何事も時々、「物事のはじめ」に返って考へてみることが大切です、三人が「物事のはじめ」に返って考へる事をしてゐたら、こんな争ひは起らないでせう。


 「初発心は佛なり」と云ふ言葉、坊主が初めて俗人から、頭をツルツルに剃る。これを新發智と云ふが、この初発心の時は誰でも俺が佛様の様になろふと、佛の様に眞志目で眞劍なのだが、お経の二つ三つ覚えて、お葬式に行って布施めしの二三度も喰ふともう頭の丸い化物になって終ふ、「初発心佛なり」とはこれで、初発心を忘れるなと云ふことです。


 私も今日は初発心に返ろふとしたんです。」と笑ったら、判りました。私の今、悩んでゐたのは、先生のお話の通りの事情です、ピッタリです、根本に立ちもどって訳し合ひます」と云ってくれました。


 常に、何故何故と考へることと、「物事のはじめ」に返って考へることを忘れると、何時のまにか人や四囲の事情に侵されて、自分本然の力を失って終ってゐるものなのです。


 「探原」は自分を自分らしく保つ大切なものです。
 

 

 何がおいしいと云っても、お母さんが作ってくれた様な料理が一番心温まって食べられる。変った料理は、一時はウマイナとは思ふが矢張り外国に行った様でしみじみと親しめない。


 女房は麦めしと云ふが、食べなれたのが一番いいし、幼い時に食べ育った料理が懐かしい。今になって、若い時に叮いた学問に証明を求めるのも、自分の心の故郷に帰ろふとする懐かしさか、


 結局原づくところにかへる、原づくところに帰って考へやうとすることではないか。

 

 「例へば此処に今、問題が起ってゐる。三人の人の紛爭だ、否糾爭だ、紡とは二本の絲のもつれ、糾は三本の絲のもつれだから、糾爭か。その爭ひは、その事情の根源に立ち返って考へれば解決方法は見付かるのではないか、三人は協力し合って發足したある事が、途中から、ワイワイになって、現在の爭ひになった。なぜ!!成功しそうになったから、お互ひに欲が出て来て俺が、オレガなのに相違ない。此のオレガが無かったから、最初の協力が行はれた筈である、根本まで逆遂したら、初の三人協力の約束が出て来るじやないか、此処を掴んで解決策は出て来ませう、

 

 

 兵書とは、孫子呉子六韜三略、これが私の心の「ふるさと」なんです。フト考へ迷ったり、人生に疲れ?たりすると、讀みたいなと思ふのは必ずその本達なんです。田舎の家には置いてあるが、東京の手許には一册もなかった。淋しいと思ふと讀みたくなる、丁度疲れると家に帰りたくなる様に気持の安定を其処に求めるのです。小学校の頃漢文は親父から教はった、四書五経の君子の訓でなく、實用一点張りの兵法の本で、戰爭の話や、人情の裏表である、


 中学校になると、兄貴がイヂ悪るの程度で英語を教へてくれたが、何人も頭に残っとらん。大体コレハネコデアル、彼は先生であるなんて習ったって、教訓が含くまれてゐないから、何んにも残らない。


 タイムイヅマネーでも、人生の価値は金で表現出来ぬものなりでもいい、教訓があれば、英語は喋れなくとも、頭の榮養にはなるだろふ、


 今の学問なんて悧功にはなるが、立派にはなれない。親父の刺激で東洋央学に芽が出、それからは、神道をやらんと日本人の尊さが判らんとか、やれ佛教だ、それ、禪をやれ、中途はんぱはきらいだから、やってみたいだけやって見る。でもやっぱり中途はんぱの今でも、忘れられないのは孫子、管子韓非子の味ひ、故郷の味ひ、お母さんの味なんでせうね。
 

 

 世の中の変遷は表面は文化的な変化に見えますが、裏ではその時その時の経済事情が大きな役割りをしてゐる様に、一個人の生長変遷の裏にはその人の性格が大きな大きな役割をしてゐます。三つ子の魂百までもと古語は云って居ますが、本当にそうかも知れない。


 私は油繪の事は判らないが、あの地塗りが性格みたいなものじやないんですか、その地塗りの色の良し悪しが繪そのものの調子を出す根本のものじやないか、地塗りの色が悪いと、上に畫いた繪も美くしくないのでせう。


