■盗まないとしあわせになる

仏教には「五戒」という
在家の人向けに
「守るとしあわせになりますよ」
との約束事があります。

五戒だけに5つありますが
今回はその2「不偸盗戒」

「ふちゅうとうかい」と読み、
盗まない、という意味です。


■「盗む」とは

盗む行為は
「相手より自分優先」な行為です。

盗まれた相手が
困ろうがどうなろうが
お構いないしです。

盗む人と盗まれた人は
盗んだ後には
おつきあいするのは困難です。

盗むことを続けると
それだけおつきあいする人が
減っていきます。

まだ盗まれなくても
今後盗まれるかもしれないと
感じる人も
おつきあいは望まないでしょう。

盗んだもので
一時的に豊かになっても
おつきあいする人は減っていくので
孤立へと進んでいきます。

アルフレッド・アドラーは
「孤立とは社会的な死だ」と
言っています。

盗むことは
自分を孤立に追い込む、
すなわち自分を殺していくことに
等しいと言えます。

現代においては
刑法に触れるような
盗む行為はもちろん、
刑法に触れずとも
盗む行為に相当するものは
あります。

例えば
相手の許可を得ずに
約束の時間に遅れることは
相手の時間を盗んでいることに
なるかもしれません。

釣銭を余計に受け取って
その余計なお金を戻さずに
自分のものとしたら、
盗んでいることに
なるかもしれません。

相手が勘違いして
自分に何かを与えて
くれるものを、
その勘違いを正さずに
受け取ったら、
盗んでいることに
なるかもしれません。

「ご自由にお使いください」と
置かれたものを、
そこで使う必要以上に
持ち去ったら、
それは盗んでいることに
なるかもしれません。

盗むことは
相手に損失が出ようと
自分に利益が出れば良しとする
「相手より自分優先」な
感覚がその中心にある感じです。


■盗むより与える方が楽しい

相手と
「自分より相手優先」な姿勢で
かかわることで
感じるしあわせは増えます。

「盗まない」もその一つです。

でも「盗まない」をするだけだと
何もしないことになります。

代わりに何をすると
効果的かと言えば
「与えること」です。

お金や物を与えれば
相手はよろこぶでしょう。

でもお金や物を
与え続けていたら
自立し続けていくことが
困難になるかもしれません。

そのためにお金や物以外の
ものでも「与える」ことが
できます。

その詳細は
↓この記事にある「六度万行」です。
一日一善とは何のため?わかると人生がより楽しくなる話+楽しく継続するためのアイデア

他には、例えば
遅刻するとわかったら
すぐに相手に連絡を入れてあげる。

それを知った相手は
自分が着くまでの時間を
「待つ」以外に使うことが
できるようになります。

釣銭を余計に受け取ったら
「余計に受け取りました」と
返金したら相手は喜び、
感謝を示してくれるでしょう。

その喜びと感謝は
お金では買えないものです。

相手が勘違いして
自分に何かを与えようとしていたら
「勘違いしてませんか?」と
確認してあげる。

すると相手は自身の勘違いに気づき
喜び感謝を示してくれるでしょう。

その喜びと感謝は
盗むことで手に入れられるものでは
ありません。

対等な関係になろうと
やりとりをすることは
「自分だけの利益」を見たら
減りますが、
かわりに相手の喜ぶ姿や
相手からの感謝、
さらには信頼など、
お金で買えないものや
盗む方法では得ることが
できないものを
いただくことができます。


■「与える」は「生きる」が増える

盗まないは一緒に居ても
安心です。

盗まないどころか
「与える」をしてくれる人が
一緒に居たら頼もしいです。

自分の生存可能性を
高めようとしてくれる人は
大変ありがたい存在です。

そんなありがたい人には
自分も何かしてあげたいと
思います。

「盗む」の循環は
生存可能性が減っていく感じですが、
「与える」の循環は
生存可能性が増えていく感じです。

今の自分のできる
「自分より相手優先」を
することで、
感じるしあわせは増えていきます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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