空海は「吽字義」にいわく、
阿は世界の始まり、
吽は終わりであり、次の種子であり、
世界の全てを内包している。。と。
そこまで壮大ではないけれど、
日本語の「ん」も、それなりに謎?なのだ。
まず、奈良時代に書かれた
古事記、日本書紀、万葉集に「ん」が無い!
話し言葉では「ん」を発音していたし、
中国から入った漢文にも「んの音」はある。
なのに、奈良時代の代表書物に
「ん」を表す万葉仮名は全く使われないのだ。
まさか「ん」って言ったら負け?
「ん」と書いたら世界が終わる?
・・・ってくらい、頑なに「ん」は出てこない。
確かに昔の読み方ってヘンだよね。
天地=アメツチ 陰陽=メヲ
天皇=スメラミコト
神皇産霊尊=カミムスビノミコト
「必不善心」=(必ずや不善の心ならん)=
かならず、うるわしきこころならじ
漢語風に読む時、当然「ん」はついたろうに、
和語にする時の異様な不自然さは一体、
何なんでしょう。。まさか「ん」を避ける為に
こんな回りくどい読み方じゃあるまいに。。
とりあえずこの本では、漢字に「ん」だけを
表す文字が無かったので、漢字を仮借する
「万葉仮名」にも 「ん」が作れなかった、、と
言っている。。それ自体は正しいだろうが、
回りくどい和語の説明にはなっていない。
とりあえず、平安初期の空海の頃では
三=サム 品=ホム
損=ソイ 穏=オイ
恨=コニ 団=ダニ
鮮=セレ 焔=エレ
のように、「ん」をム、イ、ニ、レで代用し、
吽字義を著した空海でさえ、「ん」を日本語で
表記することはできなかったんだ。
これを可能にしたのは、天台宗の台密の人で
最澄後の、円仁「蘇悉地羯羅経略蔬」~
安然「悉曇蔵」~明覚「悉曇要訣」と続く系譜。
あくまで法華経を如何に正確に理解するか
という目的で、漢語、サンスクリット、
日本語を対比した研究が進められたんだ。
905年の古今和歌集頃、ひらがな・カタカタ
が発明されても、しばらく「ん」は無くて、
文献上、カタカナの「ン」が登場する最初は
平安後期、1058年の法華経で、
ひらがなの「ん」の初出は1120年に
書写された古今和歌集なんだって。
1000年頃の源氏物語は、漢文、ひらがな、
カタカナを駆使した貴重な資料だけど、
同時期の意識高い系女子・清少納言は
枕草子で「言はむとす」を崩して「言はんずる」
なんてよろしくない。。まして文章に
書くなど下品だわ。と、仰っている。
鎌倉後期に徒然草や今昔物語で、文章が
仏教説話として、民衆に広がると、
リズムを良くする「ん」は俄然、多用される
ようになるんだけど、、
鴨長明は、和歌では「んを捨てて書く。」
表記しないのが原則だ、と言い、
江戸時代の井原西鶴は「ふんどし」を「ふどし」
と、読み手が判る「ん」は省略して書いた。
どうも日本では、伝統的に「ん」は書かれない
方向で、濁音の仲間・・とされてるみたい。
その後、明治初期までは「いろは」が主流で、
今の五十音図の定着は明治8年頃。
ここに至る五十音の研究は思いの外、
長く複雑な道のりで、びっくりしちゃう。
国語辞典がいろは順からあいうえお順に
変わるのが明治24年で、
「あいうえお」に「ん」の項目が加わるのは
なーんと大正8年(1919)だ。
んー。遅い。
江戸時代以降の五十音図変遷がびっちり。
五十音図は日本に渡来した漢字音韻学と
悉曇学(サンスクリットについて)が
混じってできたもの、だそうだ。
漢語を読む発音記号が「反切」(はんせつ)
というもので、
酸→素官切・・・so+kuan
俊→子峻切・・・tsi(ツィ)+siuen
唐代まで反、宋以降切が使われたので「反切」
これ、まきこんぐ的ナウなトレンドword♪
だけど、、中国語って難しいし、
音も構成も日本語と全然違う。違いすぎる。
それに比べてやっぱり、
サンスクリットとの類似は気になるなぁ。
日本人が日本語を話し出した縄文時代とかに
もっと重大な秘密があるはずぢゃ。。。
私の謎はさらに深まってしまった。
仕方がないので自分なりのまとめをば。
「あ」 は口を開けば自然に出る音。
あ!(閃き) ああ(感嘆) あ~(悲) あぁ↗(怒)
あー!(喜) あ!?(驚) あぁ(納得) あー↘(落胆)
・・・・「あ」で感情全部表せるぞ!
「ん」 は口を閉じて唯一出せる音。
うん。(yes) ううん。(no) んー。。(保留)
ん?(疑問) うーん。(納得) ん~(微妙)
・・・「ん」で全ての意志を表せる!
どうすか。風呂で考えた
まきこんぐ「あ」字観 & まきこんぐ「ん」字義
あ~~(呆) ん~~(やり直し)
あいーん。