月かげの虹
 
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やはり仕組まれていた911


http://tanakanews.com/g0516WTC.htm

 911事件は、米当局がテロの発生を意図的に防がなかったり、事件の発生 状況について現実と異なる発表を行っている部分が大きい。当日、米国の防空 システムはテロが始まる前に機能停止していたし、国防総省を破壊したのはど う見ても大型旅客機でなく、あらかじめ地上に置かれた爆弾だった可能性の方 が高いし、世界貿易センタービルの崩壊原因は飛行機の衝突によるものでなく、 事前にビル内に仕掛けられていた爆弾の爆発による制御崩壊だろう。米当局が 何も知らないまま、イスラム聖戦士がテロ事件を起こしたのなら、これらの 事象について納得できる発表を行うはずだが、実際には、米当局は疑問を持つ 人々を攻撃したり無視したりして、事実を隠している感じが強い。
http://tanakanews.com/090414GWOT.htm

テロ戦争の終わり  
911事件より前のテロやイスラム主義の関係の報道の中に、聖戦士(ムジ ャヘディン)やオサマ・ビンラディンはよく出てきたが、アルカイダという組 織名はほとんど出ていなかった。アルカイダはビンラディンが作った組織とし て存在していたが、世界的に有名になったのは、米当局が911の犯人組織と してアルカイダを名指ししてからだ。 http://tanakanews.com/f0818terror.htm アルカイダは諜報機関の作りもの  イスラム主義勢力(聖戦士)は、もともと反米なのだが、米当局はそれを逆 手にとって彼らに911犯人の濡れ衣をかけ、米国にとっての「最大の敵」に 仕立てた。その上で米軍のイラク侵攻が行われ、イスラム教徒の反米感情がさ らに煽られた。これらは前ブッシュ政権時代に行われた。現オバマ政権は、イ スラム世界との敵対を煽って「第二冷戦」的な長期対立構造を作って覇権を維 持するテロ戦争の戦略が、敵視のやりすぎによって失敗していることに気づき、 イスラム世界との和解を政権の目標に掲げた。
http://tanakanews.com/070911terror.htm

テロ戦争の意図と現実  
だが、テロ戦争で潤っていた軍産複合体やネオコン(隠れ多極主義者)が、 濡れ衣的なイラン核問題などでこの方向転換を妨害しているうちに、チュニジ アを皮切りに中東革命が起こり、その一つであるリビアの内戦化に米国は軍事 介入することになり、オバマによるイスラム世界との和解は困難になった。 ▼抜けられなくなってから状況を問題にする  しかも、今回の記事の本題である、リビア東部の反政府勢力の中に聖戦士が 多く、欧米は反米イスラム主義勢力を軍事支援してリビアの政権を取らせよう としているという問題が、ここに加わる。すでに述べたように、米当局は 1980年代からずっとイスラム主義勢力と関係を持っており、リビア東部の 勢力の中にイスラム主義が強いことを知らなかったはずがない。しかし実際に は「リビア反政府勢力の中にアルカイダがいる」という問題が表面化したのは、 欧米がリビアとの戦争を開始し、もう抜けられなくなってからのことだ。
http://washingtonexaminer.com/blogs/beltway-confidential/2011/03/admiral-us-studying-libyan-rebels-after-going-war-their-behalf Admiral: U.S. studying Libyan rebels -- after going to war on their behalf  

カダフィは以前から「東部勢力はアルカイダだ」と主張し、自分を敵視して 東部勢力に味方する欧米の戦略は間違いだと言っていた。しかし米国では「反 政府勢力の中にはアルカイダもいるが、その影響は強くない」といった言い訳 がなされ、欧米は引き続き反政府勢力を支援している。欧米がリビア反政府勢 力への軍事支援をやめると、カダフィの政府軍がベンガジなど反政府の拠点を 攻撃し、多くの一般市民が巻き添えで殺される。だからもはや欧米は、支援対 象が反米イスラム主義者と知っていても、支援をやめられない。
http://af.reuters.com/article/libyaNews/idAFLDE72S21Z20110329 Libyan civil war: An opening for al Qaeda and jihad?  

