■収穫できる方が生きやすい
自分は自分を
しあわせにしないと
いけません。
なぜなら、
自分以外に
自分をしあわせに
する人が他に居ないからです。
自分をしあわせにしないで
放置しておくことは
周りにも迷惑になる
可能性があります。
なぜなら
しあわせでない自分は
「自分より相手優先」になりづらく
「相手より自分優先」になりやすいから。
例えば
畑で野菜を作って
たくさん収穫できたら
自分の飢えを満たせるばかりでなく
売ったりあげたりして
他の人の飢えも満たしてあげられます。
飢えが満たされると
しあわせです。
自分の飢えが十分満たされたら
他の飢えている人を
収穫した野菜を分けてあげて
助けることもできます。
でも
畑で何も作らず放置しておくと
何も収穫できませんから
他人の飢えはもちろん、
自分の飢えさえを満たせません。
飢えたままだと
しあわせだと感じられません。
そんな飢えているときに
他人の畑でおいしそうな野菜が見えたら
とにかく奪って
「とりいそぎ自分の飢えを満たす」を
したくなってしまいます。
■人の種類は4つ
アルフレッド・アドラーは
人の種類を4つに分けました。
①社会的に有用な人
②支配する人
③奪う人
④世の中から逃げる人
この中で最も
感じるしあわせが多いのが
①社会的に有用な人
です。
なぜならこれら4つのうち
唯一「自分より相手優先」な
種類だからです。
他の3つにくらべて
格段に感じるしあわせは
多いです。
「有用」とは、役に立つことです。
社会的に役立つ、とは
関係を持った相手の
役に立つ、ということです。
仕事で役に立つだけではなく
友人や家族に役立つこと、
例えば
「あなたといると安心する」
「手伝ってくれてありがとう」
と言われるようなことも
「有用」です。
そんな相手の役に立つ人は
相手に「そこに居てもいいですよ」と
思ってもらえます。
例えば
相手が、空腹の自分のために
今食事を支度してくれてるなら
その相手がそこにいることは
歓迎です。
相手に「そこに居てもいいですよ」と
言われる自分は、善い自分です。
相手にも喜んでもらえるし
今後もその相手とは
友好的な関係でいられそうだし
自分の居場所も得られてるし、
そんな自分は、自分から見ても
歓迎できます。
生存可能性が高まります。
それが「うれしい」という感情として
身体中で感じられます。
こんな状況が続いていくと
自然と感じるしあわせは
増えていきます。
一方で他の種類の人。
②支配する人、は
相手を自分の支配下に置いて
自分の目的を果たそうと
する人です。
相手のことより
自分ばかりを優先するので
相手からは
「そこに居てもいいですよ」と
思ってもらうことは困難です。
「そこに居てもいいですよ」と
思ってもらえないと
自分がそこに居ても良いかどうかを
自分で決めるしかありません。
一緒に居たくない相手なら
「そこに居てほしくない」と
態度か何かで示すでしょう。
それでもそこに居続けるなら
相手を自分の支配下に置けば
簡単です。
支配下に置いた上で
「自分はここに居てもいい?」と訊けば
相手は支配されてるので
「はい、いいです」と答えざるを得ません。
もし相手が支配下から
抜け出そうとするなら
それをできないように
はたらきかけます。
例えば
・自分の支配は善だと示す
・あなたのためにしてると示す
・支配下にいない人は悪だと示す
・嫌がらせる
・自分の無能を示す
などなど。
あなたがいないと
私はダメ、とか
私を見捨てるなんてひどい、
みたいな感じです。
自分の居場所がある感覚を
感じづらいので
感じるしあわせは増えにくいです。
③奪う人、は
相手から奪う人です。
奪うことは
「相手より自分優先」な行為です。
奪う、というと
相手の持ち物を
その相手に無断で持ち去る、
みたいなことが浮かびます。
そうした
相手からお金や物や手間を
一方的に奪うこと以外にも
奪い方があります。
例えば
約束を一方的に反故にすること。
待ち合わせの時間に
何の連絡もなしに
遅れてきて説明も謝罪もない。
それは相手の時間を
奪っていることになります。
そんな奪う人が
近くに居たら緊張します。
離れたいと思ってしまいます。
奪う人であると
「そこに居ていいですよ」と
思われることが困難です。
なので奪う人も
自分の居場所がある感覚を
感じにくいので、
感じるしあわせは増えにくいです。
④世の中から逃げる人、は
対人関係を持つことで
苦しい思いをするくらいなら
対人関係を持たない方がマシ、と
人との関係(世の中・社会)を
遠ざける人です。
相手との関係を持たないように
することは
「相手より自分優先」な状況です。
自分を守るので精一杯、
みたいな感じです。
人との関係が最低限なので
あれこれ言われたり
あれこれ訊かれたりしません。
でも
「そこに居てもいいですよ」と
言う人もいないので、
自分がそこに居ていいのかを
自分だけで決めることになります。
そんな状況では
