■母権の時代への不安

アルフレッド・アドラーは、

この社会は意図的に

男性に優位につくられてきた、

と指摘しています。

 

これは、

女性が劣った存在であるとの偏見も

意図的につくられてきたことも

意味しています

 

 

優位になるためには、

競争をして

勝利する必要があります。

 

競争は一人ではできないので

相手が必要です。

 

それが、

自分が勝利するための競争なら

自分に負ける相手」が必要です。

 

その競争が、男女の競争であれば、

男性から見たら女性を競争相手と

するほかありません。

 

しかも、

男性が勝利する前提であれば、

女性にはどうしても

敗北してもらわないといけない、

となるのです。

 

こうして見てみると、

男性優位を望む人が

いかに臆病なのかと感じます。

 

その臆病をアドラーは

母権の時代への不安」と

指摘しています。

 

母権の時代とは、

母親である女性が

共同体の統治者であった時代です。

 

その当時は、男性は、

統治者を支える立場でした。

 

でも、他の部族との戦いにおいて、

男性の力が最優先されることとなり、

男性はより大きな権限を与えられなければ

戦いに勝利できないと求めました。

 

戦いは男性に任せるほかなく、

女性は男性に権限を譲るしか

なかったのでしょう。

 

その後、権限が男性へと移って

統治者が女性から男性になり

父権の時代」となりました。

 

そこから、

男性優位を維持・強化させる活動が

始まることとなります。

 

男性優位は、

風俗習慣や法律などの

社会システムに組み込まれ、

男性優位を支持する人は生きやすく、

男性優位を支持しない人は

生きづらい状況となります。

 

そうして男性優位を

好む好まざるにかかわらず

あらゆる人に支持させるように

強化され続けて、現代に至るのです。

 

男性は今まで築いてきた

男性優位が崩れて母権の時代へと

戻るのではないかとの不安があり、

その不安が

男性優位を必要とする人たちの

背中を押しているわけです。

 

■男性優位を正当化させる主張

男性優位を正当化させる主張は

2つあります。

 

①男性優位は自然発生したものだ

②女性は男性よりも劣った存在だ

 

これは、

はるか昔からされてきた主張

であるため、

私たちは子どもの頃から

この主張を聞かされてきていますから、

そういうものじゃないの?」と

感じてしまうようなものです。

 

空気や石ころのように

あまりにも当たり前に

そのへんにゴロゴロしているので

普通に感じてしまうのです。

 

 

特に②の女性は劣った存在という主張

歴史と文学の中によくあると

アドラーは指摘しています。

 

アドラーによれば、

あるローマの作家は

女は男を混乱させるものだ

と言っています。

 

アドラー心理学として見れば、

この場合の男は

「混乱したくて混乱している」

(混乱することが必要と判断して、

自ら混乱している)のであって、

女性は直接関係ありません

 

だから、その混乱させた責任を

その女にあるとして非難するのは

大きな誤りです。

 

また、驚くことに

次のようなこともあったそうです。

 

教会の公会議において、

女性は魂を持っているか

との議論が”活発に”され、

さらには

そもそも女性は人間なのか?

を問題とした学術論文が書かれました。

 

え?って感じです。

 

男性優位を維持・強化するためには

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

が適用され、恥も外聞もなく

手段を選ばない状況になっている感じです。

 

 

女性を「世界の不幸の原因」とする偏見

②女性は劣った存在の主張のひとつです。

 

アドラーによれば、

それは例えば

ホメロスの「イリアス」です。

 

このお話は

「トロイの木馬」でよく知られています。

 

この戦争の発端となったのは、

トロイアのパリス王子が

スパルタのヘレネ王妃を

連れ去ったことです。

 

男性優位から見れば、

ヘレネ王妃さえいなければ

この戦争は起きていなかった

となってしまうのです。

 

でも、

パリス王子が連れ去らなかったら

ヘレネ王妃はそのままスパルタで

暮らしていたわけで、

戦争の発端はこの王子がつくったとも

見ることができます。

 

男性優位社会は

王妃ばかりに注目して

王子には注目しないように

作用しているわけです。

 

このようにあらゆる時代の

伝説や物語は、

女性が道徳的に劣っていること、

悪徳、悪意、不実、気まぐれ、

信頼できないことを指摘している、

アドラーは指摘しています。

 

アドラーの時代においては、

法律制定する際に

女性的軽率」を引き合いに

出されていたそうです。

 

男性優位社会では

男性は女性より優秀と見るため、

「男性的軽率」は見ないのですね。

 

 

女性は、有能さ、仕事の遂行能力

についても低い評価しかされないのが

”普通”でした。

 

それは慣用句や逸話、ことわざ、

ジョークにおいても

女性を劣った存在とする批判に満ちている、

とアドラーは指摘しています。

 

また、女性は、

好戦的、時間を守らない、

些細なことにこだわる、

愚かだとして、非難されています。

 

そういう人は女性に限らず

男性にだっているじゃないの、と

思うのですが、

男性優位社会では男性は、

このように扱われないのですね。

女性は劣った存在だと

証明するのは「無理」です。

 

なぜなら、

目的次第で男性が劣ることも

歴然としてあるからです。

 

そんな「無理」を押し通そうとするので、

男性優位を維持・強化したい人たちは

優れた頭脳を動員しました。

 

アドラーによれば、

スウェーデンの劇作家・小説家の

ストリンドベリ、

ドイツの精神科医のメビウス、

ドイツの哲学者のショーペンハウアー、

オーストリアの哲学者のヴァイニンガー、

に男性優位を支持させたそうです。

 

とくにヴァイニンガーは

「性と性格」において

激しく女性憎悪を示しています。

 

他には、男性優位と戦うことを

諦めた女性たちも、男性優位を

支持する側に立つことになります。

 

これは生き延びるためには

従順になる他に方法がわからない

という状況だと推測できます。

 

男性優位社会では

仕事の対価(報酬)についても

女性は劣った存在なのだから、

男性と同じであるはずがない、

男性より少なくて当然だ、と

するのが一般的でした。

 

仕事についても

目的に応じて男性の方が

劣ることだってありますから、

仕事の成果や質で対価の額が

決められることが普通なのですが、

男性優位社会の中でかき消されて

しまったのです。

 

■男性優位システムを手放すと真の安心が得られるようになる

男性優位による利益を享受している人は、

この「男性優位システム」がないと

生きていけないくらいに

思っていたのでしょう。

 

現代でも

そう思っている人もいるでしょう。

 

男性と女性をただくらべただけでは

優劣は決まらないのに、

男性優位が必要な人は

男性が優位と決めないと

都合が悪くなるわけです。

 

もともと

無理なことをしているのですから

いくら維持・強化しても

「これで安心」とはなりません。

 

これって

「相手より自分優先」な活動です。

 

いくらやったって

感じるしあわせは増えません。

 

ひととき自分が安心できるだけで、

次の瞬間からまた不安を感じます。

 

つまり、

男性優位を維持・強化する活動は

終わりがない活動であり、

いくらやっても安心できるときは

永遠にやってこないものなのです。

 

このシステムへの依存度が

高ければ高いほど、

男性優位を維持・強化する活動を

したくなるのです。

 

真の安心を得る方法は、

相手と対等な関係を持ち、

協力し合うことです。

 

互いが互いの存在を肯定すれば、

そこに居場所ができます。

 

その居場所にいると

自然と感じられる感覚が

真の安心です。

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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