人生の幸福と云はれる第一條件として、良き師、良き友に逢ふ事である。師とは「先生」と云ふ意味もあるが、学校のセンセイではない。師とはその職業の如何にかかはらず、求めて来る者に正しく教へて飽くなき人の事である。くだらない「師」は、弟子が少しでも自分より才能を持ち、社会的地位が上になると、すぐ「ひがむ」ヤキモチを燒く、そして足を引っ張って倒そうとする、こんなお師匠さんが、宗教界にも、芸能界にも、お茶お花の先生にもウジヤウジヤゐる。安心して、弟子にもなれない、嘆はしい世の中。


 教へる事が出来たら、お師匠さんになれると思ってゐるんだから、物凄いじやないか。早く教へて、ゼニコに仕様てんだから、化物より怖い。


 本当の良い師は、上手な大工さんの様なもの、


 その木材の素質を良く知って使ふ様に、良い師は、その人の性格、美点特技をよく理解してそれを発揮させてくれる人である。若し師たる者、弟子の素質を理解しなかったら、功角の良找をくだらないものにして終ふ如き大工と同じである。


 だから、師は充分に選ばねばならない。「教へてくれる」人は澤山居るが、貴方の才能を三の時は正しく三と認め、五の時は五、十の時は十と知って導いてくれる師を探さなくてはならぬ、そして、自分の精進努力して、才能が二十になっても、三十になっても、師はまだまだ髙く、何時までも憧れて教を請えるだけの才能の人でなければならぬのだ。