何がおいしいと云っても、お母さんが作ってくれた様な料理が一番心温まって食べられる。変った料理は、一時はウマイナとは思ふが矢張り外国に行った様でしみじみと親しめない。


 女房は麦めしと云ふが、食べなれたのが一番いいし、幼い時に食べ育った料理が懐かしい。今になって、若い時に叮いた学問に証明を求めるのも、自分の心の故郷に帰ろふとする懐かしさか、


 結局原づくところにかへる、原づくところに帰って考へやうとすることではないか。

 

 「例へば此処に今、問題が起ってゐる。三人の人の紛爭だ、否糾爭だ、紡とは二本の絲のもつれ、糾は三本の絲のもつれだから、糾爭か。その爭ひは、その事情の根源に立ち返って考へれば解決方法は見付かるのではないか、三人は協力し合って發足したある事が、途中から、ワイワイになって、現在の爭ひになった。なぜ!!成功しそうになったから、お互ひに欲が出て来て俺が、オレガなのに相違ない。此のオレガが無かったから、最初の協力が行はれた筈である、根本まで逆遂したら、初の三人協力の約束が出て来るじやないか、此処を掴んで解決策は出て来ませう、