カダフィの軍勢は簡単に潰れそうもなく、むしろ巻き返している。カダフィ が延命すれば、リビアの二分が固定化され、東西が別々の国として国連から承 認される展開になるかもしれない。今後もしカダフィ政権が倒れても、その後 にできるベンガジ中心の新政権は、イスラム主義の色彩を顕在化させ、欧米に 出ていってくれと言うだろう。欧米は、カダフィを退治した後、新政権とも敵 対せねばならなくなりそうだ。リビアの新政権は、いずれ欧米に石油を売りた くないと言い出す。今のカダフィと同様、欧米に売らず中国やインドに売りた いと表明するだろう。リビア戦争は20年続くという見方が出ている。

http://warisacrime.org/content/prediction-20-years-war-libya Prediction: 20 Years of War in Libya

 米国では、リビア東部の勢力が「アルカイダ」であることが懸念されている。 だが実際のところリビア東部の政権は、今や架空の存在に近いアルカイダで なく、エジプトのムスリム同胞団や、イランの傘下のレバノンのヒズボラと親 しいイスラム主義の政権になっていくだろう。英国のクレッグ副首相は「カダ フィが倒されると、リビアはイラン型のイスラム主義政権の国になるかもしれ ない」と語っている。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-1371273/Clegg-admits-Libya-hardline-Islamist-state-Gaddafi-toppled.html Clegg admits Libya could become a hardline Islamist state if Gaddafi is toppled

 リビア東部はエジプトと隣接しており、同胞団は以前からリビア東部のイス ラム主義勢力を支援している。イランの最高指導者ハメネイ師は「欧米はリビ アを空爆するのではなく、東部の反政府勢力に武器を支援すべきだ」と述べて いる。リビア東部にヒズボラが入っているという指摘と合わせ、ハメネイの発 言は、リビア東部の勢力が親イランであることを示唆している。ムスリム同胞 団や聖戦士(アルカイダ)はスンニ派であり、イランやヒズボラはシーア派で あるが、今の中東のイスラム主義勢力の間では、スンニとシーアの対立は少な い。イランと同胞団は親しい関係にある。サウジはイランと対立しているが、 サウジ王室は米国の傀儡であり、今の中東の主流のイスラム主義でない。

http://www.jpost.com/MiddleEast/Article.aspx?id=213168 Iran's Khamenei: West should arm rebels, not bomb Libya

 エジプトはムスリム同胞団が台頭しているし、シリアでもアサド政権が民衆 革命で潰れた場合、その後の政権はムスリム同胞団だ。ヨルダンも同様だ。イ ランからリビアまでの全域が、いずれスンニ派とシーア派の反米イスラム主義 の地域となる。欧米のリビア戦争は、この流れに拍車をかけることになる。
http://tanakanews.com/110326syria.php
シリアも政権転覆か?
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時限爆弾・・・後期高齢者医療制度 




 実態が知られるにつれて後期高齢者医療制度への怒りが広がっている。ただ、少し危惧しているのは、この法律の本質。「事件爆弾」という特徴を共通の理解にすることだ、と思っている。
 高知で見れば、国保の独自減免を実施している高知市は、それがはずれれば一番所得の低い層の負担は二倍になる。他の市町村は独自減免を実施しておらず、多くは4割、6割減免制度であり、資産割が入っているので、3月の保険料の通知では安くなる人も多数でる。ところがこれが時限爆弾なのだ。
 

