現在公開中の奈良博
「貞享本當麻曼荼羅修理完成記念
中将姫と當麻曼荼羅
ー祈りが紡ぐ物語ー」
(8月28日まで)
に先日、行ってきました 
 

 鹿も奈良博へ!

 

 

今回の奈良博の展示は、江戸時代に描かれた「貞享本」当麻曼荼羅(展覧会も図録も旧字の「當麻」を使っていますが、ここでは「当麻」の文字を使わせていただきます🙏)の修理完成を記念したものでした
 
これまでの奈良博での「当麻曼荼羅関連」の展示は、「私が知る限り」でも、
この10年で4回ほど類似したものがありました(わりと頻繁ですなー)
 
そこで、この記事では、当麻曼荼羅の基本情報に触れたあと、現在に至るまでの奈良博での4回の展示に沿いながら、当麻曼荼羅について整理したいと思います
 

 

 当麻曼荼羅について

1.3つの当麻曼荼羅

奈良県当麻寺に所蔵される当麻曼荼羅には同寸(4メートル四方)のものが3つあります

古い順に列挙すると、

まず、

国宝綴織当麻曼荼羅(根本曼荼羅)(唐または奈良時代、8世紀)が初めにあげられます
この曼荼羅は、仁治三年(1242)には板張曼荼羅に改装され、後年に現状の掛輻となったといわれています(その過程で、印紙曼荼羅、裏板曼荼羅が誕生しましたがここでは触れません)
 
板張曼荼羅から転写されたのが
文亀本(室町時代、永正二年(1505))
と呼ばれるものです
鎌倉時代以降には、当麻曼荼羅の転写が盛んになりましたが、この曼荼羅もその一つです
 
さらに、江戸時代の転写とされる
貞享本(江戸時代、貞享三年(1686))
があります
2022年の奈良博の展示は、この貞享本の修理完成の展示です
 
これらの3点は基本的に同じ大きさ、同じ図柄です
 
ちなみに、この3点の曼荼羅の画像はこんな感じです↓

❶綴織当麻曼荼羅(修復後)(図録の写真なので歪みます)

 

❷文亀本

image

 

❸貞享本(修復後←今回展示)

(もう、どうやって撮っても歪みが出てしまいますが、ご容赦を)

 
細かい違いがあるとしても基本的には同じデザインなわけですが、
時代が新しい方が鮮やかでわかりやすいです
(でも、「国宝」は➊の綴織当麻曼荼羅なんだよね)
 
 

2.綴織当麻曼荼羅の伝来と当麻曼荼羅の内容

ここからは、根本曼荼羅とも言われる、❶綴織当麻曼荼羅の伝来と、当麻曼荼羅に描かれた内容について整理します
 
①伝来について
綴織当麻曼荼羅の伝来については、国産説と遣唐使船による唐からの舶載説がありますが、現在は後者が有力だそうです
この説に従えば、唐で制作されたものが日本に伝えらえたということになりますが、
日本に伝来した後、当麻寺に保管されるようになった経緯は不明です
 (遣唐使船から積み下ろして、当麻曼荼羅だけ何故当麻寺に行ったのか、知りたいですよね)
 
②当麻曼荼羅の内容
当麻曼荼羅に描かれた内容は、『観無量寿経(観経)』の教えをわかりやすく絵画に示したものです

 

『観無量寿経』という経典は、浄土三部経の中の一つで、「王舎城の悲劇」「十六観」を説いています

 

↓浄土三部経(岩波文庫)

 

 

当麻曼荼羅の図解(観経の内容を説く)

(奈良博『中将姫と當麻曼荼羅』図録から)

 

当麻曼荼羅は、上に書いたように『観無量寿経』の内容を表現していますが、それだけでなく

浄土教の偉いお坊さんの善導という人が著した『観経四帖疏(観経疏)』という『観無量寿経』の解説本にも忠実であるといわれています

 

では、ここから当麻曼荼羅が具体的にどのような内容を説いているのか、ざっくりですが具体的に見ていきたいと思います

上に示した図解に沿って見ていきます

 

まず、

上の図の向かって左側の一列(緑色のところ)は、

「王舎城の悲劇(韋提希夫人が釈迦に極楽往生を願う物語)」(=『観経疏』の序文義にあたる)をあらわします

話の順番は、一番上①からいきなり一番下②に下がり以後一つずつ上に登るようにして進みます

 

次に、向かって右側の一列(オレンジ色のところ)は、「十六観想の内十三観」(『観経疏』の定善義)をあらわします

話の順番は一番上①日想観から始まり順に下に降りて⑬まで段階的に、極楽浄土と阿弥陀如来を見るための段階的な十三の方法を示します

 

