営業改革コンサルトの活動日誌! -47ページ目

◆事実は変えられないが、それでも人生は変えられる

事実よりも大事なもの。


それは、事実の受け止め方。



これを心理学の見地では、アルバート=エリスの論理療法がうまく説明してくれます。



彼曰く、


感情や行動の障害を引き起こす原因のほとんどは、


出来事(事実)ではなく、非合理的な信条である。


と。



彼は、これを、ABC理論という分かりやすいモデルで説明してくれます。



出来事(Activating event)に対し、


それぞれの人の信条(Belief)・・・考え方・思考回路・プログラム・思想

によって、いろいろな受け止め方がなされ、


その結果として、ひとそれぞれの、感情・行動(Consequence)が生じてくる。


というものです。


そして我々は、『非合理的信条』 


「~であるのが当然だ」


「~でなければならない」


「~であるはずがない」


といったものを、知らないうちにたくさん抱えてしまっています。



たとえば、「電車の中では、静かにすべきだ。静かにするのが当然だ。」


という強力な信条を持っている場合、よその子がちょっとはしゃいだだけで、


ものすごい勢いで怒ったりする。


そうでなくて、


「電車の中ではできるだけ静かにした方が良いが、なかなかそうは出来ない人もいる。」


「何か特別な事情があるかもしれない。」


と、その信条の部分を、書き換えてみるんです。


そのためのキーワードは、


「~の方が良い」


「~かもしれない」


「~に越したことはない」


こんな感じでしょうか?


このようにBの部分を書き換える癖をつけると、


物事に対して、とても柔軟に、しなやかに対処できるようになってきます。


出来事、事実そのものは何も変わらなくても、


結果(あなたの行動や感情)を変えられるのです。



たとえば、Bの部分を書き換えると、


ゴキブリ→怖い! を ゴキブリ→おいしそう! に書き換えることも可能なのです。


まあ、やろうとする人はいないでしょうけど(笑)。




アルバート=エリスがこんなことを言ってます。


「できるなら立派にやりたい。

できるなら愛されたい。

できるなら生活は満足できるものであって欲しい。

しかし、もし私の思い通りにならなかったとしても、


それはとても残念ではあるが、この世の終わりというわけではない。」




こういう言葉を聞くと、仏教の高僧が言わんとしていることと、有用な心理学は


本質的に似ていることが理解できます。





ここまで、事実よりも大事なもの。ということでお話を進めてきましたが、


非常に厳しい売上、片腕だった社員の離脱、取引先の倒産・・・


我々を襲ってくる様々な出来事。


抗いようのない出来事。


でも、それを自分がどう受け止めるのか。


それで、その後が、全く違ってきます。


とても大事なことなので、また機会があれば別の視点からも書いてみたいと思います。









◆矢が二本刺さるのが凡人

事実よりも大事なこと。


さらに続きます!


大事ですから!!!




今回は、釈迦。

釈迦が弟子に語った話だそうです。


凡人は、弓矢で撃たれたとき、同時に第二の矢も受けてしまう。

つまり矢を身体に受けるだけでなく、にも矢を受けてしまうのだと。


一本でいいところを、二本も受けてしまうと。



身体が痛いのは当然。

さらに凡人は、それで心も乱され、

「なんてオレは不幸なんだあ~」「なんでオレなんだ~」

と、心にも、余計にもう一本の矢を受けてしまう。

矢を受けるのは、一本で十分。

悟りを開いたものは、一本で済む。




確かに凡人は、刺さっちゃいますよねえ。心にも。


ちなみにこんな記事をたくさん書いていますが、私は仏教徒ではありません。


確信的な無宗教です。


釈迦や良寛、道元などは思想家として捉え、自分なりに勉強を続け、


気づいたことをここに記しているわけです。


と、いうことで、今回連続して語っていることを心理学的に言うと


どういうことかを明日の記事で述べたいと思います。

◆事実よりも大事なもの(続き)

