■自分の価値の見つけ方

アルフレッド・アドラーは
勇気について、こう言ってます。

「自分が勇気を持てるのは
自分に価値があると思えるとき。
そして、そう思えるのは、
自分の行動が共同体に有益と
思えるときだけです。」

つまり、
自分の価値を知るには
自分の起こせる行動の中で
共同体に有益なものを
見つけることです。



■価値を見つけない場合

自分の価値を見つけない場合は
コンプレックス系へと踏み出す
ことになります。

自分の価値を見つけない、
すなわち、
困難に立ち向かう心の力である
「勇気」を持つことがないので
その困難をいかに回避するか
という道へ進むことになります。

勇気を使うと
共同体に有益な行動をして
共同体感覚が高まります。

共同体感覚が高まると
劣等感を感じていたとしても
自然と消えていきます。

劣等感が消えていくので
その裏返しの優越感も
欲しいとは思いません。

従ってその後の行動は
「自分より相手優先」なものに
しやすくなり、
さらに勇気を持ちやすく、
共同体感覚はより高まりやすくなります。

しかし
自分の価値を見つけずに
勇気を使わないとなると、
共同体感覚は高まらないので
劣等感を感じていたら
その劣等感はそのままです。

劣等感があると
劣等感を紛らわすことや
その裏返しの優越感を感じることが
活動の目的となります。

劣等感を紛らわす活動は
劣等コンプレックスと呼ばれ、
優越感を得ようとする活動は
優越コンプレックスと呼ばれます。

どちらの活動も
自分の劣等感がまぎれるかどうか、
自分が優越感を感じるかどうか、と
「相手より自分優先」なものです。

「相手より自分優先」な行為は
「貢献」となりにくく
「奪う」などになりやすいので
孤立しやすくなります。

孤立することをアドラーは
「社会的な死」と言っています。

つまり
コンプレックス系へと踏み出すと
自分を「社会的な死」へと
進ませていることになります。

劣等感を紛らわすために
共同体を私的利用したり、
また優越感を得るために
共同体を私的利用したりすると
共同体の理解を得られにくいことは
簡単に想像できます。

なので
自分の価値を見つける取り組みは
自分を、さらには共同体を
しあわせにしていくことに
とても有益であるとわかります。



■自分は無価値と言いたいとき

「自分は無価値だ」と
相手に言いたくなったときは
注意が必要です。

それは
「自分は無価値」という弱さを武器に
相手を支配しようとしているからです。

強い人は
弱い人を助けるべきで、
それをしない強い人は
非難されるべき存在だ。

そんな社会通念みたいな
心理的力学を利用して
相手を支配するわけです。

「自分は無価値だ」と言われた相手は
言われた自分が何かしないといけないと
感じがちです。

そうして相手を支配できると
自分で抱える課題に向き合うことなく
その課題を相手に肩代わりさせることが
できるというわけです。

なので
「自分は無価値だ」と
相手に言いたいときは
相手の立場にも配慮することで
支配/被支配を回避しやすくなります。

その配慮は例えば
「別に何かさせようと
しているわけじゃない」とか
「つらくてこんなこと
言いたくなっちゃうんだよ」とかの
補足になるようなことも
伝えることです。

しかし一方で
「自分は無価値」と言いたい
ということは
「自分の価値を認めて欲しい」という
裏返しの表現であるかもしれません。

それなら素直に
「自分は共同体に何をしたら
貢献できるのかわからないから、
一緒に見つけて欲しい」と
相手に伝えると、
相手はとてもやりとりしやすくなります。

なぜなら
正体不明の課題ではなく
課題の中身がわかっているので
何をすると良さそうかを
考えやすくなるからです。



■今できることを見つける

自分の価値を見つけるには
今自分のできる行動の中で
共同体に有益なものを
見つけることです。

それはすなわち
「今自分がみんなのために
できることは何だろう?」と
創造的になることです。

それは
黙って話を聞くことかもしれません。

自分の意見を
「正解」とか「正義」ではなく
ただ「自分の意見」として
伝えることかもしれません。

ただ相手に
寄りそうことかもしれません。

行動してみて
結果、共同体の役に
あまり立たなかったとしても
それはやってみたからわかることで
意味がないことではありません。

その挑戦を非難する人がいたら
その人は優越コンプレックスを
使っているだけです。

「私だって、その気になれば
あなたのように行動を起こせるんだ」とか、
「私が本気を出せばあなたよりも
もっと有益なことができるんだ」とか。

そう言われたら
自分には価値があって
その人はその価値に魅力を
感じている、ということ、

すなわち
自分には価値があるんだ、
ということです。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



「ダメな自分」は結論じゃない。出発点だよ。
「ベーシック・ミステイク」を乗り越える
認知バイアスに振り回されない生き方