前回、蘇我氏4代の足跡を辿った記事を書き直したのですが、
改めて疑問点が2つ、湧いてきてしまいました。
それは、
1.馬子が拠点を、飛鳥寺から島庄にジャンプして移ったように見える。なぜ、途中の平坦地(舒明天皇以降、飛鳥宮が置かれる場所)を使わず、飛鳥盆地の南の山が始まるような「島」を選んだのか?
2. 都塚古墳を稲目の墓とする説の、一般人向けの根拠は、循環論に陥っていないか?
(都塚古墳が稲目の墓だから、その下に馬子が石舞台古墳を作った時に壊さなかった⇆馬子が石舞台古墳を作った時、都塚古墳を壊さなかったから、都塚古墳は稲目の墓である)
この2つの疑問が、夏の暑さですでに沸いている頭の中を駆け巡り(病院に行きましょう)、
ますます暑苦しくなってしまいました
そんな状態を解決するべく、いろいろと考えてみました
結果、長い記事になったのに結論は出ず、
相変わらず頭の中はぐるぐるしていますが、
結論に至る(いや、至ってないが)までに調べたり組み立てたりしたことは、結構面白いと思うので、是非読んでみてください
夏の暑さが加速することでしょう


