古装劇や書道のお手本、絵画などを通してかなり親しみを感じるようになった宋(北宋と南宋に分かれる)という時代、日本では平安時代にあたります。日本からの遣使は途絶えるのですが、僧侶や商人にとってはあい変らず憧れの先進国であり、良い商売相手だったし、文物はあい変らず流入していました。したがって平安時代は云われているほど国風文化一辺倒でも無かったことがわかります。僧の往来もあったし(『宋史』『扶桑略記』など)、商人が藤原道長に『文選』や『白氏文集』を贈ったり(『御堂関白記』)、藤原実資に書状と錦綾を贈ったり(『小右記』)もしています。

 

古装劇テレビ「夢華録」ではヒロイン3人が経営する茶楼が舞台の一つです。

性差別と戦うシスターフッドの物語と見ることもできるでしょう。

時代は第3代真宗のころ(10世紀末~11世紀)、3人は銭塘(杭州)から首都東京(トウケイ:開封)に移り、労働者街で茶楼を開きます。繁盛するようになって老舗の茶楼主たちの妬みを買い、ある時、闘茶で決着をつけることになりました。日本でも闘茶はありますが、茶銘を当てる遊びの要素が強いものです。

ドラマで描かれたのはまさしく勝敗を決める闘いで、それぞれ茶の銘柄と使用する水の出どころ(井戸)を明かしたうえで、泡立ち・見た目・香り・味を競います。

碾茶(てんちゃ:蒸したあと揉まずに乾燥、平べったい)を薬研で細かくし、石うすで挽いて、茶筅で点てる過程が詳しく描写されました。

この時代、お茶はこのようにして点てるのが主流でしたが、ドラマの中では(場所柄もあって)労働者には、安くて手っ取り早い茶葉にお湯を注ぐ淹れ方が好まれたことも描かれています。これって、黄檗山萬福寺に伝わり、売茶翁がひろめた煎茶じゃありませんか!

 

ドラマの初めの方で「夜宴図」の行方が関わる宮廷スキャンダルが仄めかされます。「夜宴図」の行方や如何に、という謎がこのドラマのもう一つのテーマです。密偵や高官の口ぶりでは曖昧模糊としたままの「夜宴図」とはどのような絵画なのか、あてずっぽうに検索してみたら唐末期に描かれ、宋時代に模写されたとされる「韓煕載夜宴図」(北京故宮博物院蔵)があることが判りました。

  韓煕載(カンキサイ)は南唐(唐末期~五代十国)の重臣で、勃興してきた宋

  との抗争に疲れ、毎夜、伎女をあつめて歌舞音曲にふけっていた。噂を聞いた

  皇帝李煜(リイク)が遣わした密偵の顧閎中(ココウチュウ)が、その様子を

  画巻に描き残したのが「韓煕載夜宴図」。

なるほど!史書に残された真宗の皇后劉氏の出自は不明とされています。ドラマでは、出自不明という史実から皇后が伎女出身であり、この宴に連なっていた(かもしれない)というフィクションを仕立てて、その秘密が漏れないうちに「夜宴図」を入手しなければという仕掛けを作ったようです(これから徐々に詳細が明かされる)。もしかすると、模写しか残らなかった理由も描かれているかもしれません。

真宗は遼(契丹)の脅威を避けるため、毎年10万両の銀と20万疋の絹を納めるという和議(休戦協定)を結びます。その結果、虎視眈々と中原進出を狙っていた西夏も宋との和議に応じて平穏な日々が得られます。このような時代だったので、皇后が伎女として宴席に連なっていたなどというスキャンダルが“もしあったら”、宋朝にとって命とりになりかねません。スリルとサスペンス要素も含めた巧い設定です。

 

ついでに:

宋第4代皇帝仁宗の時代をテーマにしたテレビ「弧城閉」があります。

仁宗は真宗の庶子(側室の子ども)で、劉皇后を嫡母として育ちました。後に実母の存在を知って報えなかったことを悔やみ、長女をその遠縁に降嫁させます。このドラマは、仁宗の(親孝行を娘に肩代わりさせるという)独りよがりによって生まれた悲劇(スキャンダル)を中心に描いています。時代考証もしっかりしていてこちらも私の好きな古装劇です。

