今日は、
アドラーの教えてくれる
”分業”を基礎にして、
自分の価値を感じながら
生きるためには何が効果的か、を
書いてみました。

目次
・共同体の生を生きること
・人の価値は責任を果たす方法で決まる


■共同体の生を生きること

アルフレッド・アドラー
人について次のように
教えてくれています。

そもそも人は
一人で孤独に生きる存在ではなくて、
他者の存在」を前提としており、
共同体(人の集まり)として
生きる存在です。

そこには”分業”があり、
それぞれの人が
それぞれの場所で
自分の責任を果たすことで
生きていくことができるのです。

それは、
共同体として生きようとせず、
”分業”を否定する人を見れば
明らかです。

軽いものであれば、
無作法(失礼、非礼)、偏屈、乱暴
などです。

重いものとなると、
不良、変質者、奇行などで、
さらに重くなると「犯罪」となります。

このような否定的な行為をすれば
仲間の役割から脱落し、
平和の攪乱者となるだろう
、と
アドラーは指摘しています。

否定的な行為が
非難の対象となるのは、
共同体として生きることと
相容れないことだからです。

人として自然な生き方と
反対向きの生き方となるからです。

これは個人的利益を
優先しすぎるとやりがちな行為です


だから、
個人的利益はほどほどにして、
共同体の利益に注目する生き方の方が
自然な流れに沿った生き方なので
平和に生きやすいのです。

■人の価値は責任を果たす方法で決まる

アドラーは人の価値について
次のように言っています。

「人の価値は、
共同体の分業において
その責任(役割)を
どのように果たすかで決まる。」


人は優越性の追求をするので、
自分がよりよくなるために
あれこれしたくなります。

その「よりよくなる」が
共同体の利益に貢献する生き方、
すなわち、分業の責任を
適切に果たすことで実現しようと
するならば、
社会を結びつけるひとつの鎖となり
自分の居場所がある感覚を
感じられるのです。

そこでの”生産能力”によって
割り当てられる役割は変わるし、
役割によって得られる”居場所感”の
感じ方も変わるわけです。

しかし、
その「よりよくなる」が
個人的利益を追求する生き方で
実現しようとしてしまうと、
社会を結びつける鎖とならないため、
社会生活は崩壊へと向かいます

崩壊すれば
社会に貢献していないので、
社会貢献という意味で
価値をなさなくなってしまうのです。

アドラーは、
個人的利益の追求を
次のようにまとめています。

力の追求
(「自分は強い」を感じたい欲)、
支配欲求
(支配すれば安心できると信じてる)、
などの誤った考え。

人としての価値の
誤った判断基準を置く。
(個人的利益の追求を善とする詭弁)

自分の立場に
自分が合っていない。
(責任が過大または過少)


こうした
個人的で利己的な利益を
求めてしまうことが
個人的利益の追求であり、
自ら困難を生み出すような生き方
となってしまうのです。

つまり、
個人的利益の追求を
いくら頑張っても
自分の価値は高まらないので
生きることが苦しいままに
なりがちなのです。

自分の価値を感じるような
生き方をするならば、
個人的利益の追求ではなくて、
共同体の利益に
貢献しようとする生き方に
することです。

そこで鍵となるのが
他者への関心」です。

「他者への関心」があれば
どうしたら共同体の人たちの
役に立てるかが
見つかりやすくなるので、
貢献もしやすくなるからです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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