今日は、
親への復讐について
書きました。

禁句のようになっている
感じもすることですが、
適切な復讐をすることは
親にも子にも良い状況を
つくり出すことが十分に可能です。

その”適切な復讐”でない場合が
まずいことになりかねないので
禁句のようになっているのでしょう。

ちゃんと適切にやれば良いのです。

目次
・役に立つ復讐をする
・おすすめの復讐の方法
・適切な復讐の仕組み
・やらない方が良い方法
・超ハッピーになる活動


■役に立つ復讐をする

親に復讐してはいけない
と思っていたとしたら、
それは苦しいことを
抱え続けている状況です。

なぜなら、
復讐してはいけない
なんてことはないからです


やりたいのに我慢するなんて
苦しいです。

だから、
復讐して良いのです。

復讐したかったら
とっととすれば良いのです。

ただし、
その方法が大切です。

やり方によっては
復讐することで
感じるしあわせが
増えることもありますが、
増えないこともありますし、
減ることだってあるからです。

せっかく「復讐したい」と思って
復讐をするのですから、
その行為が自分の役に立たないと
意味がありません。

復讐したら
自分の感じるしあわせが減った、
なんてことになってしまうと、
復讐しない方がマシだった
と感じる結末を迎えるだけですから。

だから復讐するなら
自分の役に立つ方法
復讐することが大切です。

なお、
復讐の相手が親以外の場合でも
取り扱いは同じです。

■おすすめの復讐の方法

親への復讐をするにあたって
注意したいのは、その方法です。

その方法が
人生に有用な面における方法なら
復讐することで
感じるしあわせを増やしていけます。

つまり、
その復讐が
自分の役に立つことになる、
ということです。

やらない方が良い方法が
人生に有用でない面における方法です。

これをすると
感じるしあわせが増えないどころか、
ときには大きく減らすことに
なりかねません。

だから、
こちらの方法を選ぶことは、
自分の役に立たないことになる、
ということです。

せっかく復讐して
「やってよかった!」と思いたいのに、
復讐したおかげで
「自分は不幸だ」とか
「やらなきゃよかった」とか
思うことになっては本末転倒ですから。

そして、
人生に有用な面における方法として
おすすめなのは、
端的にいえば、
親とは関係のない場で
超ハッピーになること
、です。

■適切な復讐の仕組み

親に復讐したいのは、
親に依存された経験があるからです。

親の何かの癒しに利用された、
みたいな依存的な行為を受けたから、
その仕返しをしたくなっている、
ということです。

もしも親が自立していて、
適切な教育をあなたにしていたら、
親は「協力」はしてくれても
「支配」はしようとしませんから、
親が近くに居ても苦にならないでしょう。

しかし、
親が依存的
何かにつけてあなたを関係させて
その責任の全部または一部を
負担させようとしていたら、
それは「協力」ではなく「支配」です。

その「支配」が非常に嫌なのです

「支配」が嫌なので
依存的な親の近くにいると
常にその可能性を感じますから
親と近いとそれだけで疲れます。


あなたが親の依存に応じたなら、
親は依存したいので、喜びますが、
反対に、
あなたが親の依存に応じなければ
依存したい親は、悲しみます。

例えば、
「支配させろ」と迫る親に
「支配なんてするな!」と
拒否することすら、
「依存に応じること」になります。

もし「支配させろ」と迫ってきたら
「はいはい、どうぞ、どうぞ。
私は私で忙しいから
構ってあげられませんが」
くらいに受け流せれば、
「依存に応じること」から外れていきます。

そうして応じることから外れ出すと、
親自身の「支配」の目的を、
あなたが応じないから
実現できないとして、
あなたを責めるでしょう。

近くにいると
そんな「応じる/応じない」と
なるから疲れるのです。

しかし、
その「支配」は近くにいて、
親があなたに依存できる状況でないと
することができませんから、
離れることでその機会がなくなります。

そうです、
親とは関係のない場に
自分の居場所を得ることが
復讐の第一歩です


親の支配の及ばない場で
親とは関係なく
あなたの感じるしあわせを
増やす活動をするのです。

依存的な親は
あなたがいないと
しあわせを感じられませんが、
あなたがしあわせを感じるのに
親は必要ない、との状況は、
親は劣等感を感じますが、
あなたは優越感を感じる状況です


