■”女性の役割”の拒否と、神経症

アルフレッド・アドラーは、

ひとりの患者を例にあげて、

結婚が即座に”女性の役割”を

引き受けるものではない

説明しています。

 

それは結婚したからといって

男性優位社会を支持することや

”女性は劣った存在”という偏見といった

「男尊女卑」を肯定するものではない、

ということです。

 

アドラーの当時は、

女性は結婚しないと

生き延びることが

なにかと困難な時代でした。

 

そこで、

いやいやでも結婚はするけれど、

それは生き延びるためであり、

”女性の役割”とされているものを

引き受けたこととは違うので、

社会や家族から期待される”女性の役割”を

引き受けない努力をするのです。

 

その”女性の役割”をしない努力に

用いられがちなのが「神経症」です。

 

神経症は、

「できるけど、やらない」ということを

「やりたいけど、できない」とするために

症状を利用するものです。

 

そうすれば、

「やりたいけど、できない」と理解した人が

「それならしかたないね」と

諦めてくれることが期待できるからです。

 

例えば、

「洗濯したいけど、めまいがして

倒れてしまうから、どうしてもできない」

 

「掃除したいけど、気分が悪くなって

動けなくなってしまうから、できない」

 

「食事の支度をしなければいけないのに、

それをやろうとするとひどい頭痛になって

どうしてもできなくなる」

 

みたいな感じです。

 

Aだから、Bできない、とすることです。

Aが症状で、Bが行為です。

 

AとBは関係ありませんが、

それを関係させることで

”女性の役割”を避ける大義名分が

できるわけです。

目的が”女性の役割”を避けることなので、

利用している症状について

医師の治療をいくら受けても

原因不明」となり、

癒えることはありません。

 

その症状を

「出そう」として出しているので、

「出そう」とすることをやめない限りは

なくなることはありません。

 

つまり、

癒えてしまうことは、

”女性の役割”を

引き受けなくても良い状況から、

引き受けないといけない状況に

なってしまいますから、大変です。

 

「やりたいけど、できない」と

しているため、

周囲も「やりたい気持ちはあるんだ」と

信じてますから、なおさらです。

 

癒えるわけにはいかないのです。

 

アドラーはこのような患者に対し、

目的などの現状を知ることと、

共同体感覚を発達させるように

はたらきかけることで

治療していくのです。

 

その現状を知ったことを

アドラーは我々の学びのために

共有してくれているのです。

 

■36歳の女性の両親の結婚

この患者は、

神経症の症状を改善したくて

アドラーのもとに来た36歳の女性です。

 

この女性は、

「年をとった夫」と

「とても支配欲の強い妻」の間に

第一子として誕生しました。

 

両親の年齢差がずいぶんあるようで、

ここから母親は、

”女性の役割”を嫌悪していることが

読み取れます。

 

今回は、この両親の結婚から

学びを得ようと思います。

 

 

とても美しい少女であった母親にとって、

年齢の離れた男性は甘やかしてくれる

好都合な存在でした。

 

自分を甘やかしてくれるため、

何かと思い通りにさせてくれますからです。

 

そうして甘やかしてくれれば、

”女性の役割”を無理に引き受けずに

済ませられると感じたわけです。

 

結婚当初はわかりませんが、

この女性が誕生したころは、

両親の結婚はよくない状況でした。

 

母親は、思い通りにならないと、

大声をあげる」との方法で

自分の主張を押し通しました。

 

年をとった父親はそれに抵抗できず、

母親の支配下に入るしかありませんでした。

 

この女性の話によれば、母親は、

父親が疲れたからソファで横になろうと

することさえも許可しませんでした。

母親は、家族の管理者になろうとし、

家族にも自分を管理者と見るように

要求しました。

 

母親は、管理者となることで

”女性の役割”を引き受けずに済むからです。

 

そんな中で、この女性は、

とても優秀な子どもとして成長しました。

 

それは父親をとても喜ばせました。

 

一方、母親は、

この女性が優秀であっても

満足することはなく、

いつも敵対的、すなわち、

この女性との競争において

自分が勝利しようと努力しました。

 

勝利できなければ

自分が管理者の地位に

居続けられないからです。

 

 

その後に弟が生まれました。

 

母親は、

この女性には関心は示しませんでしたが、

弟には大いに関心を示しました。

 

父親は変わらず母親の支配下ですが、

この女性のことになると

母親に強い抵抗を示しました。

 

この女性は父親に助けられながら、

母親との競争で勝利をあらそい続け、

やがては母親を憎むようにまでなりました。

この女性が母親を憎むまでになったのは

母親が自分に関心を向けないからです。

 

母親が管理者となるために必要な

勝利を支える「敗北者」として

自分は便利に利用されるだけなので、

これではもともと母親を好きであっても

嫌いになってしまうのも理解できます。

 

 

自分に関心を向けない母親なので、

母親との競争で勝利しすることで

母親の関心を得ようとしたくなります。

 

そこでの

この女性のお気に入りの戦法は、

「汚すこと」でした。

 

母親はきれい好きだったので、

汚されるのは嫌なのです。

 

嫌な気持ちになれば、

その相手に注目することになるのです。

 

汚すうちに

母親のきれい好きは、

だんだん度が深まって、

自宅のドアノブに他人が触れただけで

そのドアノブを拭かないと触れられない

とまで思うようになりました。

 

この女性が

いくら優秀になることに努力しても

母親は無関心でしたが、

汚すことをすれば

簡単に母親の関心を得られるとわかって

とても愉快な気持ちでした。

 

母親はこの女性を支配することを

期待しましたが、

この女性がその期待には応えることなく

母親の関心だけは得られる方法が

汚すことだった、ということです。

 

これは、

子どもがどうして問題行動をするのかを

理解することに役立つ例です。

 

母親を怒らせれば怒らせるほど

子どもが愉快な気持ちになるのは、

こうした状況において

起きやすいことだとわかります。

この女性は

父親の後ろ盾を頼みに、

険しい顔とキツイ言葉で

責め立ててくる母親の一枚上を行き、

母親の期待とは反対方向への努力によって

母親の様々な努力を封じ込みました。

 

つまり、

母親がいくらこの女性を

支配しようとしてもできず、

この女性は母親の

嫌がることをするので、

母親が「思い通りになる」と

感じることがほとんどできない状況を

生み出すことに成功した、

というわけです。

 

このとき、

この女性は8歳でした。

 

競争ばかりで

協力がない関係は、

安らぎを感じることがありません。

 

いかに

関心を自分自身にばかり向けることが

しあわせに生きることに役立たないかが

よくわかります。

 

つづく。

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ACE COACHING's Services here