流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

】 悲観せず傲慢にならず、遥か彼方の微かな希望の瞬きを頼りに、セーレンの歌声に誘惑されず、世間の荒波に座礁しないように、市場原理の大海原を航海する。せめて言葉の夢を帆にうけて、寄る辺ない望みを胸に船出する。クルーは都会に倦んだ迷い子たち。

時に甲板から望遠鏡で覗く重層的な風景を、時に心の底に沈殿した阿呆な風刺を、時に止めどもなく吐き出される狂気の叫びを、時にノスタルジツクな幻想の記憶を、時に原初の悠遠な海のざわめきを…、ブログに託しましょう。共にブログのイデアを玩味しましょう

 

 

 

私がずっと気になっている本が一冊あります。栄光学園の生徒に向かって講義した授業を基に本にした近現代史専攻の加藤陽子東大教授の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(2009年刊行、朝日出版)です。学生向きの授業にもかかわらず、内容は結構難解でした。数年前に白内障の手術を受けて左右に眼内レンズを入れて、視力は回復したのですが、以来活字を読むのが億劫になりまして、本から遠ざかっていました。ゆっくり第5章の«太平洋戦争»を読みましたが、それでも私の何故?日本は、日本人は戦争を選んだのか・・・に答える端的な言葉はここにはありませんでした。

 

平和は悲しみから生まれるものです・・・。

 

確かに新聞ラジオなどの大本営発表の戦時ニュースと、国民への世論操作に日本国民は踊ろされていた・・・と言えます。が、親兄弟や親戚近隣の人たちの戦死の痛ましいニュースを聞いて、悲しみの末に「もう戦争は止めてくれ・・・」とは、どうして言えなかったのだろうかーナ。戦前戦中を通しての天皇制教育は、日本人の根底を支配していた。しかも戦争の統率者は天皇です。「天皇陛下のために命を捧げろ」に抵抗できる国民は皆無だろうーネ。この本の中には「戦意」を支えたこの天皇制について言及していなかった。憲兵のもつ国民への強権的な締め付けは厳しかったです、国民に戦争への反論など微塵も許されなかっただろうー。

 

オリンピック関連のニュースや番組を見ると、昨今のTVは、オリンピックへの反対の逆風をかわす為に世論操作のようなTV映像がたくさんありましたー、私は背筋が寒くなるのを感じました。政治家は、世論など簡単に操作できる、国民などはたやすく騙せるーと思っているようですーネ。国民を籠絡する保守政権よ・・・、いつまで戦後を牛耳るのか???

 

悲しみを忘れた平和は、その悲しみを繰り返します・・・。

 

 

このコロナ禍の最中、憂鬱なオリンピックが7月23日開会式から33競技339種目がいよいよ始まります。日本国民の大半が開催中止と延期を望みながら、ナントナク有耶無耶に開催がなし崩しに準備が始められ、開催が決定されました。こんなオリンピックは、私にとって憂鬱な期間にほかありません・・・。世界から競技選手・関係者が約6万人が日本の空港からオリンピック村や、各地の競技施設に移動する大規模で長いイベントです、「バブル」方式で゛「陽性患者」を閉じ込めたとしても、私には机上の空論のように思えてしょうがありません・・・。尚更にまして、日本国中では線状降水帯の発生によって、住宅が濁流によって流され死者9人、行方不明者二十人前後を出しています。こんな時期に、オリンピックだー、がんばれ金メダルだー、世界記録だーと、お祭り気分で応援できるのだろうかーネ。普通の感覚ではとてもできないだろうーヨ・・・。

 

それにしても、熱海の土石流の大被害の原因になった上流山間部の「盛り土」工事の土地開発者の社名を、何故どうしてニュースで発表しないのだろうかーネ???ネットでは、現地の反対を押し切って施工したのは韓国系企業の「ハンファエナジー」、実際に森林開発や設置作業を担当したのはやはり韓国系企業の「メガソーラー開発」(代表朴 聖龍)だそうです。条例違反なので改善を何度も警告したにもかかわらず従わなかったようです。それもそうです、違反に対する罰金がなんと20万円だそうです。そんな軽いならば無視する方が安あがりですよーネ・・・。本来ならば、テレビで責任者は謝罪会見すべきの筈ですが、事務所は空っぽだそうです、韓国に逃げたのかなー。これをスルーしているのは、憶測を言えば自民党の大物議員か地方議員の権力者が絡んでいて、恐らく政治献金か袖の下があったんじゃないのかな???

