雨の日も
曇りの日も

晴れの日と
違うだけ。

善悪じゃなくて
違うだけ。




その上で
天気について
感じてる自分を
観察すると、

裸の自分が見えてくる。



良い天気
天気が良い

晴れたらそう
言うこと、多いですね。


何かと屋外活動に向いてたり
紫外線で殺菌されたり
青空が見えたり
景色が遠くまで見渡せたり

うれしいことが
多いからでしょうね。




でも、
あんまり晴ればかりだと
乾いてしまうから

雨降って潤う日は
うれしいですよね。

空気中のホコリも
雨で片付けてくれるから
吸い込んでしまう量も
減っていそうだし

湿度が上がって
のど・はなに良かったり

雨音が気持ちよかったり。

虹が空にかかったり。




曇りの日も
影がやわらかい写真を
撮るのに良いですよね。

気温が高い日だと
暑さがやわらいで
いいですよね。



天気は天気
善いも悪いもなくて
その存在は
ただただ、中立。


天気に感じる
快・不快は
自分の目的で
違ってくる。


陽射しが強くて
日に焼ける心配は
雨の日は減るから
ほっとする、とか

お出かけなのに
雨が降って
外の芝生に座れないと
がっかりする、とか。


鏡に映したように
天気を感じる自分には
本当の自分が映し出される。




その本当の自分も
同じように、
ただただ、中立。


自分を見て
善悪の裁きを
下してくる人がいたら

それは、その人の
目的に応じた善悪。


その善悪は
その人に必要だから
下している判断。


その人の目的によって
善かったり
悪かったりする。

そこに
自分が責任を
負うことは、できない。


その人の庭を
その人がどうしようと
その人の自由。

その人の
目的に応じて
つくった庭についての善悪を
自分に言われても
どうにもできない。

そんな感じ。



だから
自分に向けて
善悪を言ってくる人は

「今自分の課題に
向き合ってる人だな」と

寛容に見てあげられれば
心の平和の乱れは
少なくなるでしょう。



もちろん
自分が
自分に見る善悪も
自分の目的に応じたもの。

そんな自分自身も
「今自分は自分の課題に
向き合ってるんだな」と

寛容に見てあげることは
可能ですね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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