認知バイアスとは
偏見、です。

「自分にも認知バイアスがある」と
その存在を認識できると
振り回されないで生きることが
できます。



認知バイアス。

それは
人それぞれに
かたよった見方、
受け取り方、
捉え方をしている、
ということです。

なぜなら
ライフスタイル
人それぞれ違うから、
です。



すれ違いざまに
その人が笑った。

「自分は相手に好かれやすい存在」
「人は他人を大切にするもの」
「肯定的に受け取ると、楽しい」

こんなライフスタイルの人なら
その人が笑ったことは
「何かいいことあったんだな」
「自分は何か良い影響を与えた」
など、肯定的に受け取るでしょう。


反対に、
「自分は嘲笑の的になりやすい」
「人は他人を笑いのネタに使うもの」
「嘲笑から自身を守らねばならない」

こんなライフスタイルの人には
その人が笑ったことは
「自分を嘲笑したに違いない」
「なんて失礼な人なんだ」
「ひどい人だ」
など、否定的に受け取るでしょう。


人それぞれに
フィルター越しに
世界を見ているんですよね。



普段から
フィルター越しに
世界を見ているわけですが、

あまりにも当然すぎて
その存在を忘れがちです。

眼鏡をかけていると
そのレンズの存在を
いちいち認識しないのと
同じです。



見え方の調整や
目を保護するために
眼鏡をかけます。

以前、眼鏡がない!と
必死に探していて、
顔に手をやったら
すでに眼鏡をかけていたことが
ありました。

そんな自分に
笑ってしまいましたが
探しているときは
目の前のレンズの存在は
まったく認識していませんでした。

普段から当たり前の存在なので
その存在を忘れてます。

眼鏡をかけながら
いちいち
「今私は眼鏡をかけている」と
認識し続けていたら
他の活動に影響しますから、
忘れることで
活動しやすくしているんですね。

このレンズみたいに
心にも「認知バイアス」という
フィルターがあります。

同じように
忘れることで効率化しているんですね。



「認知バイアス」に
振り回されないためには

「自分にも認知バイアスがある」と

その存在を認識することです。


近くで誰かが笑ったときに

認識できていないと
「また嘲笑された。いやだな...」と
受け取ってしまったり。

でも、
認識できていると

「自分は否定的に捉える
認知バイアスがあるから
悲しい気持ちになるときもあるんだ」

と、渦中に吞み込まれずに
俯瞰の視点から全体を見ることが
できます。


全体像が見えると
見えないときよりも
その時に列挙できる選択肢が
増えます。



認識できていないときは
悲しみを紛らわせようとしたり
そんな自分を責めたり
怒りに変えて、
何かにぶつけてみたくなったり。

でも
認識できていると
「自分は嘲笑されていない場合」の
選択肢も見えてきます。

「あの人は笑顔が標準の表情かも」
「嘲笑する以外の笑いもある」
「知らない人を嘲笑する利益なんて
ないんじゃないか」
「嘲笑されるほどの情報を
その人は持っているはずがない」
などなど。

認知バイアスの支配下にいると
見えないアイデアですね。



25歳の頃、
よくこんなことを言われました。

「ぜったい彼女いるね」
「結婚して子供もいそう」

落ち着いてて
穏やかな雰囲気だったために
会う人、会う人に
言われてました。

...いやいや、
結婚どころか、彼女も
いないんですけど...

そう言ってみても
「うそ!ありえない!
私はぜったい信じないから」
なんて言われてしまいます。

本人が言っていることを
信じてもらえないなんて、
どうにもなりませんね...


横から私を知る人が
「いや、ほんとだって。
この人、彼女もいないから」
なんて言ってくれると、
ようやく私が言っていることが
本当だと理解してくれます。

本人の言うことより
本人以外の言葉を信じるなんて
これもどうにもなりませんね...



そんなことが
積み重なって
「人は私の話を信じない」
そんな認知バイアスが
育っていきました。

私の言うことが事実であると
口添えをしてもらったり、
証拠のように一筆書いてもらって
それを見せながら話したり
してました。

まさに
認知バイアスに支配されてました。



その後、あるときに
職場の上司から

「お前が一発
  『本当です』と
本気で言えばいいんだよ」

と言われ、目が覚めました。


「人は自分の話を信じない」を
自分が信じていることに
気付いた瞬間でした。

自分自身が
100%自分を信じ切れていない。
その不信が相手にも伝わって
いたのかもしれません。



人の話を
聞いたその場で
「信じない」と言うなんて
まったく失礼な話です。

失礼なことを助長する側に
自分までがまわるなんて
おかしいことだ。

自分は自分の味方なのに
敵対していたために
苦しかったんですね...



「私?彼女いませんよ」

「嘘でしょ、信じられない」

「本当です。」

「あ...そうなんだ。」


本気で言う、ということが
大切だったようで、

目線を外すことなく
まっすぐ見ながら
力を込めて言うと、
相手は信じてくれるように
なりました。

言った言葉を
その場で嘘扱いされるのは
自分が醸している
「本気じゃない雰囲気」の
ためだったようだと、思いました。



今も私たちは
何らかの認知バイアスを持って
生きています。

生き延びるために
必要な心の機能です。

でも、
接した相手が悲しくなったり
自分が悲しくなたったりしたら、
望まない認知バイアスに
支配されてしまっている
かもしれません。

そんなときは
自分の認知バイアス、
すなわち
今の自分は
どんな偏見を持ってるのか、を
確認するタイミングなのでしょうね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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