ひとりひとりのレベルでは核保有とその使用に関しては反対でも、国レベル・政治がらみになると事情は別、ということがよくわかるG7の反応です。

各国が、いかに《ユダヤ人を見捨ててきたことに対して(ナチスの蛮行を見逃したことに対して)》負い目を感じているか、イスラエルについてはどんな悪行も非難できない《それぞれの国の思惑》が分かりやすい状態で暴露されたと思います。

私は、長崎市に対する各国の《的外れな批判》は言い逃れであり、脅しだと見ています。

イスラエルが行っていることはジェノサイドであり、ユダヤ人絶滅をもくろんだナチスと同じです。こういう表現をすると、烈火のごとく怒り狂う彼らの反応は体験済みですが、あえて言い切ります。

なにより、当の原爆投下国が不参加を真っ先に言い出すなんて笑止千万。

長崎市民の真意と総意を理解しないのなら、これから先も来なくて宜しい。

G7上等です。

今回不参加を決めた国々は「核兵器の使用は長崎を最後に!」という長崎市民の願いを踏みにじったことを忘れません。

8月9日に開かれる長崎の平和祈念式典へのイスラエル招待はないようです。

私は、ガザの停戦を求める書簡を送るにとどめるという長崎市の決断を支持します。

長崎市長は不測の事態が起こるリスクを回避するため、と理由を明らかにしています。招待状を出さないと分かった時点で、アメリカとイギリスの駐日大使は素早く出席しない意向を明らかにしました。

アメリカもイギリスもガザ侵攻を認め、停戦など求めていないのでしょう。

ロシアやベラルーシと同一視するのはおかしいと云っていますが、私はむしろ広島の祈念式典にイスラエル大使が出席したことに違和感があります。

核保有国であり、ガザ侵攻をやめず停戦にも応じない国がどのように平和を祈念するというのでしょう。

各方面からの長崎市への圧力が無いように願うばかりです。

ハン・ガンの小説の2冊目は

本『菜食主義者』 きむふな訳 クオン 2011年初版 「新しい韓国の文学」1

 

それぞれ別の主人公を据えた連作小説集です。

目次

「菜食主義者」

  妻について語る夫。なぜ結婚したのか、妻の特徴、妻の変容、妻の家族、妻の

  変化に自分はどのような対応をしたのか、などについて語られます。

「蒙古斑」

  妻の姉の夫の視点からみた義妹と家族。映像作家として義妹を素材にして短編

  を撮るのですが・・・。ことは抗いがたく思いもよらない方向へ進行します。

「木の花火」

  入院した妹を見舞う姉。妹の夫はすでに遠い存在になり、家族の支援も理解も

  無く、危うい絆で妹を生かしている姉が感じる呵責。「なぜ食べなければなら

  ないか。なぜ死んではならないか」という妹の問に答えられる人はおらず、生

  かすための医療処置の無残に耐えられなくなる姉。

著者あとがき

訳者あとがき

 

午前8時15分、広島に原爆が投下されました。私が小・中学生のころは、8月6日は夏休み中の登校日で、校庭に集まった生徒は、8時15分のサイレンを合図に黙祷をしました。広島について語らないことを選んだ人々がいます。私の大好きな三宅一生もまた、長い間語ることができなかったひとりです。語らない、語れない人々の心情も大事にしたいと思います。

一方でハン・ガンは、語りにくい、語れないことをなんとか言葉にしようと模索している詩人のようです。心に深く沈潜するこの作品、お薦めです。

高山寺展で求めた煎茶を淹れてみました。

美味しい!

