれにせよ、わたしたちが狩猟・採集生活をしていた頃の本能が、現代社会でも変わることなく働いていることは間違いない。いってみれば、わたしたちは20万年前から進化していないのだ。

 

人類の進化のイラスト写真=iStock.com/Man_Half-tube※写真はイメージです

 だからといって、狩猟・採集時代の本能を、いまわたしたちは?むき出しにすべきだろうか?

 

 「死」は誰にでも等しく訪れる

人間は死んだら終わりだ(いろいろな意見があるだろうが、少なくともいまの人生は終わりだ)。

 

 それゆえに、子どもを殺された親が「犯人は死んで償ってほしい」というのを聞くたびに、わたしは憂鬱ゆううつな気持ちになる。復讐心を掻き立てられても、問題は解決しないのに。

 

 もちろん、わたしも子を持つ親のひとりであり、親が子を思う気持ちの深さが想像できないわけではない。ただ、人は死んでしまえばなにもなくなる。

 

 死んでしまえば、加害者が自らの罪に苦しみ、後悔と罪悪感に苛さいなまれながらその行為を償うことはできないではないか。苦しくもつらくも、なんともないではないか。死んだら罪を償うことは不可能なのだ。その意味では、死ぬまで自分が犯した罪とともにある無期懲役のほうが、まだ償いになるかもしれない。

 

 死んだら、「無」。それが現実なのだ。

 

 墓の上に白いバラを置く男性写真=iStock.com/PeopleImages※写真はイメージです

被害者が亡くなっても、その家族や友人たちは生き続ける。その短い人生を生きるなかで、犯人の存在を世界から消去してしまいたい気持ちもあるだろう。もちろん、わたしもその親の無念を想像することはできる。

 

 しかし、いずれすべての人は、遅かれ早かれ消えてなくなる。だから、「生きていることは死刑と同じ」だと比喩として述べてきた。今度は本物の死刑について述べているわけだが、両者を比べてみても、同じようなものなのではないだろうか。

 

 つまり、死刑になってこの世からいなくなるのと、人生という死刑を生きていつか死ぬのは、同じようなものではないか。死んだあとの永遠の無に比べると、そこにたいした差はない。

 

 

多くの国で「復讐」が禁止になった理由

 現在、EUではすでに死刑制度を廃止している。理由はいろいろあるが、ひとつにはキリスト教の伝統が影響している。

 

 キリスト教では、人間を裁くのは神である。法的には多種多様な罰が社会において用意されるものの、最終的には神が人間を裁くと考える。そのため、死刑制度によって人が人を裁くのは、おこがましい行為だという思想が根底にあるのだ。

 

 また、仇あだ討ちはしないという合意もある。新約聖書には、「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」と記されている。たとえ痛めつけられても、その報復を否定したイエス・キリストの言動が大きく影響しているのだ。

 

 一方、日本では江戸時代まで復讐が許されていた。自分の家族が酷い目にあえば、その仇を討つのは当然のこととされていたのだ。世界を見渡せば、約3800年前の法典であるハンムラビ法典にも「目には目を、歯に歯を」と記されている。むかしは仇討ちが許されていたのだ。

 

 だが近代以降、多くの国で復讐を禁止することが合意された。いまの日本人も、多くの人が「あの犯人は死刑にすべきだ」などと発言するものの、すでに報復行為はやめたことになっているのだ。

 

 なぜだろうか?

 

 それは家族の仇を討つために復讐すると、仇を討たれた者の家族が、その仇討ちを考えるからだ。

 

 そうして、復讐が世代を超えて連鎖していくからである。復讐を認めたとたんに、わたしたちの世界は仇だらけの世界になってしまう。

 

言い分と報復だらけの世界に平和は訪れない

 わたしは広島で育った。

 

 子どもの頃から原爆や戦争の悲惨さについて、また平和を希求する大切さについて教えられてきた。

 

 なぜ広島の人や長崎の人、ひいてはすべての日本人は、人類史上はじめて2発の原子爆弾を人間の上に投下したアメリカに報復しないのか?