そして、下の一列(紫色のところ)が有名な「九品往生」(『観経疏』の散善義)を表しています

十六観の内残りの三観を×3して九品に分けたものです

九品(くほん)は、上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、…、下品下生と、生前の行いを9段階に分けたもので、それぞれの段階にふさわしい往生の様子が説かれます

 

残る真ん中の四角の部分(水色のところ)は、

極楽浄土を表しています

 

↓より絵の細かい、こちらもどうぞ(『日本の美術12 浄土教画』至文堂)

 

 こんなに忠実に、観経の世界を図示した当麻曼荼羅なので、観経を説くにあたって最適の教材の可能性があったにもかかわらず、
奈良時代・平安時代には、当麻寺に当麻曼荼羅が所蔵されていたことは知られていませんでした(←こういうのを「宝の持ち腐れ」という)
 
そんな中、平安時代後期には末法思想の流行とともに浄土教が盛んになります
観経は浄土教の基本的な経典です
当麻曼荼羅を大いに活用すべき時期が来たのです!
 
ところが!
当麻曼荼羅の存在はまだ知られていないのです
なので当然、この時代にも当麻曼荼羅が活用されることはありませんでした(←「宝の持ち腐れ」継続中おーっ!
 

それだけではありません!

この時代の天台浄土教の隆盛のきっかけとなった『往生要集』を著した源信は、なんと当麻の出身なのです

それなのに、源信の故郷にある当麻寺の当麻曼荼羅が、その存在さえ知られていないというのは、なんという歴史の皮肉か!と思ってしましますぶー(もしかしたら、源信自身は当麻曼荼羅を見たかもしれないと思う…でも、じゃあなんで、宣伝しなかったのよ?と次の疑問が湧いちゃう)

 
 
3.鎌倉時代以降の当麻曼荼羅~中将姫伝説と浄土宗
さらに次の鎌倉時代になると、法然が浄土宗を開きました
言うまでもなく、観経は浄土宗にとって根本的な経典です
 
なのに、
まだまだ当麻曼荼羅は知られていませんでした(←「宝の持ち腐れ」まだまだ継続中えー?
 
その後ようやく、次にあげる二つのきっかけで有名になっていきました(遅咲き過ぎないかい?)
 
中将姫のお話
一つ目のきっかけは、建久三年(1192)成立の『建久御巡礼記』にある当麻曼荼羅に関する説話です
その内容は、「天平宝字七年」(763)、横ハギの大臣の娘(のち中将姫)が極楽往生を願ったところ、阿弥陀の化身の尼が現れ、観音の化身の織女が一晩で蓮糸を織り上げたものが当麻曼荼羅であったというものです

 

当麻寺奥院『中将姫物語』(曼荼羅堂で売ってます)

 

中将姫の話は、その後世間に流布し、当麻曼荼羅の存在も広く認知されるようになりました

 

 

私は子どもの頃、中将姫の絵本(小学館の昔話の本だったらしい)を読んだことがありました

それはとても美しい挿絵の絵本でした

 

ネットで探したところ、その絵本の挿絵が出てきました!

印象的だったシーンを貼ってみますね(引用元は、記事最後にリンクします)

 

お姫様が、蓮から糸を引き出す様子

 

糸を染めて枝に掛ける様子

 

極楽の情景を織り上げる様子

 

織り上がった浄土の様子

 

これらの挿絵が、私の記憶に強烈な印象で刻まれています

今考えると、これは当麻曼荼羅の話だったんだなあと思うわけです

 

中将姫の伝説は、昭和時代の女の子の心にも届き、以来何十年も鮮やかに記憶に残っているのです

 

逆に言えば、私が当麻寺や当麻寺の練供養に強く惹かれるのは、幼少期の絵本の影響があるのかもしれないと、これを書きながら思ったりしています

 

 

②浄土宗西山派 証空による当麻曼荼羅の発見

鎌倉時代に当麻曼荼羅が有名になったもう一つのきっかけは、

浄土宗西山派の証空というお坊さんが、当麻曼荼羅を「発見」したことにあります

 

当時、証空は

「観無量寿経の説明に使うのに便利な教材はないかのう?」えー?
と、教義の説明に適切な教材を探していました
なんと、証空は中国まで教材を探しに行っていたらしく、「本気」で探していたと思われます
 
そんなある日、証空が当麻寺に念仏供料を納めに来た際に、当麻曼荼羅を「発見」したのでした
 

↓証空

 

