『もう死んでいる十二人の女たちと』 パク・ソルメ 斎藤真理子訳
白水社エクスリブリス 2021年 第2刷
韓国で出版された短編集から編集したオリジナル短編集です。
目次
「そのとき俺が何て言ったか」
怖く不可解ながら、今ならありそうだと思えるような寒々とした事件。
「海満(ヘマン)」
海満は島の名、パクさんの了解のもと斎藤さんがあてた漢字。“私”は会社を
辞め、何もないこの島へやってくる。相部屋で暮らしながら周囲の人々の話
に耳を傾け、記憶しようとする。
「じゃあ、何を歌うんだ」
1980年に起きた光州事件。報道管制がしかれ、事件のことは’87年の民主化
によって情報公開されるまで伏せられていた。公開されたことで光州が聖域
の意味を帯びる。1981年に作られ歌い継がれていた光州事件へ捧げられた歌
が、李明博(イ・ミョンバク)政権下で広場での斉唱などが禁じられ、市民
の反発を招く。アメリカ育ちのヘナと光州で育った“私”それぞれの光州。
ものごとは語れるからと云って知っているわけではなく、知っているからと
云って語れるわけでもない。
●たまたま自宅を離れていて、原爆投下3日後に広島に帰った方がいらっしゃ
います。その惨状、空気、色、匂いはとても語れるものでは無く、話すこと
によって真実から遠ざかると思うので、きかれても決して話さない、とおっ
しゃっていました。
「私たちは毎日午後に」*
男と“私”は毎日面白い話をする。男は日々小さくなり、いまでは“私”のポケ
ットに入るくらいになった。
「・・・私と男が良く知っているのは昨日起きたことと今朝のこと。私たち
は毎日午後に、過ぎたことについて質問し、答え、・・・・それは私たちの
未来を語ってくれるし・・・」
日本と韓国の原発事故にことよせて、それが起きる前と後で生じる感覚の変
化を、男の変化や見慣れた風景の変化で表したものか。
「暗い夜に向かってゆらゆらと」*
古里原発の事故で、空洞化した釜山で起こる奇々怪々。輝かしい未来に向か
っていたはずが“暗い夜”に向かうことになるのか(古里原発では描かれたよ
うな深刻な大事故はまだ起きていない)。
「冬のまなざし」*
原発大事故の3年後。“私”は故郷K市の映画館を足掛かりに事故前の釜山を思
い描く。映画館で見たドキュメンタリーの原発事故の描き方に不満を抱く。
海満に行き着いた“私”は避難民と暮らす。
*福島第1原発事故と古里原発の事故隠しが通底しています。
古里原発大事故は架空の出来事。
「愛する犬」
犬になりたいと云っていたクムは、1年後に会ったときは犬を連れていた。
本当はクムはずっと前に犬になっていて、犬がクムになっているのだという。
言霊という考え方が韓国にもあるのかもしれない。
・・・・で結局犬になりたいと云ったのは誰だったの?
「もう死んでいる十二人の女たちと」
殺人犯のキム・サニが死んだあと、彼の5人の犠牲者たちは彼を探し出して
復讐する。似た手口で殺された7人も加勢してキム・サニは死後12回殺され
ることになる。12人の女たちは、死んだ男を殺しても意味がないことは分か
っていても、なにもしないよりはましだという理由から実行する。
殺すたびに語られる女たちの心の内には爆笑。男が何度も生き返って(死に
返って?)ゴキブリみたいだとか、「・・・もう死んでいる私がもう死んで
いる者を殺すことで得られる爽快感を望ましい方向に使いたいなら、まだ死
んでいない者たちを(不穏すぎるので以下省略)・・・」とか。
●設定は違うものの、つい連想したのは映画「黒い十人の女」です。