『能力者憲章』 ①、 ②、 ④、 ⑤、 ⑥、 ⑦、 ⑧、 ⑨、 ⑩、 ⑪、 ⑫(終)、
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研究といっても、所詮はアマチュアが趣味で始めたことだから、
別段大した成果が上げられたわけではない。せいぜい患者の
データを片っ端からかき集めての比較検討が精一杯だった。
(中略)
そんな彼の研究は、やがて余人の知るところとなる。しかも
その相手は、よりにもよってあの“KGB”だ。
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ロシー・アドノア=イェネンコフ・デキネフスキー著
『能力者憲章』訳者まえがきより
KGBに限らずスパイのような闇の存在は、遠巻きに眺める分にはスリリングで
エキサイティングでしょうが、スパイ活動は基本的に違法行為ですからバレれば
普通に逮捕されるし、万が一の時は裏から手を回して助けてくれるはずの国家の後ろ盾も、
コロコロ変わる国際情勢の中では確実な保障にもならず、いつ見捨てられるか分からないでは、
関わり合いになってもロクなことにはなりません。
というかそもそもロクなことになってないから関わり合いになるわけで、
研究データの提供と、KGB主導の下で進められていた超能力開発プロジェクトへの
参加を命じられたデキネフスキーさんに、どのみち選択の余地はありませんでした。
元々超能力の実在を信じていたわけでもなく、趣味の範囲でのんびりやっていたことが、
いつの間にか東西冷戦の対立構造に組み込まれ、結果を求められながらのやるやる詐欺で
誤魔化す毎日が、決して愉快なものでなかったことは容易に想像がつきます。
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超能力開発で使われるESPカードについても彼は、
「まぐれ当たりが続いたところで証明出来るものは何も無い」と
実に冷淡であった。“自称”超能力者はもちろん、集められた
開発チームは詐欺師同然の連中ばかりだったそうだ。
スパイをペテンにかけるなんて正気の沙汰とは思えないが、
「やっぱり無理でした」が許されない状況では、誰もが不正に
手を染めるしかなかったのだろう。
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実験結果の捏造とかやっちゃう教授センセイと行動原理は同じです。
ちなみにESPカードってのは↓こういうヤツです。
それでも最初のうちは情報提供を求められていただけで、
本当にただ“それだけで”終わっているうちは、まだマシだったのかもしれません。
しかしそこはやはりスパイの職業病なのか、違法行為に手を染める活動の性質上、
規制のタガの緩い連中が多いようで、開発チームのやるやる詐欺を知ってか知らずか、
満足な検証も成果も出ないうちに「人間の頭の中を開いてみよう」なんて
とんでもないことを考え始め、しかもよりにもよって被験者に選ばれたのは、
デキネフスキーさんの担当患者でした。
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情報提供だけならまだしも、解剖や投薬目的での被験者の
調達など、医師として、また一人の人間としても、
到底容認出来るものではなかった。
(中略)
西側への亡命を決意した大きなきっかけではあったようだが、
ずっとそれ以前から、彼の心は逃げたがっていたようだ。
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“自称”民俗学者だったじいさんと、デキネフスキーさんとの接点はちょうどこの頃で、
民俗学のフィールドワークで旧ソ連に来ていたじいさんの手引きで、実験台にされかけた
患者の女性(後に結婚)と一緒に、日本経由でアメリカへと亡命を果たしたそうです。
じいさんが今も生きていたら、こういう“逃がし屋”みたいな話を、
もっと色々と突っ込んで聞いてみたかったところです。
ただアメリカに逃げ込んでみたところで、今度はKGBからCIAに鞍替え…ではなく
首がすげ替わっただけでやるやる詐欺は相変わらずだったのですが、デキネフスキーさんが
アメリカに渡った直後あたりから、超能力開発の成果を疑問視する声が上がり始めました。
社会主義陣営の中心であったソ連の崩壊は現在の我々の多くが知るところであり、
その威信に陰りが見え始めた時期とも一致しており、競争相手が勢いを失った影響で
アメリカも張り合いをなくし、やがて活動の大幅な縮小を余儀なくされたCIAが真っ先に
切り捨てたのはもちろん、超能力開発でした。
スパイの世界から足抜けするには『向こうから追い出される』のが比較的安全な方法で、
ペテン扱いされていたデキネフスキーさんの存在が重要視されるはずもなく、
逃げることばかり考えていた彼にとって、ある意味最高の追い風となったわけです。
こうして運良くCIAからホされた後はアメリカに留まりながら本業の精神科医を続け、
やがて晩年になって生涯を振り返る中で、デキネフスキーさんが考えたのは、
「超能力とは一体何だったのか?」ということでした。
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超能力の実在を信じていたわけではないから、原理の説明など
出来るはずもなく、諜報機関との厄介な関係を無事に解消して
『逃げること』ばかりを考えていたから、暴露本が出せるほど
諜報機関の内部事情に通じていたわけでもない。
“傍観者”であり“当事者”でもあった、なんとも中途半端な
立ち位置にいたからこそ、人とはほんの少しだけ違う、
一種独特の“超能力観”を持つに到ったのかもしれない。
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自分を含めた多くの人間が躍起になって追い求め、人を騙すことが身上であるはずの
スパイまでもがペテンに引っ掛かり、翻弄された、超能力という得体の知れない存在に対する
『思考』と『認識』の正体を暴くことが自分の使命だと、そう考えていたのかもしれません。
まぁ気のせいだと思いますけどね。
ということで次回から『能力者憲章』本編の解説に入ります。
〈続く〉