神田沙也加さんが悩んでいた「年下俳優との恋」 札幌から友人へ“最後の電話”も

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12/21(火) 11:15配信 427 NEWSポストセブン

 

神田沙也加さん札幌市内ホテルの窓から転落死

神田正輝、娘・沙也加さんと無言の対面へ

松たか子神田沙也加さんに2種類の追悼文

松田聖子娘と3人で〝最後の時間〟

松田聖子娘と3人で〝最後の時間〟2

神田沙也加さん大地真央を「ママ」と呼び信頼


 歌手で女優の神田沙也加さん(享年35)が12月18日に急逝した。

今も芸能界は悲しみに包まれている。過

去の共演者たちはもちろん、沙也加さんの両親と親しいタレントたちも、次々と辛い思いを明かしている。

 


『アナと雪の女王』大ヒット記念イベントでの沙也加さん。共演のピエール瀧、松たか子、May.Jと(2014年3月撮影)

 

『マイ・フェア・レディ』初日前会見での沙也加さん。今回代演した朝夏まなと、別所哲也、寺脇康文と(2018年9月撮影)

 

着物コレクションに参加した神田沙也加さんと母・松田聖子(2003年撮影)

 


 そんな中、父で俳優の神田正輝(70才)は20日午前、沙也加さんと悲しみの対面をするために、札幌入りした。

12月19日からのディナーショーを中止にした母の松田聖子(59才)も、所属事務所が「未だこの現実を受け止めることができない状態です」と代弁している。

「12月21日に聖子さんと正輝さん、沙也加さんの事務所関係者らが、札幌市内の斎場で沙也加さんを荼毘に付し、遺骨を持って帰京するようです。聖子さんが沙也加さんと会うのはかなり久しぶりのようでしたが、まさかこんな形で再会するとは思ってもみなかったはずです……」

(芸能関係者)

 舞台で、歌い、演じることに人一倍の情熱を注ぎ続けて、デビュー当初に一部で囁かれた“親の七光り”とのレッテルを、努力と実力で剝がしてみせた沙也加さん。


ある演劇関係者は「今回のミュージカル『マイ・フェア・レディ』のイライザ役は、“もう一人のママ”と慕っていた大地真央さん(65才)が、600回以上も主演を務めた代名詞の役。その後継は念願だったのになぜ? それが我々の心境です」と、無念の表情で言葉を絞り出した。

 札幌市内のホテル22階の窓からの転落には、「コロナ禍で窓が全開可能になっていたのでは。事故か」などとする情報が飛び交ったが、その後「最大15センチほどしか開かないようになっている」との報道があって、錯綜している。

遺書は残されておらず、理由は依然不明のままだ。

 かつては、交際相手や結婚を反対された時期に、聖子との母娘関係がぎくしゃくしたこともあった。

「母娘仲は離れたりくっついたり繰り返していた。それでも、近年の親子仲はそこまで悪くなかったと聞いています」

(あるベテラン芸能レポーター)

 

村田充

 


 一度は自分で新たな家族を築いたこともあった。2017年に俳優の村田充(44才)と結婚したが、2019年末に離婚。

その際には、元ジャニーズJr.の秋山大河(29才)との交際も発覚していた。

ただ、ある舞台関係者は「秋山さんとの交際は、今年に入って終わっていました」と明かす。

 そして「その別れが辛いもので、しばらく引きずっていた沙也加さんが、次に出会ったのが、少し年下の俳優Aさんでした」と続けた。Aとはこの夏に急接近していった。秋山との破局で弱っていた沙也加さんを癒す存在だったという。

「ふたりは夏が終わってしばらくしてから付き合うようになったそうです。Aさんは沙也加さんを新たに支えてくれる存在だったのですが、次第にそのAさんとの関係にも悩むようになっていったとも聞いていました」(前出・舞台関係者)
 Aは舞台やテレビで活躍する俳優で、若手の有望株でもあった。

 

「10月ぐらいから交際がスタートしたのですが、12月に入って関係が悪化したそうです。2人の間で交際に関する意識のズレがあったようで……結婚に対する考えの違いだったと聞いています。沙也加さんはAさんとのことだけでなく、喉を痛めていて、“手術が必要になったら歌えなくなるかも”という不安も抱えていました」

(前出・舞台関係者)