 或る日、私は眞坊と一緒に神田へ行きました。眞坊はスルガ台下から大学へ、私はそこから、神保町の古本屋街をウロウロ、九段下まで行きました。


 昔は、もっともっと古本屋が○くて、特に夜になるとスルガ台下から、救世軍本部にぬけるスズラン通りは、両側に夜店の古本屋がズラリと並んだものです、


 一册五銭か十銭で立派な本が買へたんです。今でも大切に持って居る楠方先生の英和袖珍辞典などは五銭だったんです、神田古本街は、私の古戰場です。


 本を探すことは疲れること、或る会社までたどり付いたのが丁度十二時、何か喰べさせなさいよ、懇意な社長さん、突然の訪問に驚いたり、喜んでもくれました。今日は何です?神田まで古本を買いに来ました。支那の兵書をね。もふ、今では賣ってないんですね、私の学生時代には隨分あったんだが。
 

 

 温故知新と云ふ言葉もあります。古るきをたづねて新しきを知る。古るい時代の人間も私達の現在と同じ人間だったし、同じ事をよろこび悩んでゐたのです。


 ダーウインの進化論に依れば人間の祖先は猿であったと、小學校の時習って、お父さんのお父さんの頃は猿なのかなと驚いた事がある。然し歴史の、文化の光りをさか登ってみると、まず百万年前までは猿になってゐない。完全な人間共であって、喜怒哀楽の情も現在の吾々と同じです、

 

昔は電気冷蔵庫もないし、原子爆弾もないけれど、金と云ふ者が現在と同じ働きをして居たのです、金が存在するから、貧富の差があり、階級も出来爭ひもあり、宗教が出来宗教家は常に時の權力者におもねて權力者の都合のよい宗教や道徳を作り出してゐたのも、現代と同じであるし、だから、古るい知識の本を讀んでみると現代の世の中と同じ事を云って居ます、昔の猿共は隨分悧功だったらしい。


 現代を知る為には昔を正確に知らねばならぬ。大きな「探源」です、一個人でも、現在の状態は何にもとづくか、そのいろいろの事情と、その事情のもとづくところを知れば今度は斯ふなって行くとの予測も出来るものです。
 

 

 「たんげん」と云ふ言葉があります。むづかしい漢語ですが、「もとをさぐる、もとづくところをさぐり知る」と云ふ意味です。


 「何故この様になったか、さかのぼって原因を求めること」「何故此の人は此の様に親しんで来るのか、必ず求むる所がある、その行為の根源は何かと知ること」なんだ、そんな事か、誰でも知ってゐて、そして忘れてゐることなのです。


 恋人のことは、想ひ出さずに忘れずにでも良いけれど、この探源を忘れると大変な失敗をします。


 何故こふなったのだ。何故あの人は此の様な事を云って来たのだ?と云ふ風にすぐ考へる事こそ、大切です、疑り深いことではありません。一應その原づくところを考へ知って、應対することです。失敗してから、「仕方がないや!!」では諦めにはなりません。諦觀とは決してシカタガナイジヤアリマセンカやメイフアヅ没法子ではないのです。


 諦とは「アキラカニミル」なので何故何故ナゼ?と原因をしっかり極めて成る程と納得することです。それが判れば失敗ではない、次の成功の根本を掴んだ事になるのです。成功!!すぐ何故成功したか根本を掴まないと、その成功の生命線を失って、功角の成功も次への發展力を失って、成功即立ち枯れになって終ひます。

 

 

 友人を作るのも右の事柄と同じである。第一にその人の人柄を正しく把握せねばならぬ。信頼したら、決して疑る様な事があってはならぬ。必要の時は、戝を惜んではならぬのである。


 面白い人だから程度では後に自分の不利にこそなっても決して利益にはならない。「俺は誰々さんと親友さ」などくだらない奴に貴方が云はれて居るとしたら、聞いた人が正しい立派な人なら、「なんて誰々はいまさらめ、人物だろふ」と思はれて終ふ。


 だから、ウッカリと、人とは交際も出来ないものだ。良い友達が欲しかったら。先づ自分自身良い人柄になって居なくてはならない。


 そして、此の自分を良く知ってくれる人自分の良点よりも終点を知ってくれて、それを庇護してくれる人こそ、本当の「知己」と云ふものであって、これがあってこそ、人生に仕合せを感ずるのである。


 友達には「常に親切」にしなくてはならない。
 

 

 三年交際が續いてなかったら、友人と呼んではならない。五年を経なかったら、親友とは云はれない。だから、友人を作るには、金銭的ではない時間と云ふ資本が入用なのだから、友人、親友とは大切なものである。鴉は鴉仲間。雀は雀同志集まって遊んでゐる。類は類を呼んで集るのだから。自分の友人で自分の姿が判るのだし、人を觀察して人柄を調べるには、其の友人達がどの様な人物達であるか、眺めて居ればすぐ判る、


