「なんで自分はダメなんだ」

そんな問いに
答えなどあません。

理想があるから、
それに対応した劣等が
よく見えているだけです。

「ダメな自分」を結論として
自分を責め続けても
しあわせは増えてはいきません。

しあわせを増やしていくなら
「ダメな自分」を感じた時に
自分は理想への出発点に立った、
そう確認して理想への一歩を
踏み出すことです。



「ダメな自分」を責めることは
自分自身を拒絶することになります。

拒絶されても、
消えるわけではありません。

消えないために
拒絶もし続ける必要があります。



例えば、理想が
重たい物を持ち上げる自分。

でも、筋力なくて
今は持ち上がらない。

十分な筋力がない自分を
「なんで筋力ないんだよ!」と
責める。

責め続けても、筋力は変わりません。
減ることはあっても、
増えることはありません。

責め続けて得られる利益は
「努力している自分」を
周囲へ見せて
注目を集めることくらい。



注目を集めることは
当初の理想ではありませんから、
いつまでも理想は実現せず
しあわせも増えてはいきません。

しあわせを増やすなら
筋力増やす行動計画を
今から実行することです。

その行動計画の出発点は
今の自分です。



今の自分は、
理想とくらべれば
ダメな自分です。

そのダメな自分を
拒絶せずに認めないと
出発点も定まりません。

つまり、
ダメな自分は
理想を持つに不可欠な存在
ということです。



理想と劣等感は
セットです。

今、理想に達していたら
それは理想ではなく
現実です。

現実は理想になりません。


「今の自分に無いもの」が
「ある」おかげで
理想を持つことができます。

理想に対して
今の自分は必ず劣っているわけです。

劣っているから
劣等感を感じます。

劣等感は
持ってはいけないものではなく
理想の存在を裏付けてくれる
大切な感情です。




私は小学生の頃から
勉強がイヤでした。


なぜなら
当時の私の家庭では

好成績を実現すると
親だけの手柄となり、

悪い成績を実現すると
私一人の責任と
されていたために、

好成績にしたいけど
するとイヤなことが起きるから
したくない、
という状況だったからです。

どのくらいイヤだったかといえば
死ぬほどイヤでした。

手に持つ包丁を見つめながら
生きたい気持ちと
死にたい気持ちを
交互に感じるようなときも
ありました。



テストで点数が悪いので
教師に嫌味を言われたり
ときになぐられたり、
クラスメイトと勉強の話になると
逃げ出したり、
そんな状況でした。

なんて自分はダメなんだろう。
心の中で何度唱えたことか。


しかし、この状況が続くのは、
自分がかわいそうすぎる。
状況を変えたい、と切望してました。



高校生の頃、
「親と関係なく勉強できるのでは?」と
思いつきました。

この頃は
「自分を犠牲にしてでも親を喜ばせたい」と
本気で思っていたなんて
気づいてもいませんでしたので、
いろいろと親に共有していました。

その中で、意図的に
親にテストの話をしたり
採点された答案を見せないことは
できるのでは?と思いついたんです。



ちょうど数学で
新しい分野に入ったので、
この分野でなら試せると思いました。

勉強してる姿を
親に見られないように注意しました。

教科書の復習と
問題集を繰り返し解くことを
続けました。

日々、こつこつ続けました。



いざ、テストの日。

配られた問題を見て
ほとんどがすぐにわかりました。
すてきな感覚です。

こんなにテストの時間が
充実したことなんて、今までなかった。
不思議な感覚のまま、
テストは終わりました。



後日、答案が採点されて
戻ってきました。

確か、78点とかでした。

100点じゃないんだ...
とちょっと高慢な自分。
そんな自分も珍しいので、
不思議な感じ。


担当教師が言うには
「テストは相対評価をしたいので
難しくしました」とのこと。

クラスメイトに点数訊くと
ほとんどが40~60点くらいでした。

教師が恐ろしくて
直接確認できませんでしたが、
「学年最高点が80点くらいだった」と
試験の総評の中で言ってたので、
私はかなり高得点だったとわかりました。



そして、自宅に帰ると
親に「自分すごいだろ」と
言いたくなる気持ちを抑え込み
その日を終えました。

翌日の目覚めは、
最高の気分でした。


その後もこの件は
親に言っていません。

思い出すたびに
なんだかうれしくなります。




ダメな自分は、
悪ではありません。

理想があるから
自然に「ダメ」と見えるのですね。

勉強して好成績をとれる自分、が
理想でした。

何てことはない
ただの学校のテストで
その理想が形になった。

ダメな自分の存在を
拒絶せずに認めたことで
理想実現の一歩を
踏み出せたのですよね。



今の自分を
拒絶せずに受け入れることを
心理学では

「自己受容」
(じこじゅよう)

といいます。


完全になりたいなら
今の不完全を100%肯定したい。

過去の自分が思う完全を
手にできたときは、
さらに未来の完全から見た
今の不完全を100%肯定して、
さらなる完全へと進んでいきたい。

今の不完全なことを
肯定することこそ
完全なことなのかも
しれませんよね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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