余裕あってこその教育 | 0歳からの早期教育@西洋占星術&九星気学/25年中学受験

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あらゆる早期教育、教育法を試して子どもにぴったりの接し方や、育て方を日々考えています。勉強中の西洋占星術&九星気学の視点からもより良い教育、子育てを考えてます。

昨日、長男の親友くんを連れてお出かけをしまして、二人とも楽しんでくれて、ああ良かったなと思う反面、なんだかもやもやとした気持ちが収まらず。。


こちらからお誘いしているので、遊園地代も食事代も、こちらで払うつもりではいました。


けれど、相手のお母さんは、電話で話した時も、お子さんを引き渡してもらう時も、後から御礼のメールをもらう時も、お金のことは一切、何も言われませんでした。ありがとうございました、と、それだけでした。


当然、子供はお財布も持っていません。

にも関わらず、親友くんはランチは最上階のレストランに行きたがるし、帰り、コンビニに寄るといったら、お腹がすいたー!といって、自宅で食べるサンドイッチやおにぎりまでこちら持ち。

子ども本人から、ありがとうございましたとか、ごちそうさまでしたという言葉も一切ないまま、別れました。

私だけ自転車を駐輪場に停めていた間に、長男がお母さんからお菓子を頂いたそうなのですが、スーパーの透明なビニール袋に、カントリーマアム二枚と、割れた味しらべ二枚と、ビスコ一袋ポーン


べつにこちらが好きでしていることなので、気を遣って欲しいとか言うことでは全然ないのですが、、これ、あり?あり?と、かなりもんもんとしてしまいました


ちなみにお母さんは、見たところ私よりも多分上で、落ちついた優しそうなお母さんです。

以前、保護者会で話した時も、真面目で浮ついたところがなく、穏やかに子育てしておられるんだろうなという印象でしたし、実際そうなのだろうと思います。


星星星

昔、私が小3のころ、初めて遊びに行ったお友だちのうちで、お母さんからこう聞かれました。

「お父さんどこの会社?」と。


お友だちのお母さんが一体何を知りたくてそんなことを聞いているのかは、当時の私にはまだわかりませんでしたが。子供心に、値踏みされていることは分かり、非常にいやな気持ちがしたものです。


ちなみにそのお友だちのお父さんは、地元の優良企業で働いていました。


うちの父は高給取りではありませんでしたが、単身赴任をしていて地元企業ではなかったので、お給料的には地元で働いている人よりも良かったはずですが、そんなことは関係なく、ただただ「嫌な質問」だと感じ、「よくわからない」と言葉を濁したのを覚えています。でも、しつこくたずねられました。それくらい、もうわかるでしょ、と。


私は今も、誰かに対して職業をたずねることはほとんどしません。
話の流れで聞くことはあっても、あえて自分から意味もないのに聞くことはしません。

星星星


でも、親友くんが自分で語っていたお父さんの職業は、おそらく長男の公立小学校の中では、いやな言い方をすれば、年収はかなり低い方に入ってしまうことが想像がつきました。


実際、築何十年の社宅に住んでいるようでした。
中学受験もおそらく選択肢にはないでしょう。


遊園地の平日フリーパスは二千円。私は安いと思って気軽に誘ってしまったけれど、それはもしかしたら、相手にとっては負担だったのかもしれません。

でもだからといって、お金の件について一切触れずに我が子を預けるなんて、私なら考えられないのです。

でもそれは、私が麻痺しているだけなのか。私だって夫と離婚すれば、たとえ二千円でも子供を遊ばせるためにはやすやすと出せなくなるかもしれません。

昔、私がいやだった、値踏みをしてくるお友だちのお母さんみたいに、もしかして私自身がなってしまっている?と、何度も自問自答をしてしまいました。

おそらく親友くんは、お出かけというものをあまりしたことがない。
だから遊園地の乗り物も乗れない。
色々な経験値も少ない。
大人の人との話し方や礼儀も分かっていない。

長男は、色々なところに行きまくっているので場慣れしているし、いかにも都会の子どもです。

もちろん、経済的に厳しかろうが、礼儀を弁えた子に育てるのはできると思うのですが、やはり教育というのは、ある程度余裕がなければ考えられないところなんだろうなと感じました。

そう考えると、当時の友だちのお母さんの発言も、理解はできないけれども納得はできるのです。やはり、そこを知るのが色んな意味で手っ取り早いという。。

長男も、これまでお友だちの電車の知識という一点において猛烈に尊敬していたようですが、それが行き過ぎて神格化していただけだった、、ということに気づいたようです。

お友だちが自分の親でもない私に対して、高いランチを食べたいだの、家で食べる軽食を当たり前のように買わせることに、違和感を感じたようでした。


どんなに気の合うお友だちだったとしても、何もかもぴったり価値観が合う友だちなんて、いませんからね。

三年生くらいだと、目の前にいるお友だちとの世界が全てのように感じますが、そうではない。
それを知ることができた、いい機会だったのかもしれません。