この状況が
依存的な親にとっては
つらいのです。

これが復讐のエンジンです。

そうしてあなたが
感じるしあわせを増やして
超ハッピーだと
感じられるくらいになれた頃には
親への復讐は完了しているでしょう。

残念ながら
親がくやしがる顔は
見られないと思いますけど、
直接でも間接でも親と接触したときに
親が何を言ってきても
「とくに気にならずに受け流した」とか
「特に普通な感じ」を感じたら
それは優越感を感じている状況なので、
復讐ができた状況と見ることができます。

そのため完了を感じ出すと、
依存的な親は
「嫌な存在」から
「どうでも良い存在」みたいに
感じられてきます。

復讐の完了を感じ、
依存する親を脅威と感じなくなれば、
親とは改めて
対等な関係を持つことも
「やってもいいかな」と思えるように
なることもあります。

親が自分自身の依存的な面を
改善しないかぎりは、
この復讐は機能し続けます。

つまり、
あなたは超ハッピーであるだけで
親は依存できないことに
劣等感を感じ続けるのです


これは、
依存的な親が
その依存的な面を
改善する機会にもなるので、
あなたが親を教育している、
という側面もあります。

■やらない方が良い方法

やらない方が良い方法である、
人生に有用でない面における方法は、
暴力を用いることです。

親が「暴力だ!」と
決めるかどうかではなく、
一般的に暴力とされている方法を
用いない、ということです。

でないと依存的な親は
あなたの行為すべてを
「暴力だ!」と決めてしまえるからです。

殴る、蹴るなどの
物理的な暴力から始まり、
暴言や威嚇、無視するなどの
精神的な暴力も入ります。

ただ、
依存的な親は
あなたから反応を引き出そうと
あれこれ仕掛けてくることが
考えられますから、
話し合いにならないような状況では
無視する形になったとしても
その場をとっとと離れることです。

間違っても
依存的な親に怒りをぶつけることは
避けたいところです。

なぜなら、
親に怒りをぶつけることは、
全力で親に注目することになるからです。

注目されることで
依存的な親のその依存は
満たされるのです。

逆に、
依存的な親は
あなたの注目を得られないことに
劣等感を感じます。

その劣等感を解消したくなって
あなたに注目されようと
一生懸命に頑張るわけです。

だからそれに応じないことが
依存的な親にとってはつらいのです。

これを言い方を変えると、
依存的な親を甘やかさないこと、
ともいえます。

依存的な親は、
その「依存的」がある限り
感じるしあわせを増やせません。

だから「依存的」を助長することを
あなたが控えることは、
親の感じるしあわせを増やす方、
すなわち自立する方へと
促していることにもなるのです。

■超ハッピーになる活動

親の関係しない場で
超ハッピーになる活動は、
アルフレッド・アドラー
教えを参考にすると
わかりやすいです。

結論をいえば、
親とは関係のない場で
共同体感覚を高めるのです


共同体感覚とは、端的にいえば、
自分の居場所がある感覚です。
(これがしあわせの感覚そのものです)

そのためにはまず、
あなたの関心を
あなた自身以外にも
向けるようにすることです。

すなわち、
他者の関心事に
関心を持つこと
です。

あの人は今、
どんなことに興味があるのかな?

