江戸しぐさ | 月かげの虹

江戸しぐさ




冬の夕暮れ、高知市街にどこからともなくムクドリの大群が飛んできます。昼間は田園などで餌を探し、夜になると街中のねぐらに戻って来るのですが、ギャーギャーとそのうるさいこと、けたたましいこと。

 大挙して飛来し、騒々しく餌をついばんで、再び群れをなして去っていく。変幻自在に形を変えて薄暮の空を覆うさまは、遠目には壮観ですが、後に残るのはふん害。

その昔、江戸の住民も傍若無人ぶりを苦々しく思ったらしく、人の心より金や物を大事にする自己中心主義者、道理をわきまえない手前勝手なやからを「ムクドリ」と呼んで忌み嫌ったそうです。

 都心の超高層ビルを根城に、利のにおいを敏感にかぎ取って群れ集まり、食い散らかしていなくなる。当節なら江戸っ子たちは、ひところ脚光を浴びたヒルズ族らの金もうけ一辺倒の生態に、ムクドリを重ねたかもしれません。

「江戸しぐさ」という言葉をご存じでしょうか。人口百万の大都市だった江戸の人々が、互いになごやかに暮らすために編み出したルールの数々、いわば江戸っ子の行動哲学です。

 よく知られたものに「傘かしげ」があります。雨の日に狭い道で擦れ違う際、濡れないように互いの傘をすっと外側にかしげるしぐさ。肩がぶつからないよう右肩を互いに後に引いて行き交う「肩引き」、もっと狭い道では横歩きする「カニ歩き」というのもあります。

 そもそも「七三歩き」といって、道幅の七割は公的スペースとして急ぎの人のために空けておくべきもの、自分が歩くのは喘の三割と心得ていたとか。

 これらは数あるルールの基本中の基本。幼少時に当然身に付けておかねばならないものであったと、「江戸しぐさ語りべの会」を主宰する越川礼子さんが著書で紹介しています。

 ちなみに「江戸しぐさ」の根底にあるのは、異なる意見を尊重する「尊異論」。全国から集まった異文化の人たちが仲良く共生していくためには、互いの違いを認め合うことがそもそもの立脚点だったとか。

 片や世界一といわれた大都市と、閉ざされた四国の片田舎。風土はまるで異なりますが、ちゃきちゃきのきっぶの良さに隠された思いやり精神と、おらがおらがと自己主張しながらも自由民権を生んだいごっそう気質には、一脈相ずるものもありそうです。

 世に流されず、何がよくて何が悪いか見極める「真贋分別の目」を持て。これも「江戸しぐさ」の教え。

 「美しい国」の旗印の下、教調育基本法が改められ、今また憲法を見直そうという動きがじわかじわ強まりつつあります。江戸っ子にしろ土佐っ子にしろ、権力をかさに着た押し付けは最も嫌うところ。何より数頼みのごり押しには、道理をわきまえないムクドリのにおいがぶんぷんします。



2007年1月21日
高知新聞 社会2
喫水線