兵書とは、孫子呉子六韜三略、これが私の心の「ふるさと」なんです。フト考へ迷ったり、人生に疲れ?たりすると、讀みたいなと思ふのは必ずその本達なんです。田舎の家には置いてあるが、東京の手許には一册もなかった。淋しいと思ふと讀みたくなる、丁度疲れると家に帰りたくなる様に気持の安定を其処に求めるのです。小学校の頃漢文は親父から教はった、四書五経の君子の訓でなく、實用一点張りの兵法の本で、戰爭の話や、人情の裏表である、


 中学校になると、兄貴がイヂ悪るの程度で英語を教へてくれたが、何人も頭に残っとらん。大体コレハネコデアル、彼は先生であるなんて習ったって、教訓が含くまれてゐないから、何んにも残らない。


 タイムイヅマネーでも、人生の価値は金で表現出来ぬものなりでもいい、教訓があれば、英語は喋れなくとも、頭の榮養にはなるだろふ、


 今の学問なんて悧功にはなるが、立派にはなれない。親父の刺激で東洋央学に芽が出、それからは、神道をやらんと日本人の尊さが判らんとか、やれ佛教だ、それ、禪をやれ、中途はんぱはきらいだから、やってみたいだけやって見る。でもやっぱり中途はんぱの今でも、忘れられないのは孫子、管子韓非子の味ひ、故郷の味ひ、お母さんの味なんでせうね。