神田沙也加さんの素顔「聖子と洋服シェア」「週4ラーメン」“おひとりさま上手”だった
https://www.jprime.jp/articles/-/22805
12/22(水) 12:39配信167週刊女性PRIME
神田正輝 あまり2人とも話すようなことではないので暫くの間そっと
有吉激怒「お前らが自分の子供亡くしたのと同じ」神田沙也加さん
12月18日に急逝した女優・神田沙也加さん(享年35)の密葬を終え、
21日午後5時頃に神田正輝(71)と松田聖子(59)が揃って報道陣の囲み取材に応じた。
娘・沙也加さんのお骨と位牌を持ち、沈痛な面持ちの2人――。
父の神田は
、「大変申し訳ございません。ありがとうございます。
本当に身内の近親者のみでお別れ、そして納骨というかお骨にすることができました。皆さんご協力ありがとうございました。
ただ、今はあまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間、そっとしておいていただけたら、ありがたいと思います」
と、気丈にコメントを述べた
が、母の松田は絞り出すような声
で「本当に皆さん、お寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」
とだけ言い、深々と頭を下げた。
母子で洋服の貸し借りを
あまりに有名すぎる両親を持ち、生まれながらにして過度な注目を浴びて育った沙也加さん。
生まれた直後にはCMのオファーが20件も来たという。
行事で松田が学校に来るたびに警備員が配備され、小学校の運動会の様子がワイドショーで放送されることもあった。
'97年に両親が離婚して、4回も中学を転校したことも。
スポーツ新聞の芸能記者は言う。
「両親、特に母親はスーパーアイドルですから、沙也加さんは良くも悪くも母親の大きな影響を受けて成長したと思います。
ただ、本人が『反抗期はなかった』とインタビューで答えていたので、
外野から勝手に想像するよりも、母親との関係は良好だったといいます。
高校生のときから甘めのロリータ服が好きな沙也加さんはリボンやフリル、カチューシャ、ワンピースなどをたくさん持っていて、
母子で洋服を貸し借りし合うこともあったそうです。
かわいくてファンシーなものが好きで、サンリオやリラックマなどのグッズもたくさん集めていました」
もともと『セーラームーン』にハマって以来のアニメ好きで、オタク気質。
声優を目指して両親と同じ芸能界に入るのは'01年だが、高校卒業後の'05年から約1年半は芸能活動を休止。
その休業期間は「懐石料理屋とダイニングバーでアルバイトをしていた」と、のちに明かしている。
「そもそも、そうした経験を積んだのは、労働の尊さを改めて実感するためと、
自分がいつか生むかもしれない子どもにお金の大切さや社会でのいろいろな経験を教えたいという気持ちがあったから。
自らの特殊な育ちにより、自分と世間とは感覚のズレがあるかもしれないからこそ、
今きちんと経験を積んでおくべきだと努力していたんです。
懐石料理屋ではホールを担当し、調理の手伝いもトイレ掃除も、頼まれることは何でもこなしていました。
ダイニングバーではワンフロアを任され、水割りやカクテルを作って提供していたそうで、
接客の仕事が楽しく、自分に向いていると思ったため、本気で正社員になろうかと悩んだ時期もあったとか」
(芸能プロ関係者)
“おひとりさま”上手な一面
'06年12月に「神田沙也加」として芸能活動再開。歌手や声優、ミュージカル女優として活路を見出し、徐々に頭角を現していった。
舞台などの番宣でバラエティー番組に出演するときなどは、ラーメン愛を語るなど一部のプライベートも披露している。
特に母親の出身地である博多系のとんこつラーメンが大好物だったという。