 転落直前の12月18日午前10時ごろ。

父・正輝に、21日の誕生日の前祝いの電話をかけていたといわれている。

だが、電話をかけていたのは父だけではなかった。

沙也加の知人の一人は「彼女が本当に信頼している友人数人に札幌から電話をかけていたそうです。詳しい内容はわかりませんが、他愛もない話だったとか……」と明かす。

「本当はそっとしといてあげたいっていう気持ちはあります」との落語家の立川志らく(58才)のような意見がありながらも、多くの人は「一体なぜ?」という思いもぬぐえずにいる

。沙也加さんを知る人であればあるほどに、その悲しみの深さとやり切れなさは、計り知れない。

 

映画『宇宙戦艦ヤマト』の初日舞台挨拶に登壇した神田沙也加さん


【相談窓口】
「日本いのちの電話」
ナビダイヤル0570-783-556(午前10時~午後10時)
フリーダイヤル0120-783-556(毎日午後4時~午後9時、毎月10日午前8時~翌日午前8時)
「日本いのちの電話連盟」
https://www.inochinodenwa.org/

 

神田沙也加さん急死 母・松田聖子世代にも衝撃「聖子ちゃんに幸せ続いてたのに」

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12/20(月) 16:15配信613NEWSポストセブン

 2021年も残りわずかとなったタイミングで、衝撃的なニュースが飛び込んできた。

歌手で女優の神田沙也加さん(享年35)が18日、滞在先の北海道のホテルの高層階から転落。

死亡が確認された。

訃報を受けて20日午前11時半頃、父の神田正輝が北海道へ到着した。

沙也加さんと悲しみの対面をするとみられている。

 18日、沙也加さんは、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』に出演が予定されていたものの、会場に現れなかったため、関係者がホテルを訪ねたところ、転落しているのが見つかった。

 沙也加さんは、俳優の神田正輝と歌手の松田聖子という芸能史上に残るビッグカップルを両親に持ち、2001年にデビュー。デビューしてからは、「芸能活動休止」(2005年)、「SAYAKAから神田沙也加に改名」(2006年)など、葛藤の時期もあったようだが、2014年の大ヒット映画『アナと雪の女王』で日本語吹き替え版のアナ役を演じて絶賛されると、近年はミュージカルを中心に幅広く活躍していた。

 娘を失った聖子は「未だこの現実を受け止めることが出来ない状態」だというが、聖子ファンにも衝撃は広がっている。

ベテラン芸能記者はいう。

「聖子はディナーショーで、ことあるごとに娘を紹介してきたこともあり、聖子ファンは沙也加のことをまるで自分の娘のように応援してきました。聖子ファンの多くは聖子とともに年齢を重ねてきた世代。若者の間では、沙也加の母親が松田聖子だということに驚く人もいるようですが、聖子世代にとって沙也加は永遠に“聖子の娘”で、成長を温かい目で見守ってきたのです。『アナ雪』がヒットした年、沙也加が『NHK紅白歌合戦』に出場し、劇中曲を堂々と歌う様子を見た聖子が号泣する姿は、ファンのみならず日本中の涙を誘いました。今回の悲劇に多くの聖子ファンがショックを受けています」

 10代の頃からトップ歌手として活躍してきた聖子だが、プライベートはとにかく波乱万丈だった。

「郷ひろみとの熱愛と破局、神田正輝との“聖輝の結婚”、不倫相手の暴露本出版、バックダンサーとの熱愛、正輝との離婚、歯科医師と再婚するも2年足らずで離婚……スキャンダルがあっても、それを糧にして走り続けてきたからこそ、今の彼女の地位があるといっても過言ではありません。

 ただ、近年は3度目の結婚生活が順調で、穏やかな日々を送っていました。母娘の確執報道などもありましたが、聖子ファンたちは、“色々なことがあったけど、母と娘がそれぞれ穏やかな時を過ごせるようになっていればそれでいい”と受け止めていました。

 それなのに今回、こんなことが起きてしまった。ファンにとっては、沙也加さんが亡くなった喪失感が計り知れないのは言うまでもありませんが、聖子がやっとつかんだ幸せが崩れ去ることへの悲しさや虚しさも少なくないでしょう」(前出・ベテラン芸能記者)

 悲しみは大きく広がっている。

 

神田沙也加さん逝去、SAYAKAでデビュー 母・松田聖子との「本当の関係性」

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紅白歌合戦に揃って出場した松田聖子と沙也加さん(2011年12月撮影)