きっとこれをこうすれば
ここを使う人の役に立つはずだ。

みたいに他者の関心を
感じることです。

そうして相手の関心事がわかったら、
その相手に貢献することです。

相手の役に立つことを
してあげることです。

実際に相手の役に立つと
相手に喜ばれたり、感謝されたりして、
客観的な貢献感を得られることも
あります。

その客観的な貢献感を得た時に
共同体感覚は高まるのです


身近な人から始めて、
家族や友人、仕事関係の人たち、
趣味の集まりの人たち、
その他の集まりの人たち、などなど、
できる範囲は広がっていくでしょう。

そうして貢献による
客観的貢献感を得られると
共同体感覚はどこまでも高まります。

つまり、
感じるしあわせはどこまでも
増やすことが可能です。

それは、
親の関係しない場での
超ハッピー状態が強化され、
そうなればなるほど
依存的な親への復讐も進む

ということです。


その他者貢献に役立つのが、
4つの目標を持って、
その実現に力を注ぐことです。
(間接的に親への復讐の役にも立ちます)

目標は行動面2つ、
心理面2つ、になります。

行動面の目標はこの2つです。
「自立する」
「社会と調和する」

心理面の目標はこの2つです。
「自分には能力がある感覚」
「他者は皆、仲間である感覚」


「自立する」は、
経済的な自立と、
心理的な自立をすることです。

経済的に自立することで、
自分の力で生活できます。

そして、心理的な自立は、
端的にいえば、
「されることを期待する側」ではなく、
「自ら進んでさせていただく側」に
心理的に立つことです。

もっといえば、
「愛されることを期待する側」ではなく
「愛する側」に立つことです。

される側に立っていると
他者との間のやりとりで
ついつい不満ばかりを
感じてしまいますが、
する側に立つと、
他者とのやりとりも
うまくいかせようとするため、
される側のような不満は感じません。


「社会と調和する」は、
良好な対人関係を持とうとすることです。

かといって誰とでも
親密な関係になる、
ということではありません。

関係ごとに
相応に良好な関係を
持とうとすること、
ということです。

例えば、
バスに乗るときには、
乗客として良好な関係に
なるように配慮することです。

友人が相手なら、
その友人と良好な関係になるように
思い、話し、行動することです。

家族を相手にも、同様です。


「自分には能力がある感覚」は、
今の自分にできないことに
注目するのではなく、
今の自分にできることに
注目することです。

「かわいそうな自分の話」
「悪いあの人の話」
これらの話を減らして、
「これからどうするか」の話を
増やしていくことが役に立ちます。


「他者は皆、仲間である感覚」は、
他者を自分の都合で
敵・味方に切り分けずに、
すべての人を”仲間”と感じることです。

といっても、
すべての人と親友や家族のように
接することとは違います。

相手によって
心理的に適切な距離があり、
その距離にふさわしい感じ方を
することです。

例えば、
知らない人や
嫌いな人は、距離が遠いです。

依存的な親も
距離は遠いですね。

反対に、
知ってる人や
好きな人は、距離が近いです。

自立した親は
距離が近くに感じられるでしょう。

心理的な距離なので、
物理的距離はこれには関係しません。

もっとも、
心理的距離が近い人とは、
物理的にも近くに居たいと
思うでしょうから、
関係ないことはないですけど、
心理的距離をはかるときには
特に関係させる必要がない、
ということです。

そして、その距離は、
変化します。

知らない人と知り合って、
知るうちに仲良くなると、
心理的距離は近づきます。

好きだった人が
ウソをついたりして
嫌な思いをすると、
嫌いになって
心理的距離も遠ざかることも
あるでしょう。

常に一定ではなく、
時の経過による
状況の変化で、
心理的距離も変化していくのです。

つまり、
一度距離を感じても、
その後に変化する可能性もある、
ということです。


こうして4つの目標を
実現していくことで、
感じるしあわせが増えていき、
自信と力に満ちた自分を
感じられるようになるでしょう。

そんな強い自分になったら
依存的な親からの依存は
もう気にならなくなってます。

そうして強い自分になれたら、
依存的な親を
自立へと導いてあげることで
親との関係の調和も
できる自分を感じられます。

そんな依存的な親は、
その親から自立へと
導いてもらえなかったのかも
しれませんから、
これは実現できたら
非常に大きい貢献です。

依存的な親が自立してくれた暁には、
親との関係から「支配」が消えて
「協力」が増えていって、
良好な親子関係となることも
十分に可能です。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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