親が
どんな気持ちになるのかは
親の自由です。

感情は目的があって
感じるものですから。

だから
親が悲しい気持ちを
どうするのかは
親の課題です。

子はそこに
関係ありません。



「親を悲しませてはならない」

子が
これを目標とするのは
無理があります。

悲しむかどうかは
親が決めることであって
子は決められません。

子が決められないことを
目標にはできません。



一方で、子は
親に質問して

親は
何があるとうれしくて
何があると悲しいのかを
知った上で、

その
親がうれしい気持ちに
なると言ってることを増やして
親が悲しい気持ちに
なると言ってることを減らすことは
できます。

その増やしたり減らしたりを
目標として行動することは
できます。

親は親で
そうして行動する子を
見るだけで嬉しい気持ちを
感じたりしますよね。



しかし
そうした下調べもなく
親を悲しませないように
することを目標としたら

それは
何の準備もなく
資格試験に臨むようなものです。

親が子に
何の協力もせずに
「親を悲しませるな」と
言ったとしたら、
それは
何の準備もなく
資格試験を受けて合格しなさい、と
言っているようなものです。



子が
「親を悲しませない」を
自分自身の課題とするのは
親の課題を肩代わりしている
状況です。

悲しみは
誰かに頼まれて
感じるものではなく
悲しみを感じる状況が
あるため自ら感じるものです。

悲しみを感じたいなら
そのままの状況を続けます。

悲しみを感じたくないなら
その状況を変えようとします。

親が
状況を変えることを
過度に困難だと感じたとき、
子に変えさせようとすることが
あります。

その時に
大切なのは
課題の分離です。

親の感じる悲しみを
変えられるのは
親自身であって、
子ではないからです。



私の親はずっと
「親の自分を悲しませるのは
悪いことだ」と言っていました。

それならどうして欲しいの?と
訊くと決まってこう答えます。

「そんなのちょっと考えれば
わかるでしょ?」

その言葉を
そのまま信じていた頃は
いくら考えても
どうしたら親が
悲しむのをやめて
喜んでくれるのかが
どうしてもわからず、

わからない自分は
なんて自分は悪いヤツなんだ、と
自分を罰していました。

しかし、悲しむかどうかは
本人である親が決めていることなので
私が決めることはできません。

観察すると、私が
親が希望する通りに行動すると
親は喜ぶ。
逆に親が希望しない通りに
行動すると親が悲しむ。

最終的には
「親の自分は可能な限り努力したけど
お前は親を悲しませることを
やめてくれない。
そんな子は見捨てるしか方法がない」と
見捨てることは不可抗力だ、
不可抗力で見捨てるのだから
親の自分が善人であることに
影響しないことだ、と
言ってきます。

なるほど、
親は私を支配するために
感情を利用しているんだ、と
わかったときは
もういい年齢でした。

もっと早く知りたかったです。



支配してこようとする親の
その支配から抜けられたのは
親の課題を「親の課題」として
扱ったからです。

相手の課題を
「相手の課題」として扱うことは
相手との関係を対等にしてくれます。

親の課題は「親の課題」
子の課題は「子の課題」
それは
「親が悲しむのは、親の課題」
「子が悲しむのは、子の課題」
ということです。

それぞれ本人が取り組むと
平和が増えますね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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