〈これまで神田沙也加を支えてくださった皆様にご報告させていただきます。2021年12月18日午後9時40分、神田沙也加(享年35歳)が急逝いたしました〉

──12月19日午前4時、所属事務所が神田沙也加さんの急逝を報告した。

沙也加さんは18日、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の札幌公演に出演予定だったが、この日の公演は体調不良を理由に休演。

関係者によると、沙也加さんは滞在先ホテルの敷地内で倒れた状態で発見され、救急車で病院に搬送されたが、そのまま亡くなったという。

 これを受けて、母・松田聖子の様子を所属事務所は「この現実を受け止めることができない状態」とする文書を発表。

良好な関係を続けてきた父・神田正輝のコメントはまだ発表されていない。
 沙也加さんはこれまでに芸能界で多くの功績を残してきた。

 

神田正輝・松田聖子の長女として誕生

 1986年、沙也加さんは俳優の神田正輝(70)、歌手の松田聖子(59)のあいだに生まれる。

しかし10歳のころに両親が離婚。離婚後も歌手活動を継続し「ママドル」と呼ばれた聖子とともに転校を繰り返していたという。

1998年に聖子が6歳年下の歯科医師と2度目の結婚(2000年12月に離婚)をした際には米・ロサンゼルスの日本人学校に編入することに。

こうした状況のなか、彼女が日本の芸能界にはじめて存在を現したのは1999年のことだった。

「彼女はまだ中学生。母・聖子さんの曲『恋はいつでも95点』の作詞を『ALICE』というペンネームで担当する形でのデビューでした。当時の沙也加さんは4度にわたる転校をしており、有名人の子供という理由で壮絶ないじめに遭ったことをご自身の著書のなかで告白しています。そうした状況下、聖子さんは娘になんとかデビューのきっかけをつくろうとしていたのです」

(芸能関係者)

 2001年、沙也加さんは『SAYAKA』という芸名でCMに出演したことで本格的に芸能界デビューする。

“松田聖子の娘”の登場を、当時のマスメディアは大きく取り上げた。

「CM出演直後にはフジテレビ系列のドラマの主題歌にもなった『ever since』で歌手としてメジャーデビューします。さらに2003年には映画『ドラゴンヘッド』でヒロインを演じて女優デビュー。その翌月にはTBSドラマ『ヤンキー母校に帰る』に生徒役として出演します。2004年には約20倍のオーディションに勝ち残り、宮本亜門演出のミュージカルに抜擢されたことが話題に。ところが、のちにご本人は“一気にやらせていただいた結果、なんだかよくわからなくなった”とも振り返っているように『SAYAKA』名義での活動は長く続きませんでした」

(前出・芸能関係者)

 またこのころから母と娘の関係には影が──。

 

北野正人


「2004年あたりから、沙也加さんは楽曲の共作で知り合った年上ミュージシャン・北野正人と交際していました。しかし、聖子さんがこれに大反対。モノを投げ合うほどのケンカになり、当時は近隣住人の通報で警察が駆けつけるほどの騒動になったといいます。もともと聖子さんは過保護なところがあって、とにかく沙也加さんのお仕事や恋愛に口出しをしていたようです」

(前出・芸能関係者)

 

『SAYAKA』でデビューも活動休止

 こうしたなか、2005年には所属事務所が〈高校卒業をひと区切りとし、この機会にゆっくりと時間をとっていろいろなことを勉強し、将来のことを考えたい〉と発表

。しばらく芸能活動を休止することに。

「この間、彼女は『SAYAKA』ではないさまざまな名義で、やりたいことにチャレンジし、ご自身と向き合っていたのでしょう。沙也加さん、実は活動休止中にファッション誌『KERA』の読者モデルを『Lily』という芸名でつとめていました。もともとロリータファッションに興味をもっていたことがきっかけなんだとか。さらにこの間『上原純』というペンネームで聖子さんのシングル曲の作詞・作曲を行っています。多感なお年頃です。こうした“自分探し”ともとれる自由な行動は、母親離れする小さな努力であったように思えます」

(前出・芸能関係者)

 そんな彼女が再び芸能界に戻ってきたのは翌2006年のこと。

ここで芸名は現在の「神田沙也加」に。

芸能活動再開に際して、当時の『婦人公論』のインタビューに

「本名で仕事をするのは、自分自身と向き合う作業。やっとその準備ができた」

とも語っている。

 

