アドラーが言った補償とは
劣等感を燃料として
理想を実現するために
前進すること、です。



劣等感を感じることは
自分が生きる意味や目的、
そんな命に直結するような
理想が関係しています。

どうしても実現させたいことに
直面すると
今できていない自分が良く見えて
それだけ劣等感も感じます。



例えば
金メダルが欲しい。
意味とかよくわかんないけど、
とくかく欲しい。

そのためには、
このくらいできないと無理。

その水準に達していない自分が
今ここにある。

やればやるほど情報が増えて
その水準に達することが
どれほど困難なのかを
実感する。

そのときは
劣等感もそれだけ大きくなります。




その劣等感を承認し、
現時点の自分と
理想の自分との差も承認し、
どのくらいの時間で
何をどうのようにしたら
その理想に到達するのかを
まっすぐに見る。

できる可能性があることも
見えてくる。

簡単に手に入る理想は
理想として見ていない。

入手困難な理想だからこそ
理想という目的にしている。

実現のためには
全身全霊で挑まねば。

自然と真剣になる。



もちろん、競争だから
他の人が自分よりも
好成績を記録すれば
金メダルはその人のものになる。

そうなる未来も、ある。

その未来は
自分の手を緩めれば、実現する。

でも、それが欲しいわけじゃない。

欲しいのは
自分が金メダルを手にする未来。

だから、今できることを
今やる。

例え、どんな困難が
立ちはだかろうとも...



補償とは
その困難を
自分を鍛える試練、のように
認めて乗り越えていくことです。

理想への道には
困難があります。

その困難を
「できない理由」として
もっともなことだと周囲に話すことで
理想の実現を先送りにすることは
容易です。

「それなら、しょうがないよね」と
理解を示してくれる人もいるでしょう。

「大変だったね」と
ねぎらってくれる人もいるでしょう。

「そんなやさしさが欲しいこと」と
理想がすり替わっていたりすることも
あったりしたり...



本当に欲しいものが手に入ると
その先どう生きたらいいのか
わからない。

そう思って、劣等感を
できない理由に利用したくなることも
あるでしょう。


でも、それは手に入ってから
取り組む問題であって、
取り組む前から問題とするのは
劣等感をできない理由に
利用していることと同じに
なってしまいます。




私は婚姻関係があった頃、
子供を平和に育てること、
平和に暮らすことが理想でした。

元配偶者のDV・虐待が
日常的に家庭にあったからです。



配偶者同士の問題と
子供の福祉の問題は別で、
離婚は配偶者同士の問題とされてます。

何の準備もなく離婚すると

「子供は父親よりも
母親と暮らす方が幸せ」

という
杓子定規な定義に従って
子は母親と暮らすことが
原則となってます。(謎)


また、

「DVや虐待といった暴力は
男性が女性にするもの」

という強い偏見に直面することも多く、
苦しい状況でした。

なので安易に離婚をすると
子供は母親と暮らすこととなり、
母親の癒しの道具のように
利用され続けることになってしまいます。

こんな状況を理由に
「理想の実現なんて、無理だ」と
絶望する日々でした。



「こんな状況の自分は大変なんだよ」と
やさしさを求めて行動した時期も、
あります。

しかし、
表面上やさしさを示してくれても
この状況を変えるレベルで
関係してくれる人はいませんでした。



行政の家庭支援サービスに
カウンセリングがあることを知り、
利用したことも、あります。

行政に助けを求めたときに
紹介してくれました。

60代っぽい女性が
やさしく接してくださり
ボロボロの自分には
ちょっと休めるような
ありがたい場でした。


「話を聞くことしかできないけど、
ここで何でも話して、
すっきりしていきなさい。
洗濯よ。心の洗濯。」と
言ってくれました。



週に1回、1時間のカウンセリング。
カウンセリングといっても
ただ話を聞いてくれるだけ。

それでも、他に言えないことを
話すことができたので、
気持ちは紛れてました。


「何回来てもいいですよ」と
言ってくださったので、
1年近く利用させていただきました。



そんなある日、こう言われました。

「あなたは利用が長すぎる。
他にも利用したい人がいるから
もう来ないで欲しい」と。




急に、なんで?
と衝撃でした。

先方にも事情はあるのでしょうが
大丈夫と言われた範囲で利用していたのに
その前提が突然ひっくり返されるとは...


そこで気づきました。

自分は、この状況を
「理想を実現できない理由」に
利用していた、と。



相談すると不可能と言われ、
自分でも不可能と思っていた理想。

それに向けて自分は進むのではなく
先送りすることしかしていなかった。

この突然の打ち切りは、世界が
「できるから、やってみなよ」と
教えてくれたんだ。

そう思い、依存的な心を改め
理想に向けて進む決心をしました。



結果、奇跡とも思えるような
幸運に恵まれて、
今こうして子供とふたり
平和な暮らしを送ることが
できています。


DV・虐待から解放されて
わかったことがあります。

それは、
DV・虐待を経験したことは
自分の力として役立つ、
ということです。


経験しないとわからないことが
経験したのでわかる、ということです。

この経験は
メンタルコーチの基礎として
今は力強く役立ってくれてます。




補償って
なんだか慣れない言葉ですが、
劣等感を感じたら
この「補償」を思い出してください。

目線が足下から
未来へと、移るはずです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



《関連記事》
自分って、いつも新しくなってる
雨の日も、曇りの日も、晴れの日と違うだけ。
自分に、気が済むまで言わせてあげると、開ける
アドラー5原則:創造的自己
主体性の育て方