「沙也加ちゃんは週に3~4回はラーメンを食べるほどのラーメン好き。
思い立ったらすぐに食べたくなるため、ラーメン屋だけではなく牛丼屋や焼肉屋にもひとりで行くタイプ。
気になった店にふらっと入ってランチをすることも多かったようです。
ひとりで映画を観たり、カラオケやゲームセンターに行ったり、旅行に行ったりするのもやすやすとこなしていました。
沙也加ちゃんはフットワークが軽く自由な“ひとり上手”な人でした。
また、ラーメン好きなぶん、体型や体調をキープするため健康オタクでもありました。
ラーメン以外の食事の際は、自炊でも外食でもいつも栄養バランスを気にしていると話していました。
朝から晩まで1日中街をブラブラと歩き回ることもあり、いい運動になるからと、積極的に散歩していた印象です」
(ファッション誌編集者)
最近では「聖子の娘」「親の七光り」という印象も段々と薄れ、独自路線を突き進んでいただけに、残念でならない。
神田沙也加さんが札幌のホテルで転落死、突然すぎる急逝の裏にあった「相方の非常事態」
https://www.jprime.jp/articles/-/22750
週刊女性PRIME
小学生時の神田沙也加さん、松田聖子と運動会でのハッスル姿
まさに“悲劇”が起こってしまったーー。
12月18日、歌手で女優の神田沙也加さんが、北海道札幌市内にあるホテルから転落し、他界。35歳だった。
亡くなる前日の様子
「神田さんは18日の昼ごろ、滞在していたホテルの14階の屋外スペースで倒れているところを発見され、緊急搬送されました。
近隣の病院で治療を施されましたが、そのまま……。
彼女の宿泊していた部屋は20階以上の高層階だったことから、自室から14階まで転落したと思われます。
警察は“飛び降り自殺を図った可能性もある”と、捜査を進めています」
(スポーツ紙記者)
この日、自身が主演を務めるミュージカル『マイ・フェア・レディ』の札幌公演に出演する予定だった神田さん。
「正午に開演する昼公演の直前まで連絡がつかなかったため、当日はダブルキャストで主演を務める朝夏まなさんが急遽代役を。
スタッフさんたちが、何度も彼女に連絡を取ろうとしてもリアクションがない状況で、みんなかなり慌ててしまって……。
その後、スタッフや出演者にも“神田さんが危険な状態にある”ことが伝えられました。
公演まっただ中のことだったのでみんな動揺しきり。亡くなる前日までいたって元気な様子だったのに、どうして……」
(公演スタッフ)
神田さんにとって'21年は、芸能生活20周年という記念すべき年だった。
過去のインタビューでは「芸能生活のターニングポイントになったほど思い入れの強い作品」と語っていた『マイ・フェア・レディ』。
その公演中に起こった悲劇に、多くの人々が絶句している状況だ。
大きなダメージを与えた出来事
「もし彼女が自ら飛び降りたということであれば、首をひねるというか、あまり理由が思い浮かばないんです……。
確かに、神田正輝さんと松田聖子さんの長女ということで、
'02年に歌手デビューしてからはずっと“大物両親の2世”として注目され、大きなプレッシャーを抱えていました。
一時期は“芸能界を引退したい”とまで話していたんです。
しかし、周囲から“辞めるのはもったいない”と説得され、芸能活動を続行。
その後は圧倒的な歌唱力を生かしてミュージカル界で活躍し、“松田聖子の娘”ではなく、
今では“神田沙也加”として評価されていたんですよ」
(芸能プロ関係者)
その実力が世間から一気に認められたのが
'14年に公開されたディズニー映画『アナと雪の女王』で主演のアナの日本語吹替えを好演したこと。
それからも数々の有名ミュージカルに出演し、仕事は順調そのものだった。
だとすれば、私生活に何か異変が起こっていたのか?
