ガウディ(1852~1926)の建築については詳しい方がたくさんいらっしゃいます。そこでガウディにちなみ、学生時代に装飾モニュメントに関わった修道院から発見された古い歌曲集「モンセラートの朱い本」から1曲。

モンセラート修道院はバルセロナ郊外鋸山(モンセラート)の麓にあり、世界遺産に登録されています。

 

「モンセラートの朱い本」より「処女なる御母を讃えよ」

Early Music Salon 

歌:曽禰愛子 リコーダー:菅沼起一 中世ダブルハープ:伊藤美恵

トムバク(tombak)&ハックブレット(hackblett):蔡怜雄(サイ・レオ)

収録:横浜Sala MASAKA 2021年12月 (中止公演プログラムより)

 

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①龍馬精神:意気軒昂、活気に満ちた、元気溌剌、年配者の生き生きした様子を称え   

      るときにも使う

「ライド・オン」のメイキングを見ていたら、馬を選ぶ時に監督が「この馬なら“龍馬精神”の言葉にもあっているし・・」のようなことを云っていました。あ、これは四字熟語なのか!と調べてみたらわかったのが上記の意味です。新年のご挨拶にも使われるらしい。この映画では老いたスタントマン(ひいては出番の少なくなったジャッキー・チェン自身)の心情も表しているように思えます。

 

②パク・ミンギュの小説は一読してやさしい(読むのに易しい&書かれている対象に優しい)けれど手ごわい。中に詰め込まれた情報が多く煩雑で複雑なうえ、饒舌な文体で、哲学的考察なども入り、時に理数系っぽいアイデアもあってSFのようにも読める、という意味で手ごわいと思いました。朝鮮半島の近・現代史の予備知識があると、仄めかされた事柄が何を指しているかが読めてきます。韓流や華流ドラマに嵌って知識を深めたり、その国の言語もわかる方々が増えているのは嬉しい。

  私は、祖父が、日韓併合以前には統監府(後の朝鮮総督府)や漢城府(ハン

  ソンブ=李氏朝鮮の司法・行政の役所)で法整備に関わったり、総督府が置

  かれて(併合後)からは司法庁の役人だったこと、父も総督府に関りがあり、

  朝鮮半島の近・現代史を知らなかったでは済まされないと思っています。

  祖父は40代で野に下りましたが、中国東北部がきな臭くなると関東庁(植民

  地行政機関)の司法官として今度は満州へ赴きました。激動の朝鮮半島・中

  国に関わった者の末裔として、これらの地域へは強い関心を持っています。

 

③作家ジョン・メーソンは実在する?『ピンポン』でモアイのアメリカに住む従兄が愛読している作家がジョン・メーソンです。いくつか紹介されているこの作家の小説、モアイの評価通り三流ですが、三流らしいぶっ飛び具合と云い、三流としての完成度といい、なかなかのものです。探してもヒットしないところを見るとやはり著者の創作なのでしょう。それにしても商売とは言え、一つの長編に収まった別の短編、しかも抜粋ではなく完成品を紛れ込ませるなんて、見上げたプロ根性だわ。パク・ミンギュ恐るべし。

本『ピンポン』 パク・ミンギュ 斎藤真理子訳 

               白水社エクスリブリス 2017年初版

卓球小説?

2004年の暑い夏、ラジオから流れてきた「パーハップス・ラヴ」を聞き(著者あとがき「近くの卓球場に行ってごらん」)、目の前に落ちてきたピンポン玉(訳者あとがき)を拾ったパク・ミンギュは、20世紀を生き延びた中学生として、21世紀にこの物語を書きました。

主人公はふたりの中学生、「モアイ」と語り手の「釘」。ふたりはセットでいじめられていて、「モアイ」はその風貌から、「釘」は殴られている様子からついた綽名です。

目次(各章ごとに段落を下げている)