「あれ保険料が安くなったじゃないか」という人が、とくに公務員や民間のしっかりした企業ではたらいていた人には多いと推定している。時限爆弾たる所以は、1つは、 少子化がすすめば、保険料があがるシステムであること。2025年には3割増になる。2つめは被扶養者の保険料。政府は臨時措置として半年はゼロ、次の半年は1割負担とした。(本則で次の1年は均等割の5割)となっているが、二年後にはまともにかかる。保険料は本人の収入であるが、軽減措置は個人の収入でなく、世帯収入となっているため、均等割の満額4.8万円となる人がおおいのではないか(世帯分離での対応は可能)。また、診療報酬でも、包括医療など差別医療がいわれている。
 九条の会の呼びかけ人の一人加藤周一氏は、「時限爆弾というものはすぐには爆発しない。」「1920年代に通った治安維持法、これをすぐには使わなかった。それから10年、20年経つと、それを使って言論と集会の自由を弾圧した」、また、「2・26事件が起こって、国民が知らない間に、軍部大臣現役武官制が復活した。しばらくは市民生活には何の影響もなかった。しかし、時が経つと軍部の気に入らない内閣には、法律を使い、大臣を出さず流産させた。それが侵略戦争への道に続いた」という趣旨のことを書いている。
 ビラの弾圧など民主主義への攻撃、また、憲法二五条への攻撃も・・・時限爆弾として用意されている。

 さて、後期高齢者医療制度・・・あらためて一昨年6月14日に成立した法をきちんと見る必要があると思う。
正式名称「高齢者の医療の確保に関する法律」
・第1条の目的に 「医療費の適正化を推進するため… 高齢者の医療について、国民の共同連帯の理念」
・第二条の基本的理念は「国民は、自助と連帯の精神に基づき、自ら加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、高齢者の医療に要する費用を公平に負担するものとする。」
・第三条 国は、「医療に要する費用の適正化を図るための取組が円滑に実施……運営が健全に行われるよう必要な各般の措置を講ずる」
 …… 憲法二五条を一切無視、国による人権保障という観点は一切ない。「医療費適正化」を主目的にした初の法律。
 そして、「適正化」のために
・第八条 「厚生労働大臣は……医療費適正化に関する施策についての基本的な方針を定めるとともに、五年ごとに、五年を一期として、医療費適正化を推進するための計画を定めるものとする。
……たとえば、特定健診の実施率が低いところには、後期高齢者への国保などから支援金が一割内で積み増しされる。
・第十条 「厚生労働大臣は、「都道府県医療費適正化計画の作成上重要な技術的事項について必要な助言をすることができる。」……… 療養病床の廃止は、この「必要な助言」としてなされている。
 その削減を強制するのが14条!
・診療報酬の特例 「医療費適正化を推進するために必要があると認めるときは… 他の都道府県の区域内における診療報酬と異なる定めをすることができる。」…… 医療費の多い県は、診療報酬を引き下げるぞ、というシステムだ。
 
 与党の幹部がどう言おうが法律は正直だ。
しかし、ここまで言うなら「身土不二」の精神で、輸入を制限し、日本の一次産業を守ることに、必死になったら、といいたくなる。オタワ宣言の精神で行けば、収入の不安定な非正規雇用も健康破壊につながり規制すべきとなるが……
 本当に酷い法律だ。

February 05, 2008 in 社会保障 | Permalink


http://wajin.air-nifty.com/jcp/2008/02/post_9f76.html

禁煙原理主義




米国の映画俳優ハンフリー・ボガートは、たばこが実によく似合う男だった。

「カサブランカ」の酒場の経営者、「三つ数えろ」の私立探偵フィリップ・マーロウなど、役柄のせいもあるだろう。たばこは、ハードボイルドな雰囲気を醸し出すのに欠かせない小道具だった。

別に、喫煙を勧めているわけではない。そう断らなければならない時代なのだろうか。東大名誉教授で解剖学者の養老孟司さんと、劇作家で中央教育審議会会長でもある山崎正和さんによる対談「変な国・日本の禁煙原理主義」が「文芸春秋」10月号に掲載された。すると日本禁煙学会という団体が、2人に公開質問状を出した。

愛煙家の2人は対談で、たばこが害だとする科学的根拠への疑問を語っている。しかし、たばこを推奨しているわけではない。趣旨は、健康増進法制定など、官が健康至上主義を押しつける中で、たばこばかりが悪者になる風潮への警鐘、と読んだ。