証空は、期せずして当麻寺に当麻曼荼羅があることを知り
(「早く言ってよ!」って思ったろうね)、
以後、当麻曼荼羅は浄土宗の教材として使われるようになったそうです
 

何だか、鎌倉時代になって急にメジャーになったという感じがしますね

 

証空は、当麻曼荼羅をコピーし、絵解きの教材として使おうとしましたが、少々問題がありましたガーン
それは、当麻曼荼羅が「大きすぎる」という問題です(縦横ほぼ4メートル四方の大きな画です…これ、遣唐使船では畳んで持ってきたと考えられているそうですよ)
 
そこで、絵解き用のものは、もうちょっとコンパクトな、4分の1や8分の1サイズに縮小され広まりました(奈良博では、コンパクトサイズの当麻曼荼羅も展示されています)
小さくすれば、作りやすいし、あちこちに持って行って絵解きできますもんね〜
辻説法みたいにしてもいいし、奈良公園の木の枝に掛けて鹿に説明してもいいし(いや違うでしょ)
 
縮小サイズの模写は、その後も続けられ、当麻曼荼羅が流布することになりました
 
また、証空は、今回展示されている当麻曼荼羅厨子扉の設置も行いました
 
以上、当麻曼荼羅についての前置きが長くなりましたが、
次は、奈良博での当麻曼荼羅関連の展示の変遷について(私が見た4回の展示となりますが)、取り上げてみたいと思います
 
 

 奈良博での過去の展示

さて、前置きが長くなりましたが、ここからは奈良博で「私が見た」過去4回の当麻曼荼羅の展示について整理したいと思います
 
まずは、4回の展示の会期とタイトル、そしてチラシを並べてみますねピンク音符
 
1  会期とタイトル、チラシ
1回目 
会期 2013年4月6日〜6月2日
タイトル
「當麻曼荼羅完成 1250年記念
特別展 當麻寺
極楽浄土へのあこがれ」
 
↓チラシ

 

 

2回目

会期 2017年7月15日〜9月3日

タイトル

「1000年記念特別展

地獄・極楽への扉 源信」

 

↓チラシ

 

 

3回目

会期 2018年7月14日〜8月26日

タイトル

「修理完成記念特別展

糸のみほとけ

ー国宝 綴織當麻曼荼羅と繍仏」

 

↓チラシ

 

 

4回目(今回)

会期 2022年7月16日〜8月28日

タイトル

「貞享本當麻曼荼羅

修理完成記念 特別展

中将姫と當麻曼荼羅

ー祈りが紡ぐ物語ー

 

チラシ↓

 

 

 

なんと今回、スタンプラリー用のチラシもあります↓

 

↓このチラシの裏面にはスタンプを押す欄があります

私は奈良博でスタンプをゲットしたものの、

当麻寺に持って行くのを忘れ、コンプリート出来ませんでしたガーン

学友は、コンプリートして、中将姫のクリアファイルを貰っていました(いいなあ)

 
まあ、それはさておき、ここからは4回の展覧会での当麻曼荼羅の展示の変遷について整理します
 
 
2  各回における当麻曼荼羅の展示の変遷
1回目(2013年)
この時の展示は、

修理前の綴織当麻曼荼羅(根本曼荼羅)

文亀本当麻曼荼羅

の2点でした(豪華!)

 

まず、❶綴織当麻曼荼羅(修理前)

↓図録の写真(歪んでしまいすみません)

 修理前の綴織当麻曼荼羅です

 

綴織とは、縦糸と横糸を織る織物です(絹や紙に描かれた絵ではありません)

 

当時、肉眼で見た状態は、横に折り皺が何本も入った傷みの激しいものでした

殆ど真っ黒という感じで、絵は殆ど見えませんでした

(図録を撮ったものは、歪んでいるものの、実際よりわかりやすいと思います)

 

では、この当麻曼荼羅を部分的に拡大したいと思います

 

拡大するのは、以下の3つの像とします(わかりやすいように、図で示しておきますね)

 

ⅰ まずは赤枠の中尊阿弥陀如来像↓

 

 それから、青枠

↓ⅱ 脇侍勢至菩薩像

 

 最後に黄枠

↓ⅲ 中尊と勢至菩薩像の間の菩薩像

↑ちょっとなんだかよくわからない感じだけどキョロキョロ

この部分は、最近、川島織物セルコンによって再現されたため、取り上げてみようと思います

 

 

では、実物の切り取りで見てみます

綴織当麻曼荼羅(修理前)の拡大です

↓ⅰ 中尊阿弥陀如来坐像

眉毛のカーブが綺麗な弧を描いています

目尻の上がった目もとても美しい

折り皺が痛々しい

 