ピン:原っぱのど真ん中に卓球台があった。その横には古ぼけたソファー。

   僕とモアイはソファーに座り込んで、ずっと向こうで動く巨大なクレーン

   を見る。ふたりの日常は何かと難癖をつけられて殴られること。

   モアイに初めてかけられた言葉が「卓球、する?」だった。

 

 ポン:いじめているのは5人。それを知っていても何もしない級友たち。

  

  ま、誰かはおごってやったってわけだよな:

   モアイと僕は「卓球人」セクラテンに出会う。

   

   皆さん、うまくやってますか?:

   ふたりをいじめていたチスの失踪。ピンポンをしながら、ようやくふたり

   は話はじめる。

   

    奥さんを借りてもいいかな?:

   釘はモアイの家を訪ねる。モアイの奇妙な習慣。

   ハレー彗星を待ち望む人々の会。

   

     1738345792629921 対 1738345792629920:

   失踪しても釘をパシリに使うチスだが、その態度は微妙に変化する。

   世界は初めから今まで、いつもジュースポイント。

 

      セレブレイションを歌うクール・アンド・ザ・ギャングみたいに:

   夏休み、セクラテンに教えられ、卓球が上達するふたり。   

 

       良くも悪くも:

   ラッキーとはどういうことか。

   

        九ボルト:

   ハレー彗星を待つ人々。9ボルトの乾電池を舐める会員

 

         シルバースプリングのピンポンマン:

   モアイが話してくれた小説の主人公がピンポンマン。宇宙の空白。

 

インディアンサマー、高い台、空っぽの球:

   秋、原っぱの向こうの工事は終わった。モアイの引っ越し。

   ハレー彗星のようにあらわれた巨大なピンポン玉。

 

 ご苦労様です、いやいや、どうも:

   ピンポン玉の衝突。卓球界ではじまる人類の存亡を賭けた試合。

 

  せんきゅ、せんきゅ:

   人類界の偉大な人物から代表を選ぶ。

 

   昼の話は鳥が聞き、夜の話はネズミが聞く:

   人類の代表はラインホルト・メスナー(登山家)とマルコムX

   

    も一度ピン、も一度ポン:

   試合結果は?人類はインストールか、それとも・・・

 

     カモン、セレブレイション!:

   

      あとがき 近くの卓球場に行ってごらん:

   力のない人々が痛めつけられ爆撃にさらされているのに、何事も無い

   無事なわが身という状態は、昔から今まで続いてきた。だから、人類は

   生存したのではなく、その意味も分からず残存してきただけ。

   とあとがきで述べていますが、

   扉には《安心して。安心してもいいんだよ。》と記しています。

訳者あとがき

 

これは簡潔に面白さを伝えようとしても要約しにくい小説です。著者あとがきを全文引用したら少しはわかっていただけるかもしれません。私はとても面白く読みました。『亡き王女のためのパヴァーヌ』で語り口になれたので、語り手が誰かとか、カギ括弧が使われず、しかも饒舌であることなども気になりませんでした。中学生の男の子の口調のせいか『ライ麦畑でつかまえて』(野口孝訳、白水社)のホールデン少年が浮かんできます。

 

若き日のプラシド・ドミンゴとジョン・デンバーの歌声

 

 

1980~’81年の大ヒット曲

 

 

 

 

こんな映画を見に行こうと思っていました。

 

カチンコ「ライド・オン」 (原題は「龍馬精神」) 2023年 中国

主演:ジャッキー・チェン 

 

ところが、上映している2館とも吹き替え版。ガッカリショボーン

映画は断然字幕派です。演じている俳優の声やせりふ回しが楽しみなのに・・・

吹き替え版の予告編も見ましたけど、やっぱりやめとく。

チェンの娘役を演じているのが、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」で初々しい少女役を演じて印象的だった劉浩存(リウ・ハオツン)です。なおさら中国語で見たいわ。

 

迫力全開の中国語予告編 赤菟(チートゥ)役のお馬さんがたまりません

馬にさえ馬鹿にされる年老いたスタントマン、渋く年を重ねた

ジャッキー・チェンの表情とこの声が好いのになぁ、ホント残念

なんど見ても、このお馬さん名優だわ!

