はたらく人がしあわせな理由は
その「はたらくこと」の
恩恵を受けているからです。

その恩恵とは
共同体感覚が高まること、です。



共同体感覚を高めると
感じるしあわせは
増えます。

その高める方法は
・自分は自分でOK(自己受容)
・他人は仲間だ(他者信頼)
・私には力がある(他者貢献)

その3つをそろえると
「自分には居場所がある」と
感じることができます。

これらは相互に作用しています。



自分OKだから
相手もOKとできたり、

相手は仲間だから
協力しやすくなったり、

協力できる自分には
もっとOK出せたりします。

そんな中に
「自分の居場所」が
自然と感じられてきます。

そして
喜びや悲しみを
分かち合う人がいると
感じられてきます。

心が強くなる感じです。



お金がいくら手に入っても
共同体感覚は
お金では買えません。

自分で
実際に行動しないと
手に入りません。

対等な関係の人々が居て
その中で
自分OKを感じたり
相手を仲間と感じたり
相手に貢献して
自分の価値を感じたりして
自分には居場所があると実感する。

実感するから
より自分OK感じるために、
より相手を仲間と感じるために、
より相手に貢献するために、
今、自分は何ができるかな?
と思考し、さらに行動していく。

成功も失敗も
すべてが共同体感覚を
高めることに役に立つ感じ。



自分を曲げたり
相手を騙したり
相手を一方的に利用したりして
お金を得ても
共同体感覚は高まりません。

共同体感覚を犠牲にして
お金を得ても
満たされないのはそのためです。

自分や相手を犠牲にし続けても
お金を稼ぎ続けた人が
ある日悟ったように
お金への執着を手放したりするのは
それに気づいたからです。



しあわせは
買うものではなく
感じるものです。

一休さんのお話しで
お殿様がおいしい食事に
いい加減飽きて
「おいしい食事を出せ」と
家来に要求するものがありました。

お殿様なので
当時は生殺与奪も思いのまま
くらいに権力があった人ですよね。

そんな人から
「おいしいと感じさせろ」と
言われた家来は恐怖に震えたに
違いありません。

自分がおいしいと思う料理でも
お殿様が「おいしい」と
感じるかどうかはわかりませんから。

困った家来たちは
一休さんに相談しました。

一休さんは
「私にまかせてください」と
引き受けました。



一休さんはお殿様に
遠慮などせずに要求します。

「おいしい料理を食べるためには
やっていただくことがありますが、
どんなことでもやっていただけますか?」

お殿様は確認します。
「本当においしい料理が出てくるのか?」

一休さんは
「はい、必ず」

お殿様は
それなら何でもやるぞと
一休さんの要求を承諾します。



「それではまず、
薪(まき)を割ってください」

「割った薪を運んでください」

「井戸から水をくんで
お風呂に水をはってください」

普段は家来にやらせていることを
お殿様はさせられるので
怒り出します。

「そんなこと、やってられるか!」

それに一休さんは答えます。
「わかりました。それなら
おいしい料理も諦めてください」

どうしても
おいしい料理を
食べたいお殿様は
怒りに震えながらも
「本当に出てくるんだろうな?」と
確認します。

一休さんは穏やかに答えます。
「はい、必ず」

お殿様は
おいしくなかったら
殺してやろうと思ったか
どうかはわかりませんが、

怒りに震えながらも
汗を流しながら
薪を割って風呂に水を運びました。



「やったぞ、一休。
さあ、おいしい料理を出せ」

「お殿様、まだ終わりではありません。
その薪でお風呂を沸かしてください」

そんなことできるか!と
言って放り出しそうになっても
「おいしい料理が必ず出てくる」との
誘惑が勝り、
お殿様はお風呂を沸かします。



「できたぞ、一休。はやく出せ」

「はい。それでは
沸かしたお風呂に入ってください。
その間に準備しますので。」

お殿様は労働から解放され
喜んでお風呂に入って
汗を流しました。

さっぱりして
お風呂から出てくると
食事が用意されていました。

お殿様は
その食事を見て驚きました。

米のごはんと
漬物だけだったからです。



顔を真っ赤にして
お殿様は怒ります。

「なんだこれは!」

何が出てくるのか
すごく期待していたのに
米と漬物だけとは。

一休さんは
それに穏やかに答えます。

「まあ、そう言わずに
食べてみてください。」

どうせこんなもの
おいしいはずがないだろう。
食べてみて
それがわかれば
一休に責任を取らせてやる。

そう思って
食卓につきました。



お殿様は
一口食べてみて
驚きました。

すごくおいしいと
感じたからです。

それを感じたら
食べる手が
止まらなくなりました。

お米だけでも
おいしい。

何回も食べて
漬物も試してみる。

これもまた
すごくおいしい。

何回もおかわりして
食べ続けて
漬物もなくなりました。

さらにお湯をかけて、
夢中に食べ続けました。



お殿様は
ひとここちついた頃には
すっかり満足していました。

こんなに満たされた気持ち、
忘れていました。

なんでこんなにおいしいのか
わからないので
一休さんに訊きました。

「それは労働したからです。
労働すればお腹がすきます。
お腹がすいていれば
何を食べてもおいしいのです。」

お殿様は
こりゃ一本とられたと
笑ったとか、笑わなかったとか。



はたらくことからは
いろんな恩恵がもたらされます。

自分や相手に
犠牲を出さないように
取り組むことで
共同体感覚は高まっていきます。

お金のためだから、と
犠牲を容認すると
共同体感覚を高めることは
難しくなってしまいます。

お金もはたらく目的のひとつですが
共同体感覚を高まることも目的と
意識して取り組むと、
「はたらくこと」が
キラリと輝きます。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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