何事も時々、「物事のはじめ」に返って考へてみることが大切です、三人が「物事のはじめ」に返って考へる事をしてゐたら、こんな争ひは起らないでせう。


 「初発心は佛なり」と云ふ言葉、坊主が初めて俗人から、頭をツルツルに剃る。これを新發智と云ふが、この初発心の時は誰でも俺が佛様の様になろふと、佛の様に眞志目で眞劍なのだが、お経の二つ三つ覚えて、お葬式に行って布施めしの二三度も喰ふともう頭の丸い化物になって終ふ、「初発心佛なり」とはこれで、初発心を忘れるなと云ふことです。


 私も今日は初発心に返ろふとしたんです。」と笑ったら、判りました。私の今、悩んでゐたのは、先生のお話の通りの事情です、ピッタリです、根本に立ちもどって訳し合ひます」と云ってくれました。


 常に、何故何故と考へることと、「物事のはじめ」に返って考へることを忘れると、何時のまにか人や四囲の事情に侵されて、自分本然の力を失って終ってゐるものなのです。


 「探原」は自分を自分らしく保つ大切なものです。