先日の「無名」(冒頭場面のスパニエル系と思しい犬)といい、この映画といい、出演する俳優そっちのけで、近ごろは動物たちに目が行ってしまいます。

そんなに気になるのなら、意地を張らずに見に行けばいいのに・・・と思うでしょ、いやいや、行きません。きっと、いつか、映画チャンネルで見られるに違いないグッ

 

付録

お馬さんを主にしたこんな動画を見つけました

 

今読んでいるのは『亡き王女のためのパヴァーヌ』と同じ著者、パク・ミンギュの『ピンポン』(齊藤真理子訳)です。こちらも翻訳がみごとです。

もはや“直訳か意訳かとか、誤訳あるいは名訳”を超える域にまで達したらしい言葉の名人たちの仕事に、日々感謝している私です。

たしか鴻巣友季子さんと齊藤真理子さんの翻訳をめぐる対談があったはず・・・と探してみたら、ありました。

 

本『翻訳、一期一会』 鴻巣友季子 左右社 2022年初版

この本は、鴻巣さんが様々な方と翻訳について語り合う「翻訳問答シリーズ」の3冊目になります。齊藤さんはソウル延世大学に留学され、パク・ミンギュ作品はじめたくさんの韓国文学を訳しています。

このシリーズは共通のテキストをそれぞれが日本語に訳して、その過程で得たことについて話し合うという形式です。斎藤さんとの章のテキストは『風と共に去りぬ』(部分訳)。鴻巣さんは原文から直接、斎藤さんは韓国語に訳されたテキストを使って日本語に訳しています。この作業で、日本語と韓国語の語感や文法上の類似性が見えてきます。こどものころ、韓国の新聞を見たときに(当時は漢字ハングル交じり文だったので)なんとなく読めてしまったことに驚いたことがあります。文章の構造が似通っており、日本語と同じように韓国語にも漢語が浸透していて漢字で表記できる単語が多かったからですね。ハングル表記になった今でも、漢語由来の単語はたくさんあって、その点でも日本語との共通性が多いのです。そんなわけで、ほかの言語よりも韓国語のほうが訳しやすいのかもしれないと思っていました。

『亡き王女のためのパヴァーヌ』や『ピンポン』を読んでいると、敬語の表現方法に日本語との類似性がうかがえる場面がたびたび出てきます。敬遠や尊敬の気持ちのほかに、相手との距離感や気おくれ、あるいは強者に対するへつらいの感情も敬語(丁寧語)の使い分けで表現しています。

というようなことが確認できたので、残り6割を切った『ピンポン』を大車輪で読もうと思います。

 

なお『翻訳、一期一会』の最後に

【「多言語の交錯するほうへ」―『歩道橋の魔術師』を通じて】と題して、呉明益・温又柔・鴻巣友季子(通訳=天野健太郎)の鼎談が再録されています。

台湾の文学界や台湾語と中国語、言語的ジレンマ、日本語からの借用(そういえば、現代中国語に日本製漢語が占める割合が大きいと聞いている)・・・などなど刺激的で示唆に富んだ内容です。

この日は、もともとアフリカ統一条約発効を記念する「アフリカ難民の日」だったそうですが、2000年の国連総会で「世界難民の日」として決議されました。

 

今年のブルーライトアップはどうだったのでしょう。

ニュースで取り上げたTV局はあったでしょうか?