事実よりも大事なもの。


それは、


事実を、どう受け止めるか。



このお話の続きです。


大事ですからねえ。




これを良寛の言葉を借りれば、



災難に逢う時節には、災難に逢えばよい。死ぬ時節には死ぬが良い。


これは、災難を逃れる妙法である。



となります。


全てのことを動じず、そのまま、あるがままを受け入れる。


それが実は災難を逃れる良い方法だと言っています。


災難自体がなくなるわけではない。


災難から心が逃れられるという事。



そういえば以前、某女性占い師がTVで幅を利かせていましたが、


彼女は、「わたしは200歳まで生きられるんだ」とTVで豪語していました。


良寛の悟りと比べると、なんと世俗的で浅ましいことか^^



◆「読者登録」で実践できる営業力強化

アメブロに関して。

読者登録して下さる方の、6~7割は、登録時のコメントで、

「よろしければこちらも読者登録お願いします」などの【お願い】をする方がおられます。

営業という観点でみると、これはNG

やってはいけないことのひとつです。

なぜか?

登録したのはコチラの勝手。相手も同じことをする道理はない。

というのが、一般的な理由ですが、更に言えば、

営業活動では、

極力お願いしないこと。


これがとても大事。

だから、

こんな簡単にお願いしてはいけない。

のです。

お願いした瞬間に、相手よりも位置付けが下になる。

しかも、お願いが、すでに口癖になってしまっている人も多いと思います。

だから、まずは、

読者登録で、お願いではないやり方で、相手の方にも登録してもらえるようにすること。

どうやるか?

すでにたくさんの方がそれを実践されているので、そういう方の文面を参考にすること。

手本があるので、そんなに難しいことではありません。

リアルな営業でも、ネット上でも、相手が人間である以上、やるべきことの基本は同じ。

お願いではない形で相手を動かす。

お願いしない営業スタイルを、ここで磨いてください。

オマケで言うと、お願いでない営業スタイルが身につくと、ものすごくラクになります。

へりくだる必要がなく、変なストレスも溜まりません。

(あ、私のことだ!)と思った方は、まずはここから実践してみましょう!

◆事実よりも重要なもの。


何事も事実に基づいて判断せよ。



と、もっともらしいことを言ってみる(笑)。



しかし。


事実そのものよりも、はるかに、

それをどう受け止めるかの方が大事。


たとえば、車で自損事故を起こしてしまったとする。


「ああ、どうしてももっと気をつけなかったんだ。今日は最悪だ。修理に幾らかかるんだろう・・・」


と考えるか、


「ああ、他人を巻き込まなくて良かった。これで厄払いできたのなら本当に安いものだ。

 これからもっと運転には気をつけよう!」


と考えるか。


これで、この事故の持つ意味合いが全く違ってきます。


後者の場合は、むしろ”この事故を起こしてよかった♪”とさえ思うかもしれません。


事実はひとつ。それをどう受け止めるか。












◆”お勉強”が出来る人ほど、実践で役に立たない?


ああ、こういう事か・・・と。



”お勉強”が出来る人ほど、実践で役に立たない。



ということを目の当たりにしたので記事にしてみましょう。





先日、とある心理学の勉強会の場で、講師が出した選択式の出題に対し、


同じグループに居た若い女性が、得意げに、


「ここまでの正解が、パターンとしてこうだったから、次はこれね!」


と答えを教えてくれました。



怖いと思いました。


設問に対して正解を導き出すこと自体が目的化してしまっています。



この場合、テスト問題を解いているわけでもなく、


そういう思考は、百害あって一利なし。




受身で、隷属的な思考回路。


そこにあるのはテクニック的な思考回路。




でも、その若い女性に限らず、受験勉強に慣れ、それに適応してきた人には、


オートマティックにそういう思考回路が働いてしまう人が少なくないようです。



私は彼女に、


「そういう思考の仕方は、とても危険ですよ」と諭しましたが、


怪訝な顔をしていました^^



◆大事なのは、提案営業の前!


このブログの「メッセージボード」にまとめていっている、


営業の課題解決メニュー。



すでに50記事を数えるまでになりましたが、


提案よりも前の段階のことが、9割以上!



私は実際、提案する前の段階が、営業活動として、より重要だと考えています。



どこへ行くのか?誰と会うのか?そこから始まり、


どうやって会うのか?会って、どうやって興味をひきつけるのか?


そしてどうやって主導権を握ってしまうのか?



