太宰治著「人間失格」を味わう | ひさしのブログ

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太宰のこの小説は、幼少期からこれまでに何度読んだか数知れない、第一の手記にある「恥の多い人生を送ってきました」は太宰自身の生涯を描写しているようで、今でも脳裏に焼き付いている

この小説の主人公である葉蔵は太宰自身であるし、人間不信、自己犠牲。人間恐怖の念ももちろん太宰自身の心の表れであると思う

この主人公である葉蔵は生まれながらにして人と変わっていた、まず容貌からして為人からかけ離れている「サル」のような顔、この表現からくるものは太宰自身の卑屈さからくるものであると思うが、兎に角人に怯え人を意識するあまりにそれから逃れようと道化という行動に出る、これが実にうまくいき自身は有頂天になるが、取るに足りないようなまったく自身は鼻にもかけないようなクラスメイトに自身の本性を暴かれてしまう

これをきっかけに益々殻にこもるようになり、人の本性は「怒」にありその「怒」は獅子や鰐よりもはるかに恐ろしいものだという念を抱くようになる、そして人間社会というものは「世渡り上手」なものによって支配され人間はお互いの「不信の中で」互いに欺きあって朗らかに生きているという思いを持つようにもなる

まあ確かに自分自身も世渡り下手だし、要領のいいものだけがいつも得をしているようにも思える

そうなると益々人間恐怖や人間不信の思いが強くなって人というものに嫌悪感を抱くようになった

人の優しさは偽善であり、本来は心のうちに鋭い毒をもっている、だから人間の言葉は一切信用できない、この小説を読むたびごとに多くに共感し魅かれるようにもなった、だが面白いもので、自分の心にすっかり暗雲が消えて晴れ晴れとした思いを持つようになれば、反って「いやー精神的に病んでるなあ」と平気で第三者の立場で傍観できるようにもなる

 

 

つづく