世界中の難民は日本の人口にほぼ等しい数になると発表されました。

【国外へ脱出した難民は】

アフガニスタンから:640万人

シリアから:635万人

ウクライナから:596万人

【国内で難民化した人は】

スーダン:910万人

シリア:720万人

コロンビア:690万人 (それぞれ上位3ヶ国のみ)

このうち、子どもの占める割合はおよそ40%で4700万人です。

(2023年末の人数 国連高等弁務官事務所の調べによる)

注目は、内戦が続くシリア難民が国外と国内あわせて1300万人を超えていることです。

 

 

 

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6月29、30日に開かれる第662回札響定期演奏会、シャルル・デュトワが指揮をする予定でしたが、体調を崩されたため急遽尾高忠明さんに変更になりました。

どうやらプログラムの変更はなさそうです。

チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」、ドヴォルジャーク「交響曲第9番」

金川真弓さんのヴァイオリンを楽しみにしていたのでホッとしています。

デュトワ人気で招待客の出席確認をするほどだったのに・・・、ま、払い戻しは無いそうなので、取りやめる方はそんなに多くはないとは思いますが。

87歳と高齢でもあるのでご無理なさらず、早く回復されるよう願っています。

 

フォーレ「ペレアスとメリザンド」よりシシリエンヌ

デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 1988年

 

昨日の続き

「月の手紙」

  自殺をはかったヨハン、「僕」のまえから姿を消した「彼女」、休学

  「彼女」からの長い手紙。

「風に吹かれて」

  手紙に同封されていたボブ・ディラン、ヨハンの転院

  アピールの仕方を承知している「その子」の登場、「彼女」の居所を探す。

「ある邂逅」

  この章は(読むことに関してはクセ者である)私の予想通り!

  でも、展開した先は・・・・そっちに行くの?う~ん。

「ハッピーエンディング」

  そんな筈は・・・・嘘でしょ!

「Writer's cut 彼と彼女 そしてヨハンのもう一つの物語」

  この章は無くても、とも思いましたがそれでは通俗的。

  「ある邂逅」以降の流れからいうと、余分だけれど・・・・。

 

「月の手紙」まででおさめられていたらとても良かったと思います。けれど、あくまでも私的な告白風の形式になっているので、それは仕方のないことかもしれません。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」と「ラス・メニ―ナス」の関りはわかりやすいのですが、著者が「ラス・メニ―ナス」から主題に選んだのが、“何か”あるいは“誰か”、を考えると、この絵の意味するところはなかなか示唆に富んでいると思います。

♪カタログを作りたくなったくらい、多様な音楽が流れていました。

 

後半を読んでいる間中、昨日YouTubeを聴いて気に入った務川慧悟さんの「ラヴェル ピアノ作品全集」を流しっぱなしにしていました。(中の1曲が「亡き王女のためのパヴァーヌ」)

ほぼ読み終わるころに曲のほうも終わって、引き続き聴こえてきたバッハの「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調」が、(小説には出てきませんが)物語の終りに寄り添うように感じられ、ふさわしい流れとなりました。(「ライターズ・カット」の背景にラジオから聴こえるという設定だったら・・・)

 

務川慧悟「ラヴェル ピアノ作品全集」より 「古風なメヌエット」

 

バッハ「ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調」BWV1041

ヴァイオリン:寺神戸亮 指揮:鈴木雅明 バッハコレギウムジャパン1998年

 

本『亡き王女のためのパヴァーヌ』パク・ミンギュ 吉原育子訳

               新しい韓国の文学12 クオン社 2015年初版

 

ハイジさんとのコメントのやり取りに刺激され、矢も楯もたまらず、昨日図書館へ走りました。

読みながら、私は樋口一葉の文を思い浮かべていました。

[この小説は句読点もあり、文章は短いながら、カギ括弧が無く、会話と地の文の区別がつかないうえに主語がいつの間にか変わるので、読みにくさを感じる読者もいるかもしれませんが、読み進むうちに著者のリズムと視点にのって全体が俯瞰できるようになってきます](⇦一葉さん風に文章を長くしてみました)

