上下関係で生きる人は
「上下の上」でいないと
生きていけないと
信じています。



そのため「上下の上」に
なるために常に努力します。

対等な関係で生きる人には
ない努力です。

対等な関係で生きる人が
日常的に感じる安心や平和も
上下関係で生きる人は
努力しないと入手できません。

「上下の上」でいることは
死活問題ですから、
そこに注ぐ力もかなりのものです。

その方法を
アドラー心理学では
5段階あるとしています。

今回は4段階目の
「嫌がらせる」です。



最初は好評価を得ることで
「上下の上」になろうとします。

そこで好評価を
得られない状況が続くと
次の段階「目立とうとする」に
移ります。

共同体の中で
人々の注意・関心を
集められれば「上下の上」に
なれると信じているわけです。

「目立とうとする」を
やり続けて成果が上がらないと
次の段階「権力争いに持ち込む」を
します。

権力争いに持ち込んで
相手に勝てば「上下の上」に
なれると信じているわけです。

その権力争いに
どうやっても勝てないと悟ると
次の段階「嫌がらせる」に
入ります。



第3段階の
「権力争いに持ち込む」までは
正々堂々と勝負を申し込むがごとく
正面から相手に向かうものでした。

でも第4段階からは
ゲリラ戦に入ります。

正々堂々ではなく
夜討ち朝駆け、奇襲戦法です。

また、第2段階では
「目立つこと」が目的でしたが
ここでは「相手が嫌がること」が
目的です。

自分を「上下の上」にしないと
どうなるかを相手に
思い知らせてやろうとします。

相手が困る顔を
すればするほど
うれしくなります。



嫌がらせる方法は
千差万別です。

嫌がれば何でも良いので
軽いことから始まり、
なかなか嫌がらないと
その強度を上げていきます。

相手の物を隠す
相手の物を盗む
相手の物を壊す、のように。

故意に約束を反故にしたり
支離滅裂なやりとりをしたり
さらには相手に暴力したり。

それでも嫌がらせることが
できないと悟ると
その矛先が自分自身に向きます。
自傷する状況です。
自傷することで
相手に嫌な思いをさせます。

自分を悪く言う。
自分を叩く。
自分を傷つける。

もうここまでくると
専門家の力を借りるくらいしか
状況の改善が難しい状況になります。



嫌がらせると
自分が相手にとって
特別な存在になります。

相手の特別な存在になる
すなわち、

相手より自分が上、と
なるわけです。

好意的な気持ちで
自分を特別な存在扱いしないなら
もう試合は捨てて
憎まれたり恨まれたりしてでも
自分を特別扱いさせようとします。

憎まれたり恨まれたり
すればるほど関係が
強くなっていくことを
利用しようと考えます。



私の幼い頃、
親に何をやっても
好評価されず、

だから目立とうとしても
目立つことができず、

権力争いに持ち込んでも
「見捨てられる恐怖」がある限り
権力争いに勝てないと悟りました。

自然と「嫌がらせる」の
段階へと入っていきます。



「見捨てられる恐怖」があるので
親が本気で見捨てようと
しない程度に嫌がらせをします。

今考えると
矛盾してますね。

わざと返事をしない。
目線を合わせず顔を見ない。
言われた通りにしない。

すると親は嫌がります。

でも本気で嫌がっていない。
だから強度を上げていきます。



親の大切なものを
乱暴に扱う。
でも、やり返されたら怖いので
なんだか中途半端。

親の物を
勝手に移動させる。
すると「ないない」と
困った顔をする。
嬉しい。

でも満たされない。

あるとき
言い争いになり
私が絶対にやらないと
親も私も思っていたことを
やりました。

それは「ポットを投げる」です。
お湯を入れておいて、
上を押すと注ぎ口からお湯が出る、
アレです。

中がガラスでできているので
投げれば割れます。

それをやりました。

投げると、
がちゃん、と音をたてて
壊れました。

親を嫌な気持ちにさせられて
一瞬嬉しかった。
でも、ポットが壊れたことは
ひどく悲しかった。



母親の大切にしていた化粧品。

3歳くらいの頃、
あんまり頭にきたので
右手に持った化粧品を
左手に持った化粧品の中に
つっこみます。

使えなくなって
ざまあみろ、と思った。
母親は悲しんだので
嫌がらせは成功した。
でも、ひどく悲しい気持ちを感じた。



成人になると
自分を憎ませるくらいに
親を嫌がらせることが
できていなかったので
その強度も増していきます。

直接的な嫌がらせは
復讐も怖かったので
その矛先は自分に。

・タバコを吸いまくる
・酒を大量に飲む
・家に帰らない
やると親は嫌がりました。

肺炎になって
死にそうになりながら
3週間寝込んだことがあります。

死にそうになって
ひどいセキしたり
食事もとれなかったりして
寝込んでいると
親はうろたえて右往左往します。

そんな中、
親が困った顔をするのは
愉快でした。



親が嫌がるのは
最高に気持ちよかった。
困った顔を見るのは
本当に楽しかった。

ざまあみろ。
ちゃんと本当の私を見ないと
どうなるかわかっただろう?

さあ、ちゃんと
私を特別扱いしろよ。
しないとまた嫌な思いを
することになるぞ。

そんなことを思いながら
不安も膨らんでくる。

親が本気で
自分を見捨てたらどうしよう。

親が本気で
自分に殴りかかってきたら
どうしよう。

嫌な思いをさせたのだから
自分は嫌な存在だ。
親も復讐してくるに違いない。

また、
父親のこの人や
母親のこの人は
自分をちゃんと扱ってくれないから
どうでもいい人たち。

でも「親」という存在は
本当に大切な存在。

この人たちに
嫌な思いをさせるのは
愉快なことだけど、
「親」に嫌なことをすることは
やりたくないこと。

自分の中で
矛盾がぐるぐる回り続ける。



その5に続きます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。


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