でも気になる人には気になるのがたばこだ。禁煙学会の質問状は「肺がんの原因が喫煙でないという根拠」など6項目。山崎さんが冗談として言った大胆な発言に、「中教審会長のお言葉とも思えない」とも。高名な二人の知識人がさてどう出るか。

あとは論争に譲るとして、最近の映画では「コンスタンティン」でキアヌ・リーブスが、やたらとたばこを吸いまくる悪魔払いの男を演じた。だがそのために肺がんで余命一年という設定で、禁煙を勧める映画にも見える。銀幕の中の時代も変わった。


一夜城


 織田信長の家臣だった豊臣秀吉が大出世の足がかりをつかんだ伝説に、墨俣(すのまた)一夜城がある。長良川の岸に一夜にして城を築き、美濃の斎藤氏攻略の拠点にしたという。

 だが史実とは違うようで、辞書などには同じ一夜城でも、小田原城攻めに造った石垣山の城が出ている。実際には約80日かけて築城したが、完成と同時に小田原側の立木を一気に切り倒し、あたかも一夜で完成したように見せかけた。

 石垣は本物だったが、やぐらや塀は骨組みを紙で覆っただけという話もある。真偽はともかく、山頂にこつぜんと現れた城を見た小田原の北条勢は、さぞや度肝を抜かれたであろう。一夜城には、相手の戦意を奪う効果がある。

 現代の一夜城が現れたのが福田さん、麻生さんの一騎打ちとなった自民党総裁選。福田さんが出馬に意欲を示すやいなや、それこそ一夜にして城主に迎え入れる城ができた。材料は派閥という、いささか古ぼけた板。九枚の板のうち八枚もが集まり、福田さんは余裕たっぷりに入城した。

 早々に戦意を失い白旗を揚げた人もいた。一枚板で残った麻生さんは「芝居の幕が上がったら終わっていたという話では、いかがなものか」。気持ちは分からぬでもないが、この芝居はただの芝居ではない。国民の生活がかかっている。

 お二人には、大いに語ってもらわねば困る。政策を真剣に論じ合うことで二人の違いも見えてくる。国民が聞きたいことは山ほどある。突然城を明け渡して入院した前城主との違いもお忘れなく。

ミカエルの菱形




腰とは読んで字のごとく肉の要である。肉とはつまり肉体であり、性力のことである。古来、わが国には、腰についての成句に「腰が強い」「腰が抜ける」「腰を入れる」「腰を据える」など、いろいろあるが、これらのもともとの意味が性的なことからおこっていることは、川柳をはじめ、江戸期の軟文学を読めばはっきりする。諺にある「腰張り強くて……」の腰張りは代表的で、明瞭に色好みのことをいっている。

なにもわが国ばかりではない。西欧にも旧約「創世記」以来、「腰より産む」といういいかたがあって、男性の性的な力のことをいっている。男性の細く締まった腰が繰り返し力強く弾み、最後の弾みとともに女身の中に送りこまれた力が肉のかたちをとってあたらしい生命を産む……受胎ということの神秘を男性のがわから、いささかの卑猥さも交じえず、これほど的確に表現した例もないだろう。

ところで、男性の腰と大天使ミカエルの関係について、ご存じだろうか。裸の男性を後ろむきに立たせ、両脚を踏んばり、力を入れさせると、お尻の双ケ丘にひとつずつ、左右対称にくっきりと笑窪(えくぼ)がほげる。これに、脊椎と肋骨の最後の交点、および、お尻の割れ目のいちばん上のおしまいの点をつなげると、正確な菱形ができる。これをミカエルの菱形といい、この菱形のできる体形を、魅力ある男性の体形と古来、いいならわしている。

なるほど、痩せすぎた体ではお尻の笑窪は無理だろうし、反対に太りすぎでは脂肪の中に脊椎と肋骨をさぐることもおぼつかなかろう。でも、なぜミカエルの菱形なのか? 