村田充と神田沙也加さん
「'17年に結婚した俳優の村田充さんとは約2年で離婚。
子どもが欲しかった村田さんに対して、あまり前向きではなかった神田さんとの価値観のずれが大きな原因だったそうです。
でも、離婚後はいい友人関係で、時折食事するなど定期的会っていたんですよ。
村田さんが神田さんにあげた犬を、今でも可愛がっているほどでした。
当時、ジャニーズJr.だった秋山大河との不倫疑惑も報じられてしまった神田さんですが、変わらず笑顔で元気に仕事をしていました。
というのも、彼とはずっと同棲生活を続けており、何なら村田さんにのろけるくらいラブラブでしたから」
(同・芸能プロ関係者)
私生活も順風満帆だった神田さん。
しかし最近、“相方の異変”を目の当たりにしてしまったという。
「そのことが彼女の心に大きなダメージを与えていた」と明かすのは、あるレコード会社関係者。
相方が語っていた“希望”
「神田さんが亡くなるちょうど3か月前、『ALICes(アリセス)』という音楽ユニットでコンビを組んでいた
歌手の黒崎真音が、インターネットで配信していたライブ中に倒れてしまったんです。
救急搬送されて『硬膜外血腫』と診断されて緊急手術し、当面は療養中のため、ステージ復帰はまだ遠い。
年齢が1歳差の2人は親友と言えるほど仲が良く、プライベートでもお互いを支え合う関係だったようです。
神田さん本人も“本当のきょうだいみたい”と周囲に話すほどでした」
黒崎が搬送された際、神田さんは自身のツイッターで、
《出来るなら今すぐ駆け付けたい、代わってあげたいよ》
とツイートしている。
「目の前で親友の黒崎が倒れたことに精神的なショックが大きかったようです。
神田さんは泣きじゃくって、しばらくの期間はかなり沈んだ様子でしたね……。
売れっ子の彼女は最近、仕事のオファーが絶えることはなく、オーバーワーク気味ではありました。
嬉しい悲鳴でしたが、仕事のストレスや親友の緊急搬送などが重なって、精神的に不安定になっていた可能性は否定できません」
(同・レコード会社関係者)
神田沙也加さんと黒崎真音(『ALICes』の公式インスタグラムより)
奇しくも神田さんが亡くなった12月18日、黒崎は自身のブログで、
《やりたいこと、戻りたい場所がありすぎるので諦めずに行きましょう》
と、現在の体調を報告しながら未来への希望を語っていた。もう、神田さんと黒崎が2人で一緒に輝くステージを観ることはできないーー。
硬膜外血腫《3ヶ月の今》
https://ameblo.jp/kurosakimaon/entry-12716390242.html
神田沙也加に降りかかる「ジャニタレに手を出した」ことへの制裁
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佐々木博之(芸能ジャーナリスト)週刊女性PRIME
'19年も終わろうとしているこの時期、やはり飛び込んできた芸能人の離婚報道。
神田沙也加と村田充が離婚した。
いや正確に言うなれば、離婚していたのだ。
相手はジャニーズJr.のグループ『MADE』のメンバー・秋山大河だという。
『女性セブン』(12月19日号)によれば、ふたりの出会いは今年の夏に共演した舞台。
地方公演もあり、一緒に過ごす時間が夫といる時間より長くなる。
惹かれあっているならば必然的にお互いの距離も近くなる。
沙也加が秋山と親密になるのにそれほど時間はかからなかっただろう。
ただ、沙也加は結婚していた。『セブン』の記事にはこうタイトルが打たれている。
『アンチ聖子の沙也加 アナ雪「不倫の代償」』
『セブン』によれば今年10月に沙也加が家を出たというが、同誌の直撃に対し村田は別居も離婚も否定していた。
一方、沙也加の事務所は同誌にコメントを寄せて、すでに離婚は成立していることを明かしている。
その時期が限定されていないことから、不倫の可能性も出てくるの
だが、不倫かそうでないかによって、沙也加と秋山の立場が大きく変わってくる。
岡田准一、中島裕翔のケースは
「ジャニーズタレントの熱愛発覚は一大事です。それは世間的にということではなく“対ファン”という意味で、です。
嵐の大野君の熱愛が発覚したとき、ファンからバッシングを浴び
コンサートで“裏切り者”と書かれたうちわが会場で振られたことがありました。
二宮君は結婚できましたが、許せないと思っているファンがいまだにいます。相手の女性に対する非難も止みません」
(芸能プロ関係者)
それが“不倫”であったりしたら、ハレーションはさらに大きくなると。
「宮崎あおいさんが高岡蒼佑さんとまだ離婚していないときに、V6岡田准一くんとの交際報道が出ました。
岡田くんはファンから総スカンでしたし、宮崎さんもバッシングされました。
結婚しても“不倫略奪”のイメージは拭い去ることができていません。
不倫ではありませんでしたが、吉田羊さんと中島裕翔くんの場合も、
