『能力者憲章』 ①、 ②、 ③、 ⑤、 ⑥、 ⑦、 ⑧、 ⑨、 ⑩、 ⑪、 ⑫(終)、
前置きに3回も使っちまいましたが、いよいよここから『能力者憲章』の本編に入ります。
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超能力とは何か。一体何をもって超能力とするのか。
改めて考えてみると、その“定義”は曖昧で不明瞭なままだ。
しかし超能力という“概念”は存在する。それだけは確かだ。
psychokinesis(念力)、clairvoyance(透視)、telepathy
(伝心・読心)…“超能力”という単語から連想されるそれらの
イメージは、多くの場合において一致している。
(中略)
超能力は、かつて『魔法』と呼ばれていたものの中にあった。
魔法の定義も同様に曖昧で不明瞭なままだが、それは定義付け
よりも先に、原理の解明の方が進んでしまったからだ。
『魔法』と『超能力』は、すでに別個の存在として認識されて
いるようだ。
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ロシー・アドノア=イェネンコフ・デキネフスキー著
『能力者憲章』より
『超能力』という単語が、いつ頃から使われ始めたかは知りませんが、
少なくとも『魔法』より後に生まれたのは確かでしょう。
それと高校時代の物理の先生の話では、学問の世界はコギャルより昔から
チョーチョー言ってきたらしいので(超音波とか超新星とか)、
ひょっとしたらある種の学術用語なのかもしれません。
また著者が指摘する通り『魔法』も超能力と同様、地域ごとの文化や風俗・風習による
世界観の違いはあるものの、定義付けに関しては曖昧で不明瞭なままですが、
一般的なイメージの中でも超能力とは、明らかに区別されています。
かつて『魔法』とされてきたものは、やがて科学の発展によってその原理が解き明かされ、
物理や化学の法則、心理の効果としてそれぞれ取り込まれていきました。
ちなみに余談ですが、SF作家のアーサー・C・クラークは、
「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」的なことを、
自身の名を関した法則として定義・提唱したそうですが、科学が魔法と明らかに違うのは、
仕組みは理解出来ないまでも学問としての理論体系がキチンとあって、
誰に対しても再現性がそれなりに保証されていて、
それによる恩恵も被害も現実のものとして確かに存在するのが『科学』であり、
その点が『魔法』とは決定的に異なります。
↑『魔法』と『科学』の違いを端的に表す計算娘(ロボット)の1コマ
話を戻しますと、仕組みさえ分かってしまえば単なる認識に対する定義付けが
二の次三の次になるのは当然で、科学によって解体され尽くした後にフワッとした
イメージ“だけ”が残っているのが、現代における『魔法』の解釈、というわけです。
そして現在、『超能力』の解明は一向に進んでいないどころか
実在を疑う声まで上がり始めているのは周知の事実ですが、
著書の中では実在の有無に関しては扱っていないので、それ以上の話はしません。
しかしながら、正攻法での解明が一向に進まない現状では、これまでずっとほったらかしに
されてきたことをあえて真剣に考えてみるというのも、逆にアリなのかもしれません。
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『超能力』とは一体何か。辞書で調べてみてもせいぜい
「人間を超越した能力」または「人間には不可能とされる能力」と
書かれているだけだが、これでは不十分だ。
(中略)
人間に種を限定しなければ、人間を超越した能力などありふれて
いるくらいだが、誰もそれを超能力とは認めていない。
「不可能であること」を定義としてしまえば、それが可能となった
時点で超能力ではないという、いかにも否定論者好みの
意地悪なパラドックス(矛盾)に付け入られかねない。
(中略)
犬や猫に念力が使えたらどうだろう。おそらくそれがそれぞれの
種に普遍的に備わっているものでなければ、いや、たとえそうで
あったとしても、超能力者と呼ばれていただろう。
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これが哲学者であれば、『魔法』も『超能力』も十把ひとからげにして
「理不尽で不自由な現実に対する人間の願望の発露」とかなんとかいって
簡単に結論を出していたところでしょう。
著者自身もそのことを考えていなかったわけではありませんが、もう少し別のことに
目を向けていたかったようで、「理不尽で不自由な現実に対する人間の願望の発露」としての
超能力が語られるのは、もう少し先の話となります。
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手も足も使わずに物を動かし(psychokinesis)、
遮蔽物を取り払うことなくその向こう側を見通し(clairvoyance)、
言語はもちろんいかなる伝達手段に頼ることもなく意思疎通を
可能とする(telepathy)…これらには、ある1つの共通点がある。
それは、「結果のための手段が存在しない」ということだ。
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〈続く〉
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