ミカエルはガブリエル、ラファエルと並んで、三大天使といわれる。初代教会時代にはこのほかにも数限りない大天使がいたらしいが、8世紀の有名なラテラノ公教会会議で、ウリエルをはじめ諸大天使は大天使の地位を追われて、ミカエル、ガブリエル、ラファエルだけが大天使と認められた。

なかんずく、ミカエルは天なる神ヤハウェの軍勢の総司令官として、大天使の第一位、天使首座ということになったのである。
    
万軍の司であるからミカエルは戦士の姿をしている。ヨーロッパの都市で、戦死者記念碑の頂に翼を生やした若い戦士像を見かけたら、それはミカエルのことだと思えばよい。けれども、ミカエルはなぜ若い戦士なのか。天使首座という響きからも、総司令官というイメージからも、私たちはすくなくも壮年の、髭をたくわえた姿を連想しがちである。

しかし、じつさいのミカエルは巨人ゴリアテを倒した少年ダヴィドをさながら、若やかなうえにも若やかに表現されるのである。これはカトリックの天使位階制のもととなったアントニオ・アレオバギタを考えれば当然かもしれない。
                                   なんとなれば、アレオバギタでは大天使ほ天使九品制の下品の一位でしかないからである。それも、さらにもとをたどれば、ペルシアか小アジアあたりの青年の姿をした精霊かなんぞであろう。

・・・
レースの飾りに埋まって
聖ミカエルは
塔の寝所におわしまし
カンテラの灯にかこまれた
見事な腿(もも)を人目にさらす

飼い慣らされた大天使
12時を告げる身振りで身を構え
羽根と夜鶯(ルイセニョール)との
優しげな怒りを真似ている

三千の夜を持つ若者、
聖ミカエルは、ガラスの中で歌っている、
コロン水の匂いを放ち
花から遠くへだたって。

 小海永二訳
フェデリーコ・ガルシーア・ロルカ
『聖ミカエル』

こんな美男子の聖ミカエルなら、男性の性の力の象徴である「ミカエルの菱形」の語源になった経緯もわかるような気がする。いな、聖ミカエルじしん、その裸の腰に輝くばかりのミカエルの菱形を持っていて、その腰からつぎつぎに健やかな子供が生まれそうな気さえする。もちろん、ミカエルは天使だから純霊で、無性的存在であるけれども。

マグロ




マグロは水揚げ後、同じ向きで置かれているため、最初に置いた状態の上側を「上身」、下になった身を「下身」と呼ぶそうです。

味は本来、上身も下身も変わらないでしょうが、下身は上身の重さを受ける分だけ鮮度が落ちやすく、身割れを起こす事も考えられ、売買時は上身の方が高価のようです。

築地では、近海物の場合、尻尾と魚体と腹中を懐中電灯で照らして判断し、大阪では、懐中電灯を持たず尻尾と魚体だけで判断するとか。地方によっても判断の仕方は変わるようで、これ以外に均整のとれた身体つき(流線型)か、弾力性があるか、腹の部分に厚みがあるか、腹中はきれい(白っぽいほどよい)か、と見るようです。

また、尻尾の切断面が年輪のように見え、ピンクっぽい色が多いほど脂が乗っていると言われていますが、これらを総合的に判断するには、やはり長年の経験と勘なしでは、見極めは無理であろう。

美味しいマグロは餌にも影響される。マグロの餌と言えば、イカや青背の魚があげられるが、青背の魚を主に食しているマグロの方が、DHAやIPAが豊富で美味しいということになる。

高脂肪の青背の魚を、たっぷりと食べたふくよかなマグロは、メタボリックマグロということになる。人とは違い、回遊魚であるマグロは運動量が足りているので、メタボリック・シンドロームの心配はないであろう。



江戸しぐさ




冬の夕暮れ、高知市街にどこからともなくムクドリの大群が飛んできます。昼間は田園などで餌を探し、夜になると街中のねぐらに戻って来るのですが、ギャーギャーとそのうるさいこと、けたたましいこと。

 大挙して飛来し、騒々しく餌をついばんで、再び群れをなして去っていく。変幻自在に形を変えて薄暮の空を覆うさまは、遠目には壮観ですが、後に残るのはふん害。

その昔、江戸の住民も傍若無人ぶりを苦々しく思ったらしく、人の心より金や物を大事にする自己中心主義者、道理をわきまえない手前勝手なやからを「ムクドリ」と呼んで忌み嫌ったそうです。