吉田さんがかなり年上ということで、“そそのかした”みたいなイメージをもたれ、中島くんのファンから攻撃されていましたね」
(スポーツ紙記者)
心配なのは秋山ファンの動きだけではない。
「これからという時にスキャンダル発覚ですから、ジャニーズ事務所としても頭が痛いでしょう。
沙也加さんに対して怒り心頭だと思います。
今回のケースはまだデビュー前のJr.ですが、“共演中に親密な関係になった”という悪質な事例として、捉えられている部分が大きい。
今までの例から言えば彼女はこの先、ジャニタレとの共演NGとなる可能性が高いでしょう。
吉田羊さんが出演する映画・ドラマについては、制作サイドがジャニーズとなるべく共演させないよう配慮しているといいます」
(前出・芸能プロ関係者)
舞台を中心にしている彼女にとって、その活動の幅が狭くなる可能性も拭えない。
母・松田聖子のDNAを受け継いだなどと、たびたび週刊誌などで揶揄されてきた
が、母はどんなスキャンダルも見事に乗り越え、スキャンダルを肥やしにし、
気が付いたら誰もが認めるスーパースターの地位を築きあげた。
沙也加はどうか。
神田正輝、沙也加さん急逝の計り知れない悲しみ 記者に明かしていた「親子を超えた関係性」
https://www.jprime.jp/articles/-/22792
週刊女性PRIME
12月18日、神田沙也加さんが突然死した。35歳という若さでのまさかの出来事に、世間は悲しみに暮れている。
主演ミュージカル『マイ・フェア・レディ』出演のため滞在していた札幌市内の宿泊先のホテルの高層階から転落し、亡くなった。
部屋に3か所ある窓のいずれかが開いていて、警察は高層階の部屋から転落した可能性が高いとし、事件性はないとみている。
遺書などは残されておらず、なぜ落ちてしまったのかについてはニュースやネットなどでさまざまな憶測も飛び交うことに。
20日に放送された『バイキングMORE』(フジテレビ系)でも
司会の坂上忍は「何だろう。原因って知る必要があるのかなっていう気がしているというか」
とのコメントを残した。
転落する直前、父・神田正輝に電話をかけていたことが明かされている。
「沙也加さんに近しい関係者によると、
神田さんが出演する生放送『朝だ! 生です旅サラダ』(テレビ朝日系)の番組が終了後のした
午前10時ごろ、沙也加さんから“誕生日を前祝い”するために電話かけていたといいます」
(スポーツ紙記者)
「娘の舞台、観にいってやってよ」
神田正輝と歌手・松田聖子の長女として誕生した沙也加さん。
2001年に芸能界デビュー、ディズニー長編アニメ『アナと雪の女王』(2014年)の日本語吹き替え版で王女アナの声を担当したことが話題に。
その後も歌に演技に、と親譲りの才能を発揮してきた。
報道によれば正輝は20日に札幌入り、沙也加さんと悲しみの対面を果たすと報じられている。
記者たちの問いかけに対し、「ありがとうございます」と気丈に語っていたとも──。
神田正輝を取材し、面識のある芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は、10年ほど前、
沙也加さんと対面したときのエピソードについてこう話す。
「私が大阪で仕事していて 神田さんが『旅サラダ』で大阪にいらしていたときのこと。
たまたま泊まっているホテルが同じで、沙也加さんを連れているときにロビーですれ違うと、
『佐々木さん、娘です』と紹介してくれたんです。
『もちろん知っていますよ』と返すと、『だって“大阪で若い女性と密会していた”なんて書かれちゃうかもしれないし』とおどけていらした。
あまりベッタリな親子関係ではなかったそうですが、時間があうときに神田さんと沙也加さんは食事をしたそうですよ」
佐々木氏はその昔、取材で正輝と聖子、
そして父親に抱かれた生後10ヶ月の沙也加さんが自宅を出てきたところを取材したことがあるという。
ホテルで遭遇したときは、そのことについても触れたようで、
「冗談半分で沙也加さんに“小さいころに会っているんだけど覚えていないよね?”と問いかけてみたんです。
“えっ、そうなんですか”と明るく反応してくれました。芸能記者の私にも隔てなく、オープンに話をしてくれましたね。
去り際に神田さんは『娘の舞台、観にいってやってよ』と残して、沙也加さんとどこかへ行かれました。
ふたりは親子という関係性を超えたところもあり、“仕事の面で互いに尊敬し、刺激しあっている”と聞きました。
今回の沙也加さんの訃報はただただ悲しいとしか言いようがありません」
(佐々木氏)
2018年に出版された沙也加さんの著書『Saya Little Player』には神田からの直筆メッセージが寄せられている。
そこに書かれているのはこんな言葉だった。
《パパが何処(どこ)に居ても 見えなくても 沙也加を愛しているよ》