「たんげん」と云ふ言葉があります。むづかしい漢語ですが、「もとをさぐる、もとづくところをさぐり知る」と云ふ意味です。


 「何故この様になったか、さかのぼって原因を求めること」「何故此の人は此の様に親しんで来るのか、必ず求むる所がある、その行為の根源は何かと知ること」なんだ、そんな事か、誰でも知ってゐて、そして忘れてゐることなのです。


 恋人のことは、想ひ出さずに忘れずにでも良いけれど、この探源を忘れると大変な失敗をします。


 何故こふなったのだ。何故あの人は此の様な事を云って来たのだ?と云ふ風にすぐ考へる事こそ、大切です、疑り深いことではありません。一應その原づくところを考へ知って、應対することです。失敗してから、「仕方がないや!!」では諦めにはなりません。諦觀とは決してシカタガナイジヤアリマセンカやメイフアヅ没法子ではないのです。


 諦とは「アキラカニミル」なので何故何故ナゼ?と原因をしっかり極めて成る程と納得することです。それが判れば失敗ではない、次の成功の根本を掴んだ事になるのです。成功!!すぐ何故成功したか根本を掴まないと、その成功の生命線を失って、功角の成功も次への發展力を失って、成功即立ち枯れになって終ひます。