 都心の超高層ビルを根城に、利のにおいを敏感にかぎ取って群れ集まり、食い散らかしていなくなる。当節なら江戸っ子たちは、ひところ脚光を浴びたヒルズ族らの金もうけ一辺倒の生態に、ムクドリを重ねたかもしれません。

「江戸しぐさ」という言葉をご存じでしょうか。人口百万の大都市だった江戸の人々が、互いになごやかに暮らすために編み出したルールの数々、いわば江戸っ子の行動哲学です。

 よく知られたものに「傘かしげ」があります。雨の日に狭い道で擦れ違う際、濡れないように互いの傘をすっと外側にかしげるしぐさ。肩がぶつからないよう右肩を互いに後に引いて行き交う「肩引き」、もっと狭い道では横歩きする「カニ歩き」というのもあります。

 そもそも「七三歩き」といって、道幅の七割は公的スペースとして急ぎの人のために空けておくべきもの、自分が歩くのは喘の三割と心得ていたとか。

 これらは数あるルールの基本中の基本。幼少時に当然身に付けておかねばならないものであったと、「江戸しぐさ語りべの会」を主宰する越川礼子さんが著書で紹介しています。

 ちなみに「江戸しぐさ」の根底にあるのは、異なる意見を尊重する「尊異論」。全国から集まった異文化の人たちが仲良く共生していくためには、互いの違いを認め合うことがそもそもの立脚点だったとか。

 片や世界一といわれた大都市と、閉ざされた四国の片田舎。風土はまるで異なりますが、ちゃきちゃきのきっぶの良さに隠された思いやり精神と、おらがおらがと自己主張しながらも自由民権を生んだいごっそう気質には、一脈相ずるものもありそうです。

 世に流されず、何がよくて何が悪いか見極める「真贋分別の目」を持て。これも「江戸しぐさ」の教え。

 「美しい国」の旗印の下、教調育基本法が改められ、今また憲法を見直そうという動きがじわかじわ強まりつつあります。江戸っ子にしろ土佐っ子にしろ、権力をかさに着た押し付けは最も嫌うところ。何より数頼みのごり押しには、道理をわきまえないムクドリのにおいがぶんぷんします。



2007年1月21日
高知新聞 社会2
喫水線

2007年の問題点




 新しい年が明けた。団塊の世代の大量退職が始まり、少子化進行で大学が全入時代を迎える現象は、「2007年問題」とも言われる。

 いびつな人口構成を背景に、日本社会がそのありようを問われる一年になりそうだが、横たわっているのは2007年問題だけではない。

 防衛庁の省への昇格は、安全保障の転機を物語る。保障と言えば、高齢者を中心に医療・年金など社会保障への不安が消えない。これらも争点となる統一地方選、参院選、さらに本県では高知市長選、知事選も控えている。

 何が変わろうとしているのか。どう変えればいいのか、あるいは変えてはならないのか。教育基本法改正が提起した問題を皮切りに、4つのテーマを年頭に考えてみたい。

 教育基本法改正案の国会審議が大詰めを迎えた昨年12月7日、高知市で反対集会が開かれた。目を引いたのは県内小中高の元校長らが、かつて属した組合の違いなどを超えて大勢集まったことだ。

 戦前への反省を込めて、「教え子を戦場に送るな」は、戦後教育の合言葉だった。基本法改正を平和憲法改正の布石とみて、危機感を募らせた参加者がいた。愛国心を一律に教え込むことに懸念を抱く人もいた。

 その一方で、世論調査を見ると、愛国心を教えることを支持する層も存在する。最近の子どもたちの状況から、国家や公共の精神について教えた方がいいとの考えもあろう。

 どちらにも十分な理由があるが、基本法改正に関しては見過ごせない点が潜んでいる。国家と個人の関係をどう考えるか、明治の自由民権運動に倣うと国権と民権のいずれを上位に置くか、という問題だ。