「美味しい宇治茶の淹れ方」というパンフレットには、

茶葉は3人分で大匙山盛り2杯(約10g)、お湯の量180㏄、温度は70~80℃、時間は45秒~1分と書かれています。一人当たり60㏄ですから小さ目のお茶碗です。

私は温度は少し低めに、滲出時間を長めにして3人分の湯量で2人分に注ぎ分けました。使ったお茶碗は朴英淑(パク・ヨンスク)さんと、卵殻のように薄い清水焼の瓔珞と七宝繋文(の金継していないお茶碗)。良いお茶碗も美味しいお茶の要素のひとつ、おろそかにできません。

白い見込みに薄~い翡翠色のお茶の色が映えます。いつもいただいている煎茶よりずっと薄い色で、うま味の強い美味しいお茶です。苦味や渋みはまったく無く、色も味も極上の龍井茶のようです。たぶん龍井茶と同じようにカテキンなどのうま味成分が多いと思われるので、眠気覚ましに向いていると思います。寝る前は避けた方がよいでしょう。駆けつけ3杯じゃありませんが、3煎目まで十分美味しくいただけました。

茶葉も味わってみましたが、甘味と香りがほろほろと口中に広がります。

宇治には有名な老舗の茶舗がありますが、𠮷田茶園のお茶は初めて味わいました。

 *茶舗の名は正しくは“𠮷田”ですがタイトルに使うと𠮷の文字が消えます。

  タイトルと文中の文字が違うことをお断りしておきます。

  

朴さんのお茶碗       清水焼

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今日の札幌は夏日にもならないとの予報だったので、劉慈欣の短編集を返して新しく借りようと図書館へ行きました。

今回借りたかったのは漢江(ハン・ガン)の『別れを告げない』『菜食主義者』『回復する人間』ほか、チョ・ナムジュの『ミカンの味』『82年生まれキム・ジョン』、

イーユン・リーの『独りでいるより優しくて』『理由のない場所』、劉慈欣の『三体Ⅱ上・下』『流浪地球』『円』・・・などでした。

『別れを告げない』は70人待ちとかで、×2週間と考えると3年くらい先になるし、『流浪地球』も30人以上が待機中でこれも1年以上かかります。(待機者がいると延長は認められないので、単純に人数×2週間で待ち日数が出る)

そんな先だなんて!待っているうちに忘れそう(寿命も尽きそうだし)なので、予約リストに登録したのは他の館にあって1週間くらいで届くと云われた『三体Ⅱ上』『円』(「円」は読んだけれどほかの短編狙い)『理由のない場所』の3冊にしました。

めでたく借りられたのは『菜食主義者』と『三体Ⅱ下』です。『三体』シリーズは凄い人気だそうで『上』のめどがついているので『下』の確保をすすめられました。

これだけ目当ての本を借りるのが難しいと、文庫なら買っちゃおうかな?とついつい《もう、本は増やさない》という決心がぐらつきそうになります。でも買わずに帰宅した私、エライわぁ拍手

道中で短編集『菜食主義者』のうちタイトル作品を読んでしまいました。感想はのちほどまとめて報告しますね。

 

『老神介護』 劉慈欣 大森望 古市雅子訳 角川文庫 2024年 初版

 

今や中国を代表するSF作家劉慈欣の短編集。2022年に刊行された単行本の文庫化です。著者の多様な作風を知るうえでお勧めです。文庫に特別に付された著者のエッセイが、現代中国のSFの越し方を知るうえで、とても参考になります。

  なお、表紙の著者名にはリュウ・ジキンとカタカナで書かれていますが、

  訳者の古市さんはハヤカワ文庫と同じようにリウ・ツーシンとフリガナ

  していますので、こちらが原音に近いと思われます。

タイトルは19日に紹介した現代中国SF短編集『折りたたみ北京』に掲載の「神様の介護係」と同じ作品です。

目次

「老神介護」 紹介済みなので省略

 