声優学校に通って自らつかんだ『アナと雪の女王』

 

上を向いて歩こう 松田聖子&沙也加
7,116 回視聴
2020/11/05

https://www.youtube.com/watch?v=oFdFAjLiOKc

 

松田聖子&神田沙也加☆瑠璃色の地球
4,072,917 回視聴
2015/07/18

https://www.youtube.com/watch?v=GjriDr-tOdU


 その後、順調に芸能活動を続けた沙也加さんは2011年の年末、『第62回NHK紅白歌合戦』に初出場、聖子と共演して『上を向いて歩こう』のデュエットを披露した。

そして、ここから沙也加さんの芸能生活は大きく動き出す。

「女優業と並行して、声優の専門学校に通っていた沙也加さんは、翌年2012年にはテレビアニメ『貧乏神が!』(テレビ東京ほか)で声優デビューを果たしています。その後も舞台やミュージカルに挑戦してきた彼女は2014年、ついに映画『アナと雪の女王』でヒロインである王女・アナ役の日本語吹替声優の座をつかみます。そして、芸能活動15年目にして大ブレークを果たしたのです」

(前出・芸能関係者)

『アナ雪』の活躍で紅白の場に舞い戻った沙也加さん。

ミュージカル女優としても活躍し始めていたわが娘の姿に、その場で再び共演した聖子は涙するほど喜んでいたという。

「その涙は複雑なものだったのかもしれません。沙也加さんは『神田沙也加』としてデビューしてから、“私はアイドルではなく、女優。ママとは違う”という思いを抱きつつも、なかなか“聖子の七光り”という世間の評価を覆すことができなかった。そんな彼女にとって『アナと雪の女王』での活躍で、“母がいなくても私はやっていけるんだ”という自信に繋がるものになりました。しかし、この成功が母娘のあいだに溝を生むことになるのです」

(前出・芸能関係者)

 

村田充との結婚・離婚、そして松田聖子との絆は

 

離婚を否定する村田充

 順風満帆な芸能生活を送っていた沙也加さんは私生活でも大きな幸せを手にする。

2016年夏の舞台共演をきっかけに交際を開始していた前夫で俳優・村田充と結婚したのだ。

ある芸能リポーターはふたりについてこう語る。

「ふたりはお互いのペースで支え合うおしどり夫婦でした。2017年の結婚発表直後、村田さんは突然の休業宣言をします。さらに休養中は“マネジャー”のような存在で、沙也加さんのそばを離れなかったこともあって『ヒモじゃないか』と揶揄する声もありました。でも、それは沙也加さんの希望だったようです。彼女は“好きな男性にずっとそばにいてほしい”と望むタイプなんです。それでも仕事面の“夫婦格差”がネックになり、夫婦のすれ違いが顕著になってきたようです」

 結局ふたりは2019年に離婚してしまうが、この結婚が母との溝をさらに深めたという見方もある。

「もともと2015年の沙也加さん初の自著『Dollygirl』(宝島社)でも、父・神田さんとのツーショットをはじめ数々のプライベート写真を披露していますが、聖子さんの写真は1枚も掲載されていません。結婚発表でも同様に、インスタグラムに公開された写真に聖子さんの姿は見られません。一方の聖子さんもコメントを発表せず、結婚式にも出席しなかった。さらに結婚を機に、沙也加さんは聖子さんの事務所から独立するのです。このことで“母娘の断絶”がクローズアップされることもありましたが、その後、母娘関係が“復縁”したという声もあるんです」

(前出・芸能リポーター)

 沙也加さんは、自身のデビューから大ブレークにいたるまでのあいだ聖子の影響を大きく受けてきたのだろう。

しかし、壮絶ないじめに遭っていた娘を芸能界に入れ、花開かせた聖子との絆はそう簡単に壊れるものではなかったようだ。

「聖子さんは、“沙也加さんの成人後はプライベートに干渉せず、公にコメントを出すこともしない”との信念を貫いているだけで、断絶していたわけではないと思います」

(前出・芸能リポーター)

 母娘がはじめて共演した紅白歌合戦からちょうど10年。聖

子は今年の紅白に25回目となる出演を控えている。

年の瀬も押し迫った12月18日、急すぎる訃報に日本中が深い悲しみに包まれている──。