 通読した中江兆民が「苦笑するのみ」だったように、1889(明治22)年2月公布の明治憲法は、民権より国権が優先していた。その直後にできあがった教育勅語は、憲法と呼応する内容を持っていた。

 これは偶然だろうか。実は憲法と教育の関係は、太平洋戦争の後でも繰り返されている。

 深い所で連動

 戦争への反省から生まれた日本国憲法は1946(昭和21)年11月に公布され、翌47年5月に施行された。教育基本法は施行2カ月前の3月に制定されている。

 新しい憲法と憲法に準じる教育基本法は、人権を重視し、人間の内面にかかわる部分への国家の関与は抑制する思想で貫かれている。

 明治憲法体制とは異なる思想を柱に据えたのが戦後日本の出発点だった。教育基本法制定の翌年、国会は教育勅語の廃止を決議している。

 「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する」との条文があるとはいえ、教育基本法改正案に反対の声が上がったのは、国と郷土を愛する態度を養うことが明記されたためだ。愛国心の受け止め方は多様でも、それを学校教育の場に持ち込むことは、憲法の原理との間にあつれきを生じる。思想の自由に対する危機意識が、多くの元校長を高知市の集会に向かわせた面がある。

 教育基本法の原理に手を加えることは、深い所で憲法改正問題とも連動する。改正するなら憲法が先という意見もあるが、順序はともかく政党レベルの改憲論が高まってきたのは決して偶然ではない。

 ことしで施行60年になる憲法は、これまでは一字一句変えられなかったが、教育基本法改正によって空気が変わる可能性がある。事態は深く、静かに進行している。主権者としての自覚を再認識して、動きを注視したい。

2007年1月1日 高知新聞社説



ハチドリの一滴



ハチドリの一滴

お通夜の席などで、みなさんが真剣に考えておられるときに、お話をさせていただくというのは、坊さんにとってとてもよい機会になります。

80歳すぎて亡くなれば不足はないが、50歳で亡くなる人はとかく短命で惜しいと言われがちです。しかし、何歳で死んでもその天命、寿命を精いっぱい生きたことは全く同じであって決して「短命」ということではない。50歳でも80歳でも、そこに長い短いということはないと、お話をしています。

ただ、戦争で死ぬとなると、「天命を全うする」という言い方は通じません。平和憲法の下で亡くなられた方は天寿を全うできるけれども、戦争で亡くなった方は、その天寿を全うできなかったのだと思います。

尊い命を無駄に

今年、NHKの特集などさまざまな機会に、戦時中の硫黄島の悲劇がとりあげられました。たくさんの兵隊さんが「天皇陛下万歳!」と叫び、「玉砕」し「自決」しました。尊い命を無駄にしたのです。みな洗脳でそこまで追いこまれました。教育の「力」の恐ろしさが示されています。

教育基本法改定が強行されました。私たち戦中派から見ると九条改定との危険な結びつきを感じます。このようなものが強行されることは本当に不条理です。

イラクやアフガニスタンでは今も戦争が続き、世界のあちこちでテロや暗殺事件が繰り返し起きています。悲観的と言われるかもしれませんが、差別、格差、戦争、ちっともなくならない。まさに“戦国時代”です。

その中で、私たちがなんとかこの60年間を平和に暮らしてきた、その大本にあるのは平和憲法だと思います。その素晴らしさは、これしかないとわかっているのですが、私には何とも言葉に表しようのないものです。

「青葉の笛」の音

文部省唱歌にも歌われた「青葉の笛」がこの寺に残されております。一の谷の合戦で敗れ、海に逃れる平家方を追った熊谷直実がある若武者の首をはねた。その若者とはまだ16歳の少年・平敦盛でした。直実は敦盛のあまりの美しさにためらったものの、味方に悟られるのを懸念して殺します。直実は敦盛の腰に笛を見つけ、明け方に聞いた美しい笛の音の主だと気づき、殺し合う戦(いくさ)の世の無常を感じ出家を決意することになったといいます。その笛が戦の虚(むな)しさを現代に伝えております。

