努力を認めてもらえると
うれしいですね。

それは、相手が自発的に
認めてくれるから。



でも、快楽欲しさに
努力を認めさせようとしてしまうと
相手は認めることが難しくなる。

せいぜい認められても
「認めさせようとする努力」くらい。


認めて、と来るのが
自分の子なら適度に応じたいが
自分より歳上だったり
目上だったり、立場が上の人だったりすると
優位な立場に乗じたハラスメントされてるかも。




私の体験したのは、こんな感じ。
認めないと、クリエイティブにいろいろと仕掛けてくる。

自分の努力を認めさせようとしてくる
→認めない

認めない態度を非難して、認めさせようとする
→認めない

感情を使って(怒り出して)認めさせようとする
→認めない

脅して、認めさせようとする
(家から出てけ、とか、メシ食わしてやってんだ、とか)
→認めない

一方的に認めないことは悪(有罪)
認めてもらえない自分は被害者(善・無罪)と
沙汰を下して立ち去る。
(おぼえてやがれ!みたいな感じ)
そして、やがて何かの理由をつけて再び来る。

ひどいときには、コミュニティの中で
「この人、認めてくれないんですよ」と
発表され、精神的な圧力を与えてくることも。



一度、認めると
同じ手段でなら認めてもらえると学習するので
再び認めてもらおうと来ることになる。

さらには
認めてもらえると、距離が近いと思い込んで
こちらが入って欲しくない距離まで
ずかずかと入ってきてしまったり、
その行為がエスカレートしてきたり。




なので、
迫られたら認めない態度を貫くことが大切。

どんなに強い力で叩いても
微動だにしない、てこでも動かない
そう相手が思ってあきらめるまで貫く。

そうすると「認めて」の矛先から
自分が外れていく。




そもそも「認めて」の欲は
親に満たしてもらうもの。

その欲の源をさぐったりして
ケアするのは、本人の課題。

十分にケアしてあげれば
「認めて」の欲も軽減され
他人に要求するほどでもなくなる。

でもそれは大変だから
簡単にできる方を選びたくなる。

簡単なのは、身近な
認めてもらえそうな人に
「たかる」こと。

「たかる」の対象に
自分がされるのは、
完全にイヤですよね。



努力を認めてもらいたくなったら
自分にケアが必要な予兆かもしれませんね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。


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