 

 それは、日本人は恒久の平和を求めると合意したからだ。

 

広島の原爆ドーム写真=iStock.com/clumpner※写真はイメージです

 「原爆を落としたアメリカを、わたしたちは永遠に許さない!」といっていたら、子孫末代に至るまで報復が連鎖するだろう。自分たちも相手も、いつまでも平和には生きていけない。

 

 さまざまな説があるが、多くのアメリカ人は、原爆投下はそもそも日本が真珠湾を奇襲したからだと考えている。だが、日本にも真珠湾を奇襲した理由があった。互いに譲れない理由と言い分があるのである。

 

ならば、そんな言い分と報復だらけの世界で、どうすれば人類は平和に生きていくことができるだろうか?

 

 

復讐はダメなのに死刑は存続する日本

 答えは、相手を「許す」ことだ。

 

 論理的に考えて、「相手を許したほうが平和な社会になる」から、わたしたちは報復を捨てたのである。日本では死刑制度が存続しているが、ほかの多くの社会では、被害者の仇を討つのではなく、加害者に罪を償わせるという考え方に変化している。

 

 その「償い」とは、その人の存在を消去することではなく、「より良き人」に変えることだ。「犯人は心の異常によって酷い行為をしたので、刑務所で更生し、より良き人になったらまた世の中で生きていい」と考えるのだ。そうしたほうが、社会が平和で生産的な方向へ向かうからである。

 

 だが、日本人の精神性には、いまだ仇討ち的な考え方が色濃く残っている。見かけは西洋の価値観を取り入れながら、内実はそうではないところに、日本社会の歪ひずみのひとつが現れているというべきかもしれない。

 

 無意識の利他性とは逆の、無意識の残虐性である。

 

 「死刑にしろ」という人に足りないもの

 「許せない」気持ちはわかる。しかし、人間は学習し、「許す」ことができる。

 

 前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)

 人間に埋め込まれたもうひとつの本能――「共感」をより重視しながら、仇討ちよりも調和の方向へと、人類は少しずつ進んできたのである。

 

 わたしは後者の可能性を信じたいと思う。

 

 いずれにせよ、立ち戻るべきは「死んだらなにもなくなる」という客観的事実である。報復しようが死刑にしようが、いずれわたしたちはみな、この世から消えてなくなる。

 

 いずれ消えてなくなる命なら、なるべく早く憎しみと報復の連鎖を断ち切ったほうが、続く世代の人間は平和に生きられるのではないか。

 

 本能に駆られて「死刑にしろ」と叫ぶ人は、死についての総合的・包括的な思索が不足していると考えられないだろうか。また、自分の生に対する総合的・包括的な思索も不十分というべきではないだろうか。

 

  • 上掲記事の死刑廃止論は、つづめて言えば「幸福になり、平和な社会にするために、死刑制度を廃止しましょう。」な訳だが・・・

 かなり前の方で触れている「死刑による犯罪防止」って観点は、モノの美事にその「死刑廃止論」からは抜けおちている。多分、死刑制度による犯罪防止効果は、無いとか言う説があって(斯様な説は確かに在り、幾度か読んだ/見た覚えがある。後述)、その説が上掲記事を書いた前野隆司氏の中では「常識で在り、前提となっている」のだろうと、推定する。
 
