(再録)ブログDE迷著『能力者憲章』・②(加筆修正) | せいぜいひまつぶしの小話

せいぜいひまつぶしの小話

5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

『能力者憲章』 ①、 ③、 ④、 ⑤、 ⑥、 ⑦、 ⑧、 ⑨、 ⑩、 ⑪、 ⑫(終)、

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ロシー・アドノア=イェネンコフ・デキネフスキー。
 本編に入る前に、まずはこの本の著者であり、私にとって
 長年の知己でもあったこの男について、書かねばなるまい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『能力者憲章』訳者前書きより

前回に引き続き、イグノーベル平和賞目指して頑張っていきたいと思います。
なんとな~くロシア語のできなさそーな日本語的センスを感じる微妙にフザけたよーな
名前に見えなくもありませんが、じいさんの知り合いならさもありなんって感じで、
おそらくふざけていようがいまいがこうなっていたような気がします。
とにかく作家としては全く無名でしたから、著者の紹介をしないことには始まりません。

生まれは旧ソ連、ヤキマンコ(そういう地名)出身の精神科医で、
旧ソ連といえばそう、その頃はちょうど東西冷戦の真っ只中でした。

冷戦といえば直接的な武力衝突よりも、軍拡や核武装によるメンチの切り合いみたいな
威圧合戦だったり、途上国に武器を送り合っての代理戦争、あるいはスパイたちの暗躍する
諜報戦といったイメージがあるかと思われますが、東西のスパイが諜報活動で優位に立つべく
シノギを削り合う中で超能力開発に手を出した話は色々な所で何度もネタにされてきたから、
どこかで一度は耳にしたことがある…かもしれません。

とはいえこの著者自身について言えば、そもそもは病院勤務で精神病患者の
カウンセリングに携わっていただけで、超能力の実在を信じていたのでもなければ、
その道の権威というわけでもありませんでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 病気と幻覚の世界に生きる患者たちの言動は、その大半が
 支離滅裂なものであったが、それでも根気よく付き合ううちに、
 彼はその中から『何か』を感じ取ったようだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

念のため断っておきますと、引用に際してはオリジナリティを尊重し、
翻訳原稿ではありますが原文のまま載せておりますので、現代では不適切と思われる表現が
あるかもしれませんが、それは原作はもちろん、こちら側の意図したものではありません。

要はここに書いてあることに対して、精神疾患への偏見だの差別だのと
騒ぎ立てるのはてめーの被害妄想だよ♪ってことです。

衛星放送やローカルテレビで昔の作品が流れると、昨今はこうした断り書きのテロップを
番組の前後に見かけるようになりましたが、一体どこに問題があるのかサッパリでも
やっとかないと、ダウンタウンの年末特番にケチつけたバイエマクニールとか、
子供向け漫画雑誌の純然たる子供向け企画を国家権力使った
不当な圧力で回収騒ぎに追い込んだ朝青龍やモンゴル政府
のような、
(スポット)単位でしかモノを見れないトンチキのド低能ども
目をつけられて騒ぎ立てられないようにしているだけなんですよね。

ぶっちゃけ連中のやってることは当たり屋の恐喝と同じでして、
バイエマクニールのはいわゆる『差別利権』と呼ばれるものです。
三流以下のエセ活動家くずれの物書きが卑劣にも黒人差別を飯のタネに利用しただけで、
あとはモンゴル人全体を巻き込んだ無思慮無分別の軽挙暴動です。

だいぶ逸れてしまいましたのでそろそろ話を戻します。
精神病患者の支離滅裂な言動の中に『何か』を感じ取ったという、
そのデキネフスキーさんが何をしたのかといえば、本来は治療目的で集めていた
様々なデータ…投薬履歴はもちろん、カウンセリングやセラピーでの患者とのやりとり、
院内での生活の仔細に至るまで、しかも自分の担当だけでなく病院の患者全員の情報まで
くまなく調べ上げ、個人で集めるようになっていきました。

一体何を感じ取ったのかは書かれていないのであくまで推測ですが、
世間的には狂人や病人とされている彼らの中には、時折鋭い直観や優れた勘働きを見せる
人たちがいて、そうした逸話は世界中のありとあらゆる伝承・民話の中に散見されます。

たとえば日本では、家の火事を予言してみせた、おそらく知的障碍(←本来はこの字)と
思われる芳公馬鹿(よしこうばか)なる人物が『遠野物語』の中でも語られているように、
見る人が見れば何かの超能力を使ったみたいに思えたでしょう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 どのみち超能力の実在を信じていようがいまいが、自由に
 再現する方法が分かれば、これほど便利なことはないだろう。
 彼にとってその研究は、あくまで“趣味”でしかなかったのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ヘタするとプライバシーや人権侵害につながりかねない行為を“趣味”というのは
どうかと思いますが、自分1人で勝手に始めたことだから途中で止めるのも自分の裁量だと、
軽い気持ちでいたのが大きかったようで、超能力の実在に関する彼自身の見解や言及は
一切無く、興味を持つことも無かったそうです。

しかしやがて彼の個人的な研究は当時の諜報機関“KGB”の知るところとなるのですが、
それはまた次回にて。

〈続く〉

 

目次に戻る