目の前で起きることを
拒絶して
自分の都合に
合わせるために
行動する。

しかし、
目の前で起きたことは
拒絶や否定をしたって
消えるわけがないため
苦しい思いを
することになる。

なので、
目の前のことは
まず「OK」と
その存在を認めると
その苦しさから
解放されるでしょう。



アルフレッド・アドラーは

人はライフスタイルを変えずに
世界を自分のライフスタイルに
合わせようとする、

と言っています。



人は約束を守らない、と
信じている人は

守って欲しい約束があれば
執拗に確認するでしょう。



人は話を聞かない、と
信じている人は

聞いて欲しい話があれば
注目するよう
強く働きかけるでしょう。



怒ると相手を支配できると
信じている人は、

相手との関係で
劣勢を感じると
すぐに怒り出すでしょう。



自分が柔軟に
状況に応じて変わるのではなく

その状況を
自分のライフスタイルに
合うように行動するんですね。

サバイバルするために
せざるを得ない、と
信じているわけです。


ここから抜け出すには
自分を状況に合わせずに

状況を自分に合わせようと
自分は行動している、と
知ることです。



私が幼い頃、
私の父親は
何か都合が悪くなると
自分が優位になるように
お決まりの行動を
していました。

まずは「困る」です。



父親が困る状況を
生み出した子は悪い子だ、
という構図を作って
自身が優位になろうとします。


「それじゃ困る」
この一言に何度もヤラれました。

探しものが見つからず
「探して」と言われて
協力して探していると
私に向かってこう言いました。

「見つからないと困るよ」



私がなくしたみたいに
言われて、頭が真っ白に
なりました。

目的が
探し物をみつける、から
子にマウンティングする、に
なっている感じです。

子を悪役、
自身を善い役とすることで
優位に立とうとするわけです。



「困る」「困る」と言われ
困らせている自分は悪なんだ、と
本気で思っていました。

父親を困らせてはいけない。
母親にもそう言われている。

父親に捨てられたら
生きていけない。

困らせするぎると
捨てられてしまうに
違いない。

「困る」と言われるたびに
恐怖ばかりが増していきます。



さんざん言われ、
さんざん探してみて
見つからず。

母親が参加して
探してみると
不思議と見つかったり。


「僕のこと悪く言わないで」

そんなことを言ったことも
ありますが、

「そんなことは言ってないよ」
と言い返されて

自分が悪いとの思いを
深めるばかりでした。



成長して
失礼な扱いに腹が立ち、

「なくしたのは俺じゃないのに
そんな言い方されるのは、いやだ」と
強く言いました。

ここで2段階目が出てきます。

それは「怒る」です。



父親は
「怒ると子を支配できる」との
信念を持っているようで、

立場が悪くなると
すぐに怒り出します。


「なんだかんだ言うな!」

そう怒声をあげるだけで
家族は静かになります。

他の人は知りませんが
私は父親が怒り出して
そのまま見捨てられたら
死ぬしかない、と
本気で思っていましたから

怒り出すと
それ以上怒り出さないように
自分を殺すようにしてました。



父親は
その雰囲気に満足すると

「おとうさんは
お前のこと大事に思ってるよ。
ね、わかった?」

は?
大事に思う相手に
わざわざ怒りはぶつけないだろ、
と思いながらも、
見捨てられないように

「わかったよ」と
答えていました。

自分を自分で切り刻むような
痛みを感じながら...



父親は
私に知恵や知識がない頃は
「困る」と「怒る」の
2段構えで支配して
自分だけの安心を勝ち取っていました。

しかし
私に知恵や知識がついてからは
状況は変わります。


「見捨てられると死ぬ」
「父親は見捨てる人だ」
「親を困らせてはいけない」
「困らせる子は悪だ」
そんな信念を
自分が持っていると気づき、

その気づきとともに
父親への態度も
変わっていきました。

自分のライフスタイルの更新です。
これが意外とつらかった。



「父親が困る」
→「困らせてはいけない」
という信念を

「父親が困る」
→「困りたいのだから
  困りたいだけ困らせてあげる」
と変えてみました。

熱いヤカンを触ったら
反射的に手を離すように、

父親が困ると
それをなんとかしたくなる自分が
います。

困る、を認識して
なんとかしようと行動を起こす。

この、認識と行動が
反射のようにひとつだったのを

自分を観察し続けていくうちに
認識、と、行動、とに
わけられることを
自分に教えることができました。



探し物がない。
父親が協力を求めてくる。
一緒に探してあげる。
みつからない。
すると、いつものように
「困る」

私がなくして
父親を悲しませた、のような
言い方。

聞くだけで苦しくなる。

見捨てられるかもしれない。
怒り出して暴行されるかもしれない。
家庭の中で差別扱いされるかもしれない。
いろいろと不利な扱いされるかもしれない。

いろんな恐怖を感じました。

そこを踏みとどまって
「そんな言い方するなら手伝いたくない」
と言いました。

くるりと背を向け
その場を離れます。



背中に怒声が飛んでくる。

支配から逃れさせまいとの
意思を感じる。

でも、やだよ。
これ以上自分を殺したくないから。

「父親の役に立ちたい」
「父親を悲しませたくない」
いつもと違う自分を殺して
必死にその怒声から逃げました。


その後は
父親に会うと
これをネタに
支配しようと迫ってくるため
父親と顔を合わせないように
必死の日々でした。



さらに成長して
心理的な力学を理解してからは

「困るよ」
と言われると
「困ればいいんじゃない?」
と言い返す。

「困ってるって言ってるんだ!」と
怒り出すと
「何怒ってるの?」
と言い返す。

それには「怒ってないよ!」と
怒声が返ってくる。

「ほらほら、怒ってるじゃない。
話をしたいなら、まずは普通に話してよ」
と言うと父親は鼻白んで
言い返せなくなる。


そんなことを何度も繰り返すと
父親も自分の幼稚に気づいたようで
徐々に話し合いから
怒りが減っていきました。


家庭で偉ぶるなら
そんな学びは外でして、
その学びを家族に還元して
欲しいところですね。

子に犠牲を払わせて
コミュニケーション学んで
どうするんだよ、父親。
そんな思いでしたね。



ライフスタイルは
一度完成すると
自ら進んで変えようとは
なかなかしません。

変えようとするのは
状況です。

それを知っていると
何か変えたくなったときに
状況を拒絶している自分に
気付くことができます。


気付けないときには
出てこないアイデアも

気付けると
状況を見る視点や
捉え方、解釈などを
変えてみることで
見出すことができます。

いやいや、
そう思うと
コーチングはすごいですね。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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