まず聴こえてくる「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」にはじまり、小説ぜんたいに通奏低音のように音楽が流れています。原作の巧さ、それにもまして滑らかな日本語で読めるのは、優れた翻訳家のお陰です。近ごろ続けて読んだ中国・韓国小説の読みやすさは、文化的にもポップカルチャーをはじめ親しみを感じる背景があるとはいえ、やはり、翻訳家の力によるものでしょう。(残雪『突囲表演』を読んでいる最中の夫も、しきりと翻訳の巧さを口にしています)

 

目次

「ラス・メニ―ナス」

  小説のタイトルとこの章のタイトルのつながりが自然に浮かび上がる。

  詩を書いていたという著者独特の文体のむこうで静かに流れる曲が実に

  しっくりきます。

「ムービースター」

  「僕」の越しかた、母と父、ある家族の肖像。ひとり暮らしはじまる。

「僕が、初めてあなたの顔を見たとき」

  小説家になりたくて数編書いてみる「僕」、アルバイト先の人間関係。

「ケンタッキーチキン」

  このタイトルを見たとき、フライドが抜けてるじゃないか!と思いまし

  たが・・・・。

「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」

  「僕」にとってのルーシー、「彼女」との距離と敬語、クラブ結成。

  ヨハンと「僕」の共通性とへだたり。

「冬、木にかかったオレンジの太陽」

  映画、デート、だんだんわかってくる「彼女」の過去とくらし。

  *1895年10月8日に起きた乙未(いつび)事変。

  閔妃(李氏朝鮮第26代高宗の正妃、明成皇后)の暗殺現場、景福宮に

  ある乾清宮が出てきます。この時はまだ日本支配の名残である旧朝鮮総督

  府の建物が残され、今ほど整備されていなかったもよう。

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」

  誕生日プレゼント、特別なクリスマス、遊園地。

  「彼女」の隠されていた気持ち。シューベルトの「鱒」。

 

1980年代のうぶで覚束ない恋の行方、昨日読んだのはここまで、続きはまた。

 

あれこれ聴いてみたけど、この小説を読むのにいちばんピンときたのは 

務川慧悟さんの演奏でした 2022年

 

ラヴェルがインスパイアされた、ベラスケス描く

マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ(結婚のためのポートレート集)

 

紫式部の父為時(949~1029)が996年に越前の守に任じられたのは、漢詩文の才能を見込まれ、当時越前に漂着した宋の商人一行70名余りの交渉役としてだという説もあるようです。大河ドラマではどのように描かれていたかは知りませんが、為時は宋商人と意気投合して漢詩のやり取りをしています。

 

『宋史』日本国の条では、第2代の太宗(趙匡義)のときに朝貢した僧奝然(ちょうねん)など遣宋使の漢文力を高く評価しています。

1002年第3代真宗の項には、福建省の海賈(かいこ:海商)周世昌が海難で日本に漂着したあと日本人を連れて帰国、日本人(為時)と交わした漢詩を持って謁見した、という記事があります。漢詩の感想は「詞甚雕刻膚浅無所取=ことば甚だ雕刻(ちょうこく)すれども膚浅(ふせん)にして取る所無し」(大意:その詩句はなかなか凝ってはいたが、薄っぺらで取り柄が無かった)とばっさり。

美辞麗句で飾られた詩より、蘇軾(自然詠)や欧陽脩(質実剛健)、黄庭堅(リアリズム)などの詩風が好まれた時代を反映した感想のようです。時代の今に遅れた、昔ながらの美文調の漢詩が主流だった日本の文化事情がうかがえますね。

 *( )内はそれぞれの詩人の作風の大雑把な“ワタクシ的まとめ”<(_ _)>

この謁見時には、おすべらかしと大量の絹織物を使う十二単など貴族女性の身なりの説明を受けたり、同行した日本人が持参した弓が使い物にならなかったのですが、長い間戦乱が無く武闘訓練の必要が無かったからとの答えに納得したようです。

 *このほかにも『宋史』では、日本では天皇はじめ官僚・貴族たちも戦乱を

  経ず連綿と続いていることに感心しています(政争までは言及していない)。