こういう部分が、極めて大事。


そして、ゼロベースからでも仕事を作り出すチカラを持つこと。


この時代、そういう能力こそが会社にも個人にも強く求められています。



そのチカラがなければ、付加価値のない仕事に甘んじるより他はない。



だから、私はそこに繋がる記事を中心に書いているわけです。


てことで、今後も頑張って更新を続けてまいります!



◆高校野球に学ぶこと


高校野球は面白い。



たとえば初回表に一挙5点!


これを見て多くの人は、このチームの勝利はかなりカタイと思うわけですが、


私は、これは結構まずいね・・・と思ったりします。



無意識のうちにも気が緩み、ひとつのプレーで流れが変わり、


あとは慌てて気がついたら逆転負け・・・


そういう事が、多々あるからです。



味方に点を取ってもらって勝ちを意識した瞬間に、どこかおかしくなり


崩れていく投手。


たった一球の判定への不服から調子を崩す投手・・・




実際、9回という長いイニングを、毎回、同じ気持ちで投げぬくというのは、


かなり難しいことです。


それは、いろんなことが起こるから。


たとえば、その前の攻撃で、味方が攻めていいところまでいったのに、


0点で終わってしまったとか。


自分が三振でスリーアウトになったとか。


そういうことに、どこかで気持ちが動いてしまうわけです。


これは、私たちが毎日同じ気持ちで仕事に臨めるか?ということ


以上に難しいことだと思います。




実力ももちろん大事ですが、メンタル面が勝負を分ける上での鍵。


今、ここ に集中すること。


前・後のことに影響を受けない。


それが極めて大事なメンタル。




ちなみに私が観戦した中では、沖縄代表の興南高校の島袋投手は、


メンタル的にもかなり優秀だと思います。


勝負している相手の心理も読めるし、


何よりも、ここぞという勝負どころで、迷いのないツヨイ投球ができます。



また、まさにメンタル的などん底から這い上がってきた、


神奈川代表の東海大相模の一二三投手にも期待しています。


一戦ごとに心技体が整ってきていますね。


(全試合を見ているわけではないので、一部に偏っています^^;)




PS:前回の良寛さんの記事 を、”抽象的な話で、良く分からなかった”という


方は、もう一度読み返していただくと良いかもしれません。



3.1415926・・・・・・



円周率。



割り切れない・・・しかも永遠に。


この不条理なる世界




世の中、きれいに割り切れることばかりではない。


いや、むしろ、


世の中を、まあるく しようとすれば、すかっと割り切ろうとしてはいけない。


円満にやるには、中庸やあいまいやが大事だという事。




だから、

「3.14」あたりで妥協したりする発想、


さらには、「π」などという”ご都合主義的”な記号を使って 


“そこには深く立ち入らないようにする”という手もある。


人生ってそうやって“うまく折り合いを付ける”ことも大事なこと。



円周率でまなぶべきは、こういうこと。


間違っても子供たちに、円周率=3 などと教えてはならない。


だから人間の”のりしろ”がなくなってゆくのだ。

良寛と手毬うた


手毬うた


ひい・ふう・みい・よ・・・・と数えて十になったら、また一に戻る。


何の生産性も、発展性もなく、延々と繰り返される手毬うた。


子供は、喜んでそれを繰り返す。


「いま、ここ」を堪能できるチカラがあるから。



過去のいろいろな問題や、将来の課題、それらに囚われず、


今、ここに居る、ただその瞬間、そこにいる自分を愉しむ。



大の大人が、特に男が、子供に混じって手毬ができるか。


年齢、性別、位、その他もろもろ剥ぎ取って、


ただひとりの人間として、今、ここ、を愉しむことができるか。


くだらない、意味がない、恥ずかしい、大人気ない・・・そういう


思いを抱かずに、ただ毬をつくことに興じられるか。



「今、ここ」


現代人が、軽視してしまっているもの。


心理学の交流分析でも、「今、ここ」という感覚を重視する。


よりよく生きるために、「今、ここ」



いつでも手毬ができる自分がいるか?


そこに良寛の、すごさを思う。


手毬は良寛にとって、修行であり、座禅であり、そして


ただの遊びだったのだろう。