自分に居場所がある感覚は
感じられません。
自分の知らないところで
「あの人にはそこに居てほしくない」と
思っている人がいるかもしれません。
反対に
「そこに居てもいいですよ」と
思っている人もいるかもしれません。
どちらも「かもしれない状況」なので
自分では判断ができません。
ずっと「かもしれない状況」なので
感じるしあわせは増えにくいです。
対人関係で苦しい思いを
するかもしれませんが、
反対の嬉しい思いも
対人関係を持たない限り
得られません。
■社会的に有用な道へ
つまり
自分をしあわせにしようとしない人は
②支配する人
③奪う人
④世の中から逃げる人
のいずれかになってしまう
可能性が高いわけです。
相手か自分が
支配したり
奪ったり
世の中から逃げると
上下関係になりがちです。
そうして
自分をしあわせにする方法が
それらの方法だけだと
自分をしあわせにすることが
「悪いこと」になってしまいます。
すればするほど
相手を利用し続けるか
自分を孤立へと追い込むからです。
でも自分も相手も
「自分が自分をしあわせにする」
という姿勢で関係を持てたら、
お互いに対等な関係になれます。
そんな対等な関係でつながって
お互いがお互いの役に立とうと
する関係なら、
いくら深めても何も問題ありません。
また、
感じるしあわせを増やす方法は
共同体感覚が高まることを
することです。
共同体感覚、
すなわち
自分の居場所がある感覚は
次の3つを増やすと
高まります。
①自己受容
「こんな自分もいるよね」
「こんな自分って好き」という感覚。
②他者信頼
相手は自分の仲間との感覚。
③他者貢献
相手の役に立てる、
または役に立った感覚。
自分の感じるしあわせを
増やすために「貢献」するのですから
自分に犠牲を出さない範囲で
「自分より相手優先」の基本姿勢で
望む限り、
いくらでも「自分をしあわせにする」を
しても何も問題ありません。
そして
相手(社会)と調和して
生きていこうと望むなら
「自分で自分をしあわせにしていく」が
とても大切になります。
自分を社会的に有用な存在に
していくことは、
自分にも、
周囲の人にとっても
すばらしいことなのです。
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ8年目、常楽でした。
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自分は自分を
しあわせにしないと
いけません。
なぜなら、
自分以外に
自分をしあわせに
する人が他に居ないからです。
自分をしあわせにしないで
放置しておくことは
周りにも迷惑になる
可能性があります。
なぜなら
しあわせでない自分は
「自分より相手優先」になりづらく
「相手より自分優先」になりやすいから。
例えば
畑で野菜を作って
たくさん収穫できたら
自分の飢えを満たせるばかりでなく
売ったりあげたりして
他の人の飢えも満たしてあげられます。
飢えが満たされると
しあわせです。
自分の飢えが十分満たされたら
他の飢えている人を
収穫した野菜を分けてあげて
助けることもできます。
でも
畑で何も作らず放置しておくと
何も収穫できませんから
他人の飢えはもちろん、
自分の飢えさえを満たせません。
飢えたままだと
しあわせだと感じられません。
そんな飢えているときに
他人の畑でおいしそうな野菜が見えたら
とにかく奪って
「とりいそぎ自分の飢えを満たす」を
したくなってしまいます。
■人の種類は4つ
アルフレッド・アドラーは
人の種類を4つに分けました。
①社会的に有用な人
②支配する人
③奪う人
④世の中から逃げる人
この中で最も
感じるしあわせが多いのが
①社会的に有用な人
です。
なぜならこれら4つのうち
唯一「自分より相手優先」な
種類だからです。
他の3つにくらべて
格段に感じるしあわせは
多いです。
「有用」とは、役に立つことです。
社会的に役立つ、とは
関係を持った相手の
役に立つ、ということです。
仕事で役に立つだけではなく
友人や家族に役立つこと、
例えば
「あなたといると安心する」
「手伝ってくれてありがとう」
と言われるようなことも
「有用」です。
そんな相手の役に立つ人は
相手に「そこに居てもいいですよ」と
思ってもらえます。
例えば
相手が、空腹の自分のために
今食事を支度してくれてるなら
その相手がそこにいることは
歓迎です。
相手に「そこに居てもいいですよ」と
言われる自分は、善い自分です。
相手にも喜んでもらえるし
今後もその相手とは
友好的な関係でいられそうだし
自分の居場所も得られてるし、
そんな自分は、自分から見ても
歓迎できます。
生存可能性が高まります。
それが「うれしい」という感情として
身体中で感じられます。
こんな状況が続いていくと
自然と感じるしあわせは
増えていきます。
一方で他の種類の人。
②支配する人、は