↓ⅱ 脇侍勢至菩薩像

退色と横の折りシワが激しいものの、格調高い画風がよくわかりとても感動的です(実際にはここまではっきり見えなかったです)

ここでも、横の折りシワが目立ちます

 

赤外線写真で見る勢至菩薩像

涼しげで意志の強そうな目が強調されます

 

↓ⅲ  阿弥陀如来像と勢至菩薩像の間に描かれた菩薩

頭の傾け方、張りのある眉の線、意志的な視線が印象的です

どこか、異国風な表情にも見えます

織物であることが、毛羽立ちからわかります

 

 

文亀本(修理前)

この時の展示では、室町時代の転写である文亀本(修理前)も展示されました

 

↓図録(やっぱり真っ直ぐに撮れない汗)

こちらは織物ではなく、絹本著色です(描いたものです)

 

こちらも、上と同様に拡大してみます

ⅰ 中尊阿弥陀如来像↓

なんと鮮やかな青!この色は、エメラルドグリーン?それともターコイズブルー?(色彩に関する語彙力のとぼしさよ…)

衣文や光背に金泥が使われているようです

優し気な表情をしておられます

肩が丸く肉付きの良い上半身です

 

↓ⅱ 脇侍勢至菩薩像

おお!なんて美しい!

中尊よりさらに優しげなお顔立ち

そして上品

天冠台や瓔珞などの装飾も細かく描かれています

 

↓ⅲ 阿弥陀如来と勢至菩薩の間の菩薩

勢至菩薩よりは若干地味めですが、手を抜くことなく描かれています

中尊や勢至菩薩よりもさらに優しげな表情ですね

顔が面長です

 

2回目(2017年)

この時は、❸貞享本(修理前)の展示がありました

今回(4回目)はこの貞享本の修理を終えた後の展示なので、

修理を挟んだビフォーアフターの比較ができるということになります

 

また、貞享本が制作された貞享3年(1686)の前には、➊の根本曼荼羅と、❷の文亀本の修理が行われており、この二つの図像をよく知った上で❸の貞享本が制作されているため、➊❷(ビフォー)と❸(アフター)の比較もできるわけです

いわば、二重のビフォーアフターが楽しめちゃうってことですウインク

 

2017年の図録↓文亀本(修理前)

修理前とはいえ、➊の根本曼荼羅や❷の文亀本に比べると、時代が新しいので鮮やかですよね

 

では、拡大してみます

↓ⅰ 中尊阿弥陀如来像

転法輪印を結んだ手相や、足裏の千輻輪もしっかり見えています

ふくよかなお顔立ちは、衆生を極楽浄土へ導く希望となったと思います

 

↓ⅱ 脇侍勢至菩薩

前の時代のものに比べ、幾分か顔の下半分がふくよかになられたようで、

坐る姿にも、どっしり感があるように見えます

中年化した?貫禄が出ましたね

 

↓ⅲ 中尊と脇侍の間の菩薩

あれ?なんかこちらも貫禄があるような…

若々しいというよりは、やはり中年の落ち着きが感じられるような…

指先まで綺麗に描かれていて、美しい菩薩ですよね

 

こんなことを言ったら怒られるだろうけど(なら言うななんですけど)

 貞享本って、少しオバサン化した?

 

↓他の菩薩も集めてみました…どうなのよ?

(¬_¬ まあ、皆さんふっくらしてるけど、それが即、オバサン化したというのはちょっとねぇ…

 いずれにしても、綺麗な菩薩たちです

 

3回目(2018年)

2回目の展示(2017)の翌年には、また当麻曼荼羅が出品されることとなりました

出品されたのは、修理後の綴織当麻曼荼羅(根本曼荼羅)キラキラでした

 

↓2018年の図録から、修理後の綴織当麻曼荼羅

この時、実際の展示をみましたが、

修理前の根本曼荼羅が横シワが激しく、真っ黒で殆ど見えなかったのに対し、

修理後の根本曼荼羅は横シワが消えていました

 

当時もブログ記事で書いたかもしれませんが、

奈良博で、根本曼荼羅の前に置かれたソファーに座り、じっと対峙していると

ある瞬間を境に、図像が一気に浮き出て見えてきたのです

それはそれは大変感動しました

 

次回の展示がいつになるかわかりませんが、もう一度、目の前で見てみたい!