 が、その「常識で在り、前提となっている」であろう「死刑制度による犯罪防止効果は、無い」って説からして、私(ZERO)には「サッパリ判らない(*1))」のである。幾つか簡単な説明は読んだのだが、「死刑制度の廃止前後で犯罪率が変わらなかった。」とか、「地理的にも隣国で、歴史的にも人口構成も類似した二国(確か、カナダとアメリカ)を比較して、死刑制度のある国(アメリカ)の方が、死刑制度の無いもう片方の国(カナダ)より犯罪率が高い。」とか言う説明だった。
 前者について言えば単年度の犯罪率は変動幅があるだろうし、数年平均ならば、その数年間の時間経過を無視し得まい。第一、"死刑制度のよる犯罪防止"効果は、死刑とされかねない重大犯罪にこそ利きそうであり、全体的な犯罪率に大した意味は無い。と思える。後者については隣国で、歴史的にも人口構成も似ていても、他国なのだから、何処まで比較できるか疑問(*2)。である。

 所謂「社会実験」全般に言えることだが、実社会を相手としての「社会実験」は、「実験条件を定め、制限する」事が容易ではない・・・と言うより、大抵「厳密には不可能」だ。だから、「社会実験の結果/成果」は、実験室レベルで行われる普通の理科の実験ほどには、実施も評価も「簡単ではない」。カナダとアメリカの死刑制度有無と犯罪率だけを比べて「死刑制度に犯罪防止効果が無い」なんて結論は、先ず「暴論」と言うべきであろう。

 更には、此処が尤も肝腎なことだと思うんだが、「社会実験の結果」は、往々にして再現性が低い。一般論として「死刑制度に犯罪防止効果が無い。」と言うことが「実証された」としても(左様な事態は、私(ZERO)には、一寸想像を絶するんだが・・・)、「我が国が死刑制度を廃止しても、犯罪防止効果は低下しない。」とは、限りそうに無い。

 諄い様だが繰り返すと、死刑制度に犯罪防止効果は、在る。」と私(ZERO)は確信している。その確信が「何ら実験的統計的事実に基づかず、主として常識的/観念的判断による。」事は認めるが、私(ZERO)の常識的/観念的判断を覆す様な「死刑制度の犯罪防止効果は、無い」という説には、お目にかかったことが無い。左様な説が実在することは知っているが、トテモシンジラレナイ。

 さて、上掲記事で「常識にして前提」となっている(らしい)「死刑制度に犯罪防止効果は、無い。」という考え方を私(ZERO)が「真っ向から否定」する以上、話は「そこでお終い」だと思うが、敢えて更に突っ込もうか。
 
 上掲記事は、「死刑制度廃止の背景としての、キリスト教的発想(一言で言ってしまえば裁くのは神"って、恐ろしいまでの無責任。)」について縷々述べられているが、我が国でのキリスト教徒は昔も今も少数派。一説によると、10%=1割を超えたことは無い、とも言う。曾野綾子女史とか、渡辺昇一先生とか、今村均中将とか、「尊敬に値する日本人キリスト教徒」は結構心当たりがあるが、1割を超えぬ少数派であれば「日本人の思想的背景が、キリスト教徒的ではない。」のは当たり前で、その点は基本的に「キリスト教国の集合体」であるEUとは、大いに異なろうぞ。

 で、そのEUは「死刑制度廃止国のみ」な訳だが・・・EU諸国は、日本よりも「幸福で平和な社会」となっている、のかね?私(ZERO)には、(少なくともEU諸国の平均値としては、)とても左様には思えないぞ。

 「日本が死刑制度を廃止居すれば、既に死刑制度を廃止しているEU諸国よりも、幸福で平和な社会になる。」って主張、だとしても・・・そりゃ「宗教家の主張」であっても、「科学者の主張」とは思われない。喩え、「幸福学」なる珍奇な名前の学問であっても、な。

 ああ、「幸福になるために、死刑制度を廃止しましょう。」って主張も、同様だな。一国の死刑制度の存廃を。「幸福」で決めるってのは、矢っ張り宗教だろう。
 

  • <注記>
  • (*1) それ以上に、「全く納得できない」。 
  •  
  • (*2) カナダには西部劇に対するノスタルジーも、カウボーイという歴史的アイコンも無さそうなので、これだけでもカナダとアメリカは、随分違う、と思われる。