「扶養人類」

  殺し屋滑腔は豪華なホテルの豪華なスイートで、三ピースの加工を依頼される。

  神文明が地球を離れてから3年後、兄文明の宇宙船が一隻空に浮かんでいる時

  だった。滑腔は指示されたピースのもとを訪ねる。富の頂点にいる富豪たちが

  加工を依頼するほど彼らを脅かしているのは最下層の人々だった。今までの依

  頼との違いに合点がいかない滑腔(この最下層の人々の描写はまるで郝景芳描

  く、折りたたまれる北京の下層の住民にそっくり!)。大富豪たちの狙い、兄

  文明との関り、富に左右されずに泰然としている三ピースの事情が徐々に明か

  される。進化した文明・富の分配などが抱えるパラドックスが面白い。

  「老神介護」の後日談。

 

「白亜紀往時」

  白亜紀の終わりごろのふつうの日。このころは、二つの大陸に棲み、蟻と共生

  関係を結んで高度な文明を築いていた恐竜の時代。ユーモラスでシニカル。

  1情報化時代 2蟻のストライキ 3最後の戦争 4雷粒 5海神と名月 

  6恐竜世界の破滅 7究極の抑止 8リモートステーション戦役 9長い夜

  ★全球凍結のあと、生き延びた蟻が最後に交わす会話がこの短編の結び★

  「いつか世界がまたあたたかくなったら、ほかの動物がまた驚異の時代を築く

   だろうか?」

  「可能性はある。それはきっと、大きな脳みそがあって、手が器用な動物だろ

   う」

  「そうだな。しかし、恐竜のように大きくてはダメだ。恐竜は食べる量が多す

   ぎて、生きるのに苦労する」

  「われわれのように小さくてもダメだ。脳みそが足りない」

  「ああ。しかし、そんな驚くべき動物が現れるだろうか?」

  「現れるさ。時間はかぎりないんだ。どんなことでも起こる可能性がある。

   どんなことでも」

 

「彼女の眼を連れて」

  休暇をとったぼくは、連れて行く眼(センサーグラス)を選ぶ。眼の主は若い

  女性研究者。彼女はタイムラグを感じさせない距離にいるらしい。詩的な佳編

  プロローグ 1草原 2落日6号 3透明な地球

 

「地球大砲」

  資源の枯渇、環境悪化対策で世界は南極に注目する。眼の主と家族の話。

  プロローグ 1新個体 2蘇生 3南極裏庭化プロジェクト 4地獄の門 

  5大トンネル 6災厄 7沈淵(シェン・ユェン)の死 8南極 エピローグ

 

 訳者あとがき 古市雅子

 文庫版への付記

 エッセイ「われわれはSFファンである」 劉慈欣

 

私が使っているのは、セイコーSR-G10001 PASORAMA という辞書です。

国語4種類、英和・和英8種類、英英10種類、百科事典はブリタニカの日本語と英語、それに実用としてビジネス英会話と論文のための英語文系・文例辞典、それにカード化したイタリア語辞典(伊和・和伊・伊英・英伊・旅行会話など)を入れています。

充電機能の衰えが見られるもののまだまだ使えるのですが、開いたり閉じたりするとバキバキ音がします。売り出してから15年くらい経っているので同じタイプがあるかどうか・・・、通販サイトにはありますが、価格の開きを見ると状態に信頼が置けません。なだめながら使いつつゆっくり探そうと思います。

 

はちみつをかけると美味しいものは?

ヨーグルトにかけて、毎朝いただいています。

青森の養蜂家さんの蜂蜜です。蜂蜜はビンを開けたときに蜜種の花の香りが立ちます。リンゴや栗の蜂蜜の香りが好きですが、少量なのでちょっと手に入れにくい。

このところ国産の純粋蜂蜜は価格が上がり続けています。ここのは比較的安い方でしたが、それでも50%以上(種類により差がある)値上がりしています。

蜂蜜代が馬鹿にならないので、恒例の梅の蜂蜜づけはつくらなくなりました。

 

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8月1日(木)午後7時~ 札幌芸術文化劇場ヒタル

 

プレトーク:下野竜也

 

早坂文雄(1914~1955) ~生誕110年記念~

「二つの賛歌への前奏曲1935」

・・・・・・休憩・・・・・・

スメタナ ~生誕200年記念~

連作交響詩「わが祖国」

 Ⅰ ヴィシェフラド(高い城)  Ⅱ ヴルタヴァ(モルダウ)