 

では、修理後の各像を拡大してみますね♪

↓ⅰ 中尊阿弥陀如来像

修復した後なので、当然以前より見やすくなっていると思われます

確認のため、修復前の画像と並べて比較してみることにしますね

 

↓修理後(左)、修理前(右)

※画像の色の風合いの違いは、私の撮影環境及び技術の問題です(目で見る限り、色合いに違いはありませんがなぜか画像にしたら違う色合いになってしまった)
上の二つの画像を比較すると、修理前に唇やまぶたに入っていた横シワが、確かに薄くなっているし、顔の表情も良く見えるようになっています
阿弥陀如来が生き返りました!

 

↓ⅱ 勢至菩薩(修理後)

こちらも修理によって、改善されていると思われます

 

この時の図録には、眼の周りの拡大写真が載せられていて、

織物であることがよくわかります↓

 

では、

こちらについても、修理の前後を比較してみますね

↓修理後(左)、修理前(右)

(°▽°)?

何度も確認しましたが、素人の目には、修理後のほうが頬の部分などに剥落みたいな白い部分が増えているように見えてしまいます

 

これは一体どういうことなんでしょう?

たしかに、横シワはそれほど目立たなくなっているようですが、

右ほっぺとか、こめかみあたりも剥落してない?

( ゚д゚)なんで?

 

 

気を取り直して

↓ⅲ 中尊と普賢菩薩の間の像

眉や瞳に愁いを帯びた表情にも見えて、美しいです

 

ではこちらも、修理の前と後を比較してみます

↓修理後(上)、修理前(下)

えぇっ!?

良くわからないけど、修理前のほうがなんか顔がはっきり見えない?

修理後は、逆に肌荒れしたみたいに剥落してない??

いやこれは、図録の写真の限界と、私の撮影技術の低さによるものなのだろうか?

 

なんかちょっと疑問が増えてしまったような気がするぞ…

 

この疑問を抱えながら、次の展示を待つしかないか…(´∀`)

 

 

また気を取り直して、最後は今回の

4回目(2022)の展示

をみてみます

 

今回の展示は、江戸時代の❸貞享本の修理完成を記念したものでした

 

当麻寺では、貞享本が掛けられているのを見ることが多いように思いますが、修理前から鮮やかに絵が残っている貞享本は、修理前と修理後でどこが違うのか、私にはよくわかりませんでした

 

図録に修理の記録があるかと思ってみてみましたが、特に記載もないようでしたので(見落としていたらごめんなさい)、

修理後の図録の写真を載せるだけにします(ビフォーアフターを比較しなくてもよさそうな気がする)

ブログでは、修理後の貞享本については、以上になりますが(あっさりだな)、

今回の展示の目玉なので、奈良博にいらっしゃる方はじっくり見てみてくださいね

 

↓今回の図録の写真(修理後の貞享本)

 

 ↓中尊阿弥陀如来像

 

 

 

 

③川島織物セルコンによる綴織当麻曼荼羅の再現

3回目の展示と、今回の展示では、

川島織物セルコンが、ⅲ中尊と勢至菩薩の間の菩薩綴織による部分的再現を行っていらっしゃいましたので、最後にそれを取り上げてみたいと思います

 

↓こちらです

元々の綴織当麻曼荼羅は、こんな感じだったんでしょうね

 

↓綴織の技術は大変難易度の高いもののようですが、こうやって拡大図を見ると、縦糸と横糸で当麻曼荼羅が見事に再現されている様子が良くわかります

現代に、綴織の技術を蘇らせた川島織物セルコンの技術力の高さに感服すると同時に、

遥か昔、唐の国(又は奈良時代の日本)ですでにこのような高い技術を持って観経の教義の内容を美しく正確に織り上げた当時の技術者の知的・技術的レベルの高さにも感嘆せずにはいられませんでした

 
 

 

チューリップ黄チューリップ赤チューリップ紫チューリップピンクチューリップオレンジ

 

曼荼羅堂の中将姫像が今回も奈良博にお出ましでした↓

悲しげで儚げな表情にぐっとくる

 

 

一方、当麻寺では炎天下に中将姫

 

 

当麻寺の入り口に奈良博のポスターが貼ってあり、奈良博と連動してるのがわかります

 

 

東西両塔の内部公開中(土日祝のみ)

 

 

 

当麻寺の蓮の花は格別です

 

 

真夏の二上山

いつ見ても、心惹かれる山です

 

 

 

ブルー音符むらさき音符ピンク音符

 

何年も前のことになりますが、当麻寺についてまとめた記事がありましたので貼っておきますね

 

 

それから、記事の中で取り上げた中将姫の絵本の画像はこちらから拝借しました