http://mybouzu.info/news/%e3%80%90%e5%9c%9f%e7%a0%82%e5%b4%a9%e3%82%8c%e3%80%91%e7%86%b1%e6%b5%b7%e4%bc%8a%e8%b1%86%e5%b1%b1%e3%83%a1%e3%82%ac%e3%82%bd%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%81%ae%e4%bc%9a%e7%a4%be%e3%81%a9%e3%81%93#i-3

 

 

「無観客」試合だとは言え民意を無視してオリパラを強行する政治は、最早「民主主義」国家とは言えません・・・ヨ、そんな政治家は早く国会議事堂から退去してほしいものです!!

 

先月6月23日は沖縄戦犠牲者の霊を慰め、世界平和を願う「慰霊の日」でした。本当はこの日に関連のある映画をブログで取り上げようとしたのですが、余りに悲惨な戦いのシーンに目を背けていたのでなかなか最後まで凝視できなくて掲載が遅れてしまいました。

 

沖縄戦は1945年(昭和20年)3月26日から始まり、6月23日に終了しました。敗戦濃厚な日本軍の劣性にもかかわらず、一億総玉砕を掲げて決して沖縄人にさえも降伏をさせなかった日本軍は、アメリ軍との壮烈な戦いによって、連合国軍と日本軍を合わせて20万人以上の犠牲者が・・・、沖縄人の犠牲者は約10万人が命を落としたという惨い戦争でした。

 

あゝひめゆりの塔』(1968年公開、舛田利雄監督』(1968年公開、舛田利雄監督、岩井基成 、石森史郎脚本)は、戦争が終わって20年経過した昭和の「今」から始まり、戦争を知らない世代の若者たちはディスコでゴーゴーダンスに夢中になっている今の世相のシーンが流れますそして、ある若者(渡哲也)が沖縄の歌『相思樹の歌』をリクエストする。この詩は映画でも流れています。また、ひめゆりの塔や糸満市にある「ひめゆり平和祈念資料館」でも流れているそうです。

 

 

太平洋戦争突入から1年半後の1943(昭和18)年夏、清楚な女学生・与那嶺和子(吉永小百合) は沖縄師範学校の生徒で登場する。男子学生は女学生に憧れて招待状なしで運動会に闖入しようとする。ただし、戦争の影は沖縄に暗く重く垂れこめ始める。サイパンで日本軍が玉砕され、戦争は沖縄が戦争の前線となり、米軍が上陸する。小学児童を九州へ疎開させる船に与那嶺の母(乙羽信子)が教師として引率者になり乗るが、その疎開船「対馬丸」はアメリカ軍潜水艦によって撃沈される悲劇が起きる。

 

1945(昭和20)年3月、沖縄へのアメリカ軍上陸を目前に、沖縄師範学校女子部(師範学校は教師養成のための学校)と沖縄県立第一高等女学校の合計240名(生徒222名、教師18名)は、「ひめゆり学徒隊」として従軍看護婦となりました。映画『あゝひめゆりの塔』は、沖縄師範学校の女子学徒隊が負傷した日本兵と混じって看護をした姿を描いていますが、米軍は日本兵も民間人も負傷兵も区別なく機銃照射し、爆弾を投下し、「ガマ」の奥深くに身を隠した女子学徒隊に爆弾を放り込んだ・・・。そして、沖縄戦は終戦末期に悲劇的な最後を迎える。

 

特にいよいよ米軍が迫った時に、日本軍は沖縄人に対して手榴弾で自爆を命令していた・・・。悲惨ですね・・・。

 

是非、コメントを一言お寄せください。必ずご返事させていただきます。尚、 誤字脱字その他のために、アップした後で文章の校正をする時があります。予告なしに突然補筆訂正追加をすることがありますが、ご容赦ください…)