 昔、桓公と云ふ偉い王君に「相者」が呼ばれた。「どうだろふ、俺は支那全土を征服して覇君となろふと思ふが」と問はれると、相君、「結好です、立派に出来ます」「隨分簡単に云ふじやないか、俺の人相を見るでなし、占ふこともせずに、一言で出来ると云ふ。オベンチヤラに過ぎはせぬか」と云ふ。相者は形を改めて、「いや、貴方を相しなくとも良いのです。御殿に参上して暫くの間、貴方の四囲の人達の言語、應対人柄を見て居りました。大臣達も、武臣達も、皆立派な人物です。よく、これまで立派な人達が集まって来て居ると感心しました。これを見れば今更ら貴方を相する必要はありますまい。」と謂ったと。


 賢主と呼ばれ、良い友、良い部下にめぐまれる為には賢主は常に賢人を迎えるに、謙遜であり、禮に正しくなければならない、豪傑を迎えて、その死さへ辞さぬ協力を得る為には、戝と信頼とを與えねばならない。集まって来る人達の才能をよく察し、その功績に対して恩賞は公明正大であって、決して主の私の好悪に依って行ってはならない。
 

 

 人生の幸福と云はれる第一條件として、良き師、良き友に逢ふ事である。師とは「先生」と云ふ意味もあるが、学校のセンセイではない。師とはその職業の如何にかかはらず、求めて来る者に正しく教へて飽くなき人の事である。くだらない「師」は、弟子が少しでも自分より才能を持ち、社会的地位が上になると、すぐ「ひがむ」ヤキモチを燒く、そして足を引っ張って倒そうとする、こんなお師匠さんが、宗教界にも、芸能界にも、お茶お花の先生にもウジヤウジヤゐる。安心して、弟子にもなれない、嘆はしい世の中。


 教へる事が出来たら、お師匠さんになれると思ってゐるんだから、物凄いじやないか。早く教へて、ゼニコに仕様てんだから、化物より怖い。


 本当の良い師は、上手な大工さんの様なもの、


 その木材の素質を良く知って使ふ様に、良い師は、その人の性格、美点特技をよく理解してそれを発揮させてくれる人である。若し師たる者、弟子の素質を理解しなかったら、功角の良找をくだらないものにして終ふ如き大工と同じである。


 だから、師は充分に選ばねばならない。「教へてくれる」人は澤山居るが、貴方の才能を三の時は正しく三と認め、五の時は五、十の時は十と知って導いてくれる師を探さなくてはならぬ、そして、自分の精進努力して、才能が二十になっても、三十になっても、師はまだまだ髙く、何時までも憧れて教を請えるだけの才能の人でなければならぬのだ。
 

 

 佛様、ほとけさまにもピンからキリまであるらしい。道傍で小犬にオシッコをかけられてゐる地蔵さまから、一寸八分の小さい躯で、二十間四方の大殿堂に「秘佛」と云はれて陽の目も見ずに監禁されてゐる佛樣まである。ほとけさまの社会にも階級があるのかな。


 特定の人間共が集まって、その様に擔ぎ上げて終ひ坊主共が「めしの種子」に商賣化し、又、それで生活する者達が集まって宣伝の太鼓を叩くと、後々の人達もその気になつて、みんな有難がって、不思議とも何とも思はなくなる。


 斯ふなって終ふと、もう、教儀や佛様の功徳なんてどうでもいい。お祭りや儀式や人の出方が受ければ「有難やし有難や」が坊主と商人、お詣りする方も、いいかげんなもので、或る料理屋の若い板前君、パンパンと手を叩いて、、大きな声で「世間並みにお願いしまあす!!」

 人間達の生活もこれと同じで、何時のまにかそれを昔むかしからの事だと思ひ込んで終ふ、だから、全くの能なし、馬鹿社長でも偉ら振って、それを取り廻はす。「取り巻き連中」もそふする事に依って自分の生活が出来るんだから、尚ほワイワイと太鼓を叩いて、大袈裟にする。


 よく、眞相を見極めねばならぬ。


 昔、澤庵襌師、吉原に行って、遊女から、Y画を極彩色で書いた腰巻をスルスルと抜いで、「サア、これに「讃」をして頂戴な!!」「よし、よし」と書いたのが、


 佛は法を賣り、祖師は佛を賣り、末世の僧は祖師を賣る、汝、五尺の躯を賣って衆生の煩悩を済度す、柳はみどり、花はくれない」