相手を自分の支配下に置いて
自分の目的を果たそうと
する人です。
相手のことより
自分ばかりを優先するので
相手からは
「そこに居てもいいですよ」と
思ってもらうことは困難です。
「そこに居てもいいですよ」と
思ってもらえないと
自分がそこに居ても良いかどうかを
自分で決めるしかありません。
一緒に居たくない相手なら
「そこに居てほしくない」と
態度か何かで示すでしょう。
それでもそこに居続けるなら
相手を自分の支配下に置けば
簡単です。
支配下に置いた上で
「自分はここに居てもいい?」と訊けば
相手は支配されてるので
「はい、いいです」と答えざるを得ません。
もし相手が支配下から
抜け出そうとするなら
それをできないように
はたらきかけます。
例えば
・自分の支配は善だと示す
・あなたのためにしてると示す
・支配下にいない人は悪だと示す
・嫌がらせる
・自分の無能を示す
などなど。
あなたがいないと
私はダメ、とか
私を見捨てるなんてひどい、
みたいな感じです。
自分の居場所がある感覚を
感じづらいので
感じるしあわせは増えにくいです。
③奪う人、は
相手から奪う人です。
奪うことは
「相手より自分優先」な行為です。
奪う、というと
相手の持ち物を
その相手に無断で持ち去る、
みたいなことが浮かびます。
そうした
相手からお金や物や手間を
一方的に奪うこと以外にも
奪い方があります。
例えば
約束を一方的に反故にすること。
待ち合わせの時間に
何の連絡もなしに
遅れてきて説明も謝罪もない。
それは相手の時間を
奪っていることになります。
そんな奪う人が
近くに居たら緊張します。
離れたいと思ってしまいます。
奪う人であると
「そこに居ていいですよ」と
思われることが困難です。
なので奪う人も
自分の居場所がある感覚を
感じにくいので、
感じるしあわせは増えにくいです。
④世の中から逃げる人、は
対人関係を持つことで
苦しい思いをするくらいなら
対人関係を持たない方がマシ、と
人との関係(世の中・社会)を
遠ざける人です。
相手との関係を持たないように
することは
「相手より自分優先」な状況です。
自分を守るので精一杯、
みたいな感じです。
人との関係が最低限なので
あれこれ言われたり
あれこれ訊かれたりしません。
でも
「そこに居てもいいですよ」と
言う人もいないので、
自分がそこに居ていいのかを
自分だけで決めることになります。
そんな状況では
自分に居場所がある感覚は
感じられません。
自分の知らないところで
「あの人にはそこに居てほしくない」と
思っている人がいるかもしれません。
反対に
「そこに居てもいいですよ」と
思っている人もいるかもしれません。
どちらも「かもしれない状況」なので
自分では判断ができません。
ずっと「かもしれない状況」なので
感じるしあわせは増えにくいです。
対人関係で苦しい思いを
するかもしれませんが、
反対の嬉しい思いも
対人関係を持たない限り
得られません。
■社会的に有用な道へ
つまり
自分をしあわせにしようとしない人は
②支配する人
③奪う人
④世の中から逃げる人
のいずれかになってしまう
可能性が高いわけです。
相手か自分が
支配したり
奪ったり
世の中から逃げると
上下関係になりがちです。
そうして
自分をしあわせにする方法が
それらの方法だけだと
自分をしあわせにすることが
「悪いこと」になってしまいます。
すればするほど
相手を利用し続けるか
自分を孤立へと追い込むからです。
でも自分も相手も
「自分が自分をしあわせにする」
という姿勢で関係を持てたら、
お互いに対等な関係になれます。
そんな対等な関係でつながって
お互いがお互いの役に立とうと
する関係なら、
いくら深めても何も問題ありません。
また、
感じるしあわせを増やす方法は
共同体感覚が高まることを
することです。
共同体感覚、
すなわち
自分の居場所がある感覚は
次の3つを増やすと
高まります。
①自己受容
「こんな自分もいるよね」
「こんな自分って好き」という感覚。
②他者信頼
相手は自分の仲間との感覚。
③他者貢献
相手の役に立てる、
または役に立った感覚。
自分の感じるしあわせを
増やすために「貢献」するのですから
自分に犠牲を出さない範囲で
「自分より相手優先」の基本姿勢で
望む限り、
いくらでも「自分をしあわせにする」を
しても何も問題ありません。
そして
相手(社会)と調和して
生きていこうと望むなら
「自分で自分をしあわせにしていく」が
とても大切になります。
自分を社会的に有用な存在に
していくことは、
自分にも、
周囲の人にとっても
すばらしいことなのです。
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ8年目、常楽でした。
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