 Ⅲ シャールカ  Ⅳ ボヘミアの森と草原から 

 Ⅴ ターボル  Ⅵ ブラニーク

 

2024年4月から首席客演指揮者に就任した下野竜也さんのお披露目公演です。

下野さんは研究熱心で、今回も早坂文雄さんの自筆譜を丹念に精査・研究されたとのこと、その時に感じたこと、聴きどころなどをプレトークで話してくださいました。

プレトークで予備知識を仕入れたお陰で、初めて聴くにもかかわらず親しみを持って「二つの賛歌への前奏曲」を聴くことができました。

  この曲は極貧の生活をしつつ、独学で音楽の道に進んだ早坂文雄21歳の時の

  作品で、札響は1968年に演奏しています。

 

後半は全曲一挙演奏されることが稀な「わが祖国」、たしかに全曲を生で聴くのは初めてでした。「高い城」のハープを聴いたとたんに、1989年夏に一人旅をしたプラハでの出来事を思い出して、ヴァツラフ広場を埋めた群衆の熱気の中にいる気がしました。ベルリンの壁崩壊(共産圏の終焉)は11月初めです。

  1968年の失敗に終わった「プラハの春」の時には広場にソ連軍戦車が侵入し

  たのですが、「今度は失敗しない!」の思いが確信へと変わり人々を広場へと

  駆り立てたのでしょう。ソ連の軛を逃れるという予感が浸透していて、ドルを

  欲しがる市民によく声を掛けられました(コルナは使い道が無く、出国時にド

  ルに換えることができないので断りました)。

そんなこんなで、様々な思いに揺さぶられながら感慨深く聴きました。

席は1階席最後部31列のど真ん中、いわゆる雨宿り席ですが音響のまとまりもよく、豊かな音を楽しめました。オーケストラを聴くには良い席だと思います。

 

札響のかごんまもん3人のふるさと談義(?)下野さんもかごんまもんです

 

『鳥獣人物戯画』展示が乙巻に代わったので、甲巻との違いと類似を確認しに行ってきました。

まずありふれた有蹄類の家畜である馬と牛が登場、続いて隼、犬、鶏といずれも生態をよく観察してリアルに描いています。家畜の描き方に年中行事絵巻との類似性もあるということで、描いたのは宮中の絵所の絵師という説もあります。擬人化された動物というモチーフの重複を避けていますが、一方で背景は、甲巻と同様自然の風景が配されていて連続性を感じます。

このあと、乙巻は水辺で魚を捕る隼(ミサゴ?)、玄武(?)と思しい甲羅を持つ四足動物が流れの中に描かれ、おなじく空想上の麒麟、毛皮では知られていた豹(奈良時代にすでに舶載されていた)、奈良時代に渡来した新しい家畜の山羊、実物は見たことが無い虎と獅子、龍、象と続き、疫病退散に威力のある獏でおわります。

普賢菩薩が乗る象や文殊菩薩が乗る獅子は仏教美術でお馴染みです。玄武(北)・青龍(東)・白虎(西)と、四神のうち朱雀(南)以外は描かれたということもできるし、麒麟(または黄龍、いずれも金/黄色の霊獸)を中央におくことで、五行思想にもつながります。仏画を手掛けていた絵仏師が作者という説は、このあたりから生まれたようです。

 

朝一番で入場して乙巻だけさっと見て、お土産は高山寺の茶園を管理している宇治の吉田銘茶園のお煎茶と、京博のトラりんと鳥獣戯画とのコラボボトル。早く見終わったので近美コレクション展「浮世絵のヒロインたち」を見て、お向かいのキタカロウ(北菓楼)Lのお菓子とお茶でひと休みして帰宅しました。

  尾形光琳の「竹虎図」の虎は、“無駄に凄んでいる”ようにも、拗ねているよう

  にも見えてちっとも怖くないところがお気に入りですが、ボトルのトラりんは

  カエルにからまれて逃げ出しているような姿態で笑えます。カワイイ!