太宰治 著 「人間失格」を味わう 2 | ひさしのブログ

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人間不信、人間恐怖に喘ぐ太宰自身を投影した主人公の葉蔵にとって、人から逃れる手段として考えたのは「お道化」であったがそれも、クラスいち劣った人間として見下していた竹一に暴かれてしまう、自身が言うところの「偽善の悪計」も効力を失いかけたとき、唯一の救いとなったのは「女」というものの存在であった、男は道化に対してすぐに飽きるものの対して女は道化に寛ぎ,更にそれを要求するようになる、だから要蔵は女が喜ぶことを想定して何度も道化をやらかすのだが、それにより女というものの存在を軽んじて見下すようになる

男から頼りにされ用事を頼まれると驚喜し、女から見て葉蔵がどこか頼りなくて何かしてあげたくなる存在、いつも人に対してオドオドした態度を見せる葉蔵に対して危うくて見ていられず、守りたいという母性本能をくすぐられる女達、その女性というものの存在の利用価値に目覚めた葉蔵は出会う女性たちをやがては次々に利用していくようになる

そこには悪友とも呼ぶべき自己愛に満ちた堀木という男の存在もあったが、この男、所謂自分本位で相手のことなどみじんに感ぜず要蔵に酒や煙草,淫売婦など様々の悪癖を勧誘するようになる

葉蔵自体も内心は煙たく感じるようになるが、もちまえの臆病さから何も言えないでいる

本当にこの二人の関係のストーリーの展開に歯がゆくなるが、何故か面白いことに俺自身にもそういうものが存在している

やはりこういうタイプの人間は利用しやすいものとしにくいものの区別も自然と分かっていて、葉蔵のような人間に対しては強引に出るものの強者と思えるものに対しては常に慎重な態度を持つ、話は横にそれたが、この葉蔵やがては金の無心にも来るようになり、要蔵はその要求にこたえるために自身に惚れ込んでいる女性たちから金の無心したり着物を売却したりする

最初はツネ子更にシヅ子、果ては幼いヨシ子まで、シヅ子と心中した葉蔵は自分だけ生き残り、さらに深い負い目を感じ堀木に付け込まれる、そして自分の最も見下していた無学に思える商人にヨシ子は強姦されるが何も言えない自分に腹が立ち、見て見ぬふりをしていた堀木にも憎悪を感じるようになり、それが不眠に障害を引き起こす、そして更に罪の苦悩に追いやられた葉蔵は再び死にたい願望に苛まれていくようになる、まさに葉蔵自身が太宰本人を表しているようにも思えるのだ

まあ自分自身も不器用な方だが不器用な人間がいる一方で世渡り上手で不器用な人間を利用してその上に胡坐をかいている人間がいるのも確かだ

ところで、この「人間失格」に登場する葉蔵はその後消息不明となるが、ここではまだ自殺に至らない、ただもう人間として再起不能になってしまったというフレーズが流れるだけだ、

末段にあるような「~もう亡くなっているかも知れないね。」この一文が重々しい、この時既に太宰自身は自殺しようとする思いを強く意識していたように思える

太宰自身はその後自殺するが、それは最期の「グッドバイ」によって完結することとなる

思えば文豪と呼ばれる作家に自殺者が多い、芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫など、やっぱ何かしら病んでいて世の中に対する憂いがあるのだろうか

因みにマルクス主義に洗脳され左翼思想を思った太宰、そして対極にいるのが市ヶ谷で切腹した三島だろう