南米には、アマゾンの山火事に、一滴(ひとしずく)の水を懸命に運んで火を消そうとしたというハチドリの民話があるそうです。「焼け石に水」と笑う大きな獣に、「私にできることはこれだけです」とハチドリは言ったそうです。

なかなか変わらない悪い世の中を、ちょっとでもがんばって、戦後60年の平和の基礎にあったこの平和憲法を守りたい。このたびはそのハチドリの一滴のようなつもりで、お話をさせていただきました。


真言宗須磨寺派大本山
須磨寺塔頭正覚院住職
三浦真厳
みうらしんげん
1931年「満州」生まれ。高野山大学予科、早稲田大学を卒業。教職を経て正覚院(神戸市須磨区)へ。与謝蕪村、松尾芭蕉、良寛、山本周五郎など寺とゆかりの文化人と寺との交流の歴史を発掘。『須磨寺一歴史と文学一』、『古筆貼交屏風』『須磨寺古記録「当山歴代」影印本』など出版。

聞き手 中祖寅一
2006年12月18日(月曜日)
いま憲法9条を
宗教者は語る

医療現場のカナリア


 社会の矛盾や混乱は弱者にまず影響し、弱者は駆け込み寺である医療に集まる。そういった意味で病院はあらゆる社会矛盾のバッファー、安全装置といえる。医療は教育や環境と同じく社会共通資本なのである。みんなで大切にまもり育てなくてはいけない。 しかし、その医療を資本主義経済におけるサービス業の一つであるという認識でとらえる人が増えてきたことにより危機に瀕している。

 現在、日本の医療機関は二つの強い圧力にさらされている。医療費抑制と安全要求である。この二つは相矛盾する。相矛盾する圧力のために、労働環境が悪化し医師が病院から離れ始めた。現状はきわめて深刻である。医療機関の外から思われているよりはるかに危機的である。(「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か?」小松 秀樹 より)  

 医療システムや制度の不備は、病院内のささいなルールや手続き(煩雑化したアリバイ的な書類等)などミクロのことであれ、医療行政や社会制度などのマクロのことであれ、いったんは医師に降りかかる。悪い結果となればたとえ不可避のことであっても訴訟の被告や犯罪者にされる危険性すらある。 医師自ら状況を変化させるような手立てとれるのならよいのだが、状況を変化させることが出来ず、ひずみの状態が続くと医師たちの疲弊を引き起こし、医療ミスを誘発したり、医師の離職(立ち去り型サボタージュ)、転職につながり医療崩壊を引き起こす。そして最終的には患者や地域住民の不利益となるのだが、その構造はなかなか気づかれないようだ。 

 炭鉱で有毒ガスがでていると、カゴのカナリアがさえずるのをやめて死んでいき、鉱夫に危険を知らせる。医師はさしずめ医療現場におけるカナリアだ。医師は患者の命や生活に責任をおうという役割を負っており、それはつまり患者や住民の生活を人質にとられていることに他ならず、どんなに自分がつらくても体調が悪くても逃げることは許されず良心的な医師であればあるほどまず自らを疲弊させ燃え尽きていくからだ。  

 周りを見ると医師たちには余裕がなく、みな疲れた顔をしているのが気にかかる。しかしカナリアたちが弱っていることを、鉱夫は気づいていないか無視しているようだ。悲しいかなカナリアたちは団結することも、戦略的にシステムに対するアプローチすることも知らず、またその余裕もなく、状況の悪化に打つ手を見出せずただただ疲弊しているように思われる。 

 カナリアよ!逃げ出す前に、あるいは倒れて死ぬ前に最期の力を振り絞って鳴き、鉱夫たちに危機を伝えよう。鉱夫たちの団結を引き起こし、炭鉱(やま)の外にも危機をつたえ、状況を改善させる以外にカナリアたち(そして鉱夫たち)の生き残る道は無いのだから。

医療現場のカナリア
[ 地域医療 ] / 2006年08月03日
http://blog.goo.ne.jp/toip_hokkaido/e/618007b6ec2c2f477ae881d9b58459ec


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